「…で?あの人は何て言ってたの?」
「ああ、『色々準備があるからしばらくは帰れない、後の事は任せた』…だそうだ。かなり張り切っていたな」
「ふうん…そう」
黒髪に黒い瞳の男性の言葉に、濃いブロンドの髪にすみれ色の瞳の女性はそう返すと小さく溜息をついて、自分の紅茶に口をつける。男性の名前はエルンスト、女性はルイーゼ――二人はこの屋敷の執事と女中頭であり、話しているのは昔の仲間に呼び出され宇宙へと旅立って行ったこの屋敷の主人である青年――通称ブロッケンJr.と呼ばれている――についてである。ルイーゼは更に続けた。
「…でもねぇ、いい歳して『アイドルになる』って大張り切りっていうのも何だか。…まあ確かに美形なのは認めるけど、もうちょっと歳相応に落ち着いて欲しいわよねぇ」
「まあ、何事にも退屈していたあいつがやる気になったんだ、応援するのが俺たちの役目…」
空々しい言葉を紡ぐエルンストにルイーゼは畳み掛ける。
「じゃあ、成功するかどうかあたしと賭ける?」
「それは…やめておく」
ルイーゼの言葉にエルンストは片手を挙げる。表面上は青年を応援する様な言葉を出したが、実際の所二人の意見は完全に一致しているのだ。気まずい沈黙が二人を覆ったが、エルンストが一口紅茶を飲んで改めて明るく口を開く。
「…まあほら、あいつの退屈がしばらくまぎれればいいじゃないか。今の所屋敷や国内であいつの手を煩わせる様な事はないしな」
「そうよね、要はあの人がやりたい事を見つけた事が重要なんだし、この際成功するかは話が別って事で…」
「そうそう」
二人は笑った。表情は引きつり、笑い声は乾いていたが。
それから二人はしばらくの間青年が屋敷を空ける時の通り、屋敷の管理や事務処理などをこなしながら忙しい日々を送る。青年からは毎日の様に星間電話が入って来た。『今日はダンスを覚えた』『歌が決まった』『衣装合わせがあった』エトセトラエトセトラ…瑣末な事を取りとめもなくだが、心底嬉しそうに話している青年の様子をそれなりに喜びながらも、エルンストは『インターネットとメールの使い方を教えておけば良かった…』と思っていた。何しろ、星間電話は国際電話以上に料金が高い。しかもお坊ちゃん育ちの青年には、コレクトコールなどという高等な技術は分からないし、知る由もない。いくらキン肉族の王家が指折りの資産家だからといって、ここまで毎日長電話をされてはかなり痛いであろう。受ける側のこちらには関係ない事とはいえ、向こうの財務管理をする者は悲鳴を上げているのではないかと、彼は同業者として同情の気持ちを寄せていた。実際、ブロッケンJr.の電話代で王家の年間予算の3分の2をゆうに超えてしまい、財務大臣はあまりのショックに悲鳴も上げず昏倒していたのであった。
そして時は流れ待望のデビュー当日。ブロッケン邸では広めの応接間に大きな液晶画面を用意し主人のデビューコンサートの衛星放送が始まるのを今か今かと待っていた。応接間には屋敷の使用人が主人の晴れ姿を一目見ようと黒山の人だかりになっている。女中一同に至っては親衛隊のごとく騒いでいた。そうした様子に苦笑しながらエルンストとルイーゼは一番後ろに控えてぼそぼそと話していた。
「…なかなか気がきくじゃない、こういう方法思いつくなんて」
「まあな。使用人連中が『ご主人様のデビューコンサート絶対に見せて下さい!』って言って聞かなくてな。ならいっその事全員見られる方法をって考えたんだ…それに」
「それに?」
「俺があの会場に行かなくて済む方法を考えたらこうなったんだよ。機械の管理と操作は俺がやってるからな」
「あっそ…でもありがと」
「何で『ありがとう』なんだよ。お前も会場に行けなくなったのに、いいのか?」
