真夜中に土井垣はふと目を覚ますと隣を見詰め、彼の恋人がそこで寝息を立てて眠っているのを確認する。肌を合わせる、合わせないに関わらず彼女が泊まる時には隣で眠らせ、こうして静かに彼女が眠っているのを夜中にそっと確認するのは、いつしか彼にとって彼女と夜を過ごす時の習慣になっていた。理由の一つはお互いに多忙でこうして二人で過ごす時間が少ないため二人で過ごす時には少しでも傍に置いておきたい、という彼の子供の様な独占欲。そして理由がもう一つ――しばらく見詰めていると安らかに眠っていた筈の恋人が、ふと苦しげにうなされる様な状態になる。彼は『今夜もか...』と思いうなされている彼女を揺り動かし、目を覚まさせる。
「...おい、起きろ...」
彼の呼びかけに恋人ははっと目を覚ますと、隣にいる土井垣を確認してふっと安心した様な溜息をつく。
「...ああ、将兄さんか...」
「そうだ。...お前、またうなされていたぞ」
そう、もう一つの理由はこうして彼女が夜毎うなされている事に気付いたからである。こうして夜を共に過ごす様になって、土井垣は彼女が夜中に頻繁にうなされている事に気が付いた。特に肌を合わせた夜は、必ずと言っていい程うなされる。それに気付いた彼は彼女がうなされてもすぐ起こせる様に隣で眠らせる様になったのだ。うなされた余韻が残っているのか少し沈んだ表情を見せている彼女に、彼は軽い口調で言葉を掛ける。
「まったく...どうせ仕事で失敗した夢でも見ていたんだろう」
「え?...ああ、うん...」
「そうか」
土井垣の言葉に彼女は曖昧な笑みを見せて言葉を返す。このやりとりもいつもの事だ。どんな夢を見ていたか、彼女は言葉を濁すばかりで決して語ろうとしない。しかし彼は自分の掛けたこの言葉が全く違う事どころか、どんな夢を見ていたかまで実は大体予想が付いているのだ。しかし彼女が黙っている以上、それ以上は何も聞かない事にしている。何故なら彼女が見ていた夢は、憶測ではあるが彼女が記憶の奥底に封印した過去に負った心の傷の記憶。しかし彼がその傷の事を知っているのは、その傷の内容を彼の努力の末信頼を勝ち取った彼女の姉から密かに告げられたからで、彼女自身からは今まで一言もその事は語られた事がないのだ。彼女にしてみれば彼との付き合いが始まった当初までは、彼に語る語らない以前におそらくずっとその事は記憶の奥底に封印され、少なくとも意識上は消し去っていたのであろう。しかし彼との付き合いが深まるにつれ、今まで記憶の奥底に封印し消し去っていた記憶が段々と鮮明になってきて、彼と肌を合わせる事によって更にそれが加速しているらしい。彼にとってはその傷の原因は彼女にはない事であるし、そうでなくとも多少の戸惑いはあれどその傷すら愛おしい彼女の一つとして受け入れる事はたやすかったが、彼女にとっては彼女自身が思い出す事も辛い事であるが、誰より一番愛おしい(と自負している)自分にその事を知られるのは耐えられないし、知られる事によってその存在を失ってしまう事を無意識に恐れているだろう。それ程に彼女の負った傷は深いのだ。彼を失いたくないという想いを寄せ、こうして傷を隠そうとする彼女を彼は更に愛おしく思う。しかしこうした彼女を労わってやりたくなり、彼は傷の事には触れない様に彼女に問いかけた。
「...辛くないか」
「え?」
「...いや、いつもこうやってうなされる様な夢ばかり見て」
「...うん、ちょっとは。でもね」
「でも?」
彼女は柔らかい表情ながらも気丈な眼差しで更に言葉を紡ぐ。
「...夢くらいで辛いなんて言ってられないわ。辛い事なんていくらでもあるでしょ。それに辛くたって...それは自分で乗り越えなくちゃいけない事だし」
「そうか...そうだな、お前はそういう奴だ」
