「どうだ、うまいだろこの店は」
「ああ、いい店を知っているな。お前」
「ここに来てからの俺の取っておきでな、滅多に他人は連れてこないんだ。感謝しろよ」
感嘆する土井垣に小次郎は満足げな表情で酒を注いだ。ここは松山にある居酒屋。土井垣はアイアンドッグスとの遠征でここに来ているのだが、初日の試合が終わった後小次郎から『酒も料理も絶品の店があるからたまには付き合え』と誘われてこうして付き合って飲んでいる次第である。ライバルとはいえ通ずるものも多くある二人はこうして飲み、語り合う事は以前から少なくない。特にお互い急に新球団の監督就任という重要な職務に付き、高校時代やプロの選手時代とはまた違った苦労を背負う身となった二人だ。今は尚更こうして飲みながら語り合う機会は彼にとってもありがたかった。程よい酔いも手伝って、昔の話やお互い手の内は見せないまでもチームでの苦労話に花が咲く。あれこれと話しているうちに、小次郎がふと思い出した様に口を開いた。
「そういえばちらりと聞いたんだが」
「何だ?」
「土井垣、お前付き合っている女がいるそうだな」
小次郎の言葉に酒に口をつけていた土井垣は思わずむせそうになる。確かにそういう女性はいるが、彼女と付き合っている事は彼女と共通の知り合いである一部の人間しか知らないし、日ハム、現在合わせてのチームメイト達に至っては彼女の存在は全く知られていないと言っていいはずだ。別に隠しだてする様な話でも付き合い方でもないが、わざわざ公表する必要もないし逆に下手な噂が立って一般人である彼女に迷惑がかかるのも本意ではないので、土井垣は彼女の事を誰にも話した事がない。そんな誰も知らない話をどうして小次郎が知っているのだろうか。土井垣は大きく一息つくと、低い声で小次郎に問い掛ける。
「…どこから聞いた、そんな話」
「いや、他の試合で東京に出た時に、偶然お前と女が二人で歩いているのを見かけてな。前にバッテリーを組んでた不知火辺りなら何か知っているかと思ってちょっと聞いてみたら、あっさり話してくれたぞ」
「守…」
土井垣は頭を抱えた。確かに不知火にだけは、とある偶然から彼女の事がばれている。だが土井垣が緘口令を敷き、不知火もその心情を察して彼女の事は秘密にしてくれていたのだ。とはいえ、小次郎の『ちょっと聞いてみた』の様子を想像すると口を割らざるを得なかったのだろうと思い、彼は諦めた様に溜息を付いた。
「…ああ、確かにそういう女性はいるが…お前には関係ないだろう」
「まあそう言うな。こういう話を俺に黙っているなんて水臭いぞお前」
からかう様な口調の小次郎に、土井垣はむっつりとした態度で応える。
「不用意に話して妙な騒がれ方をされたらどうする。一般人の彼女に負担がかかるのは俺の本意ではないからな。万難は排しているだけだ」
「俺も『万難』の一つかよ…しかし、そういう女がいるなら俺とこうして呑気に飲んでいていいのか?この時間なら電話の掛け時だろうが」
「この時間も何も、飲みに連れて来たのはお前だろう」
「それはそれ、これはこれだ。普通なら声が聞きたいとか思わんのか?」
「いや…別に。向こうもあまり連絡してこないし、俺もあえて連絡しようと思わんな」
土井垣のあくまで淡々とした態度に、小次郎は『信じられん』という表情を見せ更に続ける。
「…それでその女は寂しがったりしないのか?好きな男とこうやってしょっちゅう長い間離れるんだぞ?」
小次郎の問いに、土井垣は更にあっさりした口調で答える。
「あいつは基本的に一人で放っておいても、他に楽しみを見つける奴だからな。それに俺程じゃないが、あいつも仕事で出張だ研修だとあちこち回っていて忙しいから、寂しいと感じる暇もない様だし」
