「…どうだ、医者にもらった薬で少しは楽になったか」
「ん~…正直全然楽にならない…」
「困ったな…頭痛と腹痛で動けない、物を食えば…というより匂いだけで戻す、口にできるのは白湯や湯ざましかお前に言われたハーブティーが少し。今回は前兆の頃から食えなくなっていたんだろう?あんまり続くと身体が持たないぞ」
「分かってるんだけど…」
 葉月のマンションの寝室にしている部屋で、布団の中で痛みと吐き気を堪えながら丸まっている葉月の枕元、土井垣が心配でおろおろしながら声を掛けている。冬のオフになり、やっと二人で甘い時間を過ごせるかと思っていたら、彼女が珍しく『月に一度の行事』でダウンしてしまったのだ。彼女は身体が弱いだけではなく、元々この症状も重かった事から、保健師として働き出した頃から症状が軽くなる様な治療を受けていて、その成果かかなり状態は良くなっていたし、辛い時の休暇も法令を順守する職場なので、きちんととらせてもらっている。故に土井垣が彼女と付き合い始めてから、これ程までに酷い症状になった彼女を彼は見た事がなかった。更に彼は元々こうした女性特有の身体の変化に疎い上、彼の母親がこうした姿を見せた事がなかったのでどうしていいのか分からず、ただあたふたおろおろするばかり。それでも彼女の状態を知っていこうと、彼女が辛くならない程度にゆっくりと言葉を掛けていく。
「しかし…その、お前は…治療も兼ねて…その、ピル…とかで症状が和らいでいたんじゃなかったか?」
「うん…ピルのおかげで…大分辛さが減ったんだけど…でも、何か月かに一回は…こうなってるの…」
「しかし…俺といる時は…その、これ程酷い事は今まで…その、無かったろう?」
「うん…将さんといる時に『これ』に引っかかった時は…今までこうなる時からは…ずれてたの。でも…今回は…当たっちゃったみたい」
「…そうか。一番辛い時に、俺は…傍にいなかったんだな」
 土井垣が沈んだ表情を見せたのに気づいて、葉月は哀しげな表情で、身体の辛さと土井垣を哀しませている心の辛さを堪えながら、ゆっくりと言葉を紡いでいく。
「将さんが…ううん、誰も悪いんじゃないの。女の人なら、大なり小なりある事だし…それに、あたしは幸せな方なのよ?」
「幸せ?こんな状態なのにか?」
「だからなの。これなら…誰にでも状態分かってもらえるでしょう?…『これ』の辛さは、おんなじ女性でも千差万別で…本人にしか分からないから…将さんみたいな…男の人だけじゃなくって…おんなじ女の人でも…ううん、女の人の方が逆に…仮病って思われたり…我慢するのが武勇伝みたいに…なっちゃうから。…身体よりメンタルに強く出るお姫とか…身体でも…痛みじゃない症状が出るヒナとかよりは…まだ辛さが分かってもらえるあたしは…幸せなの」
「…そうなのか」
「…うん」
 葉月の言葉に、土井垣は彼女の辛さを見た目でしか分かってやれない歯がゆさと、分かってもらえるから幸せと言いつつも耐え切れない程の辛さに耐えている彼女に対する痛々しさで、せめて少しでも彼女の辛さが和らいでほしいと彼女の手を取り、額を撫でる。その彼の行動に込められた彼の心を受け取って、彼女は辛さはあるものの、幸せそうな微笑みを見せる。そうして彼はせめて彼女の辛さを共有しようと一緒に食事をとらずに少しづつ白湯などを飲みながら静かに話していると、不意にインターホンの鳴る音がする。今は平日の昼下がり。こんな時間に来る人間とは誰だろうと思いつつも土井垣が受話器を取って応対すると、受話器の先の相手に返す言葉毎に彼の機嫌が悪くなっていく。そうしてインターホンを切ると、彼は葉月に向き直り、不機嫌な口調で問いかける。
「…おい、お前いつの間に御館さんを呼んでいたんだ」
 土井垣の言葉に、葉月は訳が分からないという風情で言葉を返す。
「え?…今の柊だったの?」
「とぼけるな。お前が呼ばなければ、何で平日のこの時間に御館さんが来るんだ」
「でも…ホントにあたしも分からないのよ…?」
