ある日の東京ドーム。葉月と文乃と美月は、土井垣に招待されてスターズの試合観戦に来ていた。しかも普通の席ではなく室内のスタッフがいる所とはいえ関係者の部屋からの観戦。表向きは『美月ちゃんはまだ小さいし活発な子だから、観客席だと危ないだろう』という事だったが、本心は葉月が初めて試合観戦した時に人いきれで具合を悪くした事を知っている土井垣が心配してここにしたらしい。そんな心遣いに感謝して、葉月も文乃も何かと気遣ってくれる北にお礼の言葉を述べる。
「ありがとうございます、北さん。こんなに気を遣っていただいて」
「いいえ、監督の意向ですから。お二方…美月ちゃんもだね…はただ楽しむ事だけに集中して下さい」
「ありがとう。お言葉に甘えさせてもらうわね。み~ちゃんもお礼言おうか~ありがとう、はい」
「き~ちゃ、あ~とっ」
「どう致しまして。…じゃあ僕はベンチに行きますからゆっくりして下さい」
 そう言うと北はベンチへ行き、しばらくして試合が始まった。試合はアイアンドッグス戦で先発は里中と不知火。試合は予想通り投手戦になり、一点を争う攻防が繰り広げられる。そして最初に均衡を崩したのはドッグスだった。三番の三吉が足で稼いだツーベースを打った後、武蔵のヒットを更に三吉の足でタイムリーにし先制点を奪ったのだ。葉月は心配で手を胸の前で組み、じっとガラス壁の向こうを見詰める。それを見た文乃が安心させる様に声を掛けた。
「大丈夫よ。将君なら絶対ここから逆転するわ。それに、智君だってこれ以上点はあげない。…ね~大丈夫よね~?み~ちゃん」
「あ~、ね~、ら~じょ~ぶよ?」
 美月も葉月の頭を小さな手で撫でてにっこり笑い声を掛ける。それを見て葉月は二人に微笑みを返す。
「うん…そうだね、お姉ちゃん、美月ちゃん。将さんを信じなきゃね」
 そう言って葉月はまたガラス壁の向こうを見詰めて、土井垣を心の中で応援する。転機は8回に訪れた。三番の三太郎がヒットで出塁した後、4番山田がツーランホームランを打ち逆転、星王は三振したものの更にダメ押しで土井垣、義経の連続ツーベースヒットで繋いでもう一点を奪い取ったのだ。葉月は嬉しくてにっこりと微笑む。それに返す様に、彼女にはホームインした土井垣がふっとこちらを見て笑いかけた気がした。それがまた嬉しくて葉月はにっこり微笑む。その様子を見て文乃は微笑ましげに笑った。その後里中がその2点差を守りきり、スターズは勝利した。ヒーローインタビューこそ山田と里中で土井垣ではなく残念だったが、幼馴染の里中の晴れ姿も見られて何となく嬉しい。そんな事を考えながら、今日は土井垣と『帰りは一緒に帰ろう』という事になっていたので、今日の試合の楽しかった事などを文乃と話しながら土井垣を待っていると、不意にスターズの選手達がどやどやと駆け込んできた。
「宮田さんが来てるんだって?…あ~いた~!」
「待てお前ら!勝手に入るな!」
 チームメイトの勢いに圧されつつも、葉月は丁寧に挨拶する。
「あ…どうも皆さん、お久し振りです」
「葉月ちゃん、久し振り~!…あ、文乃さんと美月ちゃんもいるや。お久し振りです文乃さん。久し振りだね美月ちゃん」
「久し振り、智君。ほ~らみ~ちゃん、智お兄ちゃんよ~?」
「さ~るに~、こ~ちゃ~!」
「あれ?誰こっちの宮田さんに良く似た綺麗な親子連れ…だよな…は」
「ああ、その人は文乃さんって言って、葉月ちゃんのお姉さん。で、女の子は文乃さんの娘さんの美月ちゃん」
「…へぇ、そうなんだ。どうも、初めまして~。娘さん可愛いですね~」
「ありがと、どうぞよろしく。美月も挨拶しようか。よろしく~はい」
「よ~く!」
 そう言って可愛らしくにっこり笑ってぺこりと頭を下げる美月にチームメイト達は心が和む。そんな中岩鬼のみがわざとだろうが、美月に対して悪態をつく。
「な~に言っとんのや。確かにガキやからガキなりに可愛いかもしれへんけど、親子揃って宮田に似てドブスやないけ。おべっか使っても仕方あらへんやろ。こういう事はしょ~じきに言わへんと」
 その言葉に反応する様に、美月は岩鬼に向かって手を振って声を掛けた。
「…ば~ば~」
「あ~岩鬼、嫌われちゃったな~」
 チームメイトのからかう言葉に、岩鬼は激昂する。
「何やと~!このガキ!」
 激昂する岩鬼を宥める様に、文乃が説明する。
「ごめんなさいね。これが美月の人見知りなのよ。泣かないんだけど、バイバイって言って遠ざけようとするの。悪気はないのよ。許してね」
