開幕戦も勝利に終わり自らにも結果を残した義経は、充実した気分を持って東京のマンションへと戻る。と、留守番電話のランプが点滅している事に気がついた。まさかと思い、はやる気持ちを抑えて再生すると、柔らかなソプラノの声が聞こえて来た。

――今日は、若菜です。開幕戦、勝ったみたいですね。おめでとうございます。でも、父から聞いた話だとフェンスに激突して背中から落ちたとか。大丈夫ですか?心配になって電話を掛けてしまいました。もし気が向いたら電話を下さい――

「若菜さん…」
 電話の口調からも心から彼を心配しているのが伝わってくる。彼はその優しさが嬉しくて、しかし心配をかけているのが申し訳なくて、電話をかける事にした。とはいえ今は夕飯時。電話をかけるには失礼に当たる。とりあえず自分も食事をとってから電話をかけようと彼はキッチンへ向かった――

 簡素な夕食を済ませた後、時間を見計らって義経は若菜の携帯に電話を掛ける。数コール後に『光さん?』という心底心配した声が聞こえて来た。彼はそれを宥める様に言葉を掛ける。
「若菜さん、心配ありがとう。しかし俺は曲がりなりにも山伏だ。フェンスに激突して落ちた程度で怪我する程弱くはないよ」
 そう言って宥めたつもりが、不意に若菜が怒った様な口調でまくし立ててきた。
『そうやって自分を過信してばかりいると、いつか痛い目に合います。『自分の身体は自分が一番良く分かっている』って良く言いますけど、本当は外から客観的に見る事も必要なんですよ!万が一頭でも打っていたとしたらどうするつもりだったんですか!…だから…お願いですから、自分のためにも…自重して下さい』
 最後の言葉は泣きそうな…いや、多分泣いているだろう声だった。それに気付いた義経は暖かく、包み込む様な声で言葉を紡いだ。
「すまない…若菜さんを泣かせる様な真似をしてしまって…」
『そういう問題じゃありません!』
「いいや、そういう問題だ。大切な人を泣かせる様な事をするのはルール違反だ。俺はそれを今日やってしまった…だから…すまない」
『光さん…』
「これからは、なるべく自重する様にする。でも…プロスポーツの世界はそれだけでは割り切れない事もあると…分かってくれ」
『はい…すいません。勝手な事を言ってしまって…』
「いいや、俺は若菜さんがこうして俺にくれる心遣いが嬉しい。だから…あなたが俺の事を案じてくれていると知って…俺には力が湧いてきたし…あなたに護られている様な気がしている」
『えっ?』
「俺も…あなたをそうやって護ってあげられるだろうか。そうしたら、お互いがもっと…繋がる気がする」
『…』
 電話口の若菜が沈黙する。その沈黙に義経は自分が今言った事がかなり恥ずかしい事だと気付き、ばつが悪くなって更に言葉を重ねる。
「すまない。勝手に…先走ってしまって」
『いいえ…少し恥ずかしいですけど…嬉しいです。本当にそうなれたらいいですね』
「ああ…ありがとう」
『はい』
 そうして暖かな、でも少し気まずい沈黙が続いたが、不意にそれを破る様に義経はある提案をする。
「そうだ若菜さん、GWは役所は休みだろう?旅行がてらこちらへ試合を観に来ないか?」
 義経の提案に、若菜は残念そうに口を開く。
『ごめんなさい、光さん。GWはうちの市はイベントがあって私、職員の要員になっていて…その後も地区でお祭りがあるから、それに出なければいけないんです』
「そうか、残念だな。…そうだ」
『何ですか?』
「そのイベントや祭りの写真を撮ってもらえるなら撮ってもらって、俺に送ってくれないか?どんな内容なのか興味があるし」
『…』
 義経の楽しそうな言葉に、若菜は何故か沈黙する。その沈黙の意味が分からず、彼は彼女に問いかける。
「どうしたんだ?」
 義経の問いに、若菜は恥ずかしげにぽつり、ぽつりと答える。
『お祭りはいいんですけど、イベントは…ちょっと…』
「何か不都合でも?」
 言葉を濁す若菜に義経が更に問い掛けると、小さな溜息のような息遣いの後、また恥ずかしげな口調で彼女はぽつり、ぽつりと話し出す。
『いえ…そのイベントって言うのは…小田原に縁が深い後北条五代を基にしたイベントで…パレードがあって…今年の私は…その中の姫の侍女役でパレードに出る事に決まっちゃったんです…まだ女武者隊とかなら良かったんですけど…恥ずかしくて…』
 若菜の恥ずかしそうな言葉に義経は心が何となく温まると共に、着物を着ていた時の若菜を思い出し、きっと美しくなるだろうと思うと尚更見たい気持ちが募り、それを言葉に出す。
「それなら尚更見たいな…若菜さんならきっと綺麗になる」
『…』
 また沈黙する若菜にダメ押しする様に義経は電話口に言葉を掛ける。
「絶対に送ってくれ。約束だ」
『…はい』
「その代わり…俺も若菜さんを泣かせない様に努めるから」
『光さん…』
「…じゃあ。遅くにすまなかった。俺は明日オフだが、若菜さんは仕事だものな。ゆっくり休みなさい」
『はい…光さんも。今日のプレーでどこかおかしくなったら必ずお医者様に行って下さいね』
「ああ、約束する。…じゃあ、名残惜しいが…お休み」
『おやすみなさい、光さん』
 電話を切ると義経は溜息をつく。最後は雑談の様な話になってしまったが、彼は今電話で話した事を反芻し、激しいプレーなど当たり前と思っていたが、それで大切な人を泣かせる事になりかねないという事に改めて気付かされた。しかしその大切な人が自分を案じてくれている限り、自分はどこまでも強くなれる気がした。そして彼女も同じ様に思っていて欲しい――義経はそう思いながら幸せな眠りに就いた。