「へぇ~、監督の彼女がこんなに可愛い人だったなんて知りませんでしたよ」
「だろ?彼女は可愛いだけじゃなくってすごくいい娘なんだぜ」
「ドブスやけど、サトの言う通り気は優しい女やな。どえがきにしては上等や」
「づら」
「監督の飯島に対する心遣いで予想した通りの方だな。本当にいいお嬢さんだ」
「お友達の人も綺麗だし、ずるいですよ~監督、こんな事俺達に黙ってるなんて」
「…やかましい、お前らにばれたらこうなるのが目に見えていたからこその自己防衛だ」
「酷いなぁ監督。…でもこうやって会えて良かったですよ。あんまりマスコミの報道がとんでもなかったもんですから誤解してました。宮田さん、すいません」
「いえ…こちらこそ褒めて頂いてありがとうございます」
「私まで褒めてもらってありがとう。皆さんもそろって気の良さそうな人達ですね」
「いやぁ…とりあえず今日は懇親会って事で楽しくいきましょう」
オフの夜、スーパースターズの有志は土井垣のマンションへ集まって、彼の恋人である葉月を見物に来ていた。土井垣はチームメイトに冷やかされるのが嫌だったので隠し通していたのだが、ある一件から彼女の事が周知になってしまい、しつこく会わせて欲しいと頼み込まれ根負けして、その事情を彼女にも話し、彼女も恥ずかしいながらも皆に会ってみたいという興味があったので、親友の弥生も一緒なら、という条件付きで皆に会う事を承諾し、今日こうして鍋会という形でそれが実現した次第である。皆で鍋をつつきながら、チームメイト達はマスコミの報道とはかけ離れた彼女の優しい性格と気の効いた心遣いに感心し、また親友の弥生が美人でしっかりした女性だという事で、彼女の本質を本当に理解して好感を持つ共に、フリーの弥生と何とか仲良くなろうと、色々と粉をかけていた。葉月も今までは不知火や里中、後はせいぜい小次郎位しか土井垣の仲間を知らなかったので、こうしてたくさんの仲間と知り合えた事が心底嬉しそうで、普段は少々人慣れしにくい性格なのだが、それを乗り越えて楽しげに話し、割合人慣れしやすい弥生はすぐに馴染んだ上でこういう人種と知り合える機会が中々ないので、興味深そうに色々と話をしていた。やがて食事や酒が進むにつれ、様々な過去の話がお互い話され始める。
「…へぇ、それじゃあ宮田さんって高校時代、男子生徒のマドンナみたいな存在だったのか?」
「そうそう、この通りの見かけと行動はてきぱきしてるけど実際はお嬢様みたいな…実際ちょっとしたお嬢なんだけど…素直でおっとりした優しい性格だし、成績はかなり良いし、運動もそこそこできるし歌はすごくうまいしで男子の憧れの的だったんだから。当の本人は全く気付いてなくて、皆で騒ぐのが好きだったけどね」
「ヒナ!あんまり誇大広告しないでよ。ヒナこそ美人で頭脳明晰でスポーツ万能、気風もいいって男子に大もてだったじゃない」
「あたしははーちゃんと仲が良かったから、当て馬にされてただけよ。本当にもててたのはあんただったんだから」
「…」
「それより、土井垣さんってそんなに暴君だったの?」
「ああ。明訓入った最初は山田なんかバットで腹殴られたし、俺や岩鬼は土井垣さんが監督時代ランニング中話してただけでささら竹で殴られた事もあったよ。…今は大分温厚になって来てるけど」
「で…でも、俺のためにお父さんに頼んで洗濯機買ってくれたりとか、優しい所もあったじゃないか」
「でも洗濯自体は自分はやんないで山田にやらせてたじゃん。山田、それフォローになんないぜ」
「そうね。フォローどころかとどめよ、山田君」
「…」
「そうなんですか…知りませんでした」
「ふぅん…土井垣さんて、そういう人だったのねぇ…」
葉月は里中の言葉に心底びっくりした様子を見せ、弥生は何かを考える様に黙り込むと、少しの間を置いて不意に口を開いた。
「…そういう事だと、はーちゃんが土井垣さんと付き合うなんて本当に奇跡に近いわ。…ね?はーちゃん」
「え?…ああ、うん…」
「どういう事だ?朝霞さん」
今まで盛り上がっている一同とは別枠で苦虫を噛み潰した様に酒を飲んでいた土井垣が、弥生の言葉に反応してふと問いかける。弥生はそれに耳ざとく気付くと、意味深な口調でわざと土井垣にではなくチームメイト達に言葉を返す。
