ある日、葉月は自宅マンションの部屋で布団に横になっていた。幼い頃から年に数回起こる原因不明の発熱が起こってしまい、仕事を休んでかかりつけのクリニックに行き解熱剤を念のため貰った後寝込んでいる次第である。本当なら39度位までなら何もないかの様に仕事へ行くのだが、今回は出張が入ってしまっていた。さすがに熱を出している身で出張へ行って何かあったら職場の信用にも関わるので今回は出張を代わってもらい、休暇を取って休んでいるのだ。寝込んでいるせいか仕事に出ている時と違いぐったりしてしまい、熱のせいで食欲もなく、熱を出した時の習慣で朝から水分補給のためのスポーツドリンクを飲んでうつらうつらしながら横になっていたが、今日はいつもとどこかが違っていた。いつもならこうして一人で寝込んでいる事など気にしないのに、今日は何故か心細く感じていたのだ。
「どうしちゃったんだろ、あたし…」
自分でもこの心細さが不思議で、彼女は何ともなしに呟いた。小さい時から両親が忙しく、こうして熱を出した時は小さい時は母の実家で過ごす事もあったが、中学に進んでからは一人で家や入院して病院で寝込んでいる事は当たり前だった。それに丈夫でない事から大人達に大事にされていたせいか、小さい頃は同世代の子供達から遠巻きにされて友人も少なく一人で遊んだり、忙しい両親の帰りを待ちながら一人で過ごしていたので、独りぼっちでいる事に自分は慣れていた。高校、大学の看護学科、そして今の職場と進むにつれ友人は増えていったが、それでもどこか自分は独りぼっちだと言う気持ちは心からは拭いきれていなかった。だから独りぼっちでもそれは当たり前で別に寂しいと思った事はなかったはず。それなのに今ここにいる自分は独りぼっちが心細いと思っている。熱でぼんやりした頭で考えながら、その『理由』に辿り着いた時、彼女は胸に小さな痛みを感じた。
『そうか…もう独りぼっちじゃいられなくなっちゃったんだね…』
彼女はその『理由』に気付いて胸が痛む。拭いきれなかった独りぼっちの感覚を、無意識ながら彼女が気付かない位さりげなく癒してくれた恋人である愛しい一人の男性。しかし『彼』が新たな寂しさを彼女の中に連れてきていた。『彼』がいない事に対する空虚――それが病気によって更に強く呼び起こされているのだと気付いた時、彼女は胸の痛みを感じながらもそれを振り払おうとする。『彼』に傍にいて欲しい、けれどそれは我侭だとも分かっていた。『彼』は自分が一言『寂しい』と言えば彼女を包み込んでくれるだろう。しかし、『彼』は自分一人が独占してはいけない存在。たとえ『彼』と恋人同士であってもそれは覆せない事実。だからいくら寂しくても『彼』には独りぼっちで寂しいとは決して口に出してはいけないのだ。でも『彼』と出会い、付き合う様になって初めて知った独りぼっちの寂しさは、慣れていたと思っていた分更に強く彼女の心を締め付けていく。その胸の痛みに彼女の目からはいつの間にか涙が零れ落ちていた。そうしてしばらく彼女は泣いていたが、やがて泣き疲れ、浅い眠りに落ちていった――
――携帯の着信メロディーが彼女を眠りから引き戻す。そのメロディーに驚きながらも彼女はまた軽い胸の痛みを感じながらのろのろと携帯を手に取り、通話ボタンを押した。
「…どうしたんですか、将さん」
熱のせいでぼんやりした口調のまま言葉を紡ぐ彼女に、電話の向こうの土井垣は心配そうな口調で応える。
『…いや、何だか虫の知らせの様な感覚が出てな…葉月、大丈夫か。その話し方だと、もしかして体調を崩しているんじゃないか?』
「…」
土井垣の言葉に彼女は言葉が詰まる。彼を求める彼女の心の声が彼に届いた事に嬉しさを感じるとともに、更に寂しさが強くなってきて彼女の胸が痛み、いつの間にかまた彼女は涙が零れてきた。電話口でしゃくりあげる彼女に、彼は狼狽した様に問いかける。
『お、おい…どうしたんだ?本当に大丈夫か?』
狼狽しながらも彼女を心配する土井垣の言葉に、彼女はしゃくりあげながら、無意識に言葉が零れ落ちていた。