 そうして言い合っている内に中のインターホンが鳴り、土井垣が応対してドアを開けると、何やら荷物を持った柊司が入ってきて、寝室の入り口から葉月に声をかける。
「よお…やっぱ思った通り、今月はくたばってたか。んで、オフだから土井垣も来てるだろうって思ったが、予想ぴったりだ」
「柊…何で…?あたしの状態分かってたの…?」
 葉月の言葉に、柊司は顔を掻きながら言い辛そうではあったが、土井垣を牽制する様に優しく言葉を掛けていく。
「あのな~…毎回お前が寝込んでる時に、文来させてんので気づけよ。高校時代お前が何度『これ』で保健室の住人になってただけじゃねぇ、何か月に一回かはぶっ倒れて、そのたんびに丁度部活見に来てた俺がお前を家に送ってった上に、大学院やら仕事やらで遅い文やらおじさん達の代わりに、動けないお前の世話してたと思う?…保健師になってから治療始めたのも一応は文から聞いて知ってるが、それでも見てりゃあお前の状態は分かるし…大体くたばるサイクルは悪ぃが頭に入っちまってらぁ」
「…そっか…」
「…」
 柊司と葉月のやり取りに、彼女達二人の付き合いの歴史の長さだけではなく、二人の間の自分が入っていけない領域を感じ取って、土井垣は機嫌が悪くなる。その心のままに土井垣は柊司に声をかける。
「それで…何しに来たんですか、御館さん」
 土井垣の不機嫌な口調に、柊司は彼の嫉妬を感じ取ったらしく、いい傾向だという風情でにやりと笑うと、二人に問いかける。
「ああ。いつもは文に代行頼むんだがな。お前がいると思ってたから久しぶりに見舞いに来たんだ…で、葉月。飯食ってるか」
「御館さん、それは俺に対する当てつけですか。葉月がこういう状態だって分かっているなら、その答えくらい分かるはずでしょう」
 土井垣の言葉に柊司は更ににやりと笑うと葉月に言葉を掛ける。
「ああ、やっぱ食ってねぇか。…葉月、ささみといつも頑張ってるお前にこう言う時にいい『ご褒美』買ってきたぞ。調味料は流しの下の棚で、おばあちゃんの梅干しは冷蔵庫だったな」
 柊司の言葉に葉月は彼の言葉の意味が分かっているのか、ゆっくりと言葉を返す。
「うん。…それから…ご飯は…冷凍してあるのだけじゃなくって…将さんが白いご飯なら食べられるんじゃないかって炊いてくれたから…一杯炊飯器にあるよ」
「そうけ…そりゃ上等だべ。んじゃ土井垣、ちょっと来い」
 葉月の話を聞いてからキッチンに足を運ぶと、ナチュラルに今言った物を出している柊司に呼び寄せられて、土井垣は来たとたんにまるで家族の様に振る舞い、葉月もそれを許している事に嫉妬で虫の居所が悪くなりながらも、とりあえずは目上の人間でもあるし、言う事を聞かねばと無愛想な表情で柊司のもとへ行く。
「何ですか」
「これから葉月の飯作るぞ。だからお前も手伝って覚えろ。それにお前の性格だ。どうせ付き合って食ってないんだろうから、葉月に食わせて、お前も一緒に食え」
 柊司の全てを見通した、しかし土井垣から見たらあまりに無神経な言葉に、これで完全に堪忍袋の緒が切れた土井垣は声を荒げる。
「御館さん!『葉月の状態が分かる』んでしょう!?だったら一口も飯が食えないどころか、匂いだけで戻している事くらい分かっていておかしくないんじゃないですか!?それなのに『飯を作る』なんて…何を考えてるんですか!」
 土井垣のある種もっともな言葉に柊司はにやりと笑うと、不意に真剣な表情と口調になって言葉を紡ぐ。
「…確かに今の葉月は飯が喉を通らねぇ状態だ。でもな、それは『普通の飯』だ。こう言う時だけじゃねぇ、風邪とかで吐き気が強い時にも食えるもんが東京じゃ手に入らねぇ『特別な一品』を抜かしても一つだけあるんだよ。それから体調に合わせた飯の作り方もある。今日はこういう時のもんだけ緊急で教えるが、その内うちに来い。そうしたら全部教えてやるからお前も覚えろ。本音は…俺がずっと作ってやりてぇが…今の俺達やお前らの関係なら…お前がやるべき事なんだからな」
「…」
「柊…」