彼女は夢の内容については語らない代わりに、話を一般的なものにして自分の思いを語る。そう、身体が丈夫でない上根が素直で人当たりが柔和な分弱いと思われがちだが、彼女の心は決して弱くない。確かにこうして深い傷を記憶の奥底に封印していた様に耐え切れない時には一時逃げる事もあるが、基本的な所では何に対してもひるまず立ち向かい、闘う姿勢とそれだけの強さを持っている。仕事でも、人生でも彼女はいつでもそうしてある意味闘っているのだ。付き合いが深くなっていくにつれ彼はその事を理解してきた。そんな彼女は過去の記憶ともそうして一人で闘うつもりなのだろう。しかし、こうしてうなされる様に彼女自身一人では闘いきれなくなりふっと脆くなってしまう時があるのも確か。だからそういう時には真っ先に彼女を守れる存在になりたいと土井垣は思っていた。彼はその思いのままに彼女を抱き締める。
「でもな...いつも言っているが、辛かったら...俺がいる。その事は忘れるな」
「...うん」
「...ほら、まだ夜が明けるまでは随分ある。こうしているからゆっくり眠れ」
「...駄目よ、これで腕とか肩に何かあったら、あたしチームの方に謝っても謝りきれないわ」
「これなら大丈夫さ」
彼女は職業上スポーツと言うより医療的な立場からこうした行為が負担になる事を分かっているので、どんなに甘い雰囲気になったとしても彼に対して腕枕や抱き締められて眠るなどの行為は決して求めない。しかし彼は彼女に触れていたい一心で色々負担にならない体勢をあれこれと考え出し、これもその一つであった。腕というより身体全体で抱き締める形なので多少彼女にのしかかる体勢になってしまうのは彼女に悪いとは思うが、彼の想いを受け取っているのか、その重さすら彼女は受け入れてくれる。そんな彼女がやはり愛おしく、その愛おしい存在を守りたいと思い、彼はその心をそのまま言葉に乗せる。
「...さあ、朝までゆっくり眠れ。...ここには俺がいるから」
そうして抱き締める彼に彼女は嬉しさと一片の哀しさをたたえた複雑な笑顔でそっとキスをすると、小さな声で呟いた。
「...ありがとう」
彼女はそう言って一息つくと、やがて安らかな寝息を立て始めた。それを確認して土井垣も彼女を抱き締めたまま目を閉じる。夜の悪夢との戦いは一時終っても、夜が明けたら彼女は過去の記憶だけでなく現実世界の医療という場所で闘わなくてはならない。そして彼女と同様、自分もプロ野球という場所で闘うのだ。彼女には照れ臭いので一言も語ったことはないが、彼女の何事にもひるまず立ち向かう姿勢は彼の闘いにも力を与えてくれていた。自分が闘うだけでなく、彼にまでそうした力を与えてくれる彼女に、せめてこのまま夜明けまでは安らかな休息が訪れる様、その休息を自分が与えられる様彼は祈って眠りについていった。
「...おい、起きろ...」
彼の呼びかけに恋人ははっと目を覚ますと、隣にいる土井垣を確認してふっと安心した様な溜息をつく。
「...ああ、将兄さんか...」
「そうだ。...お前、またうなされていたぞ」
そう、もう一つの理由はこうして彼女が夜毎うなされている事に気付いたからである。こうして夜を共に過ごす様になって、土井垣は彼女が夜中に頻繁にうなされている事に気が付いた。特に肌を合わせた夜は、必ずと言っていい程うなされる。それに気付いた彼は彼女がうなされてもすぐ起こせる様に隣で眠らせる様になったのだ。うなされた余韻が残っているのか少し沈んだ表情を見せている彼女に、彼は軽い口調で言葉を掛ける。
「まったく...どうせ仕事で失敗した夢でも見ていたんだろう」
「え?...ああ、うん...」
「そうか」
土井垣の言葉に彼女は曖昧な笑みを見せて言葉を返す。このやりとりもいつもの事だ。どんな夢を見ていたか、彼女は言葉を濁すばかりで決して語ろうとしない。しかし彼は自分の掛けたこの言葉が全く違う事どころか、どんな夢を見ていたかまで実は大体予想が付いているのだ。しかし彼女が黙っている以上、それ以上は何も聞かない事にしている。何故なら彼女が見ていた夢は、憶測ではあるが彼女が記憶の奥底に封印した過去に負った心の傷の記憶。しかし彼がその傷の事を知っているのは、その傷の内容を彼の努力の末信頼を勝ち取った彼女の姉から密かに告げられたからで、彼女自身からは今まで一言もその事は語られた事がないのだ。彼女にしてみれば彼との付き合いが始まった当初までは、彼に語る語らない以前におそらくずっとその事は記憶の奥底に封印され、少なくとも意識上は消し去っていたのであろう。