それは不思議な夢だった。

 私はどこか知らない所にいる。全く知らない場所なので私はとまどう。…かと思いきや私は不思議と落ち着いていた。何かが降ってきた。…雪…?…花…?…分からない…


――けいどの――


 どこからか声が聞こえた様な気がした。周りを見回すといつの間に来ていたのだろうか、男の人が微笑んで立っている。長いストレートの髪で時代劇に出てくるような格好、しかも刀まで持っていた。私はその人のことを知らないはずなのに、とても懐かしい感じがした。


――けいどの――


 その人がもう一度私を呼ぶ。でも私の名前は『けい』ではない、でもどうしてかそれは私のことだと思えた。

 
――右京様――


 私もその人の名前を呼んだ。全く出鱈目に言った名前のはずなのにこの名前だと妙な確信が持てる辺りがさすが夢と言うところか…。その人が微笑みながら私に両腕を差し出す。私は何故か涙をこぼす。嬉しいのに後から後から涙がこぼれてくる――

「ゅ…繭!起きなさい!」
 びっくりして飛び起きると、そこは見慣れた自分の部屋である。繭は大きく伸びをした。 ―夢だったんだ…それにしても変な夢だったなぁ――ってふと枕元の時計を見ると…
「八時半ーっ!?やだ今日の予定が狂っちゃうじゃないのーっ!」
 私は慌てて下の台所へ降りて行った。

「おはよ…」
「おはよ、お姉ちゃん」
「どうしたの?『今日は早く起こしてくれ』って言ってた割に、いくら起こしても起きないんだもの」
「んー…ちょっと夢見が悪くてね。…あれ?お父さんは?」
「朝釣りに出かけたわ。そろそろ帰ってくるんじゃないかしら」
「へぇ、お姉ちゃんにもそんなデリケートな所があったんだぁ。ねぇねぇどんな夢だったのぉ?」
 パンをかじりながら妹の静樹が聞く。まさかあんな夢のことを言う訳にもいかない。言ったところで笑われるのが関の山である。
「どうだっていいじゃないそんな事…あれ静樹どうしたの、めかしこんじゃって」
「えっへっへ〜、今日は雄哉さんとデートなんだぁ☆」
「まったく、みんなあのがさつな剣道部主将のどこがいいんだか。確かにスポーツ万能で成績もそこそこ、ルックスもまあまあいい方だけどさぁ。何より幼馴染みとはいえ並いるかわいい女生徒には目もくれずあんたなんかと付き合ってる事が一番信じらんないわ」
「だって雄哉さんて真っすぐでさっぱりしてるじゃない。結構あれで優しいところもあるし…」
「あ〜らその『真っすぐな人』に小さい時しょっ中泣かされてたのは誰だったっけ?」
「ひっど〜い!」
「姉ちゃん、それ彼氏のいない人間のひがみにしか聞こえねぇぜ」
 今まで二人のやりとりを聞いていた少年が茶々を入れた。静樹の双子の兄である。
「緋佐志、言いたい事があったらちゃんと言いなさいよ」
「ほんとに言っていいか?」
「だから何よ、気になるわね」
 彼女が聞くと、彼はからかうように言葉を返す明らかに今の状況を楽しんでいる感じだ。
「そりゃーね、妹が先に彼氏作ったのは屈辱かもしんないけど、だからって八つ当たりはフェアじゃないって事。こういうのは運とか時期ってのもあるんだからさぁ」
「緋佐志!」
「あーはいはい、図星だったみたいっすね。ま、気にすんなよ。…おっと、んじゃ俺出かけるわ」
「何よ、あんたも出かけるの」
「部活の連中と遊びにね。いけね、待たせたらおごらされちまう」
「それじゃあたしもそろそろ時間だから、行ってきま〜す」
「行ってらっしゃい。夕飯までには帰ってらっしゃいね」
 騒がしい二人が出て行くと急に台所が静かになった。
「さて…と、あたしも出かけるか」
「大丈夫?お友達と待ち合わせとか言ってたのに」
「うん、先に行って他の花壇の手入れもしとこうと思っただけだから」
「大変ねぇ、園芸部も」
「いーのいーの。あたしが趣味でやってるんだし、先生達も自由にやらせてくれるしね」
「そーお?じゃ、行ってらっしゃい」
「行ってきます」