 柊司の言葉に、土井垣も寝室で聞いていた葉月も何も言えなくなる。その表情を見た柊司はふっと笑うと更に言葉を掛ける。
「…じゃあ作るぞ」
「…はい。でも、ささみを使って何を…?」
 土井垣の言葉に柊司はさらりと応える。
「ん?…まあ、簡単に説明すりゃあ、鶏粥もどきさね」
「しかし、葉月はいつもなら胃が辛い時も大方喜んで食べる俺の作る鶏雑炊すらアウトだったんですが…」
 土井垣の言葉に、柊司は更に詳しく説明する様に言葉を紡いでいく。
「まあ、そうだろうな。葉月からお前の作る雑炊がうまいって話からどんな味か聞いた事あるが、鶏にしろ他の物にしろ、お前だしかなり利かせる上に、大方しょうゆ使うだろ」
「え?…ああ、はい…」
「そこでアウトなんだよ。葉月は『こういう時』吐き気が辛くなるとお前も見た通り、味だけじゃねぇ、匂いに敏感になるんだ。その中でも、食いもんでは飯やだしの匂い、みそやらしょうゆの匂い、砂糖やら蜂蜜やら乳製品の匂いっていういつもなら大好物の、しかも料理の基本的匂いが全部辛くなっちまうんだ。それに鶏雑炊で使う肉の部分だと、一羽つぶさない限りはいいだしがとれるっていうのは大抵もも肉っていうからお前もぶつ切りのやつ買って使ってんだろ?でもいいだしが取れていつもなら大好物でも、豆腐ですらたまに食えなくなるこう言う時の葉月には、匂いと一緒に汁に溶ける脂が辛いんだよ。だからこれから作るのは、葉月がこう言う時でも匂いも味も大丈夫だったもんで作る俺のオリジナルだ」
「そうですか」
「…じゃあ作り方教えて所々は手を貸してやるから、お前が作ってけ。…きっと、その方が葉月は喜ぶ」
「御館さん…」
 今まで嫉妬心で腹を立てていた土井垣も、柊司の自分の心を抑えても葉月を一番に思うその想いに気持ちが和らぎ、嫉妬心と尊敬という相反する感情が交じった複雑な気持ちになり、何とも言えない表情になる。それを見た柊司はふっと笑うと更に言葉を掛ける。
「さあ、早く作って葉月に食わせて元気を戻してもらわにゃな」
「…はい」
 そう言うと土井垣は柊司の指導で粥もどきを作っていく。まずはささみの筋を取って茹で、冷ましている内に炊いた白いご飯に水と葉月が定期的にもらっている彼女の祖母手製の梅干しを果肉をちぎって混ぜ、薄めの粥になる様に煮込む。煮込んだ粥もどきにとろみがつき、梅干しでほのかな酸味のある香りがしてくると同時位に火を止めて、梅干しの塩味では薄すぎるので塩を入れて味を調え、最後に冷ましたささみをほぐして混ぜ入れる。そうして出来上がった粥もどきを見て柊司はにっと笑うと言葉を紡ぐ。
「…これで出来上がりだ。初めて作ったにしても雑炊作り慣れてるおかげでうまくできたな」
「…はい」
「米から炊く時も梅干しは始めっから入れろ。その時ゃ初めに半量、香りが飛ぶから仕上げにもう半量だ。多少多く入れても葉月はこの匂いと味だきゃ大丈夫だから食える。後は葉月が辛くなきゃやっぱり葉月のおばあちゃん手製のしそっ葉とか白ごま掛けて食わせても大丈夫だ。この粥はこう言う時とかの吐き気が強い時の飯だが、そういっても普通に一食食う量は一気には食えねぇから、後は葉月の様子を見て、三食分を5~6回にしてもいいから、少しずつ分けて食わせてやれ。んで、これが一回に一食分食えるようになったらまず中身は豆腐とかわかめとか癖のないもんで澄まし汁作って食わせてみて、食えたら回復に乗ったってこったから少しずつ普通食に戻せ。それから…ほら、葉月に持ってきた『褒美』は何にも食えねぇ時に唯一食えるもんと、『こう言う時』にいい茶だ…とはいえこっちは常備できねぇし、片方は東京にはないもんだがな」
「御館さん、これは…」
 そうして柊司が更に持ってきた荷物から出したのは、ローズティーと葉月の大好物で、彼女の実家である小田原にあるケーキ屋のケーキだった。その『ご褒美』を見て土井垣は、柊司が彼女に食べさせるこれを買うためだけに、東京から小田原へ戻ってとんぼ返りしてきたのだと瞬時に分かって、彼の彼女に対する想いの深さを痛感させられる。そうして彼女のためならそんな事も厭わず簡単にこなしてしまう彼に対して、自分は何もしなかった上、何と役立たずなんだろうという思いが湧き上がり、そのままの暗い表情を見せる。その表情に柊司は宥める様に笑いかけ、ライバルとはいえ意気消沈せるのは本意ではないという様に悪戯っぽい口調で言葉を続ける。