土井垣の余りに淡白な態度に小次郎は頭を抱え、呆れた様に口を開いた。
「…お前、少しは女心というものを理解した方がいいんじゃないか」
「未だに決まった女の影が見えないお前に言われたくないな」
「うるせぇ、そう思っているのなら俺に言われる様じゃおしまいという事だろうが」
「そうかもしれん」
「笑ってる場合か!」
小次郎の言葉におかしそうに笑う土井垣を見て彼が思わず声を荒げた時、不意に土井垣の携帯が鳴る。土井垣は「すまんな」と片手を上げ携帯をチェックすると、やがてふっと笑った。
「…どうしたんだ?急ににやけやがって」
「タイムリーだな。その彼女からメールだ」
そう言って土井垣は微笑みながら画面を見せる。小次郎は画面を覗き込み、そこに現れている文章に怪訝そうな表情を見せた。
「『今日も試合お疲れ様。ところで赤・白・ロゼ、どれがいい?』…これだけかよ。しかも、いきなり何でワインの話なんだ?」
「あいつ、確か今山梨だか長野だかに泊りがけで出張に行っていたな…多分土産の話だ。東京に帰ったらお互い休みを合わせて会う約束をしているから、その時に持ってくるつもりなんだろう」
「寂しいとか言ってくる以前に土産の話をするお前の女っていうのは…どういう奴なんだ?」
余りに自分が今まで関わってきた女達と毛色が違う『彼女』の行動に訳が分からなくなり、小次郎が思わず問い掛けると、土井垣は楽しげに微笑みながら答える。
「さっきの答えの続きにもなるが、あいつは会えなくて寂しいと思うよりも、会った時に精一杯どう楽しもうかを考える奴なんだ。それにな」
「それに?」
「お互い会いたかったり連絡したいと思う時は自分から連絡を取る前に不思議ともう片方がそうしている様でな。だから、俺もあいつも寂しい事を理由に連絡を取ろうと思った事がないんだ」
『こいつ、無自覚にのろけてやがる…』
小次郎は内心頭を抱えつつ、手元の酒を一気に飲み干す。土井垣はそれを見てふと思い付いた様に言葉を続けた。
「…そうだ、今度はお前が遠征で東京に来るよな」
「ああ、それがどうした」
「お前ならどれが飲みたい?今日の礼だ。お前の好みに合わせてやるから、東京に来たらうちに飲みに来い」
無自覚にのろけ続ける土井垣の様子に、小次郎は呆れ果て完全にさじを投げた。
「…好きにしてくれ…まあ、辛口のやつにしてくれれば有難い」
「分かった」
土井垣は手早くメールを返すと、何事もなかったかの様にまた飲み始める。二人はしばらく無言で酒を酌み交わしていたが、やがて小次郎が口を開いた。
「…ところで土井垣」
「何だ?」
「その女がお前のために買ってくるワインを『飲みに来い』って事は、その時にその女もいるという事か」
小次郎の問いに、土井垣は片手を振って少々苦い口調で答える。
「まさか。あいつをそう簡単に他の奴に会わせると思うか。お前とさしだ」
「不知火には会わせたんだろう?俺には会わせないとは言わせんぞ」
「守があいつと知り合ったのは偶然だ。会わせた訳じゃない」
「まあいい…しかし冗談抜きでその時にはその女も呼べ。お前ら二人には言いたい事が山程できた」
「何だいきなり。話があるなら俺が今聞くぞ」
「いいから呼べ、俺もその女に会ってみたい」
「…考えておこう」
苦い表情を見せたまま答える土井垣を見ながら小次郎はにやりと笑う。土井垣が好みそうな女とは毛色が全く違う様なのに、これ程土井垣の心を占めているその女はどんな奴なのか――一見の価値はあると楽しげに想像を広げながら、小次郎は干した手元のぐい呑みに酒を注いだ。
