「…まさかこの様な所でお前に会うとはな…」
 彼は自分の傍らに立つ者に言った。そこにいるのは涼しげな瞳をした端正な顔だちの若者。
「十年振り…か。久しいな、薫…」
「お久し振りです、柴舟殿…」
 柴舟はそう言って会釈する薫をしばらくじっと見詰めると口を開く。
「変わったな」
その言葉に薫も穏やかに微笑んで口を開く。
「あなたはちっとも変わっていらっしゃらない」
「…それを言うな。しかし本当だぞ、かつての殺気に満ちていたお前とは見違える程穏やかになった」
そう言うと薫は微笑んだまま言った。
「ええ、守るべきものがありますから」
「そうだったな…」
 二人の間をさやさやと風が吹き抜けていく。通り抜けていく風を二人は感じた。
「それにしても何故この様な所に…お前からの葉書にはお前の雅号しか書かれておらなんだし、『八神家の当主一家は行方知れず』とも聞いていたのだが…」
「それは父と私で流した狂言です」
「父…と言うと先代か、しかし何故…」
「一族から身を隠すためです、子供達を守るために…」
「どういう事だ」
 柴舟が尋ねると、彼は表情を曇らせる。
「子供達の能力です…。二人とも計り知れない能力を持っています…かつて私達一族があなた方と袂を分かった頃、いえ、もしかするとそれ以上の…」
「それだけではないだろう、でなければ身を隠すなどあの先代が許すはずがない。ましてそれ程の能力ならば尚更だ」
「お見通しですね、やはりあなたにはかなわない…問題はその能力の事です。私達はオロチの血が流れている為に純然たる『封ずる者』としての能力は無いはず…しかし、あの子達は違った…それぞれの能力が分裂しているのです。その上能力も不安定でどちらに落ち着くか分からない…そんな子供達を一族が放っておく訳がないでしょう…」
「愛する子供達を一族の思惑に巻き込みたくない…か。儂とて同じだ…いいや、子を持つ親なら皆そうであろう」
「そうですね…」
 柴舟の言葉に薫は一瞬微笑んだが、その表情はまた曇る。
「どうした、薫」
 薫は少し考えると、思い切った様に口を開いた。
「子供達を狙っているのは一族の者ばかりではありません…。どこで知ったのかある者達が私達のもとを尋ねて来ました…」
「『ある者達』…?」
「八咫一族です」
「何?」
 その言葉を聞くと柴舟は怪訝そうな表情を見せる。
「…ふむ…あの者達が出て来るとは珍しいの」
「大方今のうちに『封ずるもの』として育ててしまいたいのでしょう、『子供達を我らの元へ渡せ』と…」
「それでその様な狂言を…」
「はい…息子は自分の能力が制御できず怯えています。そして娘も二つの相反する能力に身体を侵されているのか、病弱で…その様な子供達をあの者達に渡したらどうなるか…」
「そうだな…」
 柴舟はうなずいた。彼も八咫一族のことは知っているので薫の懸念が良く分かるのだ。
「しかし、心配しても始まらん。それに身を隠しているのだ。そう簡単には見付かるまい」
「そうですね…」
 薫は微笑むと、ふと思い出したように口を開く。
「…そういえば、この間あなたの息子さんに会いましたよ」
「では、倅が言っていたのはやはりお前だったか」
「はい、しかしいいお子さんだ。まるで太陽の祝福を受けた様な…きっといい跡継ぎになります」
「いや…儂にしてみればまだまだひよっこだ」
 そう言う柴舟に薫はからかうように言葉をつなげた。
「そう言っている内にいつの間にか子供は親を越えてしまうものですよ」
「そんな事お前に言われんでも分かっている。…しかし、お互いどれほど離れようとしても必ず出会う…これも縁か…」
「そうですね…」
そこで二人は沈黙する。
「…それで、どうするのだこれから」
 しばしの沈黙の後、柴舟は薫に尋ねる。薫はふと真剣な顔になり答えた。
「息子には八神流古武術を教えています。あの子も自分にとって大切な者を守るために能力を使う事を知れば、自然と能力は落ち着くでしょう」
「娘の方は…」
「あの子には八尺瓊勾玉を与えました」
「ほう…ではやはり巫女として育てるのか」
「ええ、万に一つの掛けです。勾玉があの子を巫女として認め、その能力を抑えてくれるのを祈るだけです。もちろん身を守る事も考えて武術も一通り教えはするつもりですが…」
「そうか…」
 うなずく柴舟に薫は真剣な表情のまま言葉を続ける。
「…とはいえあなた方と出会ってしまったとなると、ここに隠れている意味がなくなるかもしれません。息子達には悪いと思いますが本格的に身を隠さねばなりませんね…」
「うむ…儂らや父達はともかく、他の一族の者に見付かるとまずいしな…いや、『木を隠すなら森の中』とも言う。このままここにいたらどうだ」
「いえ、しかし…」
 ためらう薫に今度は柴舟が言葉を続ける。
「下手に動くよりその方が安全だ。儂の家内は医者だし、お前の娘も診てやれるかも知れん」
「…そうですね…その方があの子達のためにもいいかも知れませんね」
 微笑む薫に柴舟も笑って口を開く。
「それに儂等もお前の子供達に会いたいのだ。大丈夫だ、一族の目は儂と父で何とかする」
「ありがとうございます…息子もあの子に会いたがっていますし、連れて参りましょう。ハナタレ息子と我儘娘ですが…」
 お互い顔を見合わせて笑う。と、柴舟がふいに真顔になる。
「…子供達には家の対立など気にせず育って欲しいものだ。いや、そう育てねばなるまい…お前達に…いや儂達にとってもな」
「ええ…私と桐子の様な思いはもう誰にもさせたくありません」
 柴舟はふと空を仰いだ。彼らの過去の出来事を回顧する様にその目に懐かしさと哀しさをたたえて―
「争うも縁、朋友となるも縁…」
「そして愛し合うのも縁…ですね」
「しかしその縁を作るのは人の心…運命とて同じ…一族の者達も八咫の者達もそれを分かっておらん…いや、忘れておるのだ。愛し合う者達が一族の思惑で祝福されぬなど、あってはならんことなのに…な」
「そうですね…義兄さん…」
 また静かに風が二人の間をすり抜けていった。