「おい、そんな表情見せんじゃねぇよ。俺が何でお前に教えたら自分が不利になるって分かってんのに、お前に隠さずここまで見せたか分かれや。ちゃんと知ってりゃ、お前もお前なりに俺に対抗できんだぞ?俺は葉月をかすめ取るんじゃなくって、正々堂々奪わせてもらうんだからな。沈んでる暇あったらお前なりに対抗しろや、分かったか?」
「…はい」
「…よし、んじゃ俺は今日はこれで帰る。ケーキは飯の合間に食わせてやれ。これはどんなに吐き気が辛くても葉月は吐かずにぺろりと一個食い切るから。それから茶の方は普通の茶といれ方は同じだが、余ったからって長く保存しねぇで風呂にでも入れて使い切れ。分かったか」
「あ、はあ…」
「じゃあな。…葉月、土井垣に思いっきり甘えちまえな。それでも俺の方がいい事があったら、いつでも呼べな。…何があってもすぐに来てやっから」
「…ありがと、柊」
 寝室に顔を出して優しい微笑みで声をかける柊司の心遣いに、葉月は彼の想いを知っているための申し訳なさと嬉しさの混じった表情で彼に微笑み返す。それを見て柊司もふっと更に優しい笑みを見せると手をあげて部屋を出ていった。それを見送った後、土井垣は静かに彼女に声をかける。
「じゃあ…折角の飯だから…食うか」
「…ん、食べる。だから将さんも一緒に食べましょう?」
「…ああ、でも先に…お前に食わせてやる。自分で食うのは…今、辛いだろう?」
「…ん」
 土井垣の言葉に葉月は顔を赤らめながらも頷く。それを確認すると彼は柊司に言われた通り少なめに粥をよそって彼女の枕元へ持って行き、問いかける。
「寝ながら食うのは食いづらいだろうから…辛いかもしれんが、起きるか?」
「ん…起きて食べたい」
「じゃあ…起きていられる様に…支えてやるか」
「…うん、ありがと」
 葉月が起き上がったところで土井垣が背中から身体を使って彼女がもたれられる様に支えると、一口づつゆっくりと彼女に粥を与えていく。ささみ自体が癖のない部位であると同時に、梅干し特有の酸味のきいた香りと味のおかげで肉やご飯特有の香りや味も相殺されたせいか、彼女も戻す事なく静かにゆっくりと食べていく。そうして彼女用の茶碗に軽く一杯の粥を食べきった所で、彼女はにっこりと彼に微笑んで言葉を掛ける。
「…うん、今はこのくらいでいい。ありがとう、やっと…ご飯が食べられた」
「うん、俺も良かった。お前が『この事』だけじゃなく、大げさかもしれんが…栄養失調で倒れる前に飯が食えて。…しかし、今まで何でこの粥の作り方を教えてくれなかったんだ?」
 土井垣の問いに、葉月は少し考えると、少し寂しげに答える。
「うん…このお粥の作り方は簡単だけど…食材選ぶから難しいのよ。ご飯とかささみはともかく、梅干しとか上にかける赤紫蘇のふりかけは市販のじゃなくっておばあちゃまの作ったのじゃないと、何でか同じ様に作っても食べられないの…それに…これ、食べられないあたしを見た柊が一生懸命試行錯誤してくれたレシピなの…将さんそれ分かったら…嫌な思いするんじゃないかなって…思ってたから…」
「…そうか…でもな」
「でも?」
「それでも…御館さんの考えた料理だって…お前のためなら俺は全部知りたい…お前が元気で笑っていてくれるのが…俺の喜びで、励みなんだから」
「…将さん…」
 土井垣の想いが分かる言葉に、葉月はほんの少しだけ嬉し涙を零す。彼はそれを優しく拭うと、彼女を支えた体勢からきつく抱き締めて、彼女に囁く。
「それで…俺の作った粥は…うまかったか?」
「正直に言うけど…普通にはおいしいけど…作り慣れてる分、柊の作る方がおいしい」
「葉月、お前…!」
