ここは都内某所にある小さな花屋。オフィス街と昔ながらの街並みが混在する一風変わった立地条件だけど、品揃えと店主のセンスの良さに加えて店主の人の良さが評判で、昔からのお客さんに加えて口コミで来るお客さんや近くの会社の催し物の花束や受付の花のアレンジメントの依頼が多くて、まあまあ繁盛している方だと思う。これはそんな花屋で働くあたしのある日の一コマ――

「…ねえ、由衣ちゃん」
「何ですか?おばさん」
「あんた、気をつけた方がいいよ」
「え?何がですか?」
「ほら、外」
 そう言われて店の外をちょっと見ると、つばの切れたキャップを被った男の子(と言っても20代は行ってそうだけど)がじっとこちらを見て立っている。どこかで見覚えがある気もするけど、どうも思い出せない。そんなに危ない感じはしないけど…そういえばあの男の子、おばさんが来る前からあそこに立ってる気がするな…おばさんもこの店の常連で花を買った後も良くしゃべってから帰るし、今日もお茶を飲みながら随分話してるから、相当の時間あそこに立ってるんじゃないだろうか。そんな事を考えているとおばさんが更にあたしに声を掛ける。
「なんだかあの男、ずっとこっちを睨んでるじゃないか。今桂介さん外に出ていないんだろ?もし強盗とかだったら危ないじゃないか。最近はこの辺も物騒だからね、気をつけな」
「ありがとうおばさん、でも大丈夫よ。強盗だったら今頃とっくに押し込んでるわ」
「それはそうだろうけどねぇ…」
「でも気を付ける様にするわ。じゃあはい、今月のスペシャルアレンジメント完了!いつもありがとうね、おばさん」
「いいんだよ。ここの花を買うのもあんたや桂介さんに会うのもあたしの楽しみの一つなんだから。じゃあ由衣ちゃん、あたしはこれで帰るけど本当に気を付けるんだよ」
「ええ。じゃあおばさん、またお茶飲みに来るだけでもいいから来てね」
 そう言って笑顔でおばさんを送り出した後、アレンジメントの片付けをしながらふとまた外を見るとまだ男の子はそこにいて、じっとやはり店の中を見詰めている。その内ふと目が合ったからにっこりと笑いかけると、男の子は被っていたキャップを下げて真っ赤な顔で俯いた。…うん、悪い人じゃなさそうね。そうしてアレンジメントの片付けが終わった頃、その男の子は俯いたままゆっくりと店に入って来た。
「いらっしゃいませ、どんな花が欲しいのかしら?」
 明るくあたしが声を掛けると、男の子はびっくりした様に一瞬あたしを見詰めるとふと目を逸らしてもじもじし始めた。…これは訳ありのお客さんの様。リラックスさせなくちゃいけないかしらね。あたしはにっこりともう一度笑うと、男の子に声を掛けた。
「もしはっきり決まってない様だったら、決まるまでそこのテーブルでお茶でも飲む?花があるから寒くて悪いけど」
「いや…でも」
「いいのよ、ゆっくり考えて納得のいく花を買ってもらう。これがうちの信条なの」
「…」
 あたしがそう言って笑うと男の子は俯いて黙り込んだ後、ぽつり、ぽつりと言葉を返した。
「いや…その…欲しいものはもう決まってるんです」
 そう言って一瞬沈黙した後、決心をした様に頷くと、彼はお札を両手で差し出して頭を下げながら、搾り出す様に声を上げた。
「あの…これで買えるだけの赤いバラを花束にして下さい!」
「…え?あ…ああ、ええ。じゃあちょっと待ってね」
 彼の勢いに圧されて一瞬あたしはちょっと引き気味になったけど、すぐに気持ちを切り替えてまずお金を確認した。一見下手をすると学生風にも見える男の子の割に出した金額は相当なもの。これだとうちの一番いいバラでも持ちきれない程の花束になってしまう。まあそこはちゃんとお釣りで返すとしても…バラだけの花束でいいのかしら。それは確認しないと。
「花束は赤いバラだけでいいのかしら。この金額だと他にも色々組み合わせがきくけど…」
 あたしが男の子に尋ねると、一番の緊張の山場を過ぎて覚悟が決まったのか、今度はあたしの目を見てはっきりした口調で答えた。
「いいえ、本当に赤いバラだけの花束にして欲しいんです」
