「適当に選んだにしちゃ、結構面白かったな」
「ああ、そうだな」
 オフの都内の繁華街。里中と山田は楽しげに話しながら歩いていた。オフになって『たまには野球以外の事もしよう』と二人で出かけるという以外は予定も立てずに外へ出て、里中の提案で、折角だから東京で映画でも観ようという事になり、今は観終わってブラブラと行くあてもなく歩いている所である。
「とりあえず映画見たら腹も減ったし、どこかでお茶か…この時間だし食事でもするか」
「そうだな。慣れない映画で少し疲れたから一息いれたいし。とりあえず喫茶店にでも入るか」
「何だ、山田でも苦手なものがあったんだ。もしかして悪い事したか?俺」
「いいんだ。慣れてないだけで別に嫌じゃないし。里中と一緒なら何でも楽しいしな」
「そっか…ありがとう、山田」
「どういたしまして…って所でどこか喫茶店でも…おっと」
 二人が取りとめもなく話していると、山田の身体に女性がぶつかった。ぶつかった拍子に女性は転ぶまではいかなかったものの、躓いた形になって持っていた袋が手から離れ、歩道に散らしてしまった。
「ああ、すいません。大丈夫ですか?」
 山田の謝罪の言葉に女性は申し訳なさそうににっこり笑うと、こちらも謝罪の言葉を返す。
「いえ、私こそ前をきちんと見ていなかったので、すいません。…あ、早く荷物集めなきゃ」
「あ、俺も手伝います」
「じゃあ俺も」
 山田と里中の口々の言葉に、女性はまた申し訳なさそうな笑みを見せると、更に言葉を返した。
「大丈夫です。中身自体は散らばってませんし、袋も破けてないみたいですから一人で…ってあれ?」
 申し訳なさそうに言葉を紡ぎながら女性が荷物を集めようと周りを見渡すと、散らばっているはずの袋が全てなくなっていた。女性が慌てた様子で周りを見渡していると、不意に女性の頭を誰かがポンと叩いた。三人がその手の主を見ると、むっつりとした表情をした長身の男性が散らばった袋を全て持って女性に渡し、声を掛けた。
「ほら、拾ったぞ。…まったく、だからあれ程前を良く見て歩けと言っただろう。ただでさえ今の時期は人通りが多いんだぞ」
「ごめんなさい…」
 しゅんとする女性に男性は宥める様に更に言葉を重ねた。
「まあ、起きた事はしょうがないがな。これからはちゃんと気をつけろよ」
「はぁい」
「あれ?土井垣さんじゃないですか」
 女性と会話している男性を見て、里中が驚いた声を上げる。その声に土井垣は顔を向けると、少々渋い顔になり、口を開く。
「ああ、里中…山田もいるんだな。どうしたんだこんな所で」
「いえ、折角のオフなんでちょっと映画でもと思ってここに来たんですけど」
「土井垣さんこそどうしてこんな所にいるんですか。しかも今の会話だとこの女の人、土井垣さんのお連れさんですよね。珍しいじゃないですか、土井垣さんが女性と一緒だなんて」
「う…ちょっとな」
 土井垣は痛いところを突かれたのか、思わず言葉が詰まった。それを楽しむかの様に里中は更に興味津々といった様子で土井垣に言葉を掛ける。
「折角なんだから紹介してくださいよ。せっかくちょっとでも話したのに、そのままさよならって言うのも寂しいですし」
「…しょうがないな」
 土井垣は渋々といった様子で彼女を簡単に紹介する。
「彼女は宮田さんと言ってな…俺の知り合いなんだ。今日は家族にクリスマスプレゼントを買いたいから参考に付き合って欲しいと言われて同行しているんだ。…宮田さん、君からも挨拶するといい」
「はじめまして…宮田と言います。里中投手と山田捕手ですよね。お話は土井垣さんから良く聞いています。お会いできて嬉しいです」
 土井垣に促されて、彼女もにっこり笑って挨拶する。腰まである少々くせのあるロングヘアと、ロングスカートに白いコートというファッションが良く似合う、かなり可愛らしい女性だ。
「どうも、はじめまして。山田です」
「里中です。…ん?宮田…?どっかで聞いた様な…」
 彼女の自己紹介に里中が怪訝そうな表情になる。その表情を見て、彼女は悪戯っぽい表情を見せて言葉を続けた。
「里中投手は、本当は『はじめまして』じゃないんですよ。…覚えていないかもしれませんけど」
「…?どこかで会いましたっけ?どこかで挨拶をしたなら覚えているはずなんですけど…」
 悩む様子を見せる里中に彼女はくすくすと笑うと、更に言葉を掛けた。
「…まあ、15年近く会ってないんじゃ分かんないのも当たり前か。…あたしだよ、『智君』」
「その呼び方としゃべり方…それに宮田って事は…もしかして葉月ちゃん?」
 里中の言葉に、彼女は悪戯っぽい口調で明るく声を上げた。
