「…でも、残念だったわね。あと2つ三振取ったら自分で作った奪三振記録タイ、3つだったら新記録だったのにね」
 テーブルの向かいに座った不知火にビールを注ぎながら、真理子は残念そうに口を開く。不知火は注いでもらったビールを飲み干すと、ふっと笑って彼女に言葉を返す。
「そうだな、中々できない記録だものな。…でも」
「でも?」
「俺は今が一番脂の乗っている時期だと思う。だから、またこれからのシーズンで今度こそ絶対に記録を塗り替えてやるよ。それに、19だって充分すごい記録だろう?」
「そうね、三振なんてそう簡単に取れるものじゃないもの」
「だろう?」
 そう言って不知火は笑うと、真理子にビールを注ぎ返す。ビールを酌み交わし、二人で作った料理を食べながら二人は穏やかに笑って話す時間が持てる事を二人は心から喜んでいた。真理子が今年の2月に松山に出向に来て、お互いの上司の策略により(笑)同じマンションに住む様になってから、二人はこうしてお互いの部屋を行き来し、時を過ごす事が多くなり、そうした流れで今日も坊ちゃんスタジアムで開幕という事で真理子は定時を厳守し、先に帰って来ていた不知火と二人で買い物をし、『無事に開幕が終わったお祝いを』と不知火の部屋へ行き二人で少し豪華な食事を作り、食べている次第である。そうして食事も酒も進み二人は取りとめもなく話していたが、やがて不知火がふっと呟く。
「でも…少しでも早く記録は更新したいな」
「守さん?」
 不知火の呟きに、真理子はふと反応する。不知火は寂しげに笑いながら言葉を重ねる。
「知っての通り、投手の肩は消耗品だ。しかも俺みたいな速球タイプはいつか打たせて取る軟投派に変えないと、投手生命が短くなるだけだ。だから、できるうちに…記録は塗り替えていきたい」
「守さん…」
 不知火の言葉に、真理子はある種の哀しさを感じ、それを口に出す。
「そんな事言わないで。…守さんは守さん、ずっと強い速球派のままで、長く投手生活をするの。そんな弱気な言葉…聞きたくない」
「真理…」
 真理子の言葉に不知火は一瞬驚いた表情を見せ、またふっと笑う。
「何がおかしいの?」
 真理子は不知火の態度が分からずむっとする。不知火は芯から優しい表情で微笑むと、真理子に言葉を掛ける。
「いや…真理を選んで、本当に良かったなって思って」
「どういう事?」
 訳が分からずむっとした表情を見せたままの真理子に、不知火は優しい微笑みのまま、言い聞かせる様に言葉を重ねる。
「真理がいてくれて、そうやって叱咤激励してくれると…俺はまだ頑張れる…って思うんだ。つまり、真理がいるから俺は…投手として一流でいられるんだよ」
「守さん…」
 不知火の言葉に真理子は赤面して絶句する。彼は更に続ける。
「なあ…ずっと聞きたかったんだけれど、俺も…そういう風に真理に力を与える事ができているかな」
「…」
 真理子はしばらく沈黙して、一息つく様にビールを飲み干すと、やはり呟く様に言葉を返す。
「当たり前じゃない。…あたしだって、守さんがいてくれるから…頑張れるのよ。…ありがとう、守さん」
「良かった。同じ気持ちで」
「当たり前じゃない。そうじゃなきゃ、こんな風な暮らし方…お父さんが許してくれたからって言っても…絶対しないわ」
 真理子は赤面しながら更に呟く。そう、二人はドナー家族とレシピエントという関係。本来なら二度と会ってはならない仲なのだ。しかし二人はそれを乗り越え、不知火は彼女の父に『一生大切にします』と誓い、彼女がこちらでの仕事に慣れて、今後の処遇がはっきりしたら結婚するという仲まで想いを貫き、こうして半同棲の様な生活を送っているのである。そこまでの想いを貫き通せたのは、何よりもお互いを想う力。それを二人とも自覚していた。また柔らかだが少し居心地の悪い沈黙の後、不知火が口を開く。
「…で、真理はこっちに慣れるためにって仕事が続いたから、休息をとるために明日有休を取る様に言われたんだよな」
「うん…で、守さんもオフなのよね」
「久し振りに、二人で出かけるか…どこでもいいから」
「そうね。松山の観光案内をしてくれる?守さん」
「ああ。色んな所に連れて行ってやるよ…でも、条件がある」
「条件?」
「今日は俺の部屋に泊まって…明日はお前の部屋に俺を泊める事」
「…!」
 不知火の言葉に真理子は赤面して絶句する。不知火は悪戯っぽい口調で続ける。
「…駄目か?」
 その言葉に、真理子は赤面しながら呟く様に答える。
「答える必要…あるの?」
「それもそうだな」
 不知火はふっと笑うと席から立ち、真理子の後に回りこんで後から腕を回し抱き締めると、頤を上げてそっとキスをした。