夏休みも終わった直後、今日は明訓高校の体育祭。元々明訓では進学に力を入れる事と同時に学生の自主性も尊重するため、学内行事にも力を注ぎ、なおかつそうした行事は全て学生主導で行われている。夏休み直後という割と早い時期に体育祭を行うのも受験勉強のラストスパートに入らなければならない3年生のたっての希望で彼らが気兼ねなく参加できるようにという配慮からだった(ちなみに秋に多く行われる文化祭は6月に行われている)。その内容も個性的で充実したものであるが、何より盛り上がるのは体育祭終了後に行われる後夜祭であろう。自由参加であるし、内容としては会場を片付けた後の木を燃やしたファイヤーストームを囲み体育祭内でも踊られる明訓高校名物、オリジナルフォークダンスを踊る程度なのだが、そのフォークダンスも男女のフィーリングが合えば輪から抜け出し、二人だけで踊るという通称『不動の輪』というお楽しみがある。ちなみに不動の輪で踊った男女はそのまま学内でもカップルとして見なされるのでそう何組も生まれるわけではないのだが、明訓内ではバレンタインよりも生徒の恋の告白には持って来いとされ、また在校生と付き合っている卒業生が参加して虫除けに使ったりもしている。前置きが長くなったがこれはそんな後夜祭の一コマである。

「…なあ、山田」
「何だ?里中」
 体育祭の片付けも終わり野球部の合宿で一息入れている山田に、里中が声を掛けた。山田が振り返ると、里中は少し照れ臭そうに上目遣いで山田を見ながらためらいがちに口を開く。
「あの…さ、後夜祭に行ってみないか?」
「別に構わないが…お前むしろ後夜祭は避けてなかったか?」
 そう、人気者の里中は何も知らずに一年の時後夜祭に出て行ってファンの女子達にもみくちゃにされてから、同じ目に合わない様に後夜祭に出るのを避けていたのだ。そうでなくても甲子園から帰って来た直後のこの体育祭は野球部にとってはかなり疲れるもので、体育祭本体にはとりあえず出るものの、後夜祭にはあまり興味もないし面倒がって出ない部員がほとんどであるのだが。その避けている筆頭の里中が後夜祭に行きたがっているのを不思議にも思い、その思いをそのまま表情に表す山田に、里中は照れた笑みを浮かべながら更に続ける。
「ほら…今年は特別だから」
 その言葉に山田は彼の気持ちを察し、言葉に乗せる。
「そうだな。…高校最後の大きなイベントだしな」
「ああ、だから…さ、最後位出てみるのもいいかなって思ってさ…山田と一緒なら安心だし」
「確かに」
 そう言うと二人は笑う。校内で里中単独だと女子がかなり近付いてくるが、山田と一緒の時は何故かそうならない事に二人は気付いていた。二人の関係がばれている訳ではないのだろうが、二人の醸し出す雰囲気から女子達が何かを感じ取っているのは確かだろうとは思う。実は山田から発せられる黒いオーラに女子が身の危険を感じているのが真相なのだが、少なくとも里中はその事に全く気付いていない。とにかく二人で行けば特に騒ぎにもならないのは確かなので、山田は里中の提案に乗る事にした。
「そうだな。…最後くらいきちんと後夜祭に出てみるのも良いかもな。行ってみるか」
「ああ」

 里中は嬉しそうに顔をほころばせると山田の手を引き、後夜祭が行われるグラウンドに足取りも軽く歩いて行く。夕闇が迫るグラウンドに着くとフォークダンスは始まったばかりなのか、参加しやすい様にノリのよい曲がかかっていた。楽しそうに踊る生徒達をやはり楽しそうに見ながら里中が口を開く。
「3年が踊る事になってるフォークダンスを何で1年から習わされるのかと思ってたけど…先生達も結構粋だよな」
「そうだな」
 しばらく二人はフォークダンスの輪を見詰めていたが、ふと里中が何かを決心した様にうなずくと、一つの提案を山田に持ちかける。
「なあ山田…俺達も踊らないか?」
「でも、俺達が入るとなると女子二人連れて来ないといけないんじゃないか?」
 山田のある意味もっともな発言に、里中は少しじれったそうに続ける。
「そうじゃなくて…これ以上言わせるなよ」
 そう言うと里中は顔を赤らめて俯く。里中の言いたいことを理解した山田は、それでも最大の問題点を口に出す。
「…でも俺女子パート踊れないぞ」
 山田の言葉に、里中は少し照れた様な表情を見せながら答える。
「大丈夫。俺が教えてもらって踊れるから」
「里中…何でそこまでしてるんだ?」
 冗談でも女子の様に扱われるのを何より嫌がる里中が女子パートを教えてもらっていた、という事実に山田が素直に驚いていると、里中はばつが悪そうな表情を見せ、応える。
「だって俺、本当はずっと山田と踊りたかったんだ。女子パート覚えるのは抵抗あったけど、これでもう最後だ、って思ったら…そんな気持ち吹っ飛んじまった」
 そこまで言ってばつが悪そうな表情のまま横を向く里中を愛おしいと思いつつ、自分と踊るためにそこまでした彼の想いが嬉しくなった山田は、笑顔で頷いた。
「そうか…里中がそこまでしてくれたんなら…踊るか?」
「ああ!」
 里中は今までで最高の笑顔を見せるとまた山田の手を引き二人で踊りの輪に加わって行く。二人は普通に不動の輪に入って行き、完璧に踊り始めた。いきなり外部から不動の輪に加わり踊り出した人間が現れたのもそうだが、それが男同士であり、何より明訓野球部の黄金バッテリーである山田と里中だと分かると一瞬その場は驚きに包まれる。しかし生徒達は何かの余興だろうと解釈し、何も知らない一部の生徒の中には「夫婦は一回位踊っとかなきゃな!」「よっ、明訓黄金バッテリー!」等とはやしたて始める者もいる。そうした言葉に照れながらも二人は踊るのを止めなかった。

