「は~い、とりあえず初日お疲れ様!」
 小田原駅傍のチェーンの居酒屋の座敷。スターズの有志と葉月と弥生、そして武蔵坊と山伏道場の総師が義経と若菜に向って乾杯をする。二人も少し照れつつも一緒に乾杯をしていた。今日は若菜の入っているアマチュア劇団の公演日。今年はあるトラブルの発生から義侠心に駆られた義経が代役を引き受けた事もあり、その姿を観てやろうと(激励とからかいを含めて)毎年葉月と弥生と彼女達に連れられて観劇していた土井垣と三太郎に加えてスターズの有志と、義経から話を聞いて内容に興味をもった武蔵坊と総師が来て一緒に観劇した縁もあり、初日公演の終了後一緒に食事をしようという事になり今に至っている。一同は話だけは聞いていた若菜の芝居をする姿を一度見たかっただけでなく、半分(いや、7~8割)は義経の恥ずかしい姿を見てやろうと思って公演観劇に臨んでいたのだが、実際公演を観てみると内容の重厚さに加えて、若菜の可憐で真っ直ぐな演技と、芝居の最後を立派に締めくくった義経の素人には見えない演技に感服し、からかおうとする気持ちなどとうに吹っ飛んでいた。そうして素晴らしい芝居を見た後の心地よい疲れを酒と料理で癒しながら、面々は若菜に芝居についての裏話を色々と聞いていき、若菜も葉月や弥生と一緒に大好きな芝居の話だからか、義経の後ろに隠れておとなしくしているいつもの彼女とは違い、目をきらきらと輝かせながらそれに答えていた。
「...しっかし、セリフたった二つってはいえさ~義経、最後にあんな目立つ形で出る上、芝居の締めをしなきゃいけない役受けたなんて、いくら義理堅さからだってお前大胆だよな~」
 星王の表向きはからかいつつの実際は賛辞の言葉に表の意味で取った義経は無愛想に応える。
「...うるさい、正直なところ言われた時にはこんな大役だとは気付かなかったんだ」
「それに頼んだのは私達ですしね...でも本当の事を言うと、あの光さんの忠朝だと若過ぎなんです。史実の小田原に戻ってきた時の忠朝は、50の坂を越えていましたから。でも下手に小手先で老けた演技をするよりも、あの方が締めとしてもいいでしょう?」
「ああ。義経、きちんと役目を果たしていたぞ」
「やはり次期総師よのう。持っておる風格が出ておったぞ。よきものを見せてもろうた」
「...」
 武蔵坊と総師の素直な褒め言葉に、義経は二人の賛辞には慣れていないのか照れくさくなった様で黙りこむ。それを見て一同は笑うと、三太郎が思い出した様に問いかける。
「でも宮田さん達は義経があの役だって端っから知ってたみたいだったよな」
「そういやそうだった。何で分かったの?ヒナさん」
 三太郎に重ねての緒方の問いに相槌を打つ様に若菜が言葉を重ねる。
「ああそうか、二人とも十年越えの常連客だものね。教えなかったけど一発で分かった?」
「うん、藩主役かなっていうのは、義経さんが出るって聞いてからパンフ見たら大方予想付いたよ」
 葉月の言葉に土井垣も不思議そうに問いかける。
「葉月、それはどうしてだ?」
「ああそうか、将さんもまだ三回目だし、あの芸名その間一回しか出てないから分からないか...実はね、芸名に秘密があるの」
「どういう事だ?」
 葉月に続けて弥生が説明する様に言葉を紡ぐ。
「義経君が付けてもらった芸名って、その年のスペシャルゲストとか、劇団の人が人数足りなくて関連がない二役演じる時の片方に良く付いてる芸名なんです。衣装とか役柄変えても声質はそう変わらないから、人形劇とはいえ芝居経験者のあたし達はその辺で役者が一人だって分かりますしね。だから何年かここの芝居観てれば、役者の名前と出る所でこの役二役でやってるのかなとか予想がつく事があるんです」
「へぇ~、そんな秘密があったんだ」
「単に芸名が思いつかないだけですけどね。...それにしても、ノーメイクでこんなボロボロの頭っていう姿を皆さんに晒して、すいません。楽日だったら洋服着て髪はバンダナで隠すのですけど、明日また朝髪を結うので、荷物減らすためにも着物で帰らなくちゃいけないし、まだ舞台メイクがきちんと落ち切っていないから重ねてお化粧をすると肌に悪いので...」