「熱が出てるの…それで、一人で寝てたら寂しくって、将さんの事ばっかり考えてたの。…でも、ごめんなさい、今位だと将さん試合前でしょ?試合に集中しなきゃいけないのに、虫の知らせで電話掛けさせちゃうなんて、酷いわよね、あたし…」
『…』
しゃくりあげながら言葉を紡ぐ彼女に電話口の土井垣は一旦沈黙したが、やがて溜息の様な息遣いが聞こえた後、優しい声で彼女に語り掛けてきた。
『そうか…電話して良かった』
「え…?」
『お前は今まで辛くてもずっと『一人で大丈夫』と強がっていただろう?でもこうして寂しいと言えたという事は、お前が人を頼れる様になったという事だ。しかも、選んでくれたのは俺だ。俺はお前の成長と、寂しい時に俺を思い出してくれた事が嬉しい』
「将さん…」
優しい土井垣の口調に、彼女は胸が一杯になってくる。土井垣は更に続けた。
『待ってろよ。今日は試合場所が千葉だから、終わったら勝利を手土産にすぐに飛んで行ってやる』
「将さん…いいの?」
『ああ』
「…ごめんなさい」
『違うだろう?言葉が』
あくまで優しい土井垣の言葉と口調に、彼女は彼が求めている言葉を察し、それを素直に口にする。
「…ありがとう」
『そういう事だ…じゃあな。とにかく俺が行くまでゆっくり寝ていろ』
「ん…」
彼女は電話を切った。彼女は土井垣の言葉の暖かさで心が満たされるのを感じていた。一人ぼっちが寂しくなった分、こうして愛しい存在が気にかけてくれる嬉しさを感じられる事が、彼女の心を暖めてくれる。たとえずっと独占できない存在だとしても、彼が自分と同じ様に自分を想い、心を尽くしてくれる――それだけで彼女は満たされる気がした。しかしそこに彼女は一片の後ろめたさも感じていた。独占してはいけない存在を自分は恋人という鎖で縛り、独占しようとしているのではないか――嬉しさと後ろめたさの混じった複雑な感情を抱きながら、彼女はまた眠りに就いた
――遠くでインターホンの鳴る音がする。葉月は目を覚まし、ゆっくりと起き上がってインターホンの受話器を取り『はい』と応える。受話器から『俺だ、ただいま』という声が聞こえてくる。玄関へ行き魚眼レンズを覗き込むと、荷物を一式持った土井垣がそこに立っていた。彼女は本当に彼が来てくれた事に対する嬉しさと、シーズン中で忙しい彼を呼んでしまった後ろめたさから来る胸の痛みを同時に感じながらドアを開ける。彼は部屋に入るやいなや彼女を抱き締めた。
「合鍵を作ってやっぱり良かった。病気のお前に二度手間はかけさせたくないからな。…大丈夫か?立っていられるか?」
「…」
自分を心配してくれる土井垣の気持ちが嬉しくて、でも彼を縛っている気がして後ろめたくて、彼女は抱き締められるままになっていた。彼はそんな彼女の態度も熱のせいだと思ったのか、玄関口に荷物を置き、代わりに彼女を抱き上げると布団へ連れて行き寝かせ、額に手を当てると優しい口調で問い掛ける。
「ふむ…まだ熱がある様だな。俺と電話した後測ったか?」
「ううん…」
「じゃあ測った方がいい。それから、飯は食ったか?」
「ううん…食欲ないの」
「やっぱりな…食わんと元気が出んぞ。とはいえお前は熱が出ると本当に食わなくなるからな…とりあえずプリンを買ってきた。これだけでもいいから食え」
「ん…じゃあ食べる」
「じゃあ一旦起き上がるか。俺が後ろで支えてやるから」
「…ありがとう」
土井垣は玄関口に置いてあった荷物を部屋に持って来て中からプリンを出し、彼女を起き上がらせる。彼女が起き上がると、彼は背中から彼女を支えてプリンを手渡した。彼女は彼の心遣いを噛み締める様にゆっくり味わってプリンを食べると、再び横になって、彼が部屋から持ち出してきた体温計で熱を測る。熱は38度5分あった。それを見て彼は心配を滲ませた優しい口調で言葉を紡ぐ。
「高いな…辛いだろう?」
「ん…ちょっと。そうだ…将さん」
「何だ?」
「試合前に心配かけさせちゃって、ごめんなさい…」
「いいんだ、試合は快勝したぞ。ここへ早く来たくて逆に力が出せたんだ。だからお前に感謝しなければな」