「ああ、いい店を知っているな。お前」
「ここに来てからの俺の取っておきでな、滅多に他人は連れてこないんだ。感謝しろよ」
感嘆する土井垣に小次郎は満足げな表情で酒を注いだ。ここは松山にある居酒屋。土井垣はアイアンドッグスとの遠征でここに来ているのだが、初日の試合が終わった後小次郎から『酒も料理も絶品の店があるからたまには付き合え』と誘われてこうして付き合って飲んでいる次第である。ライバルとはいえ通ずるものも多くある二人はこうして飲み、語り合う事は以前から少なくない。特にお互い急に新球団の監督就任という重要な職務に付き、高校時代やプロの選手時代とはまた違った苦労を背負う身となった二人だ。今は尚更こうして飲みながら語り合う機会は彼にとってもありがたかった。程よい酔いも手伝って、昔の話やお互い手の内は見せないまでもチームでの苦労話に花が咲く。あれこれと話しているうちに、小次郎がふと思い出した様に口を開いた。
「そういえばちらりと聞いたんだが」
「何だ?」
「土井垣、お前付き合っている女がいるそうだな」
小次郎の言葉に酒に口をつけていた土井垣は思わずむせそうになる。確かにそういう女性はいるが、彼女と付き合っている事は彼女と共通の知り合いである一部の人間しか知らないし、日ハム、現在合わせてのチームメイト達に至っては彼女の存在は全く知られていないと言っていいはずだ。別に隠しだてする様な話でも付き合い方でもないが、わざわざ公表する必要もないし逆に下手な噂が立って一般人である彼女に迷惑がかかるのも本意ではないので、土井垣は彼女の事を誰にも話した事がない。そんな誰も知らない話をどうして小次郎が知っているのだろうか。土井垣は大きく一息つくと、低い声で小次郎に問い掛ける。
「…どこから聞いた、そんな話」
「いや、他の試合で東京に出た時に、偶然お前と女が二人で歩いているのを見かけてな。前にバッテリーを組んでた不知火辺りなら何か知っているかと思ってちょっと聞いてみたら、あっさり話してくれたぞ」
「守…」
土井垣は頭を抱えた。確かに不知火にだけは、とある偶然から彼女の事がばれている。だが土井垣が緘口令を敷き、不知火もその心情を察して彼女の事は秘密にしてくれていたのだ。とはいえ、小次郎の『ちょっと聞いてみた』の様子を想像すると口を割らざるを得なかったのだろうと思い、彼は諦めた様に溜息を付いた。
「…ああ、確かにそういう女性はいるが…お前には関係ないだろう」
「まあそう言うな。こういう話を俺に黙っているなんて水臭いぞお前」
からかう様な口調の小次郎に、土井垣はむっつりとした態度で応える。
「不用意に話して妙な騒がれ方をされたらどうする。一般人の彼女に負担がかかるのは俺の本意ではないからな。万難は排しているだけだ」
「俺も『万難』の一つかよ…しかし、そういう女がいるなら俺とこうして呑気に飲んでいていいのか?この時間なら電話の掛け時だろうが」
「この時間も何も、飲みに連れて来たのはお前だろう」
「それはそれ、これはこれだ。普通なら声が聞きたいとか思わんのか?」
「いや…別に。向こうもあまり連絡してこないし、俺もあえて連絡しようと思わんな」
土井垣のあくまで淡々とした態度に、小次郎は『信じられん』という表情を見せ更に続ける。
「…それでその女は寂しがったりしないのか?好きな男とこうやってしょっちゅう長い間離れるんだぞ?」
小次郎の問いに、土井垣は更にあっさりした口調で答える。
「あいつは基本的に一人で放っておいても、他に楽しみを見つける奴だからな。それに俺程じゃないが、あいつも仕事で出張だ研修だとあちこち回っていて忙しいから、寂しいと感じる暇もない様だし」