 彼女の今の姿は赤いウールの着物に、今は室内なので脱いでいるが防寒に小紋柄の着物用コート、髪は日本髪を崩した後なので軽く結ってはいるがそれでもこてを当てた後や鬢付け油で少しぼさりとした髪型にいつもなら薄化粧をする顔も素顔だった。しかし彼女の遠慮とは裏腹に、面々は普段はその内気な性格と裏腹のボーイッシュな姿が多い彼女が、本来の大和撫子的な性格と愛嬌のある日本美人という容姿によく似合った和服姿になっている事と、舞台裏が垣間見られるその髪がまた興味を注ぎ、彼女の魅力を引き出しているその姿を楽しそうに眺めながら、言葉を重ねていく。
「いやぁ、全然かまわないよ」
「俺らはこんな風な舞台裏が見たくって、今回こうして公演後の晩飯一緒に食ってるんだし」
「それにお姫さんやっぱ着物似合うよ。その着物、普段使いなんだろ?着物と帯が馴染んでさ、とってもきれ...」
 緒方が若菜のその姿を親しげに褒めようとして、彼女の隣にいた義経の嫉妬による鋭い視線に気づいて一旦言葉を失い、当たり障りのない内容に話題をシフトチェンジする。
「...その、さ。舞台でも思ったけど、それに日本髪って確かにぴったりだと思うぜ」
「でも本当に女の人の日本髪はほとんどの人が結ってたとはなぁ...全然わかんなかったぜ」
 義経の気をそらすため、緒方の言葉に続ける様に星王がそれに言葉を重ねる。その言葉に若菜はにっこり笑って言葉を返す。
「はい、あの通りの見事な日本髪を結って下さる上に、お値段もご厚意でかつら代の何分の一ですからね。毎年頼っているんです」
「かつらって、確かに金かかりそうだって予想はつくけど、そんなに高いのか?」
「はい、ちょっとここでは値段言えませんけど、かなりの値段ですよ。しかもごましお...いわゆる白髪交じりだったり、素人はなかなか貸してもらえない、壊れやすくて扱いが難しいほつれ毛のかつらだと、同じ型では更にお高くなりますし」
「ほう...それは俺も知らなかった」
 若菜の楽しげな語り口に、やっと義経も機嫌を直し口を開く。それに続けて葉月が更に言葉を重ねる。
「で、結ったら今回は崩してるけど、毎度だったらそのまま一晩持たせてるのよね」
 葉月の言葉に、若菜はにっこり笑って答える。
「うん、そう。いつもなら髪型変える必要ないからこれ保たなきゃなんだけど、今回は二役だし、後半が姫だったから。姫はどうしたってかつらにしなきゃだけど、町娘は借りたらもったいないからって、経費削減のためにも前半の町娘を結ったのよ。前にも今回と似たパターンの公演あったの、おようやモモだったら覚えてるよね」
 若菜の言葉に弥生が少し考えて、ポンと手を叩いて言葉を返す。
「ああ、『いかず後家』の時か。確か一人の役者さんが親子二代演じて、前半の母親が町娘、後半の娘が姫だったのよね」
「そうそう」
「でもその公演の時もう一パターンなかったっけ?商家の娘から嫁入りして武家の奥さんに変わる役があったじゃない。しかも次の場面でもうお嫁入りしてるからその間の幕間ほんの2~3分で振袖とお嬢様の豪華な髪型から普通の袖の着物と丸髷に早変わりっていう。ずっと聞こうと思ってたんだけど、あれどうやったの?」
 当時の事を思い出した弥生の問いに、若菜は説明する様に答える。
「そっちは場面転換の事もあったから衣裳係の由美さんが涙をのんでかつら二つ借りたの。それで着物は二枚重ねて着て、最初の脚本はあの役やってた和江さんが出て行ってすぐ転換だったんだけど、その後に座長と植木職人役の西條さんのやり取り増やして着替えるために転換までの時間稼ぎして、それプラス転換の間に舞台袖で振袖だけ脱いで帯締め直してかつら変えてってして。確かそれで長い転換になったって言ってたけど、何度も着付けの先生と練習したおかげでそれでも転換自体は二分半位だったはずよ。でもさすがにあの時は後藤さん『転換の事考えてくれ』って怒られてたわ」