「何せ、はーちゃんおっとりしてる割に正義感は人一倍強かったから、一番嫌いな人種って『暴力を振るったり、他人を傷つける人』だったしね。しごきとか体罰なんかする人は最初から怖がるか嫌ってたもの。それ考えるとその頃にはーちゃんが土井垣さんと知り合ってたら、どんなに人気者のスーパースターでも、嫌って完全無視だったと思うわ」
「ふむ…だとすると監督は本当に運が良かったんだな」
「そういう事になるな。監督は本当に運がいい、うん」
「いやぁ、でもせっかくだったらその頃に俺、宮田さんと出会っていたかったな。そうすれば、宮田さんは土井垣さんの方に行かないで、俺がこんな素敵な彼女をゲットできたかもしれないし」
「う~ん、それはどうかな~。はーちゃんは基本的に『皆で騒ぐ』のは好きだったしファンも多かったけど、あの頃はどっか高嶺の花的雰囲気もあったから、男子のほとんどは個人的に付き合うには一歩引いてたからね。付き合おうとした男子も何人かいたけど、はーちゃん自身もその辺りはきっぱりはねつけてたし。それに、自分が騒がれるのも嫌がってたしね」
「ああ、それは土井垣さんも同じだ。あの頃は女生徒にキャーキャー騒がれてたけど、それはグルーピー的ファンだったし、土井垣さん自身その手の女嫌ってたし、かと言って気位の高い女も敬遠してた…っていうか女なんて全く目に入ってなかったな。思考の百パー野球一色で」
「そうなんだ。じゃあその頃会ってたらお互い犬猿の仲だったかもね~」
「そういやそうだな~」
「づら」
「…」
弥生の意図を察してわざとらしく会話を続ける弥生とチームメイトを尻目に土井垣は更に苦虫を噛み潰した様な表情で無言で酒を飲み続け、葉月の方は居心地が悪そうに鍋をつついていた。そうして様々な話が語られ、鍋会はお開きになり皆で片付けた後、チームメイト達と気が合った弥生は二次会と称して『皆と帰りがけにもう少し飲んでいくから』と言って葉月を取り残し、チームメイト達と帰って行った。そうして取り残された土井垣と葉月はお互い所在なさげに沈黙していた。しばらくの後、居心地の悪い沈黙を破る様に、土井垣は口を開く。
「…なあ」
「はい?」
「今日の話で…俺の事が嫌にならなかったか?」
静かに、しかし葉月には分かる程度の不安を含んだ口調で、土井垣は問い掛ける。葉月はしばらく言葉を捜す様に考えていたが、やがてこちらも静かに言葉を紡ぎ出す。
「…ううん、大丈夫。最初はちょっとびっくりしましたけど」
「本当か?」
更に問い詰める様に問いかける土井垣に、彼女はふわりと微笑んで更に言葉を返す。
「確かに、昔の将さんに出会ってたらあたしは将さんの事嫌ってたかもしれません。…でも」
「でも?」
「あたしが知ってる将さんは、無意味な暴力は振るわない人だもの。将さんがプロ野球選手になってから暴力を振るったとか、乱闘を起こしたとか聞いた事ないですしね。そうやってちゃんと無意味な暴力を振るわない様に変われた将さんだから、あたしは大丈夫」
「そうか…ありがとう」
「ううん…あたしこそあの頃に将さんとちゃんと知り合ってたら、お高くとまってると思われて将さんにとってはただのお友達で終わってたか、見向きもされなかったと思うわ…でしょ?」
「…そう思うか?」
「うん」
優しい微笑みから少し寂しげな微笑みに変わった葉月を土井垣はふわりと抱き締めると、その耳元に囁いた。
「…答えは…『ノー』だ」
「え…?」
土井垣の言葉に驚く葉月を抱き締めたまま、彼は優しく言葉を紡いでいく。
「もうここまで話されてしまったから言ってしまうがな…お前も思い出した通り、俺とお前は一度短い時間とはいえ、あの頃に出会っているだろう?」
「うん…そうだったわね」
「俺はあの時からお前に一目惚れしていたんだぞ。…まあ気付いたのは、ずっと後の事だったがな」
「…」
「それに、あそこの皆と…何よりもう一度それと知らずお前に出会って、お前をもっと知っていく内に、俺は力で押さえつけるという方法が間違っていると気付かされたんだ」
「どういう事?」
「皆やお前が相手に向かって行く時、そこで使うのは力じゃなくて真摯な心だ。そして相手はそれを感じ取って、その心をちゃんと分かってくれる。それを知っていく内に力という手段を使う自分が恥ずかしく思えたんだ。…だからあの頃の俺から今の様に変えてくれたのはお前なんだ。…ありがとう、葉月」