 葉月の悪戯っぽく囁き返した内容に、土井垣は嫉妬で虫の居所が悪くなりかける。その表情を見た葉月は優しい微笑に表情を変えると、そのままの口調で、しかし少し恥ずかしげにゆったりと彼に体を預けて言葉を紡ぐ。
「でもね…よく将さんあたしに言うでしょ?『どんなおいしい料理があっても、葉月の作る飯が一番落ち着くし、好きだ』って…それと同じなの。もちろん柊の作るお料理はおいしいから大好きだけど…それ以上に…将さんの作るお料理は、おいしいのはもちろんだけど…おいしいとか言う事全部飛び越えた所にある…一番大好きなものなの。だから…気持ちって意味では柊のつくるお粥よりも…満足が一杯なの。それに…柊の料理は将さんだってあたしの料理よりおいしいって言ってるじゃない…ほら、そういう意味ならおんなじよ?」
「…そうか、そうだな」
「うん」
「…ありがとう」
 そう言うと土井垣は唇だと吐き気がまた出てしまうかもと、葉月の頬の辺りに軽くキスをする。それに対して彼女は彼の唇を自ら塞いだ。そうして唇を離した後、彼女は優しく彼に言葉を更にかける。
「じゃあ…とりあえずあたしは今食べるのはこれだけにしておくから、将さんはあたしに付き合ってお腹すいてるだろうし、お腹いっぱい食べて?将さんが知りたいって言ってくれたし…あたしが食べられる料理の味…知ってほしいの」
「ああ、じゃあ遠慮なく食わせてもらうか」
 そう言うと彼も粥をよそって彼女の隣で食べる。梅干しの塩味と加えた塩が絡んだ少々塩辛い味ではあったが、梅干し特有の酸味の香りや味はあってもだしの様なある種癖のある香りや味がない分、確かに今の彼女なら食べやすい味だし、一日の栄養量には程遠いほんの少しの量ではあるがささみでたんぱく質もとれるし、梅干しの酸味と香りがまた吐き気ではなく食欲をそそってくれるのだろうから、確かに食も進むだろう。土井垣はこの粥を彼女のために一生懸命考え出し作っていた柊司の想いの深さをさらに実感し、そこに今度は嫉妬ではない、尊敬とある種の胸の痛みを感じて平らげ、一息ついたところで彼女に声をかける。
「…ごちそうさま。少し悔しいが…御館さんの想いが一杯籠った…いい飯だな」
「…うん」
「でも…絶対御館さんよりうまく作れるようになって…言われた通り、ちょっと癪だが御館さんに全部お前の身体にあった料理を伝授してもらって…こういうお前のための飯を…俺も、俺独自の物を考え出してやる」
「…うん、ありがとう。楽しみにしてる」
「…そうだ、粥が少しとはいえ食えたという事は多少腹が落ち着いたろう。癪とはいえ折角の御館さんの気遣いだ。戻さないんだったら、持ってきてくれたケーキとお茶も食ってみるか?」
 土井垣の言葉に葉月は粥を食べて多少元気が出たのかにっこり笑って頷く。
「…うん、お腹落ち着いたみたいだから…食べたい」
「じゃあ用意するか」
 そう言うと土井垣はお茶のために改めて湯を沸かし、ケーキを布団でも食べやすい様に皿ではなく小鉢に入れてまず持っていき、湯が沸いたところでローズティーを入れる。ローズティー特有の甘く柔らかい香りにふっと柊司に対する胸の痛みや嫉妬などを感じると同時に、彼女に対する自分が持っている優しい想いや愛情が何故かふわりとその香りの様に胸に浮かび上がる気がして何となく照れ臭くなりつつお茶を持っていくと、彼女に渡して優しく声をかける。
「ほら、いれたぞ。…しかし何というか…この甘い香りは…不思議とお前に優しくしたくなる気持ちが強くなるな」
 土井垣の言葉に、葉月は恥ずかしそうに、しかし説明する様に応える。
「うん…ローズっていうのは元々気分を落ち着けて華やかにする作用があるらしいし…それに女性機能に良くてこう言う時にもいいだけじゃなくって昔から『若返りの薬』って言われてる位で、お茶にしてもアロマに使うエッセンシャルオイルにしても肌のしみとかしわを防ぐっていう老化予防っていう作用もあるし…男性には香りが…ええと…」
「どうした?」
 不意に言葉を濁した葉月が不思議で土井垣が問い返すと、彼女は恥ずかしそうに消え入りそうな声で更に言葉を重ねる。