悪戯っぽい口調で、しかし心底優しい声で言葉を紡ぐ土井垣に、彼女は先刻感じていた後ろめたさがまた強くなってくる。強くなる胸の痛みに、彼女はいつの間にかまた涙を零して呟いていた。
「将さん…ごめんなさい…」
「どうした?葉月」
「あたし、もう将さんがいないと、独りぼっちが耐えられなくなっちゃったの…」
「葉月…」
「将さんはプロ野球選手でみんなのものなのに、あたしは独りぼっちが耐えられなくって、その将さんを縛って、独り占めにしたくなっちゃうの。…ごめんなさい、将さん。こんな我侭で…」
「…」
涙を零しながら言葉を紡ぐ彼女を土井垣は見詰めていたが、やがて、彼は彼女の目から流れる涙を拭うと、優しく包み込む様なキスをして、今までで一番優しい口調で言葉を返した。
「…いいんだ」
「将さん…?」
「確かにプロ野球選手の俺はみんなのものかもしれん。…しかしな、一個人の『土井垣将』としての俺はお前に独占されてもかまわん…いや、望むところだ」
「…いいの?」
土井垣の言葉に問い掛ける葉月に、彼は更に優しい笑顔で彼女の額を撫でながら答える。
「ああ。前からずっと言っていただろう?『辛かったら俺を頼れ』と。お前は俺を頼る様になってくれた。そして俺がいないと独りぼっちが耐えられない、とまで言ってくれた。それが俺は嬉しいし、その事でお前に独占されるなら望むところだ…でもな」
「でも?」
「お前は俺を独占したいと言っているが、本当に大事な所では俺をちゃんと自由にする事を知っているんだぞ」
「そうなの?」
「ああ。だから、何の気兼ねもいらん。独占したいと思った時には思うままに俺を独占すればいい…その代わり」
「その代わり?」
彼女が問い掛けると、土井垣は彼女を抱き起こしてそのまま抱き締めると、その耳元に囁いた。
「…俺もお前を独占させてもらうからな」
「将さん…」
彼女は独りぼっちでいた時の寂しさが埋まって行く感覚を覚え、また涙を零し、土井垣の胸に顔を埋める。彼はしばらく彼女を抱き締めていたが、やがて彼女の顔を上げさせ、深く口付ける。二人は唇を離すと彼は彼女を寝かせ、パジャマに着替えて彼女の横に添い寝する様に彼女の布団に滑り込んで再び彼女を抱き締め、優しく言い聞かせる様に囁いた。
「…さあ、もう寝ろ。明日の試合の準備はしてきた。ぎりぎりまで一緒にいるから…安心してゆっくり眠れ」
「…ん…ありがとう…将さん」
彼女は土井垣の体温に独りぼっちの寂しさが埋まる暖かさを感じながら、ゆっくりと深い眠りに就いていった。
「どうしちゃったんだろ、あたし…」
自分でもこの心細さが不思議で、彼女は何ともなしに呟いた。小さい時から両親が忙しく、こうして熱を出した時は小さい時は母の実家で過ごす事もあったが、中学に進んでからは一人で家や入院して病院で寝込んでいる事は当たり前だった。それに丈夫でない事から大人達に大事にされていたせいか、小さい頃は同世代の子供達から遠巻きにされて友人も少なく一人で遊んだり、忙しい両親の帰りを待ちながら一人で過ごしていたので、独りぼっちでいる事に自分は慣れていた。高校、大学の看護学科、そして今の職場と進むにつれ友人は増えていったが、それでもどこか自分は独りぼっちだと言う気持ちは心からは拭いきれていなかった。だから独りぼっちでもそれは当たり前で別に寂しいと思った事はなかったはず。それなのに今ここにいる自分は独りぼっちが心細いと思っている。熱でぼんやりした頭で考えながら、その『理由』に辿り着いた時、彼女は胸に小さな痛みを感じた。
『そうか…もう独りぼっちじゃいられなくなっちゃったんだね…』