「そう」
 はっきり希望を告げた男の子の口調とその表情が心なしか赤らんでいる事に気づいて、あたしは何となくピンと来た。この勘が正しいならちゃんと気持ちのこもったものを作らなくちゃいけない。それを確認するためにあたしはそれとなく彼に問いかけた。
「ねえ、もしかしてこれ…プロポーズのための花束なのかしら」
「えっ…」
 あたしの問いに彼はびっくりした様に目を見開いてあたしを見詰めると、顔を真っ赤にしてまたキャップのつばを深く下げて俯いてしまった。…どうやらビンゴみたいね。それならこの気持ちをしっかり込めてあげなきゃ。あたしはにっこり笑うと、更に彼に声を掛ける。
「そう。じゃあしっかり気持ちを込めないとね。頑張って作らないと」
「あの…ええと」
「任せなさいな。あなたの想いを込めた最高の花束を作ってあげるから」
 男の子がしどろもどろになっているのが可愛くてたまらない。でもそうよね、プロポーズの花束を作って欲しかったのなら今までの様子も納得がいく。この男の子、かなりの照れ屋っぽいし、覚悟が決まるまで相当時間がかかったんだろう。そう思うと出した金額の浮世離れさはともかく、その態度が微笑ましくて仕事はしっかりやらなくちゃと思いつつもつい顔が緩んでしまう。
「お店に出してる分だけじゃちょっと量が足りないわね…奥からも持ってこなくちゃ。…そうだ、時間が少しかかるからさっき言ったお茶でも飲んで待ってくれます?」
「あ…ええ、はい…」
 男の子はしどろもどろになりながらも勧めたテーブルに座り、いれたお茶を飲み始める。あたしは店の奥からストックしてある赤いバラを持ってくると彼の気持ちを込めるように心がけながら包むフィルムやリボンを吟味する…と、彼が不意に声を掛けてきた。
「その歌…いい歌ですね。何て歌ですか?」
 その言葉にあたしは自分が無意識に歌っていた事に気が付いた。しかも、しまった事にその歌は…
「…ああ、ごめんなさいね。いいって言ってくれたのは嬉しいんだけど、この歌はあなたには良くないわね。これ、『百万本のバラ』って歌でね、昔は結構有名だったけど今の人はあんまり知らないか…この歌、失恋ソングなのよ」
「そうなんですか?」
「ええ、ヨーロッパで実際にあった話を歌にしたらしいわ。貧しい絵描きが全財産投げ打って好きな踊り子に町中の赤いバラを贈るって歌。…でもその想いは届かず終いなのよね」
「そうなんですか…」
 あたしの歌っていた所はサビの部分だけだったので男の子は『信じられない』という表情を見せる。まあそうよね、この歌全部を知ってる若い子はそういないか…ってあたしもそんな年寄りじゃないけど。でも歌ったのはこっちのミスだし、ちゃんと謝ろう。
「うっかり注文した時の君の様子が微笑ましくて歌っちゃったけど、プロポーズの花束作るのには向いてない歌よね。ごめんなさい」
「ああ、いえ…」
 あたしが謝ると彼も申し訳なさそうに首をすくめる。ああ、意気消沈させちゃ駄目だわ。この男の子のプロポーズがちゃんとうまくいく様にもって行かなくちゃ。あたしは首をすくめた男の子に向かって笑いかけると、一つ提案をする。
「ほら、そんな顔見せない…じゃあ、合わない歌を歌っちゃったお詫びにこの花束にはサービスで特別の『魔法』を掛けてあげるわね」
「え?」
「まあできてからのお楽しみ…って所で」
 あたしは悪戯っぽくウインクをすると吟味したフィルムやリボンを使って花束を作っていく。そうしてしばらくして花束が完成した。
「はい、できたわ」
「うわ…ありがとうございます」
 リボンもフィルムも厳選した、あたしとしては最高に近い出来の花束。そしてこれには魔法が掛けてある。それは――
「…あの」
「何?」
「俺、赤いバラの花束って言いましたよね。中央に白いバラ、しかも一輪だけって…」
 彼の問いにあたしはにっこり笑って答える。
「それがこの花束に掛けた『魔法』よ」
「えっ?」
