一つ目の不意打ちは祖父からだった。
『将!お前の見合い相手を決めてきたぞ!』
唐突に掛かってきた電話。その電話口から興奮したじいさんの声が聞こえて来る。しかしその内容は、俺にとってはあまり有り難くないものだった。俺はそれを多少遠慮がちにだが言葉に乗せて、電話の向こうのじいさんに応える。
「何を言っているんですか。俺は見合いなんかしないといつも言って…」
俺の言葉の口調に気付いているのかいないのか、じいさんは上機嫌な口調で俺の言葉を遮ってまくし立てる様に続ける。
『まあ聞け。最近亡くなった儂の古い友人の孫娘が良いお嬢さんだったんじゃ。ごく身内で葬式を済ませたから情報が遅れて儂はそいつの葬式に出られなくてのう、その不義理の詫びも含めて弔問に行った時に丁度来ておったんじゃが、歳はお前より少し下でな、可愛らしいし、気立てもいい。それだけではないぞ。お人形の様なお嬢さんではないし、かといって生意気という訳でもない。本当の意味で自分というものを持った、芯のあるいいお嬢さんじゃ。なかなかおらんぞ、ああいうできたお嬢さんは。将も会えば絶対気に入る』
「…おじいさんの賞賛ぶりは良く分かりました。しかしそんなにいいお嬢さんだったら、俺じゃなくても見合い相手には困らないでしょうし、むしろもう恋人がいるんじゃないですか?」
余りにも相手を褒めちぎるじいさんの様子に、俺はわざと皮肉を込めた口調で返したが、じいさんはそれも気付いていないのか、上機嫌な口調で更に応えた。
『それは悪いと思ったがしっかり確認した。そのお嬢さんはお前と同じ様に東京で一人暮らしをしながら仕事をしているそうなんじゃが、かなり忙しい仕事らしくてのう。そういった縁は全くないらしい。かといって見合いはというと、話だけは沢山あるらしいが、そういうお嬢さんじゃからというだけでなく、分家筋じゃがそいつの家もそのお嬢さんの母君に当たるそいつの娘さんの嫁ぎ先も、ちょっとした旧家じゃからな。最初から家庭に入るのが当たり前、という話ばかりらしくて、仕事を続けたがっているお嬢さん本人が全て断っておったそうじゃ。お嬢さん本人にも聞いたが、『両親から仕事を続ける事の大切さを学んだし、そうでなくても仕事が好きで誇りも持っているから、今の所結婚しても子供ができても辞める気はない。だから断ると分かっているお話は相手に悪いと思うので、最初からお受けしない事にしています』とはっきり言っておったしな』
「だったら尚更です。そういうお嬢さんだったら、社会の事は大分分かっている方でしょう。俺の職業を聞いたら真っ先に断るんじゃないですか?おじいさんの事ですから、俺の話も少しはそのお嬢さんにしたでしょう?」
俺はじいさんの話の不可解な点に気付き、そこを突いてうまくこの話を回避しようと考え、それを言葉に乗せる。しかしじいさんはまるで手柄を上げた様に更に上機嫌な口調でそれに応えた。
『ああ。じゃからそこを儂が説得してな、特別に受けてもらったんじゃ』
「ええ?」
何て余計な事を…俺は受話器の前で内心頭を抱えて沈黙した。俺が沈黙しているのをいい事に、じいさんは上機嫌で話し続ける。
『確かにお前の言う通りじゃ。お前の名前と職業を言ったら『プロ野球選手なら、専業主婦になる女性が一番お望みでしょう。私ではお話になりません』と即答された。じゃがその気風の良さも含めて、あんまりいいお嬢さんじゃったから諦め切れなくてなぁ。儂から『そういう問題はお互い気に入って話が進んだ時に、二人で話し合えばいい。孫もあなたに会えば、あなたの条件をちゃんと考える位あなたを気に入るじゃろう。じゃからとにかく一度会って欲しい。多分あなたも孫の事が気に入ると思う』と売り込んで、会うだけでも会ってもらう様に頼んだんじゃ』
「おじいさん…」