「将さん…」
葉月はしばらく抱き締められるままになっていたが、やがて身体を離し、またふわりと微笑んで言葉を返す。
「それだったら、あたしも同じ…あたしは『あの事』があって、将さんとの事を一旦忘れちゃったけど…忘れるまでは将さんにちょっと惹かれてたのよ」
「そうなのか?」
「うん、それにね」
「それに?」
「あたしはあの頃期待に応えなきゃって必死になって無茶して、夢を諦めなくちゃいけなくなったでしょ?その事はあんまり辛くなかったけど、あの頃のあたしは期待に応えるとかは関係なしに、一生懸命に物事に取り組むって気持ちもなくしちゃったの。でもね、将さんともう一度出会って、野球に一生懸命な将さんを見てて、誰のためでもなく自分のために一生懸命になるって事を思い出したの。…だからありがとう、将さん」
そう言うと葉月はもう一度土井垣の胸に顔を埋めた。彼は彼女を今度はきつく抱き締めると、呟く様に言葉を紡いだ。
「そうか…俺達は似た者同士だったんだな」
「そうね」
「でも、お互いに敬遠したかもしれないあの頃に本格的に出会わなかったのは、不思議な縁だな」
「きっと…神様の粋な配剤があったのよ」
「そうだな、でも…」
「でも?」
「あの頃に出会っていても、きっと俺達は惹かれ合っていたと思うぞ」
「そうかな…」
「そうさ…今お互いにそう言ったばかりだろう?」
「そういえば…そうね」
土井垣の胸の中で葉月はくすりと笑う。彼もふっと微笑むと彼女にそっとキスをする。二人は唇を離すと、彼女は柔らかな笑顔で問いかけた。
「…じゃあ、お茶いれましょうか。少し将さんも酔い覚まししたいでしょう?」
葉月の言葉に土井垣はふっと笑って彼女を更に強く抱き締め、答えを返す。
「いいや…いらん。お前は今夜ずっと俺から離れるな」
「…もう、酔っ払いはこれだから」
口では呆れた様な言葉を紡ぎながらも、葉月は幸せそうに土井垣の胸に身体を預ける。彼はそれに満足そうに微笑むと、もう一度、今度は深く口付けた。
「だろ?彼女は可愛いだけじゃなくってすごくいい娘なんだぜ」
「ドブスやけど、サトの言う通り気は優しい女やな。どえがきにしては上等や」
「づら」
「監督の飯島に対する心遣いで予想した通りの方だな。本当にいいお嬢さんだ」
「お友達の人も綺麗だし、ずるいですよ~監督、こんな事俺達に黙ってるなんて」
「…やかましい、お前らにばれたらこうなるのが目に見えていたからこその自己防衛だ」
「酷いなぁ監督。…でもこうやって会えて良かったですよ。あんまりマスコミの報道がとんでもなかったもんですから誤解してました。宮田さん、すいません」
「いえ…こちらこそ褒めて頂いてありがとうございます」
「私まで褒めてもらってありがとう。皆さんもそろって気の良さそうな人達ですね」
「いやぁ…とりあえず今日は懇親会って事で楽しくいきましょう」
オフの夜、スーパースターズの有志は土井垣のマンションへ集まって、彼の恋人である葉月を見物に来ていた。土井垣はチームメイトに冷やかされるのが嫌だったので隠し通していたのだが、ある一件から彼女の事が周知になってしまい、しつこく会わせて欲しいと頼み込まれ根負けして、その事情を彼女にも話し、彼女も恥ずかしいながらも皆に会ってみたいという興味があったので、親友の弥生も一緒なら、という条件付きで皆に会う事を承諾し、今日こうして鍋会という形でそれが実現した次第である。皆で鍋をつつきながら、チームメイト達はマスコミの報道とはかけ離れた彼女の優しい性格と気の効いた心遣いに感心し、また親友の弥生が美人でしっかりした女性だという事で、彼女の本質を本当に理解して好感を持つ共に、フリーの弥生と何とか仲良くなろうと、色々と粉をかけていた。葉月も今までは不知火や里中、後はせいぜい小次郎位しか土井垣の仲間を知らなかったので、こうしてたくさんの仲間と知り合えた事が心底嬉しそうで、普段は少々人慣れしにくい性格なのだが、それを乗り越えて楽しげに話し、割合人慣れしやすい弥生はすぐに馴染んだ上でこういう人種と知り合える機会が中々ないので、興味深そうに色々と話をしていた。やがて食事や酒が進むにつれ、様々な過去の話がお互い話され始める。