「ピンポーン♪ホント久し振りだね!お父さん達は折々に何かと関わってたらしいけど、あたしは中学行ってからホント遊ばなくなっちゃったから、さすがに分かんなかったか」
「ああ、全然分かんなかったよ。ホント様変わりしちまったじゃないか」
「そう?」
「ああ、すごく変わったよ。あのちょこまか飛んで歩ってたお転婆な女の子が、こんなにおとなしくて大人っぽくなっちまってさ」
「口上手くなったね、智君」
「え?…えっと…」
 からかう様な葉月の言葉に里中は一瞬狼狽する様な様子を見せる。葉月はそれを見てコロコロ笑うと、ふと真面目な顔になって更に言葉を重ねた。
「まあいいか。…それより、お父さん達教えてくれなかったから知らなかったんだけど、高校の頃は大変だったんだってね」
「ああ、おじさんとおばさんには相当助けてもらったよ。嬉しかったな、おじさん達の手助け」
「そう言って貰えるとお父さん達も喜ぶし、あたしも嬉しいな」
「そっか。で、そのおじさん達は元気か?」
「うん、ぼちぼち元気だよ。智君の方こそおばさんは元気?」
「まあ、うちもぼちぼちだな」
「良かった。でね、高校の頃はともかくプロに入ってからは良くテレビで見てたし、お父さんからも『智君もあんなに頑張ってるんだ。お前も負けずに頑張れ』ってハッパかけるネタにされてたから、智君の事は良くうちでは話に上がってたんだよ」
「そうだったんだ…プロ入りしてから本当に不義理し続けたのに、そう言ってくれてたんだ」
「うん。だって智君のお父さん、お父さんの大親友だったじゃない。親友の忘れ形見には幸せになって欲しいって思ってるみたいだし、そうじゃなくてもうちは男の子いなかったから智君の事、自分の息子みたいに大事に思ってるみたいだよ」
「そっか…嬉しいな」
「あたしとしてはちょっと悔しいんだけどね。お父さん取られてるみたいで」
「そっか、葉月ちゃんには悪い事をしてる訳だ。ごめんな」
「いいよ、冗談。智君はあたしにも大事な幼馴染だもん。身内も一緒だよ」
「そっか…ありがとう…でいいのかな」
「うん、どういたしまして」
 そうして二人で話が弾んでいる所を不意に土井垣と山田が口々に声を掛ける。
「ほら宮田さん、こんな人通りの多い往来で話していたら周りに迷惑だぞ」
「それに宮田さんは土井垣さんてお連れさんがいるんだし、二人で話し込んでたら悪いだろう」
 山田の言葉に里中と葉月は申し訳なさそうにお互いに謝り合う。
「そっか…そうだな。ごめんな葉月ちゃん足止めしちまって」
「ううん、ごめんねあたしこそはしゃいじゃって。でもまた智君と話せると思ってなかったから、楽しかった。また話したいけど…無理だよね」
「そっか…そうだ。じゃあ折角だからこれやるよ、俺の連絡先。暇な時にでも連絡してくれていいから。折角こうやってまた縁が繋がったんだ、また話そうぜ」
 そう言って里中が自分の個人連絡先を差し出したので、葉月は驚いた表情を見せたが、やがて本当に嬉しそうな様子でにっこり笑って受け取り、自分も連絡先をメモして里中に渡した。
「いいの!?ありがとう!じゃああたしも…はい。あ、そうだ。あたしは仕事があるからこっちにいるけど、実家は引っ越してないからその内に遊びに行ってあげて。プロ野球選手の里中智だからじゃなくって、『智君』が遊びに来てくれて今みたいに幸せそうにしてるの見たら、絶対お父さんもお母さんも喜ぶもん」
「そうだな…おじさん達はそういう人だもんな…そうさせてもらうよ。でも俺、そんなに幸せそうに見えるか?」
「うん。すっごく幸せそうだよ」
「そっか」
 そう言うと二人はにっこり笑い合う。その様子に、更に土井垣と山田が口々に声を掛ける。
「さあ、余り長話は良くない。この辺りで切り上げろ」
「あんまり土井垣さんを待たせたら悪いしな。里中、また今度会って話せばいいじゃないか」
「あ、ホントごめんね。長話になっちゃって。じゃあバイバイ、また会おうね」
「ああ、またな」
 笑って手を振りながらも土井垣に引っ張られる様にして連れて行かれた葉月に、里中は笑って手を振り替えし山田の方へ向き直ると、申し訳なさそうに言葉を掛ける。
「悪いな、山田。長話しちまって」
「ああ、それはいいが…」
 山田の不機嫌そうな複雑な表情を見て、里中は悪戯っぽい表情を見せて笑うと、そのままの口調で問い掛ける。
「何だ?山田。もしかして葉月ちゃんにやきもち妬いたとか?」
「…」
 むっつりとした表情を見せたままの山田に里中は嬉しそうな笑顔を見せると、その腕に自分の腕を絡めて明るく口を開いた。
「何だ、俺も山田にやきもち妬かせる事ができるんだな」
「う…」
「心配するなよ。葉月ちゃんはただの幼馴染…いや、ちょっと違うか」