『それでも渋っておったんじゃが、彼女の祖母君に当たる亡くなったそいつの細君が『あなたの気持ちまで汲み取って下さるなんて、今まではなかった本当にいいお話ですよ。私も今となっては何よりあなたの行く末が心配です。私に対する孝行だと思って、今回だけはお受けしなさい』と一緒に説得してくれてのう。彼女も祖母君の言葉は効いたらしい。何しろその日も病気で養生している母君と残されて気落ちしている祖母君を慰めるために、少ない休みを利用してわざわざ東京から神奈川の西末まで戻って来ていた位、家族思いの優しいお嬢さんじゃ。長い間考えておったが、最後には『分かりました。お会いするだけでもよろしければお受けします』と言ってくれた』
「…」
大手柄を立てた様な得意満面のじいさんの言葉に、俺は溜息をつく。じいさんの行動は婚期が遅くなっている現在といえども、この歳で未だに独り身でいる上女の気配すら見えない様に見える俺を気遣っての事で悪気はない事は良く分かっているし、ここまで手放しで褒めているんだ。話半分にしてもその内容を総合的に判断すれば、確かにそれなりに良い女性なのだろう。しかし、どんなにいい条件の見合い話でも俺には受けたくない理由があった。俺はそれを正直に話そうと言葉を発する。
「話からすると確かにいいお嬢さんらしいですし、おじいさんがそこまでしてくれたのはありがたいですけれど、俺は見合いはできません。そのお嬢さんには悪いですがお断りして下さい」
俺の言葉に、じいさんは上機嫌な様子から怪訝そうな様子に言葉を変え、俺に問いかける。
『何じゃ。いいお嬢さんじゃと思うのなら会うだけでも会えばいいではないか。断る理由はないじゃろう?…それとも、儂が知らないうちに誰かいい相手でも見つけたとでも言うのか』
「…そうですよ。今まで言いませんでしたが、俺にはお付き合いしている女性がいます」
そう、お互い忙しくて付き合い始めて一年近く経つというのに、それ程仲が進展していると思えず気恥ずかしくてまだ家族に紹介はしていないが、俺には付き合っている女性がいる。いくらなかなか進展していない様に感じる仲の恋人とはいえ、見合いを受けるという事はその彼女を裏切る事だし、彼女も怒るだろう。いや、それどころか素直で素朴な彼女の性格だ。俺の想いが信じられなくなって悲しむかもしれない。もう少し仲が進展してから家族には紹介しようと思っていたが、彼女にそんな思いをさせたくなくて、俺は何とかこの話を回避するために事実を正直に白状した。じいさんはその言葉に電話口の向こうで一旦沈黙したが、すぐにカラカラと笑って言葉を続ける。
『将にしては気の効いた言い訳じゃな。しかし儂の目はごまかせんぞ。どうせ見合いから逃げたいがための方便じゃろう。最近は中々会えんが、テレビからも、時々戻って来る時の様子からも、お前にそんな女性がおる様には全く見えん』
「嘘じゃありません。俺には本当に…」
『いいいい、お前が見合いを嫌っているのは良く分かっておる。でもな、今回は今までの女性とは本当に違うとてもいいお嬢さんじゃ。いいから会ってみろ』
「おじいさん、だから俺の話を…」
俺は何とかして話を聞いてもらおうと言葉を出そうとする。しかしじいさんはそれを遮って続けた。
『それにな、お前はともかくお嬢さんの方からしたら、お前を気に入れば話は変わるかもしれんが、今の時点では確実に断るのが前提の話じゃから、お前に手間を掛けさせて悪いと相当悩んだ末に会う事を決めてくれたんじゃぞ。お前はそのお嬢さんの気遣いを無視して、そのお嬢さんに恥をかかせる気か?』
「う…」
じいさんの義理人情を絡めつつのある種もっともな言葉に、俺は言葉を失う。じいさんは更に続けた。
『とにかく、これは決まった事じゃ。写真は手持ちが無かったから送れんが、近いうちに追って釣書はそっちに送る。先方は忙しいながらも早めに予定が決まればお前の予定に合わせて会う日を決めてかまわんそうじゃから、しっかり釣書を読んで会う日を決めろ。分かったな』
「…はい」
『とにかく会ってみろ。絶対気に入るぞ』
そこまで言うとじいさんは電話を切った。俺は受話器をしばらく見詰めて深い溜息をついた後、受話器を置く。じいさんの様子だと相当乗り気になっている様で、会う事を断るのは至難の業だろう。かといって彼女に秘密でこっそり会ったとしたら彼女を本当に傷付けかねない。俺はこの話をどうやって彼女に話そうかと気が重くなり、また深い溜息をついた――