「へぇ~、そんなすげぇ芝居があったんですか~。でも結った髪をそのままにしなきゃいけないんだったら、かつらの方が楽じゃないですか?やっぱり」
 小岩鬼の言葉に若菜は少し考えて応える。
「う~ん、どっちも一長一短あるのよ。髪を結う場合はまず一定以上髪を切るのは厳禁、いつもこうして伸ばしてなきゃはもちろんだし、一晩寝ても保つのが慣れないと大変だけど、頭は軽いし痛くならないし、動きで取れたり壊す心配ないし。かつらは取り外し可能な分元の髪型自由にできるのが便利だけど、型に金属板使ってるから男性の普通の髷はともかく、髪の量プラスその金属板で男性でも総髪...いわゆる時代劇でお医者さんとかが結ってる頭を剃らない髷髪とか女性の髪は特に重いし、その型も頭の形に合わないと金属だけに締め付けで痛くなって酷いとそこから吐き気まで出たり、今言った通りお値段かかる上、完全破壊だけじゃなくって、肌になじませる生え際のネットをちょっと切っただけでも修理代を目が飛び出るくらいの値段で請求されるらしいし。そう思うと私の場合は粗忽者だからかつらは逆に怖いかしら。何せ私頭の事良く忘れてセットにしょっちゅう頭ぶつけるし、一回舞台に駆け込む場面で思いっきり転んでスライディングした事もあるから。あの時かつらだったらと思うと今でも怖いわね」
「確かに...そう考えると結う方がいい事もあるのかもしれんのう」
 若菜の言葉に、総師も苦笑しつつ同意する。
「神保、ドブスの上に演技はど下手、とどめで間抜けとはいいとこなしやのう」
「そうですね。毎回下手な芝居ばかりする上何かしらのドジやって、座の人に怒られっぱなしです」
 岩鬼の言葉にも素直に反応する若菜に、殿馬が気にしなくていいという風情で突っ込みを入れる。
「神保よぉ、こいつの言葉は真に受けねぇでいいづらよ。どうせ自分が出られなかった負け惜しみづらから」
「とんま、おまえ~!」
「まあまあ...でもおべんちゃらじゃないけどそんなに言う程下手じゃなかったぜ、お姫さん」
「うん、ここ三回見たけど、姫さん自分の性格とキャラの性格ちゃんと見極めてて芝居うまいよ」
「それに相変わらずの事だが、マイクに頼っているらしい他の女優とは違って、セリフも一番大きく、はっきり聞こえていたしな」
「土井垣の言う通りじゃ。言葉も聞き取りやすいし、良い意味で達者だったぞい。それにとても一生懸命じゃしのう。それが一番の良さじゃ」
 一同の口々の心のこもった褒め言葉に、若菜は嬉しそうにお礼を言う。
「...ありがとうございます」
「でも話飛んじゃうけど『いかず後家』って...今回の『又左衛門切腹』もだけど、そのタイトルもすげぇよなぁ」
「...って事は、今回のパターンからしてその芝居の主人公はいかず後家のおばさんって事か?」
「はい。一家を取り仕切る、行かず後家の武士の娘の出世一代記ですよ」
「その時はおゆきさん、何の役やってたんだ?」
「その時はやっぱり行かず後家になりかけたその屋敷の天然な女中さんの役でした。最後ちょっと前に後妻に行けて故郷に帰るためにお暇しかけて、結局出際にお殿様が老中筆頭になったんでお暇の事も忘れて祝いの膳作りに台所に戻っちゃったり、役の性格ももちろんなんですが、その最後の出番で結局『いけず後家』になったんじゃないか、なんて裏で話したりして楽しかったですね」
 若菜の楽しそうな言葉に、葉月が思い出した様に続ける。
「しかもその時確か初日の公演、あんた出番飛ばされたんだよね。だからあたしがあんたの芝居の完全版見たの、記録のDVDでだったもの」
「そうそう、一場で座長が宇佐美さんとの会話で台詞忘れて飛ばして会話が飛んだせいで、出るに出られなくなっちゃって。でもその場の締めはそこにつながった私のボケだったからそこは出ないとで、結局あんな風に唐突な出方になっちゃって」
「ああ、もしかして主食の米と麦の割合について主人公に聞くところか?」
「そうそうそれです。あそこであんたが出るのと出ないのとじゃ、笑いが全然違っちゃうのに飛ばすんだもんね~」
