「…まさかお前が見合いの相手だったとはな」
 むっつりとした表情で土井垣は傍らにいる振袖姿の恋人に声を掛けた。祖父に押し切られ、とどめで恋人に『自分も見合い話があるから受ければいい』と煽られてヤケになって受けた見合いだったが、いざ当日相手を見ると、そこにいたのは当の恋人。訳が分からなくなりお互いの紹介もそこそこに『二人で話をさせて下さい』と仲介人や同行していた自分の祖父に退散してもらった。その様子に周囲は彼が彼女を気に入ったと勘違いして、満足そうに気を利かせて退散してくれた。そうして今二人で見合い場所であるホテルから出て、近くにある公園を歩いている所である。むっつりとした土井垣に彼女――宮田葉月――はしれっとした態度で応える。
「だから『釣書きを読むといいですよ』って言ったじゃないですか。読めばすぐにあたしだって分かったはずですよ」
「しかし、お前のあの言葉だと俺をただ煽っている様にしか思えなかったぞ」
「それは悪いと思ってますけど…でも」
「でも?」
 土井垣が問い返すと葉月は少し拗ねた様に言葉を続ける。
「あたしが将兄さん以外の人と、ホイホイお見合いするって思ったんですか?」
 彼女の言葉に土井垣は思わず赤面した。確かに彼女のやり方は少し荒っぽかったが、彼女としては土井垣との見合いだからこそ受けて、土井垣にも受けてもらいたいと思ってやった事。その彼女の想いが何となく照れ臭くなって、土井垣はわざと不機嫌な口調で言葉を返す。
「だったらちゃんと言え。ここ最近の俺の気持ちはどうしてくれる」
「…ごめんなさい」
 土井垣の言葉に彼女はしゅんとした表情を見せる。それを見た土井垣はふっと笑うと宥める様に頭を撫でて更に言葉を重ねた。
「…まあ、相手がお前で良かったがな。他の女とで、しかも話を進められてしまったら大変だった」
「…ん」
 葉月は嬉しそうに頷くと、少し楽しげな口調で口を開いた。
「でもあたし、こうやってお見合いしてちょっと良かったなって思ってます」
「何故だ」
 土井垣が問い返すと、彼女は楽しげに微笑んで更に言葉を続ける。
「だって、将兄さんのスーツ姿なんて珍しいものが見られましたから」
「おかしいか」
「ううん、かっこいいです」
「そうか…俺もお前の着物姿を見られたし、ある意味良かったのかもな。綺麗だぞ、葉月」
「…」
 土井垣の言葉に今度は葉月が恥ずかしそうに顔を赤らめ黙り込む。暖かいが少し居心地の悪い沈黙がしばらく続き、やがて彼女が沈黙を破る様に話題を変えた。
「あ、ええと…そのネクタイいいですね。スーツに良く似合ってますよ」
「そうか?」
「はい、どこかのブランドですか?」
「だったと思うが…よく覚えていないな」
「そうですか」
 土井垣は葉月の問いに少し考えてから答える。いつも大抵はラフな姿でいい事もあり、あまりスーツを着る機会がないので、スーツやネクタイを買う時には『しっかりしていて気に入ったもの』という以外はあまり頓着しない。こういう時に答えられる方が洒落っ気があると思われていいのかもしれないが、逆に気取っていると思われるかも知れないなどと考えてしまう。いつも会っている時とは違った心境になっている自分に戸惑いながら、彼は彼女を改めて見詰める。彼女の方は落ち着いたシンプルな色柄だが、物は明らかに良いと分かる振袖に上品な帯と帯締め。化粧もいつもは口紅と頬紅位しかしないのに、今日はナチュラルメイクで彼女の愛らしさを引き立てている。特に口紅の色がいつもとは少し違った色合いで、愛らしさの中に艶かしさすら感じ、思わず目が行ってしまう。戸惑いながらも土井垣は彼女に声を掛けた。
「…今日はきっちり化粧をしているんだな」