「…へぇ、それじゃあ宮田さんって高校時代、男子生徒のマドンナみたいな存在だったのか?」
「そうそう、この通りの見かけと行動はてきぱきしてるけど実際はお嬢様みたいな…実際ちょっとしたお嬢なんだけど…素直でおっとりした優しい性格だし、成績はかなり良いし、運動もそこそこできるし歌はすごくうまいしで男子の憧れの的だったんだから。当の本人は全く気付いてなくて、皆で騒ぐのが好きだったけどね」
「ヒナ!あんまり誇大広告しないでよ。ヒナこそ美人で頭脳明晰でスポーツ万能、気風もいいって男子に大もてだったじゃない」
「あたしははーちゃんと仲が良かったから、当て馬にされてただけよ。本当にもててたのはあんただったんだから」
「…」
「それより、土井垣さんってそんなに暴君だったの?」
「ああ。明訓入った最初は山田なんかバットで腹殴られたし、俺や岩鬼は土井垣さんが監督時代ランニング中話してただけでささら竹で殴られた事もあったよ。…今は大分温厚になって来てるけど」
「で…でも、俺のためにお父さんに頼んで洗濯機買ってくれたりとか、優しい所もあったじゃないか」
「でも洗濯自体は自分はやんないで山田にやらせてたじゃん。山田、それフォローになんないぜ」
「そうね。フォローどころかとどめよ、山田君」
「…」
「そうなんですか…知りませんでした」
「ふぅん…土井垣さんて、そういう人だったのねぇ…」
葉月は里中の言葉に心底びっくりした様子を見せ、弥生は何かを考える様に黙り込むと、少しの間を置いて不意に口を開いた。
「…そういう事だと、はーちゃんが土井垣さんと付き合うなんて本当に奇跡に近いわ。…ね?はーちゃん」
「え?…ああ、うん…」
「どういう事だ?朝霞さん」
今まで盛り上がっている一同とは別枠で苦虫を噛み潰した様に酒を飲んでいた土井垣が、弥生の言葉に反応してふと問いかける。弥生はそれに耳ざとく気付くと、意味深な口調でわざと土井垣にではなくチームメイト達に言葉を返す。
「何せ、はーちゃんおっとりしてる割に正義感は人一倍強かったから、一番嫌いな人種って『暴力を振るったり、他人を傷つける人』だったしね。しごきとか体罰なんかする人は最初から怖がるか嫌ってたもの。それ考えるとその頃にはーちゃんが土井垣さんと知り合ってたら、どんなに人気者のスーパースターでも、嫌って完全無視だったと思うわ」
「ふむ…だとすると監督は本当に運が良かったんだな」
「そういう事になるな。監督は本当に運がいい、うん」
「いやぁ、でもせっかくだったらその頃に俺、宮田さんと出会っていたかったな。そうすれば、宮田さんは土井垣さんの方に行かないで、俺がこんな素敵な彼女をゲットできたかもしれないし」
「う~ん、それはどうかな~。はーちゃんは基本的に『皆で騒ぐ』のは好きだったしファンも多かったけど、あの頃はどっか高嶺の花的雰囲気もあったから、男子のほとんどは個人的に付き合うには一歩引いてたからね。付き合おうとした男子も何人かいたけど、はーちゃん自身もその辺りはきっぱりはねつけてたし。それに、自分が騒がれるのも嫌がってたしね」
「ああ、それは土井垣さんも同じだ。あの頃は女生徒にキャーキャー騒がれてたけど、それはグルーピー的ファンだったし、土井垣さん自身その手の女嫌ってたし、かと言って気位の高い女も敬遠してた…っていうか女なんて全く目に入ってなかったな。思考の百パー野球一色で」
「そうなんだ。じゃあその頃会ってたらお互い犬猿の仲だったかもね~」
「そういやそうだな~」
「づら」
「…」
弥生の意図を察してわざとらしく会話を続ける弥生とチームメイトを尻目に土井垣は更に苦虫を噛み潰した様な表情で無言で酒を飲み続け、葉月の方は居心地が悪そうに鍋をつついていた。そうして様々な話が語られ、鍋会はお開きになり皆で片付けた後、チームメイト達と気が合った弥生は二次会と称して『皆と帰りがけにもう少し飲んでいくから』と言って葉月を取り残し、チームメイト達と帰って行った。そうして取り残された土井垣と葉月はお互い所在なさげに沈黙していた。しばらくの後、居心地の悪い沈黙を破る様に、土井垣は口を開く。