「…濁したので…分かって」
「あ…ああ、そう言う事か…」
 土井垣は彼女の言葉でその意味を察し、赤面して頷いた後、それでも優しく言葉を紡ぐ。
「まあ作用はともかく…バラの茶なんて物があるとは…葉月と付き合わなかったら、俺みたいな野球にしか能がない男は一生知らなかったかもしれんな。しかし使い切れだけじゃなく、茶なのに風呂に使えと御館さんが言ったのは何でだ?」
「ああ、ローズとか最近はペットボトルで売ってるジャスミンのお茶はお茶っ葉の場合香りとか色が飛びやすくって保存しづらいから、その度に使い切って少しづつ買うのが一番いい状態で使えるからなの。それにハーブティーの場合、飲めなくなっても元が食べられるものだから種類によっては入浴剤代わりとか化粧水代わりとかにできるのよ。ローズはそうして使えるからそうして飲みきれなかった分はいい状態のうちに使い切れって事」
「そうなのか…これも覚えないとな。御館さんに負けない様に」
「…うん、ありがと。じゃあ将さんも一緒に食べましょう?」
「ああ、そうだな」
 そうにっこり嬉しそうに微笑んで口を開いた葉月に返す様に微笑むと、二人はケーキとお茶を食べていく。土井垣は彼女の実家に行った時に何度も食べた事があるため、ここのケーキが元々甘味もあっさりしているし香料なども多くは使わないシンプルな味だと知っていたのだが、そのためなのだろうか、彼女は普段は大好物で多少具合が悪い時の非常食で食べている東京の洋菓子屋のプリンなどでも戻していたのに、これは本当に戻さずにパクパクと食べきって『お腹いっぱい、久しぶりのお腹ぱんぱんの気分が嬉しい』と笑った。それを見た彼はやっと彼女が満腹になれた嬉しさと、こうした事を全く知らなかった胸の痛みの混じった複雑な感情で、にっこり笑ってローズティーの香りを楽しみながら味わっている彼女を見詰めながらぽつりと呟く。
「さっきの粥もそうだったが…俺は…長く付き合ってきているのにお前の食い物に関する本当の事を…何も知らなかったんだな。今だってここのケーキが好物という事は知っていたのに…こういう時の非常食だったという事は…教えてもらっていない」
 土井垣の言葉の口調に隠された心情を察した葉月は、彼にローズティーを勧めながら、優しく宥める口調で言葉を返す。
「だって…これは小田原の個人のお店のケーキよ?小田原に行かないと手に入らないもの。…小田原にいる時ならまだしも…食べたい食べたいって、東京にいるのにわがまま言えないわ」
 その言葉に土井垣は勧められたローズティーも受け取らず、沈んだ口調で言葉をさらに返す。
「でも…俺はそんなわがままを…言って欲しいんだ。確かにお前は大分俺に甘える様になっては来ているが…それでも、御館さんに対して程の遠慮がないわがままは言わないじゃないか。俺は…お前が御館さんに遠慮なく甘えるみたいに…もっと…お前に甘えてほしいんだ」
「…」
 土井垣の沈んだ口調の言葉に、葉月は勧めていたローズティーを置くと、ふっと優しく彼を抱き締めて、静かに彼に囁く。
「そっか…でもね…そうしてわがまま言って、将さんが小田原に買いに行っちゃったら…あたしその間独りぼっちになっちゃうのよ?…独りぼっちになるくらいなら…ご飯が食べられなくっても、将さんにずっと一緒にいてほしいっていうのが…あたしの一番のわがままで…将さんへの甘えなのよ?」
「葉月…」
 葉月の嘘がない優しく愛のこもった言葉に、土井垣はふっと微笑んで身体を離した後、ローズティーを受け取って飲み干すと、彼女にもう一度キスをして囁く。
「だったら…お前の具合が良くなるまで…ずっと一緒にいてやる。そうして飯も作って…食わせてやるし…お前の身体も心も冷えない様に…温めてやるから」
「…そう、そうしてほしいの」
 そう言うと二人は微笑み合い、その後は少しづつ彼女の食事を手づから与えながら、眠る時には彼女を温める様に抱き締め、彼女が回復するまでずっと一緒にいた。彼女の一番の『わがまま』を満たし、自分の想いを伝える様に――