「へぇ〜、そりゃ災難だったねぇ」
「…あんた達、本気でそう思ってる?」
「やぁねぇ、そんなに自分の友人達が信用できないのぉ?」
「そう言ってる割には楽しそうに見えるしね」
「え?あはは、ばれたか」
「…もう、あんた達に喋ったあたしが馬鹿だったわ」
 そう言うと繭は大きな溜め息をついた。彼女が夢の話をしたのは雪乃、美園、加菜子の三人である。この三人と繭は高校に入った頃からの付き合いで、園芸部の部員でもある。三人とも気はいいが、少々お調子者であることが玉にキズといったところか…。
「でも、ほんとは内心彼氏欲しいからそんな夢見たんじゃないの?」
「さ〜ね。もうこの話はやめやめっ!さっさと植え代えすませちゃお」
 そういうと繭はてきぱきと作業を再開した。三人は溜め息をつく。
「…これだもんねぇ」
「結構もてるのに男には見向きもしないで花の世話ばっかり。だから『花咲か娘』なんて言われるのよ」
「いいじゃない、好きなんだから。それにさ…」
「それに?」
「…何でもない」
「あー、ずるーい!言い出して引っ込めないでよぉ!」
 彼女は口が裂けても言えなかった。この三人に言ったら絶対に笑われる。笑われるだけではなく話のタネにされるに決まっている。と、雪乃が思い出したように口を開く。
「あ、そう言えばさぁ…」
「何?」
 繭は話題が変わった事を内心喜びながら聞いた。
「さっき、職員室の方にさぁ…」
「ああ、あれでしょ!」
「うん、見た見た!」
「何を見たのよ」
 浮かれた調子で話を合わせる美園と加菜子に一人だけ分からないでいる繭は聞く。三人は『待ってました!』とばかりに答えを口にする。
「かっこいい男!」
「この辺りじゃ見掛けない顔だったから、転入生じゃないかなぁ」
「へぇ、珍しいわね。転入生なんて」
 繭が言うと三人はにんまりとした顔で彼女を見た。
「何よ」
「と、言うわけで…」
「ちょっと見てくるねぇ」
「ちょ、待ちなさいよ!植え代えはどーすんのよ!」
「すーぐ帰って来るから!休憩、休憩!」