「しかもそれが私の初手の上、今言った通り最後のボケと合わせて結構その場の笑いの重要なセリフだったから、あせっちゃったわ」
「確かに、あの若菜さんの出番とセリフがないと折角の座長さん達の会話もその場の最後の若菜さんのとぼけた感じも面白さが半減だな」
「何か身内側盛り上がってるけど...『しょて』って何?」
 芝居の内容を知っている葉月達と義経の会話を盛り上がりの理由を理解しようとした緒方の問いに、若菜は申し訳なさそうに謝った後、分かりやすく説明する。
「ああ、すいません。『初手』って言うのは分かりやすい意味は囲碁とかの最初の手って意味なんですけど、もう一つの『物事の最初』っていう意味から転じて、芝居ではその役の最初の出番とかセリフの事もさすんです」
「へぇ...って事は、姫さんその時最初の出番飛ばされたのかよ?酷い話だよな~」
「...まあ、舞台ではままあるアクシデントですよ。私もセリフ飛ばしちゃった事ありますし、逆にセリフが戻っちゃったとか、酷いと舞台上でセリフ忘れて『何だっけ?』って言っちゃったとか、役者が出番忘れて皆出てくるまで間を持たせるの必死になった、なんて時もありましたし」
「それはまた大変だな...それから気になったんだが...今回の甲冑は協力団体の持ち物だったそうだが...それ以外の衣装は全部衣装会社から借りていたのか?」
 土井垣の言葉に、若菜はまた詳しく説明する様に答える。
「いいえ。確かに今回の光さんの衣装の様な男性の武家の衣装や、私の姫の装束や、陽台院役の荒木さんみたいに尼僧姿とかの特別なものや付いていた腰元役みたいに装束をそろえないといけない役はその時々で物が変わりますから借りていますが、武家や商家でも普段着る物とか今回の静江役の真佐子さんみたいに単独で大丈夫な役の場合は、柄が時代に合えば座員が持っている着物を貸し借りして使いますし、職人さんの半纏とか、使用人や女中関係の着物は町人用と一緒なので男女問わず毎年使いますから座で買ったり、ファンの方達から時折『もう着る事がありませんからどうか衣装に使ってあげて下さい』って着物や帯を寄付して下さったりもあるので自前でかなり持っているんです。後藤さんもその辺り分かっていますから町人役多くしたり、演出の臼田さんも今回みたいにつてを使って手作り甲冑隊の方に甲冑依頼したりしてるんです。持ち衣装で珍しいところだと、もう捨てちゃいましたが本物の旧日本軍の冬物の軍服なんてものもあったんですよ」
「そうなのか...しかし本物の軍服など今では珍しいものを、取っておけばいいのにどうして捨ててしまったんだ?」
「ええと...元々その軍服寄付された理由って言うのが、太平洋戦争ものの芝居やったからなんですが、軍服の元持ち主って言うのが、今日の主役の又左衛門を演じた座長の関谷さんのお父様で...見たから分かると思いますが座長のお父様は座長に似てあの通り小柄な方で...他の帯刀役やった宇佐美さんとか、源四郎役の西條さんの体格と比べてもらえば分かると思いますが...着られる人がいなかったんですよ。でも何かに使えないかって保存をしていたら虫食いがひどくなってしまって、保存しきれないってあえなく廃棄処分に」
 若菜の言葉に、自らも生活で大変な思いをしてきた分存外経済観念が細かい里中が残念そうに言葉を続ける。
「でももったいないよな~。モノホンの軍服だったら、虫食いでもマニアに高く売れたか...売らないにしても、郷土文化館に資料としてあげれば喜ばれたんじゃない?」
「うん、智君。それは捨ててから私も思ったの。『もったいない事したなぁ、捨てる位ならあげる所あったんじゃないかなぁ』って」
「そうか...しかし、そうすると衣装にかつらに、あのセット...相当出費がかさむのだろうな」
 武蔵坊の言葉に若菜は苦笑しながら応える。
「はい、ああした芝居を求められているから期待には応えないと、とは思いますし...セットとかもパネルや家具とかのセットは使えるものは保管場所があるんでリサイクルしたりして切り詰めますが、大本は使えても年ごとのセットに合わせて組み換えや塗り直しとかはしなくてはいけないですし、収入面も正直毎回来場者が多いとはいってもやっぱり増減あるので、毎年赤字に怯えてます」