「…うまくいったみたいね。ま~幸せそうに踊っちゃって」
 ダンスの輪から少し離れた所で、女生徒と三太郎が二人の様子を見ながら話している。彼女は委員会が連続で一緒になった関係で三太郎と親しくなっていた女生徒で、今回里中に女子パートを教えた張本人だった。
「あんなにラブラブなのに余興だと思ってるんだから、うちの生徒達もけっこうおめでたいよな」
「そうね~でもまぁいいんじゃない?逆に恋人同士だって思われたら、事実云々以前に大騒動になるでしょうに」
「それもそうか」
 おかしそうに笑う三太郎を見て、女生徒は苦笑しながら言葉を続ける。
「…でも、ほとんど面識ない里中君が真剣な顔して『フォークダンスの女子パート教えてくれ』って言ってきた時には、何の冗談かと思ったわ。君からあたしを勧められたって聞いて、君からも裏取ってやっと本気だって思えたくらいだもの」
「里中相手に騒がないで対応できて、しかもちゃんとダンス教えられる女子って言うと君位しか思いつかなかったもんでね」
「褒められたんだかけなされてるんだか…でも困ったわよ~どうやって女子パート教えていいのか」
「…俺はここに来る前の話だから良く知らないけど、里中の『フォークダンスブチキレ事件』って結構有名らしいもんな」
 そう、一年の時最初のフォークダンス練習で、体育教師に「うちは男子が多いしお前小さいから女子パート覚えるか?」と冗談交じりに言われた里中は、キレてもう一歩でその教師を叩きのめしそうになった事があったのだ。その時は山田が必死に止めて事なきを得たが、その話は『フォークダンスブチキレ事件』として学校中に広まり、それ以降里中にその手の冗談は禁句、という暗黙の了解ができていたのだ。そういう雰囲気の中で三太郎が里中に彼女を勧め、それを聞いた彼女もこの件を引き受けたのは、彼女がそれ程詳しくはないが二人の関係についての噂を耳にしており、三太郎からそこそこ裏を取りつつ彼から里中の扱い方を学習していたからこそである。
「まあ、里中君としてはどうしても山田君と踊りたかったのね…でも」
「でも?」
 踊っている山田と里中の様子を見ながら、彼女は呆れた様に口を開く。
「君のアドバイスに従って正解。あたし、二人を甘く見てたわね」
「だろ?わざと適当に教えてハプニング起こそうなんてあいつらには危険すぎ」
 鋭い人なら気付くであろう踊る二人を包む甘い雰囲気に、彼女は軽い溜息をつくと更に続ける。
「完璧に覚えさせてあれだけ甘々な雰囲気なんだから、本当にハプニングが起きたら…他のカップルがかすんじゃうわねぇ…」
「っていうより完璧に二人の世界になっちまって他の奴らはいづらくなるだろうな」
「あはは…そうかも」
 二人はそうなった時の事を考えて乾いた笑いを上げる。幸せそうな二人を苦笑しながらも楽しそうに観察している彼女に、三太郎はいつもの読めない笑顔のまま軽い口調で声を掛ける。
「…どう、俺達も一緒に踊らない?里中の練習の時見本に散々踊った仲だし」
 三太郎の提案に彼女は更に苦笑して『勘弁』という感じで片手を上げる。
「冗談。君のその手のシャレはシャレにならないの。里中君の親衛隊が一番有名だけど、君のファンも本当は結構怖いんだからね。お断りします」
「へぇ…そりゃ残念」
「…でもまあ、今回これをあたしに振ってくれた事は君に感謝だ。受験ラストスパート前に楽しませてもらったわ」
「どう致しまして…じゃあそろそろ生徒会と放送部にどんどんロマンチック系の曲を続ける様に提案しますかね」
「そうね。せっかく苦労したんだし、ラブラブな二人をしっかり拝ませてもらわなきゃ」
 二人は笑ってハイタッチすると、しっかりカメラを用意して生徒会のいる放送席の方へ歩いて行く。件の二人は後夜祭が終わるまで飽きる事無く幸せそうに踊っていた。