2007年、東京スーパースターズは日本シリーズを壮絶な戦いの末に制し、その上第七戦は8回まで投手はスターティングメンバーでまかなうという奇策で切り抜けていた。そうした壮絶な闘いから勝利の盃を充分味わった翌日の夜、三太郎はある女性にメールを送る。彼女は仕事が不規則なため、いきなり電話をかけてもつながらない事があるのだ。数分後、彼女専用に指定した着信メロディーが鳴り、彼ははやる気持ちのままに電話に出る。
「はい」
『微笑君?私、弥生』
「ああ、ヒナさん電話ありがとう」
『昨日は大変だったわね。でも日本一おめでとう』
「ありがとう。で、ヒナさん今大丈夫?」
『ええ、今日は日勤でもう家にいるから』
「じゃあこのまま話していいかな。お互い無料サービスに入ってるおかげで助かるよな」
『そうね』
 電話の相手であるヒナ――本名朝霞弥生、土井垣の恋人である宮田葉月の親友で、彼とは何となく意気投合した友人以上恋人未満の様な関係の女性である――はくすりと笑う声を電話口に漏らす。その声が聞けるのが嬉しくて、三太郎は楽しげに言葉を紡いでいく。
「でさ、昨日の第七戦、観ててくれた?」
『ええ。当直明けで休みだったから、のんびりテレビで観賞させてもらったわ。それにしても土井垣さんも思い切った事したわね。下馬評だと里中君が出るって聞いてたけど、何かあったの?』
 弥生の問いに、三太郎は彼女の心配が良く分かり、正直に話す。
「ああ、何か急に肩が上がらなくなったとか言ってたな…何でもなきゃいいんだけど」
『そう…何かおかしい様だったら私に言う様に言って。お医者様紹介するから。そういえば微笑君もジャンピングキャッチしてフェンスに激突した上に、肩から落ちてたわね。大丈夫なの?』
「ああ、俺のスーパープレイ観ててくれたの?嬉しいな~」
『茶化さないで!』
「え?」
 自分の素晴らしいプレイを観ていてくれたと嬉しくなって言葉を紡いだら逆に急に激昂した様な声を返した弥生に三太郎は驚く。彼女はまくし立てるように続ける。
『今回と同じ様な状況で…開幕戦で山岡さんは着地失敗して脳震盪起こしてたでしょ!?それでなくてもシーズン中の試合で微笑君ホームインの時にうっちゃり喰らわされたり、大きな怪我に繋がる様なプレイが多いじゃない!少しは自重しなさいよ!』
「そんな事言ったって、プロスポーツにハッスルプレーはつき物じゃん。心配しなくても俺は頑丈だから平気…」
『そうやって甘く見てるといつか大怪我するんだから!そうなってからじゃ遅いのよ!』
「そうしたらヒナさんに治療してもらうからいいよ」
 三太郎は弥生を安心させる様に冗談めかした口調で言ったが、それが更に彼女を激昂させる原因となってしまった。彼女は更に声を荒げる。
『あたしの専門は内科と小児科よ!外科に関しては黙って外科医に任せるしかないのよ!そんな事!…考えたくもないわ』
 最後の言葉は消え入りそうだった。三太郎は自分がどれだけ様々な事を甘く見ていたのかそれで痛感し、謝罪の言葉が自然と漏れていた。
「…ごめん」
『…あたしも、ごめんなさい。ちょっと怒りすぎちゃったわ』
「いいや、ヒナさんが怒るの無理ないよ。俺、確かにいろんな事甘く見てた。一つの怪我から選手生命に関わることだってあるんだって…忘れてた。だから、それを思い出させてくれて…ありがとう、ヒナさん」
『…』
 不意に電話の向こうが沈黙したのが分かる。三太郎は不思議に思って更に言葉を掛ける。
「ヒナさん?」
 三太郎の呼びかけに返しているのか、かすかに呟く様な声が聞こえてくる。
『三太郎君の身に、何かあっても…あたしは何もできないの。…こんな事だったら…外科系を目指してれば良かった』
 三太郎はその呟きを聞いて喜びもあったが、それ以上に彼女が目指しているものを曲げさせる訳にはいかないと、励ます様に口を開く。
「何言ってるんだよ。ヒナさんはヒナさん。今の道を進んでていいんだよ。俺に言ってたじゃん。『地元の小児科の跡を絶対継ぐんだ』って。それに、何もできないって言ってるけど、内科だってやってるなら、俺が風邪ひいたり腹壊したりインフルエンザにかかったりしたら、治療してもらえるじゃん。それに…」
『それに?』
「…いいや、何でも」
 三太郎の心にはある思いがあったのだが、それを口に出すのは尚早すぎると判断し言葉を濁し、改めて言葉を紡ぐ。
「そうだ、さっき自分で言ってたじゃん。ヒナさんのネットワークでいい医者紹介とかもできるじゃん。だからヒナさんはヒナさんのままでいいの。その代わり俺も俺のままだからね。ちょっとは自重するようにするけどさ」
『…ええ』
 やっと電話口の声が明るくなった事が嬉しくて、三太郎は更に口を開く。
「でもヒナさんに俺のピッチャー姿が見せられなかったのがちょっと残念だな」
『いいじゃない。その代わり『スーパープレイ』をしたんだから』
「そうだな」
 二人は笑い合う。一時笑いあった後、三太郎がふっと軽く相談する様に弥生に言葉を紡ぐ。
「今のとこ大丈夫だけどさ。もし何かあったらいい外科医教えてよ。素直に行くから」
 その言葉に弥生も悪戯っぽく返す。
『ええ。その代わり治療は容赦ないわよ』
「それはきっついな~」
 また二人は笑い合う。お互いを思う心がお互いを強く成長させてくれる――二人は無意識にだがそう感じていた。そうして二人はその想いのままにその後は長い間とりとめもなく話し続けた。