「…なあ」
「はい?」
「今日の話で…俺の事が嫌にならなかったか?」
静かに、しかし葉月には分かる程度の不安を含んだ口調で、土井垣は問い掛ける。葉月はしばらく言葉を捜す様に考えていたが、やがてこちらも静かに言葉を紡ぎ出す。
「…ううん、大丈夫。最初はちょっとびっくりしましたけど」
「本当か?」
更に問い詰める様に問いかける土井垣に、彼女はふわりと微笑んで更に言葉を返す。
「確かに、昔の将さんに出会ってたらあたしは将さんの事嫌ってたかもしれません。…でも」
「でも?」
「あたしが知ってる将さんは、無意味な暴力は振るわない人だもの。将さんがプロ野球選手になってから暴力を振るったとか、乱闘を起こしたとか聞いた事ないですしね。そうやってちゃんと無意味な暴力を振るわない様に変われた将さんだから、あたしは大丈夫」
「そうか…ありがとう」
「ううん…あたしこそあの頃に将さんとちゃんと知り合ってたら、お高くとまってると思われて将さんにとってはただのお友達で終わってたか、見向きもされなかったと思うわ…でしょ?」
「…そう思うか?」
「うん」
優しい微笑みから少し寂しげな微笑みに変わった葉月を土井垣はふわりと抱き締めると、その耳元に囁いた。
「…答えは…『ノー』だ」
「え…?」
土井垣の言葉に驚く葉月を抱き締めたまま、彼は優しく言葉を紡いでいく。
「もうここまで話されてしまったから言ってしまうがな…お前も思い出した通り、俺とお前は一度短い時間とはいえ、あの頃に出会っているだろう?」
「うん…そうだったわね」
「俺はあの時からお前に一目惚れしていたんだぞ。…まあ気付いたのは、ずっと後の事だったがな」
「…」
「それに、あそこの皆と…何よりもう一度それと知らずお前に出会って、お前をもっと知っていく内に、俺は力で押さえつけるという方法が間違っていると気付かされたんだ」
「どういう事?」
「皆やお前が相手に向かって行く時、そこで使うのは力じゃなくて真摯な心だ。そして相手はそれを感じ取って、その心をちゃんと分かってくれる。それを知っていく内に力という手段を使う自分が恥ずかしく思えたんだ。…だからあの頃の俺から今の様に変えてくれたのはお前なんだ。…ありがとう、葉月」
「将さん…」
葉月はしばらく抱き締められるままになっていたが、やがて身体を離し、またふわりと微笑んで言葉を返す。
「それだったら、あたしも同じ…あたしは『あの事』があって、将さんとの事を一旦忘れちゃったけど…忘れるまでは将さんにちょっと惹かれてたのよ」
「そうなのか?」
「うん、それにね」
「それに?」
「あたしはあの頃期待に応えなきゃって必死になって無茶して、夢を諦めなくちゃいけなくなったでしょ?その事はあんまり辛くなかったけど、あの頃のあたしは期待に応えるとかは関係なしに、一生懸命に物事に取り組むって気持ちもなくしちゃったの。でもね、将さんともう一度出会って、野球に一生懸命な将さんを見てて、誰のためでもなく自分のために一生懸命になるって事を思い出したの。…だからありがとう、将さん」
そう言うと葉月はもう一度土井垣の胸に顔を埋めた。彼は彼女を今度はきつく抱き締めると、呟く様に言葉を紡いだ。
「そうか…俺達は似た者同士だったんだな」
「そうね」
「でも、お互いに敬遠したかもしれないあの頃に本格的に出会わなかったのは、不思議な縁だな」
「きっと…神様の粋な配剤があったのよ」
「そうだな、でも…」
「でも?」
「あの頃に出会っていても、きっと俺達は惹かれ合っていたと思うぞ」
「そうかな…」
「そうさ…今お互いにそう言ったばかりだろう?」
「そういえば…そうね」
土井垣の胸の中で葉月はくすりと笑う。彼もふっと微笑むと彼女にそっとキスをする。二人は唇を離すと、彼女は柔らかな笑顔で問いかけた。
「…じゃあ、お茶いれましょうか。少し将さんも酔い覚まししたいでしょう?」
葉月の言葉に土井垣はふっと笑って彼女を更に強く抱き締め、答えを返す。
「いいや…いらん。お前は今夜ずっと俺から離れるな」
「…もう、酔っ払いはこれだから」
口では呆れた様な言葉を紡ぎながらも、葉月は幸せそうに土井垣の胸に身体を預ける。彼はそれに満足そうに微笑むと、もう一度、今度は深く口付けた。