彼女はその『理由』に気付いて胸が痛む。拭いきれなかった独りぼっちの感覚を、無意識ながら彼女が気付かない位さりげなく癒してくれた恋人である愛しい一人の男性。しかし『彼』が新たな寂しさを彼女の中に連れてきていた。『彼』がいない事に対する空虚――それが病気によって更に強く呼び起こされているのだと気付いた時、彼女は胸の痛みを感じながらもそれを振り払おうとする。『彼』に傍にいて欲しい、けれどそれは我侭だとも分かっていた。『彼』は自分が一言『寂しい』と言えば彼女を包み込んでくれるだろう。しかし、『彼』は自分一人が独占してはいけない存在。たとえ『彼』と恋人同士であってもそれは覆せない事実。だからいくら寂しくても『彼』には独りぼっちで寂しいとは決して口に出してはいけないのだ。でも『彼』と出会い、付き合う様になって初めて知った独りぼっちの寂しさは、慣れていたと思っていた分更に強く彼女の心を締め付けていく。その胸の痛みに彼女の目からはいつの間にか涙が零れ落ちていた。そうしてしばらく彼女は泣いていたが、やがて泣き疲れ、浅い眠りに落ちていった――
――携帯の着信メロディーが彼女を眠りから引き戻す。そのメロディーに驚きながらも彼女はまた軽い胸の痛みを感じながらのろのろと携帯を手に取り、通話ボタンを押した。
「…どうしたんですか、将さん」
熱のせいでぼんやりした口調のまま言葉を紡ぐ彼女に、電話の向こうの土井垣は心配そうな口調で応える。
『…いや、何だか虫の知らせの様な感覚が出てな…葉月、大丈夫か。その話し方だと、もしかして体調を崩しているんじゃないか?』
「…」
土井垣の言葉に彼女は言葉が詰まる。彼を求める彼女の心の声が彼に届いた事に嬉しさを感じるとともに、更に寂しさが強くなってきて彼女の胸が痛み、いつの間にかまた彼女は涙が零れてきた。電話口でしゃくりあげる彼女に、彼は狼狽した様に問いかける。
『お、おい…どうしたんだ?本当に大丈夫か?』
狼狽しながらも彼女を心配する土井垣の言葉に、彼女はしゃくりあげながら、無意識に言葉が零れ落ちていた。
「熱が出てるの…それで、一人で寝てたら寂しくって、将さんの事ばっかり考えてたの。…でも、ごめんなさい、今位だと将さん試合前でしょ?試合に集中しなきゃいけないのに、虫の知らせで電話掛けさせちゃうなんて、酷いわよね、あたし…」
『…』
しゃくりあげながら言葉を紡ぐ彼女に電話口の土井垣は一旦沈黙したが、やがて溜息の様な息遣いが聞こえた後、優しい声で彼女に語り掛けてきた。
『そうか…電話して良かった』
「え…?」
『お前は今まで辛くてもずっと『一人で大丈夫』と強がっていただろう?でもこうして寂しいと言えたという事は、お前が人を頼れる様になったという事だ。しかも、選んでくれたのは俺だ。俺はお前の成長と、寂しい時に俺を思い出してくれた事が嬉しい』
「将さん…」
優しい土井垣の口調に、彼女は胸が一杯になってくる。土井垣は更に続けた。
『待ってろよ。今日は試合場所が千葉だから、終わったら勝利を手土産にすぐに飛んで行ってやる』
「将さん…いいの?」
『ああ』
「…ごめんなさい」
『違うだろう?言葉が』
あくまで優しい土井垣の言葉と口調に、彼女は彼が求めている言葉を察し、それを素直に口にする。
「…ありがとう」
『そういう事だ…じゃあな。とにかく俺が行くまでゆっくり寝ていろ』
「ん…」
彼女は電話を切った。彼女は土井垣の言葉の暖かさで心が満たされるのを感じていた。一人ぼっちが寂しくなった分、こうして愛しい存在が気にかけてくれる嬉しさを感じられる事が、彼女の心を暖めてくれる。たとえずっと独占できない存在だとしても、彼が自分と同じ様に自分を想い、心を尽くしてくれる――それだけで彼女は満たされる気がした。しかしそこに彼女は一片の後ろめたさも感じていた。独占してはいけない存在を自分は恋人という鎖で縛り、独占しようとしているのではないか――嬉しさと後ろめたさの混じった複雑な感情を抱きながら、彼女はまた眠りに就いた
――遠くでインターホンの鳴る音がする。葉月は目を覚まし、ゆっくりと起き上がってインターホンの受話器を取り『はい』と応える。受話器から『俺だ、ただいま』という声が聞こえてくる。玄関へ行き魚眼レンズを覗き込むと、荷物を一式持った土井垣がそこに立っていた。彼女は本当に彼が来てくれた事に対する嬉しさと、シーズン中で忙しい彼を呼んでしまった後ろめたさから来る胸の痛みを同時に感じながらドアを開ける。彼は部屋に入るやいなや彼女を抱き締めた。
「合鍵を作ってやっぱり良かった。病気のお前に二度手間はかけさせたくないからな。…大丈夫か?立っていられるか?」