二つ目の不意打ちは恋人からだった。
「…はあ、そんな話が出たんですね」
秋季キャンプ前の短いオフの夜、俺は久し振りに恋人に会い、彼女のマンションで食事をした後、彼女が淹れてくれたお茶を飲みながら考えた末、件の話を正直に彼女に話した。彼女は俺の話を怒るでもなく、悲しむでもなく、淡々と聞いていた。俺は重い口調で言葉を続ける。
「…お前の事を話して断ろうと思ったんだが、じいさんが乗り気で全然聞く耳を持たなくてな。ほとんど決定事項だ」
「そうですか…で、釣書は読んだんですか?」
「読む訳ないだろう。俺にはお前がいるんだぞ」
そう言って俺は彼女を抱き締める。彼女は俺に身体を預けながら、甘やかな口調で言葉を紡ぐ。
「そうですか…ありがとう…なのよね、この場合」
「当然の事だ。…しかしお前を裏切る気は全くないんだが、話を断るのはともかく会う事だけは断りきれそうにない…すまん、許してくれるか?」
俺の言葉に彼女は俺の腕の中でしばらく考える素振りを見せていたが、やがて身体を離すと淡々と、しかし悪戯っぽい表情と口調で言葉を返した。
「いいじゃないですか。そんなに良い方だったら折角ですから会うだけでも会ってみれば。とりあえず釣書を読んでみたらどうですか?結構おじい様の言う通り気に入るかもしれませんよ」
「お前、それで本当にいいのか!?」
彼女の想定外の発言に俺の方が驚いた。驚いている俺に、彼女はにっこり笑って更にとどめを刺した。
「そうだ、お見合いって言えば…あたしの方もお見合い話があるんですよ。一旦はきっちり断ったんですが、先方がかなり乗り気で私も断れそうになくて…で、釣書を読んだらいいかなって思って、あたしは会うだけでも会ってみる事にしました」
「おい!」
彼女の爆弾発言に俺は思わず声を上げる。彼女はその様子も気にしない風情の明るい口調で、更に言葉を続けた。
「将兄さんも読んでみます?あたしの所に来た釣書。読んだらすごく驚くと思いますし、きっと将兄さんも釣書読んで自分のお見合い、受けてみようって思いますよ」
「…」
彼女の言葉の内容もそうだが、何より明るい口調が俺の癇に障り、何だか怒りが湧いてくる。俺はそれを言葉に乗せ、声を荒げた。
「…お前は平気なのか!?自分の惚れている男が他の女と見合いをするんだぞ!?俺は嫌だ!なのにお前は平然としている上俺の事を無視して見合いを受けるのか?お前、酷すぎるぞ!」
俺の荒げた言葉にも動ぜず、彼女は悪戯っぽい表情のまま明るい口調で更に応えた。
「だから断れないお話だって言ったじゃないですか。だったらお見合いそのものを楽しむしかないでしょう?将兄さんも断れないなら、お見合いを楽しむ事を考えてみたらどうですか?とりあえず釣書を読めば、楽しもうって気になりますよ。絶対」
彼女の明るい口調と言葉の内容で俺は頭に血が上り、聞いていられなくなった。俺はその心のままに立ち上がる。
「帰る!」
「…そう」
彼女は俺の言葉に何故かまた悪戯っぽい笑みを見せ、ドアまで直行した俺を見送る。別れ際に発した彼女の「今度はいつ会えます?」という言葉を無視して、俺は彼女の部屋から出て行った。帰り道から俺は彼女の態度が更に腹立たしくなっていく。そしてその腹立たしさのまま眠れぬ夜をうつらうつらと過ごしたら、益々その怒りが増してきた。彼女がそういう態度を取るなら、俺にも考えがある。こうなったらもうどうなってもいい。この話、受けてやる――そんな事を思いつつも、俺はやはりどこか彼女の態度に一抹の寂しさが堪えられず、このやりきれない思いを誰かにぶちまけたくて、守に連絡を取った。
こうして俺は見合いを受ける事にして、俺のオフに合わせて日程を決め、相手側は母親が病身のため表に出られないという両親や、高齢である話の発端になった祖母の代わりに親戚の男性が仲介人となり、その人の段取りの良さもあって、とんとん拍子に会うまでの話が進んでいった。
そしてその見合いそのものが『三つ目の不意打ち』だったと知るのは、俺がその相手に会った時の話である。