「それじゃあ勢いでもっとそこを突っ込んで聞いちゃいますけど...一番金かかった芝居とか教えてもらえますか?」
 池田の言葉に若菜は大枠の範囲内で答える。
「大体舞台見れば分かっちゃうから大枠だったらかまわないけど...う~ん...ざっくりしか毎年の収支覚えてないけど...私が知っている範囲だと...まず『とくひめは』誰が見ても明らかに全部にかかってるって分かるし...セット部門だと簡素に見えてラストに水が流れるシーンがあるからその道を舞台上に引かなきゃいけなかったっていう『荻窪用水記』とか...私が出た範囲では、初舞台の平家物語ベースにした『高倉上皇』がダントツかも。何せ芝居の質柄衣装は全員借りものだし、男性はほぼ全員狩衣に烏帽子もちろん下はかつら、女性は尼僧姿三人に、宮廷の女性6人は全員長髪のかつらか付け毛。衣装はさすがに十二単は舞台を動くから無理ってなって普通丈の袴とお引きずりにしたとはいえ、男女そろって裃や腰元姿より明らかに高い値がつく衣装満載、しかもその当時はまだ回り舞台壊れていなかったから、宮廷と嵯峨野の二場面のセットプラス嵯峨野の場面は坂道付きって事で更にそこでお金かかって、チケットとご祝儀や補助でも足りなくて、会計報告で会計の臼田さん悲鳴上げてたもの」
「じゃあもっと変な事聞くけど、逆に金がかからなかったのも教えてくれる?」
「そうですね...私が入ってからだと後藤作品にこだわらないんだったら多分唯一の後藤作品以外の上現代劇だった『もう一つの教室』が、昭和50年代舞台だったから髪型普通で普段着使えたし、舞台のセットも最大の三場面作ったけどその内の教室と職員室はともかく最後のひとつは場面のイメージに余裕持たせるためにすごく簡素でしたし、物品も高かったのは学校机と事務机レンタルしたのと私がラストの卒業式で着たチマチョゴリ代くらいで済んだから、確か一番安く上がったはずですね。何せその時卒業式の場面のジュースやビール大盤振る舞いしてくれて、舞台上で一時本気で宴会になっちゃいましたもの」
 若菜の言葉に一つ不可解な言葉があった事に気づいて、三太郎がそれに関して訳が分らないという風情で問いかける。
「舞台の上でマジ宴会ってそれもすげぇけど...今さらっと言ったチマチョゴリって...姫さん一体何の役やったんだよ」
「ああ、『もう一つの教室』っていうのは映画の『学校』の一作目の原作で...っていうか映画にしたいって言って持ち込んだ時に結局シリーズ続けたあの監督さんが忙しくて撮れないっていうのに業を煮やした、今は亡くなられた脚本書いた方が舞台版に直したものなんですよ。それでその脚本家の方がうちの座のOBだった縁でその時公演させてもらって、私が入った後縁あって再演して。それ言えば映画の『学校』の一作目観たか知っている人なら分かると思いますが『もう一つの教室』は夜間中学が舞台の芝居で、私はその中の生徒で在日韓国人役だったんです」
「ビデオで見た時思ったんだが...あの演技は何と言うか、まだ今の様に達者ではないが...たどたどしい口調にした演技が可愛かったし...チョゴリもよく似合っていた」
「光さんたら...」
 照れくさそうに、しかし甘い雰囲気を漂わせる義経と若菜をからかう様に星王が言葉を続ける。
「あ~はいはい二人の世界に入らないでくれる?話聞きたいんだから。じゃあその後藤作品だと?」
「後藤作品で経費少なかったのは、私が知ってる範囲だと内容からして私が入る前の『元禄棟割長屋』かさっき言った太平洋戦争ものの『終戦物語』か...入ってからのほぼ全員役が町人で舞台も回り舞台使ったとはいえ象徴的な感じが片方だった『伴天連始末記』...かしら。『万治三年一揆』もそう言う意味だとお金かかってない様に見えて、一揆の盛り上がりを出すために人がいるからってたくさん頼んだ農民のエキストラがほぼ男性で、衣装はともかくかつら代が結構飛びましたし」