「…」
自分を心配してくれる土井垣の気持ちが嬉しくて、でも彼を縛っている気がして後ろめたくて、彼女は抱き締められるままになっていた。彼はそんな彼女の態度も熱のせいだと思ったのか、玄関口に荷物を置き、代わりに彼女を抱き上げると布団へ連れて行き寝かせ、額に手を当てると優しい口調で問い掛ける。
「ふむ…まだ熱がある様だな。俺と電話した後測ったか?」
「ううん…」
「じゃあ測った方がいい。それから、飯は食ったか?」
「ううん…食欲ないの」
「やっぱりな…食わんと元気が出んぞ。とはいえお前は熱が出ると本当に食わなくなるからな…とりあえずプリンを買ってきた。これだけでもいいから食え」
「ん…じゃあ食べる」
「じゃあ一旦起き上がるか。俺が後ろで支えてやるから」
「…ありがとう」
土井垣は玄関口に置いてあった荷物を部屋に持って来て中からプリンを出し、彼女を起き上がらせる。彼女が起き上がると、彼は背中から彼女を支えてプリンを手渡した。彼女は彼の心遣いを噛み締める様にゆっくり味わってプリンを食べると、再び横になって、彼が部屋から持ち出してきた体温計で熱を測る。熱は38度5分あった。それを見て彼は心配を滲ませた優しい口調で言葉を紡ぐ。
「高いな…辛いだろう?」
「ん…ちょっと。そうだ…将さん」
「何だ?」
「試合前に心配かけさせちゃって、ごめんなさい…」
「いいんだ、試合は快勝したぞ。ここへ早く来たくて逆に力が出せたんだ。だからお前に感謝しなければな」
悪戯っぽい口調で、しかし心底優しい声で言葉を紡ぐ土井垣に、彼女は先刻感じていた後ろめたさがまた強くなってくる。強くなる胸の痛みに、彼女はいつの間にかまた涙を零して呟いていた。
「将さん…ごめんなさい…」
「どうした?葉月」
「あたし、もう将さんがいないと、独りぼっちが耐えられなくなっちゃったの…」
「葉月…」
「将さんはプロ野球選手でみんなのものなのに、あたしは独りぼっちが耐えられなくって、その将さんを縛って、独り占めにしたくなっちゃうの。…ごめんなさい、将さん。こんな我侭で…」
「…」
涙を零しながら言葉を紡ぐ彼女を土井垣は見詰めていたが、やがて、彼は彼女の目から流れる涙を拭うと、優しく包み込む様なキスをして、今までで一番優しい口調で言葉を返した。
「…いいんだ」
「将さん…?」
「確かにプロ野球選手の俺はみんなのものかもしれん。…しかしな、一個人の『土井垣将』としての俺はお前に独占されてもかまわん…いや、望むところだ」
「…いいの?」
土井垣の言葉に問い掛ける葉月に、彼は更に優しい笑顔で彼女の額を撫でながら答える。
「ああ。前からずっと言っていただろう?『辛かったら俺を頼れ』と。お前は俺を頼る様になってくれた。そして俺がいないと独りぼっちが耐えられない、とまで言ってくれた。それが俺は嬉しいし、その事でお前に独占されるなら望むところだ…でもな」
「でも?」
「お前は俺を独占したいと言っているが、本当に大事な所では俺をちゃんと自由にする事を知っているんだぞ」
「そうなの?」
「ああ。だから、何の気兼ねもいらん。独占したいと思った時には思うままに俺を独占すればいい…その代わり」
「その代わり?」
彼女が問い掛けると、土井垣は彼女を抱き起こしてそのまま抱き締めると、その耳元に囁いた。
「…俺もお前を独占させてもらうからな」
「将さん…」
彼女は独りぼっちでいた時の寂しさが埋まって行く感覚を覚え、また涙を零し、土井垣の胸に顔を埋める。彼はしばらく彼女を抱き締めていたが、やがて彼女の顔を上げさせ、深く口付ける。二人は唇を離すと彼は彼女を寝かせ、パジャマに着替えて彼女の横に添い寝する様に彼女の布団に滑り込んで再び彼女を抱き締め、優しく言い聞かせる様に囁いた。
「…さあ、もう寝ろ。明日の試合の準備はしてきた。ぎりぎりまで一緒にいるから…安心してゆっくり眠れ」
「…ん…ありがとう…将さん」
彼女は土井垣の体温に独りぼっちの寂しさが埋まる暖かさを感じながら、ゆっくりと深い眠りに就いていった。