『将!お前の見合い相手を決めてきたぞ!』
唐突に掛かってきた電話。その電話口から興奮したじいさんの声が聞こえて来る。しかしその内容は、俺にとってはあまり有り難くないものだった。俺はそれを多少遠慮がちにだが言葉に乗せて、電話の向こうのじいさんに応える。
「何を言っているんですか。俺は見合いなんかしないといつも言って…」
俺の言葉の口調に気付いているのかいないのか、じいさんは上機嫌な口調で俺の言葉を遮ってまくし立てる様に続ける。
『まあ聞け。最近亡くなった儂の古い友人の孫娘が良いお嬢さんだったんじゃ。ごく身内で葬式を済ませたから情報が遅れて儂はそいつの葬式に出られなくてのう、その不義理の詫びも含めて弔問に行った時に丁度来ておったんじゃが、歳はお前より少し下でな、可愛らしいし、気立てもいい。それだけではないぞ。お人形の様なお嬢さんではないし、かといって生意気という訳でもない。本当の意味で自分というものを持った、芯のあるいいお嬢さんじゃ。なかなかおらんぞ、ああいうできたお嬢さんは。将も会えば絶対気に入る』
「…おじいさんの賞賛ぶりは良く分かりました。しかしそんなにいいお嬢さんだったら、俺じゃなくても見合い相手には困らないでしょうし、むしろもう恋人がいるんじゃないですか?」
余りにも相手を褒めちぎるじいさんの様子に、俺はわざと皮肉を込めた口調で返したが、じいさんはそれも気付いていないのか、上機嫌な口調で更に応えた。
『それは悪いと思ったがしっかり確認した。そのお嬢さんはお前と同じ様に東京で一人暮らしをしながら仕事をしているそうなんじゃが、かなり忙しい仕事らしくてのう。そういった縁は全くないらしい。かといって見合いはというと、話だけは沢山あるらしいが、そういうお嬢さんじゃからというだけでなく、分家筋じゃがそいつの家もそのお嬢さんの母君に当たるそいつの娘さんの嫁ぎ先も、ちょっとした旧家じゃからな。最初から家庭に入るのが当たり前、という話ばかりらしくて、仕事を続けたがっているお嬢さん本人が全て断っておったそうじゃ。お嬢さん本人にも聞いたが、『両親から仕事を続ける事の大切さを学んだし、そうでなくても仕事が好きで誇りも持っているから、今の所結婚しても子供ができても辞める気はない。だから断ると分かっているお話は相手に悪いと思うので、最初からお受けしない事にしています』とはっきり言っておったしな』
「だったら尚更です。そういうお嬢さんだったら、社会の事は大分分かっている方でしょう。俺の職業を聞いたら真っ先に断るんじゃないですか?おじいさんの事ですから、俺の話も少しはそのお嬢さんにしたでしょう?」
俺はじいさんの話の不可解な点に気付き、そこを突いてうまくこの話を回避しようと考え、それを言葉に乗せる。しかしじいさんはまるで手柄を上げた様に更に上機嫌な口調でそれに応えた。
『ああ。じゃからそこを儂が説得してな、特別に受けてもらったんじゃ』
「ええ?」
何て余計な事を…俺は受話器の前で内心頭を抱えて沈黙した。俺が沈黙しているのをいい事に、じいさんは上機嫌で話し続ける。
『確かにお前の言う通りじゃ。お前の名前と職業を言ったら『プロ野球選手なら、専業主婦になる女性が一番お望みでしょう。私ではお話になりません』と即答された。じゃがその気風の良さも含めて、あんまりいいお嬢さんじゃったから諦め切れなくてなぁ。儂から『そういう問題はお互い気に入って話が進んだ時に、二人で話し合えばいい。孫もあなたに会えば、あなたの条件をちゃんと考える位あなたを気に入るじゃろう。じゃからとにかく一度会って欲しい。多分あなたも孫の事が気に入ると思う』と売り込んで、会うだけでも会ってもらう様に頼んだんじゃ』
「おじいさん…」
