――今年もまたやって来る、私が生涯最大の過ちを犯した日が――



 あの方がこの世を去ってから、毎年この日が近付く度に私の心は張り裂けそうになっていた。

――なぜ私はあの時にあのお方のお側を離れてしまったのであろう?なぜ無理にでも付いて行かなかったのであろう?あの方は私にとってすべてだったのに…そのすべてを守るためには何もかもを捨て、付いて行くべきだったのに…なぜそうしなかった!?――

 あの方と離れ、亡命先であの方がパリへ連れ戻された事を知った時、私は私の過ちを悔やんだ。そして悔やみながらも何とかあの方を救い出そうと精力を尽くした。『まだ希望はある。私が今こうしているのはあの方を救い出せという神の思し召しなのだ』…そう信じて。しかし希望は打ち砕かれる。誰もあの方に手を差し延べてはくれなかったのだ。あの方の身内ですら…。その現実はあの日に付いて行かなかった悔恨をさらに深め、私を絶望の淵に突き落とした。

――神は私に何をさせたかったのだ?あの方がすべての人間に見捨てられ、屈辱と絶望の中で私の手の届かない遠くへ旅立って行くのを見届けろという事だったのか?それは余りにも残酷だ――

 あの方が処刑されたと聞いた日から私の時は止まり、心は凍り付いた。あの方の物は私にとって神聖な物に思え、私はあの方の思い出になるものをすべて買い集めてみた。しかしいつしか所詮これらはあの方の抜け殻でしかない事に気付く。心の空虚を埋めるために何人かの女性とも関係を持った。しかしどの女性もあの方の身代わりでしかなく、空虚は埋まるどころか逆に広がるばかりだった。外交使臣として彷徨う魂のままに諸国を回り、名声を、そして元帥の地位を得、王の最も勢力ある顧問と言われる身となった。しかしそれが何であるというのだ。あの方がいなければこの様な地位など何の意味もないのだ。

――そう、この世の栄華など私にはもう意味がない。私が命を懸けて望んだものはもう私の手の届かない所へ行ってしまったのだから――

 ただ一度だけ、凍り付いていた私の心が溶けかかった事があった。あの方の故郷であの方の遺児に出会った時だ。しかし私が彼女に声を掛ける事などは許されるはずもなく、向こうからも声を掛ける事はない。それでもいい。私は彼女の側にいたかった。しかし周囲は私が彼女の近くに滞在することすら歓迎せず、私は彼の地を後にした。そして心はさらに冷たく凍り付いていった。私は凍り付いた心ですべてを憎んだ。あの日あの方に付いて行かなかった自分自身を、あの方に手を差し延べなかったあの方の一族を、そして何よりもあの方を無残にも処刑した民衆を!――何が自由だ、何が平等だ、何が博愛だ!そんなものが本当にあの方を死なせる理由となり得たのか?

―否!―


 あの方は死ぬ必要はなかったはずだ!…そうだ、血に飢えた民衆がその欲望を満たすためにあの方を犠牲としたのだ!私は民衆を憎み続けた。憎み続けることでしか生きる理由を見出だせずにいる自分自身をも憎みながら――

――なぜ私はすでに抜け殻と成り果てているこの身でながらえているのであろう?
なぜ自ら命を絶つ事ができないのであろう
――



 そしてまた今年もこの日がやって来る。張り裂けそうになる心を抱えた私は、少し前に突然崩御された王太子殿下の葬儀についての話とともにある話を聞いた。私が向こうを憎むのと同様に私を憎んだ民衆が、『私が王の地位を得るために王太子を毒殺した』という噂をまことしやかに流しているという話だ。そしてこの噂がストックホルム中に広がっているとも。その話を聞いて私は歓喜に打ち震えた。

――やっと、すべてが終わるのだ。しかも私の望んだ形で――


 分かっている。この噂を聞いた民衆が私に対して殺意を抱くであろう事も。そして葬儀の日に私の姿を見たならばその殺意のままに襲いかかり、私の命を奪うであろう事も。凍り付いた心のまま冷たく振る舞う私をそれでもまだ『友人』と呼び好意を寄せてくれる者達は『葬儀には参列するな』と忠告してくれた。しかし私は行くであろう。彼等が阻止しようとしている事こそ私が望んでいた結末だからだ。それだけではない。何より葬儀の日は私が悔やみ続けたその日なのだ。この事を知った今では、年月は隔ててしまったが永年の私の望みがかなう日がやっと来ようとしているのがひしひしと感じられ、不思議と穏やかな気持ちでその日を迎えようとしている自分がそこにいる。

――あの日あの方から離れ、ながらえてしまったこの身は今でも恨めしいが、その苦しみもやっと終わる。
しかも私の人生でもっとも大きな過ちを、その過ちを犯したその日に償わせてもらえるとは
なんと幸せな事であろう!神よ、感謝します
――








――一八一〇年六月二十日、ハンス・アクセル・フォン・フェルゼン死亡(享年五四歳)。惨殺されたその骸は、無残にもストックホルム市庁舎前に打ち捨てられる形で横たわっていたという――