 若菜の言葉に続ける様に、葉月が当時彼女から聞いたらしい思い出話を重ねる。
「後農民だからって顔とか足汚すのに、茶のドーランを買い足したり、いつもは使わない砥粉かなり大量に使ったんじゃなかったっけ?」
「そうそう、それで砥粉は本番の時みんな手足に塗ったんだけど、ドーランは買ったはいいけど砥粉より汚れが際立つからためらって皆塗れないでいて、どうしようってなってた時、一人が思い切って塗ったら皆そこから何かが切れたみたいに塗り出してその時の合言葉が『私きれい?』じゃなくて『私汚い?』にシフトチェンジしてくその様がすごかったわ。でもそこでほぼ全部使い切ったから買い足してて正解だったのよね」
「それに経費とは関係ないけどさ、その『万治三年一揆』の時、稽古に体育館借りたよりによってその時に小道具の竹やり忘れて、しかもその竹やり手製の本物だったから『子ども達が見つけて遊んでいました。けがしたら危ないじゃないですか』って学校側に怒られたんだってね」
「そうそう。その前までは棒で代用してたのによりによって持ってきた時にやっちゃった~って気がしたわ。あの時は」
「汚れた顔はともかく竹やり...そんなもんまで作って使った芝居があるんすか...」
 池田が心底驚いた様に呟く。
「『伴天連始末記』では舞台監督さんの指導でカラーフィルムとプラ板で大きなステンドグラスも作りましたよ。自分で作っていて何なんですが、結構いい出来だったんですから」
「そうか。でも...今回の芝居もそうだけど、話聞くと小田原を舞台にした芝居が多いそうだけどさ、それでも女性メインの話とか、平家物語とか、竹やり使う様な芝居とか...いろんな芝居考えるんだな、その後藤さんって人」
「それに役者のヘボさは別としても、人情やら書いてる人間の正義は筋が通ってきっちり書かれてる部分だけはええ芝居だと思うで」
「づら」
 面々の言葉に、彼女は心底嬉しそうに目を更にきらきらと輝かせ、言葉を紡ぐ。
「そうでしょう?後藤作品は身内でも重いとか難を出される事多いんですが、私はあの人情と正義を大事にする、なんて言うか人間の情の真芯を描いた作品達が大好きなんです。それだけじゃなくて、後藤さんは毎年座の状況と役者さんの数やキャラを考えて違うものを書いて下さる事が嬉しいんです。だって、戯曲っていうものは普通に書いてもそんなに簡単に書けるものじゃないんですよ。それをアマチュアとはいえ役の数まで計算に入れて毎年高レベルでこなして下さる後藤さんを、私尊敬してるんです」
「そうなのか...そんな大好きな人の芝居ができるって、やっぱおゆきさん幸せ?」
「はい。だからどんな役でも一生懸命になろうって思うんですよ」
「そうなんだ」
 若菜の嘘がない素直な言葉と笑顔に一同は心が温まる気がして、それを昔馴染みの里中が代表して口に出す。
「それっておんなじ様に今歌やってる葉月ちゃんとかにも言える事だけどさ、すっごく若菜ちゃんらしいし...なんかいいな。大好きな気持ち一杯で一生懸命やれるって」
「でも、智君だって、光さんも含めた皆さんだって、野球が大好きでプロの選手として一生懸命やっているのよね?」
「確かにそれはそうだけどさ、俺達はこれが飯の種でもあるからな。やっぱ生活かかるとただ好きってだけじゃなくなってる気がしてさ...そういう意味じゃ若菜ちゃんが羨ましいや」
「そう言われるとそうだよな~純粋に野球好きだけじゃ、やってけないとこあるもんな」
「うんうん」
 里中筆頭の一同の言葉に、若菜は静かに微笑んで言葉を返す。
「そうですか...でも私は逆に好きな事で生計を立てる苦労ができる事が羨ましいですよ。私は芝居がプロに負けない位大好きだって思っていますけど、プロの役者の生活掛けた競争意識に慣れる事ができなくって、趣味にしかできなかった身ですから。そういう風にある意味過酷な競争意識を持たなきゃいけなくっても、それに立ち向かえる強さがある皆さんが羨ましいです」