「それにしたって何でわいだけ人見知りされんねん!」
「お前が美月ちゃんの事『ドブス』って言ったからじゃないのか?」
 里中の突っ込みに文乃が重ねる様に突っ込みを入れる。
「そういえばそうね~。美月だって『ブス』って言われたら嫌だもんね~嫌なお兄ちゃんとはバイバイしたくなるよね~」
「それに自分こそ顔が怖いし」
「何やて~!?」
 更に激昂する岩鬼を見て一同は爆笑する。その中かやの外にされていた土井垣が、岩鬼に負けず声を荒げた。
「だから和んでるんじゃない!勝手に覗きに来やがって!」
「いいじゃないですか。どうせ宮田さんは俺達とも仲いいんですし」
「ええ。土井垣さん、怒らないで下さい。私も皆さんと会えて嬉しいんですから」
「だがな、お前らが騒ぐとマスコミも動くんだぞ!少しは自覚しろ!」
「はぁい…」
 しゅんとしたチームメイトの様子を感じ取ったのか、美月が不意に大声で泣き出した。文乃は必死に美月を宥める。
「あ~、み~ちゃん怖かったね~?でもね、今はあんたが怒られたんじゃないんだからね~気にしちゃ駄目よ~?…将君。あんまり怒鳴らないで。美月が怖がって泣くわ」
「あ…すいません、でも…」
「あんたの言いたい事も良く分かるけど、皆葉月の友人らしいじゃない。そうじゃなくてもこうやってスタッフの部屋に来た時点で、外野から何か言われるの位あたし達は覚悟してる。だから思いっきり楽しませてよ」
「…はい」
 文乃の言葉に、土井垣は沈黙する。と、泣き顔を見せたまま、文乃に抱かれていた美月が並んでいる山田と里中の方へと手足をバタバタと動かしてもがき始めた。
「に~に~」
「あら美月、お兄ちゃんの所へ行きたいの?どっちのお兄ちゃんの方かな~」
「や~らに~」
「そう。…山田君、ごめんなさい。美月を抱っこしてあげてくれる?」
「え?…ああ、いいですよ」
 山田が美月を抱き上げると、美月は嬉しそうに抱きつく。チームメイトはその様子に感心した様に言葉を紡ぐ。
「へぇ…山田には懐いてんだ」
 里中がその言葉に説明する様に言葉を返した。
「ああ、俺と山田は何度か美月ちゃんに会ってるからな。美月ちゃんも山田がお気に入りらしいし」
「そういや着てるレプリカユニホーム、山田のやつだな」
「そうよ~。これと智君のがお気に入りでね。今日は智君のは洗濯してるから、山田君のを着せてきたの。おそろいね~美月」
「ね~」
「そうなんですか~」
「それにね、レプリカユニホームって、子どもが着る物の調節にいいのよ。夏はこれ一枚で涼しいし、秋とか冬は下にこうやってセーターとかトレーナーを着せて、脱ぎ着させると寒い所も大丈夫…って訳。丁度美月もこれ好きだし、重宝してるわ」
 文乃の言葉に、チームメイトの一同は感心して拍手する。
「主婦の知恵って…すごいな」
「でも嫌いな格好をさせてる訳でもないから、いいんじゃないかしら」
「それもそうだな~…でさ、宮田さん」
「何ですか?」
「宮田さんは監督のレプリカユニホーム、着ないの?折角完璧おそろいのチャンスなのに」
「…!」
 三太郎の素朴に見えて計算しつくされた問いに、葉月は赤面して絶句する。それを見た文乃がからかう様に笑いながら更に続ける。
「そういえばあんた、市販とかファンクラブのレプリカユニホームじゃなくって、将君から本物とおんなじやつ、もらってなかったっけ?今日みたいな日に着てこないでどうするのよ」
「あ~そうなんだ~。土井垣さん、ラブラブっすね~?」
「…」
 一同の言葉に、葉月も土井垣も赤面して沈黙する。そうして一時二人をからかった後、チームメイトは笑いながら去って行き、土井垣も赤面しながら『後で…迎えに来るから』と言って去って行った。それを見ていた文乃も、気を利かせてか『美月がそろそろ眠たくなる時間だから先に帰るわ。北さん、お願いします』と北に案内してもらって先にこっそり帰って行き、一人取り残された葉月は色々な事を考えながら土井垣を待つ。文乃が言った通り、葉月は土井垣から『おそろいという訳でもないが…持っていて欲しい』と葉月のサイズで特別に作らせた土井垣のユニホームを渡されて持っていた。もちろん普通のレプリカユニホームも持っている。しかし、葉月は何となくそれが着られなかった。もちろんもったいないという気持ちもあるが、それ以上に何だか自分が着ていいのだろうか、という迷いがあったのだ。土井垣の想いは信じている。