「…しかし、こんな朝早くに何で運転しなけりゃいけないんだ」
 日曜日の朝六時。不知火と土井垣は有名なテーマパークに続く道路で車を走らせていた。運転する土井垣が不機嫌そうな口調でぶつぶつと呟いているのは、今回の計画は不知火が「行きたい」と散々わがままを言って土井垣が押し切られた形で決まった事なので無理もない。
「仕方ないですよ。日曜は人が一杯ですから朝一くらいに入らないとアトラクションは全然回れませんよ」
「…何でわざわざそんな所に行きたがるんだお前は」
 不機嫌な口調のまま不知火に文句を言う土井垣に、不知火はさらりと答える。
「だって、俺ここに行った事なくて一度行ってみたかったし、最初に行く時は土井垣さんとって決めてたんです」
「あのなぁ…」
 土井垣は不知火の言葉に呆れた様に溜息をつく。とはいえこうして不知火に付き合っているのは不知火に押し切られたというだけでなく、自分もこのテーマパークに興味があるからなのだが…不知火と一緒に行くと言うのは予定外だったとしても。土井垣の溜息に気付いた不知火は、気を利かせて彼に声をかける。
「疲れたでしょう?運転替わりましょうか」
「いや、目的地までもう少しの様だし大丈夫だ。お前は帰りを頼む」
「そうですか…でも少しここで休んでから行きましょう。そこにコンビニありますし俺、あそこで朝飯でも買ってきます。朝は何も食わないで出てきちゃいましたからね」
「じゃあそうするか。俺の分も買ってきてもらえるか」
「はい、いいですよ」
 そう言うと土井垣は道路を横切る高架駅の近くの路肩に車を止める。不知火は車から出て近くのコンビニに入り、しばらくして戻って来ると再び助手席に乗り込んだ。手にはビニール袋が二つあり、彼は土井垣に片方の袋を渡した。
「はい、こっちが土井垣さんの分です」
「ああ、すまんな」
 土井垣が袋の中を覗くと、中には彼の好きな具のおにぎりと、いつも飲んでいるメーカーのお茶が入っていた。
「お前、何も言わなかったのに俺の好きな物がよく分かったな」
「そりゃ、四六時中土井垣さんを見てますから。食べ物の好みくらいはとっくに覚えました」
 にっこり笑って答える不知火に土井垣は呆れた様な口調で更に尋ねる。
「俺なんか見ていて楽しいのか?」
「ええ、俺土井垣さんの事が好きですから。すごく楽しいですよ」
 彼にとっては爆弾発言に思える言葉をさらりと言う不知火に、相変わらずの事だとは分かっていても土井垣は自分の方が気恥ずかしくなる。
「…だからお前はそういう恥ずかしい事を臆面もなく言うんじゃない」
「いいじゃないですか、本当の事なんだし。土井垣さんだって俺の事好きでしょ?」
「ばっ…!…何で俺が」
 真っ赤な顔をして反論しようとする土井垣に対して、不知火は嬉しそうに続ける。
「だって俺が助手席に乗っても怒らないじゃないですか。土井垣さん、他人が助手席にいると気疲れして機嫌が悪くなるからって家族以外絶対助手席には乗せない事、俺知ってますから」
「う…それは…」
 顔を赤らめて口ごもる土井垣を不知火は嬉しさで緩んだ表情で見詰めていたが、そのうちに何かを企んだのか土井垣の耳元にそっと囁きかける。
「…知ってます?欧米も助手席には本当に親しい人しか乗らないんですが、それは『助手席に乗った場合はその人は運転手に何をされてもいい』って事と同義語になるからだそうですよ」
 不知火の囁きに土井垣は何かを感じ、うまく逃げようとある種冷淡な口調で返す。
「俺が聞いたのは『助手席は死亡率が一番高いから身内かごく親しい者しか乗せられない』という話だったがな」
「何色気のない事を言ってるんですか。でもそれなら俺はやっぱり土井垣さんにとって身内って事ですよね」
「それは違…」
「まあ、俺は俺が聞いた話の方を信じますがね」