「その白いバラは相手の気持ちよ。…あなたの真剣な想いが伝わったら、相手はその白いバラにあなたへの想いを込めて返してくれる。ちなみにその白バラがその人に戻らなかった事は、今まで一度もないのよね」
「でも、返されたかどうか、あなたは分からないんじゃ…」
「この『魔法』は特別だから花束作った人の数は少ないけど、作った人達皆うちにウェディングブーケを頼みに来てくれてるもの。ご利益はてきめんよ」
「そう…ですか…」
 あたしがにっこり笑ってそう言うと彼はまた顔を真っ赤にして、でも少し嬉しそうに照れた様な笑いを見せる。それを見てあたしはまた微笑ましくなって更に笑顔になる。
「じゃあこれはお釣りね。…落ち着くのにもう一杯お茶を飲む?」
「いいえ…約束の時間も近いし、俺、行きます。ありがとうございました」
「じゃあ健闘を祈ってるわ。ウェディングブーケだけじゃなくっても、花の事でまた何かあったらうちにいらっしゃい。サービスするわよ」
「はい…じゃあ失礼します」
 そう言うと男の子は照れた様に笑ったまま一礼して花束を優しく抱えると、風の様に店から駆け出して行った。なかなかいい男だったわね。あれだけ想われてる相手がちょっとうらやましい…かな?などと考えていると、入れ替わりにこの店の主人が帰って来た。
「ただいま、由衣」
「お帰りなさい、桂介さん。どうだった?今日の出先は」
「ああ、考えてた通りだって喜んでくれたよ。…ところで今出て行ったのは日ハムの不知火だったな…もしかして、客だったのか?」
「ああそうか!日ハムの不知火…」
「何だ、気付かなかったのか?」
「うん…見覚えがあるな~とは思ったけどそこまでは。それにうちに有名人が来るとは思わないじゃない」
「ま、そうだな」
 どおりで見覚えがあったはずだ。あたしも桂介さんも野球好きで良く見てるけど、あたしは選手の顔を覚えるのが苦手だから気付かなかったんだ。じゃあ、あたしってかなり重要な仕事してたって事?今になって色々な事が繋がっていってあたしは思わず赤面する。
「おい、どうした?」
 あたしの様子がおかしい事に気付いたのか、桂介さんはあたしに問いかける。あたしは赤面しながら呟く様に答える。
「…ねぇ、もしかしたら不知火、今シーズン結婚するかも」
「何だ、いきなり」
「あたし、不知火に魔法掛けちゃった…」
「ええ?じゃあ不知火が持ってた花束は…」
「そう。まあ、あたしの魔法は桂介さんほど上手じゃないから効くかどうかは分からないけど…やりすぎだったかしら。結婚したら、ファンの女の子泣いちゃうわよねぇ…」
「…そうか…」
 桂介さんはしばらく考え込んでいたけれど、やがてにっこり笑うとあたしの頭を撫でて言葉を返す。
「いや、お前はいい事をしたのさ。元々不知火が花束を買った理由だってそうだったんだろ?」
「うん…でも…」
「なら他のお客さんと同じさ、幸せになる権利はみんな平等にある。…それにな、あの花束の魔法は由衣が掛ける方が効くんだぞ」
「そうなの?」
「そうさ。あれは元々由衣のために作った魔法だしな」
「そう…だったわね」
 あたしは自分がこの魔法を掛けてもらった時の事を思い出す。最初にこの魔法を掛けてもらったのはあたし。その幸せを皆に分けたくてあたしはこの魔法を桂介さんから教えてもらった。でも、この魔法を教えてもらう前…ううん、桂介さんがあたしにこの魔法を掛ける前からあたしはこの魔法に掛かっていた。その魔法がどんなに幸せなものか分かっている分、掛けた時の効き目は確かにあたしの方があるかもしれない。大切な人と幸せになるための魔法――あたしは桂介さんに笑いかけると寄り添って呟いた。
「…不知火はあの魔法が使いこなせるかしら?」
「大丈夫さ。由衣が心を込めた魔法なら皆使いこなせる」
「そうだといいわね」
 あたし達は顔を見合わせるとふっと笑い、明るい口調で問い掛ける。
「桂介さん、帰ってきたばっかりで喉渇いてない?お茶ならすぐいれられるけど」
「そうか。じゃあもらおうかな」
「ええ」
 あたしはここにいた時の様に顔を真っ赤にして花束を相手に渡す不知火選手の姿を想像して、微笑みながらお茶をいれにかかった。