「いいの。あたしも実は行きたくなかったのよね、現場には。だからこうして行かなくても不審がられないで済む方法考えてくれたあんたにはお礼だわ」
「お前な。…でもお互い考えは一緒か…」
そう言うと二人は顔を見合わせため息をついた。実は二人にはブロッケンJr.からチケットが届いていたのだが、二人とも『屋敷の留守居役や管理があるから行けない』と断っていたのだ。しかし実際の所は主人であり、親友である青年のある意味恥ずかしい姿を生では見たくないという考えが二人とも働いていたのが断った大方の理由である。そして何より今回のメンバー全員、特にリーダーの男――を熟知している二人は、あのメンバーで普通に事が進むはずがない、何か厄介事に巻き込まれる位なら最初から避難しておこうという意識もあった。まあ後者の考えは取り越し苦労であって欲しいと思っていた二人ではあったが…と、時間になりコンサートが始まった。女中達が黄色い声を上げ、男性の使用人も負けじと盛り上がって歓声をあげる。最初からブロッケンJr.のソロだったため、女中達はご主人様の晴れ姿に黄色い声を上げながら画面に見入っているが、ルイーゼは彼の歌っている歌を聴きながら怪訝そうな表情を見せ、エルンストに囁く。
「…ねぇ」
「…何だ?」
「あたしアイドルの歌ってあんまり聞かないんだけど…みんなあんな訳わかんない歌詞な訳?」
「う~ん…何とも言いがたいな…」
彼らが歌っている曲の歌詞は何故か全て日本語である。日本語を知らない他の女中達にはメロディーのせいもありかっこよく聞こえている様だが、仕事の関係上日本語も堪能である二人にはその歌詞が理解できてしまう。しかも特に歌詞をよく聞いて意味を考えるタイプであるルイーゼにとっては彼らの歌っている歌が『訳の分からない変な歌』にしか聞こえないらしい。ルイーゼの問いにエルンストも首を捻る。
「よく分からないが…もしかしたら、日本語だから日本ではあれがかっこいいのかもしれないな」
「ふぅん…変なの」
こうして同じ場所ながら使用人達と二人とではベクトルがかなり違う方向でコンサートを見ていると、突然絹を裂くような悲鳴の数々が応接間中に響き渡った。何と、リーダーであるソルジャーが業火のクソ力で衣装を燃やしてしまい、マスク以外一糸まとわぬ姿になった所がアップで映ったからである。もちろん生放送なので修正などはないのだから女中が叫ぶのも無理はない。その場は他のメンバーの友情によるフォローで何とか乗り切ったが、エルンストは内心『やっぱりやらかしたか…』と溜息を付いていた。まあ唯一の救いはやらかしたのが自分の主人でなかったということだろうか――
そしてステージが休憩に入ると、女中達は口々に話し始める。
「あ~ん、やっぱりご主人様かっこいいわよね~」
「あら、あたしはニンジャさんが素敵だと思ったわ」
「あたしは断然バッファローマン様!ああもう!」
「あちゅらちゃんだって色っぽかったじゃない!」
「…でも、一番すごかったのは…ねぇ」
女中達は先刻のハプニングを思い出して頭を抱える。アップですごい物を見てしまったと思う反面、あれが自分のごひいきのメンバーだったらな…という考えが、彼女達の頭の片隅にあったのは否定できない。男性陣は男性陣で先ほどの映像に青ざめながらも、『やっぱ超人っていい身体してるよな…』と別の意味で感心してぼそぼそと話している。そうした様子を見ながら二人は主人であり、親友である青年の株が落ちていない事を確認して安心しながらも、残りのステージは何もなく過ぎて欲しいと心の底から祈る。
しかし二人の祈りは天には届かなかった。
「やっと最後の曲みたいね…」
「ああ、多少のトラブルはあったが、何とか無事に終わりそうで良かった」
「そうね。さすがに最後くらいは普通に締めるだろうから、もう大丈…」
