オフの夜、土井垣は葉月のマンションの部屋で食事の片付けをする彼女を見詰めながら座っていた。今日は彼女が様々な騒動の末病院から退院してきた日で、土井垣は彼女を迎えに行き、入院中ほとんど食べずにやつれてしまった彼女を元気付けるために一日を共に過ごしながら一緒に食事を作って食べ、彼女がその後片付けをしている最中なのである。食事は彼女だけでなく土井垣が作ったり、また今日の様に一緒に作る事もあるが、片付けは基本的に彼女がすると何となく決まっている。別に彼が強制したわけではなく、彼女曰く『看護学生時代に皿洗いのバイトをしていたら好きになったし、水仕事って楽しいから』という事らしい。それだけでなく、彼女は基本的に片付けや掃除や洗濯が好きな様である。洗濯に関しては洗い方はもとより洗剤や柔軟剤にこだわるし、掃除に関しても、時に仕事が忙しくなると散らかす事があるが、基本的にはこまめに片付けていてこざっぱりとしている。そんなこざっぱりとした部屋に久し振りに戻って来た光景に土井垣は目を細める。一時はもうこんな時間は過ごせないと諦めかけた事もあったが、諦めずに彼女も自分も闘った結果が取り戻したこの時間。その時間とそこにいる彼女が愛おしくて、彼は彼女に近付くと後ろから抱き締めた。お皿を洗っていた彼女は驚いて持っていたお皿を取り落としそうになったが、間一髪キャッチして綺麗に洗い流すと水切りに置き、怪訝そうに問い掛ける。
「どうしたんですか?」
 土井垣は彼女の問いに答えるでもなく、囁く様に言葉を紡いだ。
「…お帰り、葉月」
「将さん…?」
「良かった…お前がここに戻って来られて。…それに、また俺とこうして時を過ごしてくれて…」
「…将さん」
「正直、お前から別れを告げられた時…もう駄目だと思った。…俺は自分のせいでお前を失ってしまったと自分の無神経さに後悔した…でも、お前はこうしてまた俺と時を過ごしてくれる。…ありがとう、葉月…」
「……」
 土井垣の言葉に、葉月はエプロンで手を拭くと、首に絡められた腕に手をかけて言葉を紡ぐ。
「…言ったでしょう?14歳のあたしも、今のあたしも将さんが好きだって…だから、あたしこそ将さんが全部知ってたのにずっと傍にいてくれて嬉しかったし、今も嬉しいのよ…ありがとう、将さん」
「…葉月」
 そうして暫く二人は動かないでいたが、やがて葉月は向き直ると、軽くキスをして悪戯っぽく口を開く。
「…さあ、もうちょっと待ってて下さい。これ洗ったら最高においしいお茶いれますから」
「そうか…いや」
 土井垣はその言葉に一旦頷いたが、やがて少し考える素振りを見せると、ふっと笑って言葉を返す。
「今日は俺が茶をいれてやる。…これでも練習してうまくなったんだぞ」
「いいの?」
「ああ。だから横を使わせてもらうぞ」
「ありがとう。じゃあお願いします、将さん」
「ああ」
 そう言うと土井垣は葉月の横でやかんに水を入れ湯を沸かし始める。葉月は横で残りの食器を洗っていた。そうして二人で並んで作業をしていると、不意に土井垣が思いついた様に口を開く。
「葉月…そういえばお前、退院した時から一度も『将兄さん』と言わなくなったな」
 土井垣の言葉に、葉月もふと気付いた様に同意する。
「そういえば…あたし、ずっと『将さん』って呼んでるわ」
「…やっと、『兄さん』から卒業させてもらえたか」
「そうね、あたしもやっと将さんを将さんって呼べる様になったのね…」
 土井垣と葉月はそれぞれ感慨深そうに言葉を紡ぐ。彼女は更に感慨深げに言葉を重ねた。
「この騒動は大変だったし、辛かったけど…あたし達にとって、それなりに良かった事なのかもしれませんね」
「そうだな」
「ふふ」
 二人は顔を見合わせて微笑み合う。やがて葉月は食器を洗い終わり、土井垣もお茶をいれ終わった。二人は居間にしている部屋で寄り添い合いながらお茶を飲む。
「ホントだ…おいしい」
「そうか、良かった」
「あたしも負けてられないわね。もっとおいしくいれられる様にならなきゃ」
「俺も負けないからな。お前に最高にうまい茶を飲ませてやるのが俺の夢なんだから」
「駄目、それはあたしの夢にさせておいて。でないとあたしが将さんにできる事、何もなくなっちゃうもの」
 少し拗ねた様に言葉を紡ぐ葉月に、土井垣はふっと笑うと自分の湯飲みを置き、彼女を抱き寄せる。
「いいんだ。お前は俺の傍にいるだけで俺に力をくれる…だから、元気で傍にいてくれれば…それでいい」
「将さん…」
 葉月は幸せそうに土井垣の胸に顔を埋める。彼はそんな彼女の顔を上げ、唇を重ねる。長いキスの後唇を離した二人は、お互い囁く様に言葉を紡いだ。
「愛している…葉月」
「あたしも…愛してるわ、将さん」
「これからは、何があってもこうやってずっと傍にいてくれよ」
「将さんこそ、あたしから離れないでね…もうあたし、将さんがいてくれなきゃ駄目みたい」
「そうか」
「うん」
「実は…俺もだ。だから、お前こそ…俺の傍にいてくれ」
「…ん」
 二人はお互いの言葉に微笑み合うともう一度、今度はもっと深く唇を重ねる。二度と得られないと思っていた時間を取り戻した事に喜びを覚えながら――