「どういう事だ?」
 今度は明らかに不機嫌そうな表情を見せた山田をからかいながらも宥める様に、里中は言葉を重ねた。
「ここで話すと長くなるから、さっき言ってた喫茶店へ行こうぜ。そこでゆっくり話すよ」
 そう言うと里中は落ち着いた雰囲気の喫茶店を選んで山田と中へ入り、コーヒーを注文した後、おもむろに彼女との関係について話し始めた。
「じゃあ、彼女は幼馴染と同時に里中の恩人のお嬢さん…って事か?」
「ああ。葉月ちゃんの親父さんと俺の父さんが野球仲間で親友でね。俺が小さい頃、父さんの思い出話がてら『これも父さんの思い出だしな』って野球を教えてくれたんだ。だから、山田と俺を結び付けるきっかけを作った最初は彼女の親父さんなんだぜ?感謝しろよ。…で、葉月ちゃんはあんまり丈夫じゃなくて親から離れられなかったし、彼女のお袋さん忙しい人だったから、そういう時はしょっちゅう親父さんにくっついてきて俺と一緒にキャッチボールとか球ひろいをしてたんだよ。そういう事もあって、小学校までは良く遊んでたな」
「そうだったのか…」
「で、元々彼女の親父さんは仕事が福祉畑で、お袋さんの方も児童福祉とか教育の仕事してる人だったから、おふくろと俺の生活や進学に支障がない様にって色々制度を教えてくれたり、相談に乗ってくれてたんだ。俺が一旦中退…山田が休学扱いにしてくれたけどさ…した時も最後まで俺が卒業できる様に色々心を砕いてくれたし、その後結局中退した時も、病院とバイト先の社長に引き合わせてくれたりな。彼女はその頃具合悪くしてたらしくて親父さん達が教えてないのか、あの様子だとその辺りの事は詳しく知らないみたいだけど」
「…」
「だからさ、もちろん彼女は仲の良かった幼馴染でもあるんだけど、それと同時に大切な恩人のお嬢さんなんだよ。彼女と俺の関係、納得したか?」
「…ああ」
 里中の説明を聞いてもむっつりとした表情を崩さない山田に、里中は更に言葉を掛ける。
「ほら、そんな顔するなよ。大丈夫、葉月ちゃんは俺にはそういう感情かけらも持ってないよ」
「でも、あの嬉しそうな様子を見てるとな…」
「葉月ちゃんは丈夫じゃなかったから友達が少なかったんだよ。だから仲の良かった俺に会えて単純に喜んでただけさ。それに…」
「それに?」
「多分だけど…葉月ちゃんがそういう意味で好きなのは土井垣さんだぜ。いや、もしかするともう付き合ってるかもな」
「どうしてそう思うんだ?」
 山田の問いに、里中は『鈍いなぁ』と言う様な呆れた表情で答える。
「簡単な話だよ。買い物に行くんだったら、普通女の子の友達と行くだろ?何で土井垣さんが一緒だったのか、考えてみろよ。それに土井垣さんだって、身内でもない女の子と買い物に行く様な性格じゃないだろ」
「…そうか、そう言われればそうだな」
 納得する山田に、里中は悪戯っぽい笑みを浮かべ、その表情のままの口調で更に言葉を紡ぐ。
「それにな、俺と葉月ちゃんが話してた時、山田と土井垣さんおんなじ様な様子で止めようとしてたぜ。別れる時も、土井垣さん思いっきり葉月ちゃんの腕引っ張ってたしな。それ考えると山田とおんなじ様に、土井垣さんも俺にやきもち妬いてたんじゃないか?」
「…」
 ここで肯定すると自分が彼女にやきもちを焼いていた事を認める形になるので山田は言葉に詰まった。その様子を見て、里中は心底嬉しそうな表情を見せて口を開いた。
「…何だか嬉しいな」
「何が」
「だってさ、葉月ちゃんが俺の事心底幸せそうに見えたのは、絶対山田がいるからだよ。俺はそう思う。…それにな」
「それに?」
「俺達の事でやきもち妬くのは大抵俺だろ?こうやって山田もやきもち妬いてくれるのを見てると、山田も俺の事ちゃんと見てくれてるんだって思えるからさ」
 里中の言葉に山田はしばらく沈黙していたが、やがてゆっくりと口を開く。
「…ずるいぞ里中」
「何が」
「…そう言われたら、俺はやきもちを妬いていた事を認めざるを得ないじゃないか」
「うふふ」
 二人の間に沈黙が訪れる。少し居心地が悪いが、それでも暖かくて幸せな沈黙。そんな沈黙がしばらく続いた後、不意に里中が口を開いた。
「…そうだ」
「何だ?里中」
「せっかくこんな楽しい偶然があったんだし、今度ちょっと土井垣さんをつついてみないか?」
「里中…結構お前意地悪だな」
「いや、恩人のお嬢さんを泣かせる様な真似するなら許せないしな。敵情視察って事で」
「…しょうがないな」
 その後、二人は土井垣をネタに楽しげに会話を弾ませていった。そしてその後、土井垣が二人(というよりむしろ里中)にからかわれ、厳しい顔がしばらく更に厳しくなっていたというのは余談である。