そう話していた矢先、またもや悲鳴の数々が応接間中に響き渡る。二人がはっとして画面を見ると、そこにはふんどし姿でステージに上がっている自分の主人を含めたメンバー一同。しかも自分達の主人である青年はトレードマークの軍帽もなく、愛らしい坊主頭を晒していたのだ。今まではある意味大らかに(半分諦めていたのもあるが)鑑賞していたルイーゼも今の彼の哀れな姿に画面を見たまま硬直する。エルンストは表面上何とか平静を保ってはいたが、内心は『とうとうあいつまで…』と頭を抱えていた。二人だけでなく会場もドン引きしている様子が画面越しに伝わってくる。しばしの沈黙の後、ルイーゼがやっとの事で口を開いた。
「…ねぇ、あの人がやりたかった事ってこういう事なの?」
「…いや、今のあいつの表情からしてむしろ他のメンバーの考えだろうな」
「…確かに。今にも泣きそうな顔してるものね」
二人は主人であり親友である青年の心中を思い、心から同情しつつ、この後自分達がすべき事を考え始める。音声からはソルジャーの妖しげな訓示の様な言葉が流れてきていたが、二人の耳には入っていなかった。あられもない姿を晒してしまい、おそらく使用人達の彼に対する株はどん底まで墜落してしまっただろう。その墜ちた名誉をどうやって回復させたらいいのか――今の二人の頭の中にはそれしかない。とりあえず使用人達の様子をちゃんと把握しようと応接間の様子を見ると、どうも様子がおかしい。確かに皆画面を見て沈黙しているのだが、その表情は皆うっとりとしたものだったのだ。先程悲鳴をあげていた女中達はもちろんの事、男性の使用人達も感動した表情で画面を凝視している。挙句は居間のあちこちから「すげぇ…」「素敵…」という声が上がってしまう程。その様子に二人は唖然とする。
「ねぇ…どうなってるの?」
「…あれを見て引くどころかうっとりするとはな…どうしてだ?」
「…あ、そうか」
「何だよルイーゼ」
何かを思いついた様にぽんと手を叩くルイーゼにエルンストが問い掛けると、彼女は問い掛けた本人を指差して口を開く。
「あれに皆が引かない理由…あんたの教育の賜物だわ」
「は?」
訳が分からず問い返す彼に、彼女は更に続ける。
「この屋敷に来る超人の皆さんって、あの通り見た目が変わってるじゃない。そうでなくてもパンツ一丁とかで平気でいる人もいるし。…だからあんた、使用人を雇ったら『来訪者がたとえどんな見た目でも驚くな、騒ぐな』って一番最初にしっかり叩き込んで、それができない人間は容赦なく首切ってたわよね」
「ああ、そうだが…」
「だからよ。全裸はともかくとしても、パンツ一丁と同じ様な恰好なら皆普通に受け入れるのよ。…しかもあの人はそんな姿を見せないから、逆にご主人様の普段見たくても絶対見られない姿を見られて喜んでるんじゃない?」
「…そういう事か」
エルンストは、自分が施してきた使用人教育が思わぬ所で役に立った事に対して苦笑する。半分ヤケになりながら最後の曲を歌っているブロッケンJr.の姿と、それをうっとりしながら見入っている使用人達を眺めながら、二人は主人の株が下がらなかった(どころか急上昇したかもしれない)事に安堵しながらも、ぐったりした様子で壁にもたれていた。
結局それ以後ブロッケンJr.がアイドルとして活躍する事はなく、使用人達は残念がっていたが、その分デビューコンサートの映像は貴重な品となり、録画していた映像をダビングしてくれという使用人が相次いだ事は余談である。更に余談だがこの後また平凡な毎日に戻ったブロッケンJr.はやがて酒に溺れ、ジェイドという小さな超人が現れるまでエルンストとルイーゼの二人は苦労の日々を送るのだが、それに対して二人は「あのアイドルデビューの時に比べたらこの位は苦労になんて入らない」と口を揃えて笑顔を見せていたそうである。