ある平日の昼下がり、葉月と弥生はお互いの休みを利用して会い、ケーキセットを口にしながらおしゃべりをしていた。二人は高校の同級生で親友だったが、葉月が身体を壊し留年していたため弥生が一足先に卒業してから音信不通になっていた。しかし先日偶然再会し、また親友としての付き合いが改めて始まったのである。二人は会えなかった時の事をそれぞれ取りとめもなく話しながら、会えなかった間の時間をゆっくりと埋めていた。
「…そっか、じゃあはーちゃんまた歌始めたんだ」
「うん、今度は合唱だけどね。昔と違って歌うのが楽しくて仕方がないんだ」
「そっか、よかったね。いい仲間と知り合えて」
「うん。で、ヒナは小児科医を目指してるんだ」
「そう、うちの近くって小児科は軒並みお達者倶楽部な年齢のドクターばっかりだしね。あたしが跡継ごうかと思って。それにもう一つ不安だった産婦人科は、睦美が目指すって言ってるし」
「さすが医者一家。それにヒナが小児科になるんだったら演研の経験生かせるもんね。適職かも」
「そうだね。でもはーちゃんだって保健師の仕事で使ってるんでしょ?やっぱり」
「ん…あたしは健診そのものが主だからあんまり使えないけどね。あ、でも頼まれて小児科手伝ったり、健診でも、親子で健診に来てぐずった子供をあやすのとかには使えてるか。ついでに言えば、あの時作った両手人形は今健康教室の相方になってるよ」
「あっは、さすが応用問題好きなはーちゃんらしいわ」
「あは、それ言わないでよ」
 そうして二人は取りとめもなく話していたが、やがて弥生が思い出した様に口を開く。
「そういえばさ、はーちゃん」
「何?」
「あの土井垣さんって、プロ野球選手だったんだね。雑誌で見てびっくりしちゃった」
「ん?そうだよ。ヒナはモータースポーツマニアで、プロ野球門外漢だから気付かなかったか」
「そうだよ…って、はーちゃん随分あっさりしてるじゃない」
「だって、あたしが知り合ってる土井垣さんはプロ野球選手の肩書き外して飲みに来てる土井垣さんだもん。逆に騒いだら土井垣さんに悪いもん。皆にもそう言われてるし」
「…」
 余りにあっさりしている葉月の様子に弥生は思わず内心頭を抱える。その心のままに弥生は葉月に言葉を掛けた。
「でもね、はーちゃん。周りはそう見ないんだよ?あんな風に二人っきりで送ってもらってるの、マスコミに撮られたらどうするのよ。迷惑が掛かるのは土井垣さんなんだよ」
「あ、そういえばそうだ…」
 今更になって気付いたのか、葉月は顔を赤らめた。弥生は小さく溜息をつくと、更に彼女に問いかける。
「…ねえはーちゃん、もう一回聞くけど、土井垣さんの事どう思ってるの?」
「…」
 葉月は顔を赤らめたまましばらく沈黙していたが、やがて小さな声で言葉を零していく。
「土井垣さんは優しいし、すごくいい人だし、ああやって心配もしてくれるし…だから…この間言ったみたいにお兄ちゃんみたいな、保護者みたいな…そういう風な感じなの…」
 葉月の言葉に、弥生は更に突き詰めて問う。
「じゃあ御館さんと比べてどう?はーちゃんは御館さんと幼馴染だし、『柊兄、柊兄』って懐いてたじゃない。御館さんもはーちゃんにすごく優しかったし、しっかりガードもしてたし。でもね、あたしが見た感じだと確かに一見は同じに見えたけど、土井垣さんにはそんな風に懐いてる様には見えなかったよ?どっか緊張感があるっていうか、懐いてるのは確かだけど、御館さんみたいに無邪気には懐いてない…そんな感じがしたけど」
 弥生の問いに葉月はしどろもどろになって答える。
「それは…だって…柊兄と土井垣さんとは違うじゃん。柊兄は家族同然だからいくらでも甘えられるけど、土井垣さんとは仲間だけど柊兄みたいな仲じゃないし、土井垣さんだって、いくら仲のいい仲間だからって無防備に甘えたら迷惑だろうって思うんだもん…」
「…」
 弥生はしばらくしどろもどろになっている葉月を楽しそうに見詰めていたが、やがてそのままの楽しげな口調で呟いた。
「…まあ、はーちゃんは恋愛恐怖症なとこがあるからね。気付いててもそれ認めないか」
「それどういう意味よヒナ!」
 弥生の呟きに葉月は顔を更に真っ赤にして声を上げる。弥生はそれも気にせずさらっと言葉を紡ぐ。
「え~?だからそういう意味だけど」
「そんな事ないもん!土井垣さんは仲間だもん!それにそんな事言ったら土井垣さんに迷惑だよ!土井垣さんだったらきっと彼女位いるだろうし、あたしなんかじゃ釣り合わないでしょ!」
「そうかな~何とも思ってない様な女の子を、夜二人っきりで送るかな~」
「あれは、あたしが危なっかしく見えるから保護者してくれただけだもん!」
「それは、はーちゃんの見解でしょ~?普通有名人だったらマスコミ意識して、あんな風に二人っきりになる事には警戒するのが常識だよ。それに普通の男の人だったとしても、彼女がいるんだったら誰か知り合いに見られたらやばいから、どっちにしろあんな風にナチュラルに二人でいた上に、平気で挨拶するなんて事ないよ」
「…」
 弥生の言葉に葉月は完全に言葉を失った。弥生はそんな葉月にからかう様な、しかし優しい口調で言葉を掛ける。
「少しは土井垣さんの気持ちを考えてみたら?ついでにはーちゃん自身の気持ちも。もしかしたら、意外な答えが出てくるかもしれないよ?」
「…」
 弥生の言葉に葉月はしばらく沈黙していたが、やがてぽそりと応える。
「…そんな事…絶対ないもん」
「…はいはい、まあゆっくり考えなさい。ま、この話はここまでにして、演研の皆の話でもしようか」
 弥生は彼女の反応ににっこり笑って話題を変えた。葉月の言葉は全てを否定する言葉に見えたが、弥生にはその言葉が、葉月はお互いの気持ちにとっくに気付いていて、その気持ちを隠すための最後の砦となる言い訳に思えた。そしてその『言い訳』が崩れる日はそう遠くないのではないかとも――弥生は楽しげに話しながらその日の事を思い、ふと顔が緩んだ。