ある夜の都内にある小さな居酒屋。飲みにきていた土井垣とその飲み仲間である合唱サークルの面々は久し振りに顔を合わせたこともあり、一緒に座敷に入って飲んでいた。しばらく雑談をしながら飲んでいると、不意に合唱サークルの面々で一人歳若い女性が声を上げた。
「…あ、どうしよう。これ茶じゃなくてハイだ」
「どしたの?宮田ちゃん」
 メンバーの一人が『宮田ちゃん』と呼んだその女性――フルネーム宮田葉月――に問いかけると、彼女は困った様に答えた。
「あ、何かオーダーミスったらしくって。…今飲んで気付いたんですけど、ウーロン茶じゃなくてウーロンハイだったんですよ」
 困った様に答える葉月に、メンバーのそれぞれが彼女の持っていたグラスに鼻を近づけて匂いをかぐと声を上げる。
「…あ、ホントだ、これお酒入ってるよ~」
「ハイだね~しかも結構濃いかもよ」
「でしょう?…どうしましょう」
 それぞれの言葉に困った様に口を開く彼女に、隣に座っていた土井垣が不意に問い掛ける。
「そうか…宮田さんとしては、今日は飲めそうなのか?」
 土井垣の問いに葉月は少し考えて答える。
「えっと…ちょっと疲れてて飲んだらまずそうなんで、あんまり飲みたくないんですけど…」
 その答えを聞いて土井垣は少し考えていたが、やがて彼女のコップを取り上げて言葉を重ねた。
「じゃあこれは俺が飲もう。宮田さんは改めてウーロン茶を頼めばいい」
「あ、はい。ありがとうございます。じゃあお願いしていいですか?」
「ああ」
 そうして葉月は改めてウーロン茶を頼み、運ばれてくると飲み始める。土井垣の方は自分が頼んでいたビールを飲み終わるとそのまま彼女から受け取ったウーロンハイを飲み始めた。同席していた他のメンバーはその様子をじっと見詰めていたが、やがてそのうちの一人がしみじみと口を開く。
「…お互い俺達といる時は名字で呼ぶし、見て分かるアツアツな様子は絶対見せないから、いっつも忘れそうになるけど、こういうとこ見ると本当に土井垣君と宮田ちゃんって付き合ってるって実感するよね~」
 その言葉に土井垣と葉月は真っ赤になって慌てた様な声を上げる。
「ちょっ…桐山さん、しみじみ言わないで下さいよ」
「『こういうとこ』ってどういう事ですか」
 二人の言葉に、『桐山さん』と呼ばれた男性は今度は呆れた様に続ける。
「だってさ、そのコップ宮田ちゃん一回口つけたでしょ?それ全然気にしないで宮田ちゃん普通に土井垣君に渡して、土井垣君も普通に飲んでるんだもん。普通男性と女性だったら間接キスになるから、そういうの気にしない?」
 桐山の言葉に葉月は反論する様に言葉を返す。
「それ言うなら高槻さんだって毎回ビール飲みきれないからって皆さんに飲んでもらってるじゃないですか。おんなじですよ。私達だけ言われる事ないじゃないですか~」
 葉月の言葉に、話を聞いていた高槻はしれっとした口調で追い討ちを掛ける。
「あたしは飲む前にコップに取り分けてるもの。直には口つけさせないわよ~」
「それに料理だってみんな大皿から自分の箸で取って食べてるじゃないですか」
「それは鍋と同じ考えだから関係ないもんね~コップとは違うよ」
 メンバーの言葉に二人は更に真っ赤になる。その様子を見てメンバーはからかう口調ながらも微笑ましげに言葉を掛けていく。
「公衆の面前で間接キスしても気にしない位うまくいってるんだね~」
「もっと仲良くしてていいんだよ?僕達全然気にしないから」
「っていうよりもっと仲がいいとこ見たいんだけど、あたし達としては」
 メンバーの言葉にいたたまれなくなったのか、葉月は不意に立ち上がって口を開く。
「あの…えっと…すいません、ちょっとお手洗いに…」
 そう言うと葉月は逃げる様に座敷から出て行った。
「あ~やりすぎちゃったか~」
「皆さん、あんまりからかわないで下さいよ。彼女は舞台度胸はありますけど、普段はもの凄い恥ずかしがり屋なんですから」
「あら?土井垣君、よく見てる事。ちゃんと彼氏の自覚があるのねぇ」
「拓植さん…」
 土井垣はメンバーのからかいに困り果てた様に苦い顔をする。その様子を見たメンバーが不意に真面目な顔になって口々に言葉を紡ぎ始めた。
「土井垣ちゃん、からかったのは悪いけど宮田ちゃん大切にしてよ、ホントに」
「彼女本当にいい子なんだから幸せにしてあげて。お願いね」
「もしも裏切ったり傷付ける様な事したら、俺達『東京のお父さん、お姉さん連合』が黙っちゃいないからね。分かった?」
「…はい」
 メンバーの言葉に土井垣は多少酔った頭ながらも真摯に答え、頷く。その様子を見たメンバーはにっこり笑って声を上げる。
「よっし、約束だよ!じゃあ二人の幸せを祈って乾杯といきますかね」
「じゃあ折角だから『乾杯の歌』も歌おうよ」
「いいねぇ…おっ、宮田ちゃんも戻ってきたしやるか!」
「やるって、何をですか?」
 訳が分からず問いかけている戻って来た葉月に、メンバーはにやりと笑って答える。
「『乾杯の歌』を歌って乾杯するからね。宮田ちゃんもしっかり歌ってよ」
「そりゃまた何でですか」
「いいからいいから。さあ歌おう!」
「はあ…」
「じゃあいくよ。いち、にの、さん、ハイ!」
 そう言うとメンバーはそれぞれのコップやジョッキを掲げて歌い始める。葉月も訳が分からないなりに、楽しそうに歌っていた。歌い終わるとメンバーは「かんぱ~い!」と声を上げてまた飲み始める。土井垣はそうした様子を見てこのメンバーの彼女に対する思いやりに心が温まると同時に、彼女を本当に大切にしないといけないという決意を固めさせる。そんな事を考えていたら不意に言葉が零れ落ちていた。
「…大切にしなければな」
「土井垣さん、何を大切にするんですか?」
 言葉が耳に入ったらしい葉月が彼に問いかけてくる。土井垣はそんな彼女にふと気が付いて取り成す様に微笑むと、彼女の取り皿に料理を盛って言葉を掛ける。
「何でもないさ…ほら、宮田さんもっと食べろ。これは好物だっただろう?」
 土井垣の態度に不思議そうにしながらも嬉しさも感じているのか、葉月は恥ずかしそうににっこり笑うとそれに応える。
「…はい、ありがとうございます。頂きますね」
「ああ」
 二人の暖かな様子をそれとなく見ていたメンバーは、それぞれ楽しげに、そして微笑ましげに顔を見合わせた。