 土井垣の言葉に、葉月は恥ずかしそうに応える。
「あ、はい。一応お見合いですし…変ですか?」
「いや、自然な感じで中々いいぞ…特に口紅の色が良く似合っている。…いつもとは違う色か?」
「あ…はい。これは何種類か口紅混ぜて作った色なんです。三隅さんが教えてくれて…」
「そうか、結構手間がかかっているんだな」
「え…あの、ええと…折角将さんとのお見合いだし、綺麗になりたくって…」
「…そうか」
「…はい」
 彼女の言葉に土井垣はまた赤面して沈黙した。彼女としては自分のために綺麗になろうと頑張ったという事。その気持ちが嬉しい反面やはり照れ臭く、何と言っていいか分からなくなってしまう。彼女を見ると、彼女の方も顔を赤らめて俯いている。いつもとは違った二人の時間に、彼女も自分からけしかけたとはいえ戸惑っている様だ。また居心地の悪い沈黙が訪れ、二人は黙ったまま公園を歩く。しばらくそうやって歩いていたが、やがて沈黙に耐えられなくなった土井垣が口火を切った。
「…やっぱり見合いはしない方が良かったかもしれんな」
「え…?」
 土井垣の言葉に葉月は哀しげな表情を見せる。その表情を見た土井垣は宥める様な口調で更に言葉を重ねた。
「そんな顔をするな。…いやな、こんな気取った形で会うなんて、俺達には合わんと思ったんだ。…お前と会っているのに堅苦しい気分は味わいたくないと思ってな」
「将兄さん…」
「もちろんお前の晴れ姿を見られたのは嬉しかったが、どこかお前に無理がある様に見えるんだ。…お前には自由でいて欲しい」
「…」
 土井垣の言葉に葉月はしばらく沈黙していたが、やがてゆっくりと口を開く。
「…将兄さん」
「何だ」
「あたしも…おんなじ事思った。将兄さんのスーツ姿見て、かっこいいって確かに思ったけど、きっちりネクタイ締めてる将兄さん、何だか息苦しそうに見えるの。…あたしも、いつもの将兄さんの方がいい」
「そうか」
「うん」
 葉月の言葉に土井垣は少し考えると提案する様に口を開く。
「…じゃあ、一旦ここで別れるか」
「え?」
 土井垣の言葉の意味が分からず葉月は問い返す。土井垣は笑顔で続けた。
「お互い着替えて普段着で見合いの続きをしよう。その方がいいだろう?それに」
「それに?」
「これからの事を考えなければならんからな。このままどうこの見合い話の収集をつけるか、対策を練らんといかんし」
「そうか…そういえばそうよね」
 自分でけしかけておいて先の事を考えていなかったのか、土井垣の言葉に葉月ははっと気付いた様に頷く。それを見て土井垣は微笑みながら口を開く。
「じゃあお前は着物だから、着替えと片付けに一時間位取ればいいか。…で、いつもの店で会おう。それでいいな」
「うん、分かった」
 土井垣の言葉に葉月もにっこり笑って頷く。ここへ来てやっと彼女の心底からリラックスした笑顔を見られて彼は嬉しくなると同時に、笑顔を彩る唇に惹かれる気持ちが堪えられなくなり、彼女を抱き締めてキスをした。彼女はしばらく硬直した様に動かないでいたが、やがて土井垣から身体を離し、恥ずかしげに口を開く。
「あ…ええと…じゃあ着替えてきますんで…後でまた…」
 そう言うと彼女はぺこりと頭を下げ、小走りに去って行った。土井垣は自分の行動に戸惑い、指先で唇を拭うと指についた口紅を見詰める。自分のために見せてくれたこの色を、本当に自分だけのものにしたかった――土井垣はその事に気付き赤面しながら、もし彼女が頷いてくれるなら、自分もスーツなど滅多に着ない身だが、彼女のために見せるスーツをネクタイも含めて彼女自身に選んでもらおうとふと思い、そんな自分に戸惑いながら、着替えるために公園を後にした。