『それでも渋っておったんじゃが、彼女の祖母君に当たる亡くなったそいつの細君が『あなたの気持ちまで汲み取って下さるなんて、今まではなかった本当にいいお話ですよ。私も今となっては何よりあなたの行く末が心配です。私に対する孝行だと思って、今回だけはお受けしなさい』と一緒に説得してくれてのう。彼女も祖母君の言葉は効いたらしい。何しろその日も病気で養生している母君と残されて気落ちしている祖母君を慰めるために、少ない休みを利用してわざわざ東京から神奈川の西末まで戻って来ていた位、家族思いの優しいお嬢さんじゃ。長い間考えておったが、最後には『分かりました。お会いするだけでもよろしければお受けします』と言ってくれた』
「…」
大手柄を立てた様な得意満面のじいさんの言葉に、俺は溜息をつく。じいさんの行動は婚期が遅くなっている現在といえども、この歳で未だに独り身でいる上女の気配すら見えない様に見える俺を気遣っての事で悪気はない事は良く分かっているし、ここまで手放しで褒めているんだ。話半分にしてもその内容を総合的に判断すれば、確かにそれなりに良い女性なのだろう。しかし、どんなにいい条件の見合い話でも俺には受けたくない理由があった。俺はそれを正直に話そうと言葉を発する。
「話からすると確かにいいお嬢さんらしいですし、おじいさんがそこまでしてくれたのはありがたいですけれど、俺は見合いはできません。そのお嬢さんには悪いですがお断りして下さい」
俺の言葉に、じいさんは上機嫌な様子から怪訝そうな様子に言葉を変え、俺に問いかける。
『何じゃ。いいお嬢さんじゃと思うのなら会うだけでも会えばいいではないか。断る理由はないじゃろう?…それとも、儂が知らないうちに誰かいい相手でも見つけたとでも言うのか』
「…そうですよ。今まで言いませんでしたが、俺にはお付き合いしている女性がいます」
そう、お互い忙しくて付き合い始めて一年近く経つというのに、それ程仲が進展していると思えず気恥ずかしくてまだ家族に紹介はしていないが、俺には付き合っている女性がいる。いくらなかなか進展していない様に感じる仲の恋人とはいえ、見合いを受けるという事はその彼女を裏切る事だし、彼女も怒るだろう。いや、それどころか素直で素朴な彼女の性格だ。俺の想いが信じられなくなって悲しむかもしれない。もう少し仲が進展してから家族には紹介しようと思っていたが、彼女にそんな思いをさせたくなくて、俺は何とかこの話を回避するために事実を正直に白状した。じいさんはその言葉に電話口の向こうで一旦沈黙したが、すぐにカラカラと笑って言葉を続ける。
『将にしては気の効いた言い訳じゃな。しかし儂の目はごまかせんぞ。どうせ見合いから逃げたいがための方便じゃろう。最近は中々会えんが、テレビからも、時々戻って来る時の様子からも、お前にそんな女性がおる様には全く見えん』
「嘘じゃありません。俺には本当に…」
『いいいい、お前が見合いを嫌っているのは良く分かっておる。でもな、今回は今までの女性とは本当に違うとてもいいお嬢さんじゃ。いいから会ってみろ』
「おじいさん、だから俺の話を…」
俺は何とかして話を聞いてもらおうと言葉を出そうとする。しかしじいさんはそれを遮って続けた。
『それにな、お前はともかくお嬢さんの方からしたら、お前を気に入れば話は変わるかもしれんが、今の時点では確実に断るのが前提の話じゃから、お前に手間を掛けさせて悪いと相当悩んだ末に会う事を決めてくれたんじゃぞ。お前はそのお嬢さんの気遣いを無視して、そのお嬢さんに恥をかかせる気か?』
「う…」
じいさんの義理人情を絡めつつのある種もっともな言葉に、俺は言葉を失う。じいさんは更に続けた。
『とにかく、これは決まった事じゃ。写真は手持ちが無かったから送れんが、近いうちに追って釣書はそっちに送る。先方は忙しいながらも早めに予定が決まればお前の予定に合わせて会う日を決めてかまわんそうじゃから、しっかり釣書を読んで会う日を決めろ。分かったな』
「…はい」
『とにかく会ってみろ。絶対気に入るぞ』
そこまで言うとじいさんは電話を切った。俺は受話器をしばらく見詰めて深い溜息をついた後、受話器を置く。じいさんの様子だと相当乗り気になっている様で、会う事を断るのは至難の業だろう。かといって彼女に秘密でこっそり会ったとしたら彼女を本当に傷付けかねない。俺はこの話をどうやって彼女に話そうかと気が重くなり、また深い溜息をついた――