 若菜の微笑みながらも、彼らの言葉に軽い胸の痛みを感じているらしい口調に気付いたのか、義経が彼女を励ます様に言葉を掛ける。
「...若菜さん、そんな事を言うな。あなたは充分強い。たとえ趣味だとしても精一杯のいい芝居をしようと仕事を持ちながら努力できるのだから。確かにプロの持つ強さではないかもしれないが、あなたはちゃんと一つ一つの芝居に対して真摯に向き合うという強さを持っている。俺は今回の件でそれがさらに良く分かった。その強さは...誇っていいものだ」
「ありがとう...光さん」
 義経の言葉に、若菜は少し嬉し涙を浮かべて微笑む。それを見た一同は二人の絆を感じて心が温まる気がした。そうして更に気持ちを盛り上げようと言葉を紡ぐ。
「でもさ、義経のおかげでこうやってお姫さんの芝居観られて話聞けて本当に良かったし、あのいい芝居だもんな。花束いらないって言われたけど気になって用意して正解だったぜ」
「あ、そうでした。ありがとうございました、気を遣ってもらって」
「しかし俺はもらってもこれから秋季キャンプなのだから正直手入れができんぞ。すぐに枯らしてしまったらもったいないが」
「だから...お姫も義経さんも、あげた花良く見て」
 葉月の楽しそうな言葉に若菜は言われた通り自分と義経に贈られた花をもう一度見直すと、驚いた表情を見せる。
「え?...あ、これ...光さんのも...」
「どうした?若菜さん」
「これ、両方ともプリザーブドフラワーよ」
「『プリザーブドフラワー』?」
「なんじゃそれは」
 義経と総師が何の事か分からないという風情で問いかける。それに答える様に葉月と弥生が説明していく。
「プリザーブドフラワーは、生花に薬で加工して長く保存できる様にしたり、特別な色をつけたりしたものです。ドライフラワーと違って色も鮮やかですし、昔はかなり特殊だったんですが、最近かなりお手ごろに手に入る様になって」
「義経君これからしばらくほとんど東京にいつかないでしょ?でもこれなら手入れも水もいらないし、うまく持たせれば一年以上このままきれいな状態で見ていられるから。たとえ寄り付かない部屋でも戻った時に花のある生活っていいかなって皆でこれに決定したの」
「でも、お手ごろって言っても普通のアレンジメントより割高じゃない。ごめんなさいね、気を遣わせて」
 一同の心遣いに感謝もあれど余計な出費をさせてしまったという気後れも感じているのか若菜が申し訳なさそうに応える。その言葉に悪戯っぽく、しかし彼女への気持ちが分かる言葉と口調で弥生と葉月が言葉を返す。
「いいのよ。カンパが結構集まったからその余剰金使ったんだし...あんたが劇団に気を遣ってご祝儀って言ってるのは分かってるけど、あたし達だって花贈りたいのよ」
「それに贈る時には折角だもの、最高の花を贈りたかったの」
 二人の言葉に、若菜は感謝と喜びの言葉を、最高の笑顔で返す。
「...うん、ありがとう皆。とっても嬉しい。光さんには悪いけど...最高の花よ」
「いいや。正直なところ...俺の完敗だ。やっぱりこういう時、親友にはかなわんな」
 義経の素直な敗北宣言を聞いた若菜は、彼女の気持ちを込める様に静かに軽く彼にもたれかかると囁く様に言葉を紡ぐ。
「でも...光さんが贈ってくれる花も...気持ちは負けない位こもっているのが分かるから...とっても嬉しいのよ」
「...そうか」
「...はい」
「あ~はいはい。二人の世界に入りたい気持ち分かるけどさ、お二人さんは後でゆっくり時間取れるだろ?俺達は今日はもうちょっとしか時間ないから、もうちょっと芝居の話聞かせてよ」
「...」
 また甘い雰囲気になった二人に再び突っ込みを入れる星王に二人はばつが悪そうに身体を離すと、そのままの口調で若菜が問いかける。
「それじゃあ...何かもっと聞きたい事あります?」
「う~ん、小田原が舞台の芝居ならではの見所ってのそういや聞いてないや。教えてくれる?」
「あ、そうですね。例えば...」
 そうして一同はそれからまたしばらく楽しく語り合い、酒を酌み交わしていった。