土井垣の余りに淡白な態度に小次郎は頭を抱え、呆れた様に口を開いた。
「…お前、少しは女心というものを理解した方がいいんじゃないか」
「未だに決まった女の影が見えないお前に言われたくないな」
「うるせぇ、そう思っているのなら俺に言われる様じゃおしまいという事だろうが」
「そうかもしれん」
「笑ってる場合か!」
小次郎の言葉におかしそうに笑う土井垣を見て彼が思わず声を荒げた時、不意に土井垣の携帯が鳴る。土井垣は「すまんな」と片手を上げ携帯をチェックすると、やがてふっと笑った。
「…どうしたんだ?急ににやけやがって」
「タイムリーだな。その彼女からメールだ」
そう言って土井垣は微笑みながら画面を見せる。小次郎は画面を覗き込み、そこに現れている文章に怪訝そうな表情を見せた。
「『今日も試合お疲れ様。ところで赤・白・ロゼ、どれがいい?』…これだけかよ。しかも、いきなり何でワインの話なんだ?」
「あいつ、確か今山梨だか長野だかに泊りがけで出張に行っていたな…多分土産の話だ。東京に帰ったらお互い休みを合わせて会う約束をしているから、その時に持ってくるつもりなんだろう」
「寂しいとか言ってくる以前に土産の話をするお前の女っていうのは…どういう奴なんだ?」
余りに自分が今まで関わってきた女達と毛色が違う『彼女』の行動に訳が分からなくなり、小次郎が思わず問い掛けると、土井垣は楽しげに微笑みながら答える。
「さっきの答えの続きにもなるが、あいつは会えなくて寂しいと思うよりも、会った時に精一杯どう楽しもうかを考える奴なんだ。それにな」
「それに?」
「お互い会いたかったり連絡したいと思う時は自分から連絡を取る前に不思議ともう片方がそうしている様でな。だから、俺もあいつも寂しい事を理由に連絡を取ろうと思った事がないんだ」
『こいつ、無自覚にのろけてやがる…』
小次郎は内心頭を抱えつつ、手元の酒を一気に飲み干す。土井垣はそれを見てふと思い付いた様に言葉を続けた。
「…そうだ、今度はお前が遠征で東京に来るよな」
「ああ、それがどうした」
「お前ならどれが飲みたい?今日の礼だ。お前の好みに合わせてやるから、東京に来たらうちに飲みに来い」
無自覚にのろけ続ける土井垣の様子に、小次郎は呆れ果て完全にさじを投げた。
「…好きにしてくれ…まあ、辛口のやつにしてくれれば有難い」
「分かった」
土井垣は手早くメールを返すと、何事もなかったかの様にまた飲み始める。二人はしばらく無言で酒を酌み交わしていたが、やがて小次郎が口を開いた。
「…ところで土井垣」
「何だ?」
「その女がお前のために買ってくるワインを『飲みに来い』って事は、その時にその女もいるという事か」
小次郎の問いに、土井垣は片手を振って少々苦い口調で答える。
「まさか。あいつをそう簡単に他の奴に会わせると思うか。お前とさしだ」
「不知火には会わせたんだろう?俺には会わせないとは言わせんぞ」
「守があいつと知り合ったのは偶然だ。会わせた訳じゃない」
「まあいい…しかし冗談抜きでその時にはその女も呼べ。お前ら二人には言いたい事が山程できた」
「何だいきなり。話があるなら俺が今聞くぞ」
「いいから呼べ、俺もその女に会ってみたい」
「…考えておこう」
苦い表情を見せたまま答える土井垣を見ながら小次郎はにやりと笑う。土井垣が好みそうな女とは毛色が全く違う様なのに、これ程土井垣の心を占めているその女はどんな奴なのか――一見の価値はあると楽しげに想像を広げながら、小次郎は干した手元のぐい呑みに酒を注いだ。