二つ目の不意打ちは恋人からだった。
「…はあ、そんな話が出たんですね」
秋季キャンプ前の短いオフの夜、俺は久し振りに恋人に会い、彼女のマンションで食事をした後、彼女が淹れてくれたお茶を飲みながら考えた末、件の話を正直に彼女に話した。彼女は俺の話を怒るでもなく、悲しむでもなく、淡々と聞いていた。俺は重い口調で言葉を続ける。
「…お前の事を話して断ろうと思ったんだが、じいさんが乗り気で全然聞く耳を持たなくてな。ほとんど決定事項だ」
「そうですか…で、釣書は読んだんですか?」
「読む訳ないだろう。俺にはお前がいるんだぞ」
そう言って俺は彼女を抱き締める。彼女は俺に身体を預けながら、甘やかな口調で言葉を紡ぐ。
「そうですか…ありがとう…なのよね、この場合」
「当然の事だ。…しかしお前を裏切る気は全くないんだが、話を断るのはともかく会う事だけは断りきれそうにない…すまん、許してくれるか?」
俺の言葉に彼女は俺の腕の中でしばらく考える素振りを見せていたが、やがて身体を離すと淡々と、しかし悪戯っぽい表情と口調で言葉を返した。
「いいじゃないですか。そんなに良い方だったら折角ですから会うだけでも会ってみれば。とりあえず釣書を読んでみたらどうですか?結構おじい様の言う通り気に入るかもしれませんよ」
「お前、それで本当にいいのか!?」
彼女の想定外の発言に俺の方が驚いた。驚いている俺に、彼女はにっこり笑って更にとどめを刺した。
「そうだ、お見合いって言えば…あたしの方もお見合い話があるんですよ。一旦はきっちり断ったんですが、先方がかなり乗り気で私も断れそうになくて…で、釣書を読んだらいいかなって思って、あたしは会うだけでも会ってみる事にしました」
「おい!」
彼女の爆弾発言に俺は思わず声を上げる。彼女はその様子も気にしない風情の明るい口調で、更に言葉を続けた。
「将兄さんも読んでみます?あたしの所に来た釣書。読んだらすごく驚くと思いますし、きっと将兄さんも釣書読んで自分のお見合い、受けてみようって思いますよ」
「…」
彼女の言葉の内容もそうだが、何より明るい口調が俺の癇に障り、何だか怒りが湧いてくる。俺はそれを言葉に乗せ、声を荒げた。
「…お前は平気なのか!?自分の惚れている男が他の女と見合いをするんだぞ!?俺は嫌だ!なのにお前は平然としている上俺の事を無視して見合いを受けるのか?お前、酷すぎるぞ!」
俺の荒げた言葉にも動ぜず、彼女は悪戯っぽい表情のまま明るい口調で更に応えた。
「だから断れないお話だって言ったじゃないですか。だったらお見合いそのものを楽しむしかないでしょう?将兄さんも断れないなら、お見合いを楽しむ事を考えてみたらどうですか?とりあえず釣書を読めば、楽しもうって気になりますよ。絶対」
彼女の明るい口調と言葉の内容で俺は頭に血が上り、聞いていられなくなった。俺はその心のままに立ち上がる。
「帰る!」
「…そう」
彼女は俺の言葉に何故かまた悪戯っぽい笑みを見せ、ドアまで直行した俺を見送る。別れ際に発した彼女の「今度はいつ会えます?」という言葉を無視して、俺は彼女の部屋から出て行った。帰り道から俺は彼女の態度が更に腹立たしくなっていく。そしてその腹立たしさのまま眠れぬ夜をうつらうつらと過ごしたら、益々その怒りが増してきた。彼女がそういう態度を取るなら、俺にも考えがある。こうなったらもうどうなってもいい。この話、受けてやる――そんな事を思いつつも、俺はやはりどこか彼女の態度に一抹の寂しさが堪えられず、このやりきれない思いを誰かにぶちまけたくて、守に連絡を取った。
こうして俺は見合いを受ける事にして、俺のオフに合わせて日程を決め、相手側は母親が病身のため表に出られないという両親や、高齢である話の発端になった祖母の代わりに親戚の男性が仲介人となり、その人の段取りの良さもあって、とんとん拍子に会うまでの話が進んでいった。
そしてその見合いそのものが『三つ目の不意打ち』だったと知るのは、俺がその相手に会った時の話である。