 そう言うが早いか、不知火は土井垣にのしかかる。土井垣は不知火の突然の行動に抵抗しながら、慌てる様な口調で口を開く。
「何をするんだ!何をされてもいいって言うのは助手席の人間の方なんだろう!」
 そういう問題ではないとは思うのだが…慌てている土井垣が愛しくて不知火は少しいじめたくなり、少しからかう様な口調で更に囁きかける。
「それじゃ土井垣さんが俺に何かしてくれるんですか?」
「それとこれとは話が違う!第一こんな街中で…」
 慌てている土井垣に対して不知火は余裕しゃくしゃく、こうなると完全に不知火のペースである。
「どうせ窓ガラスにはスモークが張ってあるんです。外からは見えやしませんよ」
 尚も囁き続ける不知火に、土井垣は懇願する様な口調に変わった。
「頼むから、やめてくれ…」
「照れる土井垣さんて可愛いですよ…でもそうですね。これから思いっきりデートできるんだから…今はこれだけにしときます」
 そう言うと不知火は土井垣のシートを倒して土井垣の身体に自分の身体を重ね、深く口付ける。不知火のキスに土井垣の身体から力が抜けた。それを見て不知火は起き上がると悪戯っぽい表情でにやりと笑い、口を開く。
「…やっぱり運転替わりましょうか。その様子じゃしばらく運転できそうにありませんよね」
「…断る。ここで入れ替わったとして、今やっていた事を知られたら俺は自決ものだ」
「大丈夫ですよ、さっきも言ったけどスモークが張ってありますし。…でも土井垣さんがそう言うならもう少し休んでから行きますか」
「…そうしてくれ」
「はい」

 『…えーっと、どうしたものかしら…』
 歩道で迎えに来る社用車を待っていた女性は今自分が見た光景に思わず口元を抑えて赤面する。
『いくら人気が少ないったって、ここ幹線道路よね…朝っぱらから…しかも男同士…だったわよね…?』
 朝が早い出張が入っていたので彼女は他のスタッフと共に社用車を待っていたのだが、この時間のこの場所には珍しく止まっている乗用車を見つけ、スモークが張ってある車が珍しいのも手伝って何とはなしに傍に寄ってその車を見ていたのだ。彼女は別に覗いたつもりはないのだが、そうして車を見ていたらふとした拍子にスモークガラスの向こう側で助手席の人間が運転席のシートごと運転者を押し倒しているのが見えてしまった。いたのは両方とも男性だという事だけは分かったが、それ以上はスモークで隠れている上、朝の暗さも手伝って見えない。車の中が今どうなっているのか、彼女の頭の中ではよからぬ妄想が膨らむばかり。
『まさかそういう事をこんな所ではやらないわよね…でも向こうは見えてないと思ってるだろうから案外すごい事やってるかも。…前もスモーク張ってあるかしら…でもそれまで見に行ったら完全にデバガメだし…ああもう気になる!』
 彼女が妄想で顔を真っ赤にしながら車を見詰めていると、不意にポンと頭を叩かれる。振り返るとそこには一緒に車を待っていた男性スタッフが立っていた。
「ほら草柳さん、車来たよ。もう林さん達乗ってるから俺達も早く乗らなきゃ」
「あ…すいません二宮さん。今行きます」
 そう言うと彼女はもう一度車の方をちらりと見て、両手で顔を覆い小さく溜息を付いた。それを見た男性はあの車に何かあると推測し、興味も手伝って急かしながらそれとなく尋ねる。
「そーちゃん、さっきからあの車見てたみたいだけど何かあったのか?」
「いいえ…何でもないです。…うん、あたしは何も見てないわ」
「ふうん…そう。じゃ、そう言う事にしておくか」
「…そうしておいて」
 二人が乗ると、車の側面に会社名が大きく入ったワゴン車は軽快に走り去っていった。こうして一人の女性に大きな(とはいえ方向性は間違っていない)誤解を残したまま、二人の乗った車はその後も路肩にしばらく止まっていたのだった。