それにレプリカユニホーム位ファンと割り切って着てしまえばいい事だろう。でも二人の関係は結婚を前提にした恋人同士。その関係も土井垣がチームの基盤を固めるまで結婚は延期するという極めて曖昧なもの。ファンでもない、普通の恋人でもないこの関係で、土井垣からもらったユニホームは当然のことながら、レプリカユニホームも着るのは何だか辛い。自分から言い出したとはいえ、ずっと続いているこの中途半端で不安定な関係。本当ははっきりさせたい。でもそうしたらこの関係が壊れてしまうかもしれないという不安もあって――このまま自分は曖昧な関係のままただ待ち続け、流され続けていくしかないんだろうか――そんな事を考えていたら、不意に涙が零れてきた。そうして泣いていると、いつの間に来ていたのだろうか。土井垣が今まで文乃が座っていた椅子に座って、自分を見詰めていた。しばらく彼はすすり泣く彼女を泣かせるままにしていたが、やがて宥める様に彼女を抱き締め、その耳元に囁く。
「…どうした」
「…ごめんなさい。…何でも…うん、何でもないの…」
「何でもなくはないだろう。こんなに…泣いているのに」
 土井垣の優しさが嬉しくて、でも自分の考えている事が申し訳なくて、葉月はしゃくりあげながら言葉を紡ぐ。
「ごめんなさい…レプリカユニホームも、将さんからもらったユニホームも着られなくって…本当は着たいの、でも…辛くって…着られないの…ごめんなさい…」
「どうして辛いんだ?」
 土井垣の問いに、葉月は泣きやむと、静かに答える。
「だって…レプリカユニホーム着ちゃったら、ファンと同じになっちゃう気がして…でも、将さんがくれたあのユニホームは…こんな曖昧な関係のあたしには、まだ着る資格がない気がして…」
「…」
 土井垣はしばらく考え込んでいたが、やがてふっと笑うと、葉月に囁きかけた。
「なあ…ずっと言おうと思っていたんだが…」
「…何?」
「もう…チームは固まった、と思ってくれて…いいんじゃないか?」
「将さん…?」
「投手陣も何とか固まった。日本一にも二回なった。だから…もうそろそろ、お前も俺のものになってくれてもいいんじゃないか…?」
「将さん…」
「ただし…俺があげたユニホームは着ない事…俺の前以外ではな。試合の時はレプリカユニホームで我慢してくれ」
「…うん」
 そう言うと二人は微笑み合って唇を合わせた。

「あ~…ったくもう、あんだけ怒っといて結局自分が一番マスコミにエサ撒く様な真似してるじゃん。念のためマスコミ進入禁止にしといて良かったな~」
 甘い雰囲気を漂わせている二人の様子を眺めながら、里中が呆れた様に口を開く。
「まあでもマスコミいたっていいんじゃないの?どうせいつかはばれる事だしね」
 先刻帰ったはずの文乃が眠り込んだ美月を抱いて、にっこり微笑んで言葉を返す。実は帰りがけにチームメイト達から『二人の鑑賞をしましょう』と持ちかけられ、葉月同様(いや、下手をすると彼女以上に)悪ノリが好きな文乃は乗っていたのだ。
「でも、あんな風に宮田さんが思ってたとは知らなかったな。案外宮田さんって古風だな~」
「そうだよな~でもさ」
「何だ?」
「レプリカユニホームはともかくさ、最近宮田さんがボーイッシュな格好してる時って、土井垣さんと何気におそろいに似た格好なんだよな。本人達気付いてないけど」
 緒方の言葉に、三太郎が苦笑して続ける。
「何それ、宮田さんに土井垣さんのあのセンスがうつったって事!?…そりゃご愁傷様だな」
「いや、土井垣さんのセンスが上がってきたって事。宮田さんが引きずってんの」
「何だ、やっぱラブラブなんじゃん…ったく、人騒がせだよな~」
「まあ、こうやってラブシーン鑑賞させてもらって、ついでにマスコミに売って、楽しませてもらうって事でチャラにしようぜ」
「さんせ~い」
「お姉さん、妹さんがまた騒がれてもいいんですか…?」
 チームメイトの冗談半分の提案に笑って同意する文乃に思わず彼らは心配になって問い掛け、その問い掛けに、文乃は優しい笑顔でウィンクしながら答える。
「ええ、今なら前みたいに変な騒がれ方しないで祝ってもらえそうだしね」
「そういえば…そうですね」
 そう言って一同は小さな声で笑い合った。

――その後、一部スポーツ紙に『土井垣監督、恋人に東京ドームで試合後勝利をプレゼントにプロポーズ!』等と書き立てられ、土井垣が幸せな気持ちに溢れながらその対応に追われたというのは余談である――