「まったく、す〜ぐサボリたがるんだから…」
 一人でぼーっとしているのもつまらないので彼女は一人で作業を続けていた。
「『花咲か娘』…かぁ」
 確かに彼女の花好きは学校中で有名であった。入学した当時ほとんど休部状態であった園芸部を復活させたのは彼女の功績であるし、荒れていた花壇を綺麗に整備をしたのも彼女である。
「でも言える訳ないしなぁ…『花が会いたい人に会わせてくれる気がする』…なんてさ」
 そう思う様になったのは何時の頃からだったのか、彼女にもはっきりとした記憶はない。しかし花を世話しているとそんな気がするのだ。何か大切な事を思い出しそうな、懐かしい誰かに出会わせてくれそうな――そして一時作業をしてふと手を休めて顔を上げると、植えてあるさんざしの木陰に人が見えた。自分と同い年位の少年。長身で襟足で切り揃えた黒髪のその少年に、彼女は何故か夢の中の青年がだぶって見えた。少年も彼女の視線に気付いたのかこちらを振り向く。一瞬二人の視線が絡み合い彼女は硬直する。
「右京様…」
 気が付くと彼女は夢で言った名前を口走っていた。少年も何事か呟くと彼はこちらに近付いて来た。
「あ…ごめんなさい」
「一人でやってるんですか?」
「えっ?…あ、ああ、他の人達は来てるけどいないだけで…」
「大変でしょ?俺にも手伝わせてくれませんか」
「え、でも…」
 少年の人懐っこい態度に戸惑っていると、その様子に少年も気が付いたらしく、頭をかいた。
「あ、ごめん。俺のこと何も言ってなかったもんな。俺は今度からこの学校の二年に編入することになった河村樹って言います。樹木の樹で『たつき』っていうんだ」
 はにかんだ様に笑いながら、少年は言った。
「珍しい名前ね。あたしは霧原繭。あなたと同じ二年です。じゃ、あなたが雪乃達が騒いでた人か…」
「えっ、俺何かしたかな…」
「あなたを見に行っちゃったのよ、他の人は」
「へぇ、光栄だな」
「でもあたしは迷惑してるんだから、そうと分かったら働いて貰いますからね」
「望むところです」
 そこで二人は笑った。繭は彼の好意に甘えて作業を手伝ってもらうことにしたが、作業を開始してみると樹は思っていたより手際がいい。繭は感服して樹に聞く。
「河村君、手際がいいわね。前にこういうのやってた事あるの?」
「樹でいいですよ。実は俺、前の学校で友達と一緒によく校長先生の庭いじり手伝わされてて…それにこういうの嫌いじゃないし。そういう霧原さんこそ上手いじゃないですか」
「あたしはこれが好きで昔からやってるから」
「そうなんですか…」
「あーっ、ずるーい!」
 急に頭上から声がする。驚いて二人が顔を上げるとそこにはむくれた顔で雪乃達三人が立っていた。
「何で繭がその人と一緒にいるのよ!しかも和んじゃってさぁ」
「何言ってんの、勝手に見に行ったのはどっちよ」
「そうだけどぉ…」
 不満そうな顔でいる三人の背中を繭は笑って叩く。
「心配しなさんな、この人うちの新入部員に決定したから」
「えっ!本当!?」
「本当よ、いいわね?河村君」
「ええ、俺もここが気に入りましたから」
 樹は微笑んだ。三人は喚声を上げる。
「やったー!あ、あたし向川雪乃。よろしくね」
「あたしは輿水美園よ」
「それであたしが粂川加菜子。よろしく!」
「あ、ああ…俺、河村樹です。よろしく」
 次々に自己紹介と握手をされて少々へきえきしながら樹は自分も自己紹介をする。繭はそれを見届けると声を上げた。
「さぁ!残りの植え代えを済ませちゃお!終わったら河村君の入部祝いをするんだから」
「オッケー!」
 今度は喜々として作業を進める三人。繭はあきれたが、いつまでも休んではいられないので自分も作業を開始する。こうして全員が頑張ったおかげで作業は早々に終了した。
「さて…、作業も終わったし今度は河村君の入部祝いに移りますか。河村君、これから大丈夫?」
「はい、俺ならいいですよ」
 樹は繭の問いに笑って答えた。
「ねぇ、この近所にいいお店が出来たの。行ってみない?」
「ああ、あそこね。いいんじゃない?」
「河村君もきっと気に入るわよ。じゃ、早く行こ?」
 三人はすっかり樹にくっついている。繭はその様子を遠巻きに見ながら一人考えていた。


――どうしてあたしは彼のことを夢の中で見た人だと思ったんだろう――


「繭、何考え込んでるのよ。早く行こ」
「えっ?…ああ、うん」
 美園に声を掛けられて繭は一瞬我にかえるが、やはり気になり立ち止まって考え込んでしまう。と、繭の耳元で声がした。
「さ、行きましょうか。『けいどの』」
「え?…」
 その言葉に繭が顔を上げるとそこには樹が微笑んで立っていた。
「河村君…あなた…」
 繭は驚いて樹を見詰めるが、樹はただ微笑んでいるだけである。と、遠くから三人の声がした。
「繭ー!河村くーん!早くしないと先に行っちゃうよー!」
「あ、うーん!今行くー!」


――そうだ。今は考えるのをやめよう。
彼とは確かに縁があったかもしれないけど、今は違うんだ。
だからまた新しい関係を作っていけばいい
――


「さ、行こうか河村君」
「ええ」
 そう言って二人は微笑み合うと先を歩く三人の方へ走っていった。