しかし彼との付き合いが深まるにつれ、今まで記憶の奥底に封印し消し去っていた記憶が段々と鮮明になってきて、彼と肌を合わせる事によって更にそれが加速しているらしい。彼にとってはその傷の原因は彼女にはない事であるし、そうでなくとも多少の戸惑いはあれどその傷すら愛おしい彼女の一つとして受け入れる事はたやすかったが、彼女にとっては彼女自身が思い出す事も辛い事であるが、誰より一番愛おしい(と自負している)自分にその事を知られるのは耐えられないし、知られる事によってその存在を失ってしまう事を無意識に恐れているだろう。それ程に彼女の負った傷は深いのだ。彼を失いたくないという想いを寄せ、こうして傷を隠そうとする彼女を彼は更に愛おしく思う。しかしこうした彼女を労わってやりたくなり、彼は傷の事には触れない様に彼女に問いかけた。
「...辛くないか」
「え?」
「...いや、いつもこうやってうなされる様な夢ばかり見て」
「...うん、ちょっとは。でもね」
「でも?」
彼女は柔らかい表情ながらも気丈な眼差しで更に言葉を紡ぐ。
「...夢くらいで辛いなんて言ってられないわ。辛い事なんていくらでもあるでしょ。それに辛くたって...それは自分で乗り越えなくちゃいけない事だし」
「そうか...そうだな、お前はそういう奴だ」
彼女は夢の内容については語らない代わりに、話を一般的なものにして自分の思いを語る。そう、身体が丈夫でない上根が素直で人当たりが柔和な分弱いと思われがちだが、彼女の心は決して弱くない。確かにこうして深い傷を記憶の奥底に封印していた様に耐え切れない時には一時逃げる事もあるが、基本的な所では何に対してもひるまず立ち向かい、闘う姿勢とそれだけの強さを持っている。仕事でも、人生でも彼女はいつでもそうしてある意味闘っているのだ。付き合いが深くなっていくにつれ彼はその事を理解してきた。そんな彼女は過去の記憶ともそうして一人で闘うつもりなのだろう。しかし、こうしてうなされる様に彼女自身一人では闘いきれなくなりふっと脆くなってしまう時があるのも確か。だからそういう時には真っ先に彼女を守れる存在になりたいと土井垣は思っていた。彼はその思いのままに彼女を抱き締める。
「でもな...いつも言っているが、辛かったら...俺がいる。その事は忘れるな」
「...うん」
「...ほら、まだ夜が明けるまでは随分ある。こうしているからゆっくり眠れ」
「...駄目よ、これで腕とか肩に何かあったら、あたしチームの方に謝っても謝りきれないわ」
「これなら大丈夫さ」
彼女は職業上スポーツと言うより医療的な立場からこうした行為が負担になる事を分かっているので、どんなに甘い雰囲気になったとしても彼に対して腕枕や抱き締められて眠るなどの行為は決して求めない。しかし彼は彼女に触れていたい一心で色々負担にならない体勢をあれこれと考え出し、これもその一つであった。腕というより身体全体で抱き締める形なので多少彼女にのしかかる体勢になってしまうのは彼女に悪いとは思うが、彼の想いを受け取っているのか、その重さすら彼女は受け入れてくれる。そんな彼女がやはり愛おしく、その愛おしい存在を守りたいと思い、彼はその心をそのまま言葉に乗せる。
「...さあ、朝までゆっくり眠れ。...ここには俺がいるから」
そうして抱き締める彼に彼女は嬉しさと一片の哀しさをたたえた複雑な笑顔でそっとキスをすると、小さな声で呟いた。
「...ありがとう」
彼女はそう言って一息つくと、やがて安らかな寝息を立て始めた。それを確認して土井垣も彼女を抱き締めたまま目を閉じる。夜の悪夢との戦いは一時終っても、夜が明けたら彼女は過去の記憶だけでなく現実世界の医療という場所で闘わなくてはならない。そして彼女と同様、自分もプロ野球という場所で闘うのだ。彼女には照れ臭いので一言も語ったことはないが、彼女の何事にもひるまず立ち向かう姿勢は彼の闘いにも力を与えてくれていた。自分が闘うだけでなく、彼にまでそうした力を与えてくれる彼女に、せめてこのまま夜明けまでは安らかな休息が訪れる様、その休息を自分が与えられる様彼は祈って眠りについていった。