三太郎が弥生と付き合い始めて数カ月経った頃。小児科医である彼女の小児医療に立ち向かう姿勢に励まされながら、順位は苦戦しているし、三太郎本人も一時の様にホームランバッターとはいかなくなったが、その代わりに守備を強化し、ホームランこそ減ったがひと試合ひと試合の打撃を確実にチャンスに繋げるものにしていた。そうしてお互い忙しい合間を縫って会っていたある日、オフと彼女の当直明け休暇が合うと聞いていたその前日に当日どうしようか予定を立てるために電話をかけると、電話口から今までに聞いた事がない位とても疲れた口調の弥生の声が返って来た。
『…ごめん、三太郎君、ちょっと明日会えそうにないわ…』
 三太郎は折角のオフ以外では滅多にない会える時間が無くなる寂しさもあったが、それ以上に弥生の辛そうな口調が心配になり、それをそのまま言葉に乗せる。
「どうしたんだよ、弥生さん。何かものすごく辛そうだぜ?一人なんだろ?俺じゃなくても宮田さんとか呼ばなくて大丈夫なのか?」
『ええ…心配はいらないわ…ちょっと…眠気が酷くなっちゃってるだけだから…でも、この眠気が出る時って、2~3日は立ってても寝ちゃう様な状態で…仕事にもならないし…外に出るのが危ないのよ。でも峠越えれば元に戻るから心配いらないわ…でもちょっと三太郎君と会って外出るのは…無理だわ』
「そっか…声だけでも辛いの分かるから…明日は諦めるよ。でも、何かあったら俺でも宮田さんでもいいから、絶対に遠慮しないでSOS出せよ」
『うん…ありがとう。…じゃあ、もう寝たいから…おやすみなさい』
「ああ、お休み。…お大事に」
 そう言って電話は切ったものの、心配は募るばかり。とはいえこれ以上彼女に電話攻撃は彼女が辛いだろう。三太郎は考えた末、ある女性に電話をかけた――

『ああ、微笑さんですか。どうしたんですか?』
 電話口の葉月は珍しい電話の相手に不思議そうに問いかける。親友なら彼女の『異変』について知っているかもしれないし、若菜とは知り合って間もないだけでなく、体調的な異変についてはケースワーカーの若菜よりは保健師の葉月の方がより分かるだろうと思って聞かないよりはましだ、と葉月に電話をかけたのだ。三太郎が今日あった事を彼女に話すと電話口の彼女は静かに聞いていて、三太郎の言葉が途切れたところで『ヒナのその状態って事は…え~と今日は何日だっけ…』と日付を数える様に呟き、『そういう事か。だとすると電話口はちょっときっついし彼女の方が説明できるから…手助け借りよう。だったら明日は…あっちか』と自己完結した様な言葉の後、ほんの少し声を抑えた口調で言葉を彼に返す。
「…え~と、難しい話じゃないんですが、ちょっと電話口だとややこしいし話し辛い話なんで…さっきの話だと明日微笑さん身体空くんですよね。説明がてらちょっと一緒に行って欲しい所があるんですけど、お昼の一時間程度でいいですから私にお付き合い願えます?」
「え?ああ、かまわないけど…」
 その陰からは土井垣らしい『お前、俺との約束はどうする気だ!』という荒い声が聞こえる。電話口の葉月はその声に対して『お昼から後はまた二人になれるし、いい機会だから将さんも一緒に来て下さい。あたし含めて女性にどういう気遣いをすればいいか分かりますよ』と返して、三太郎に言葉を返す。
『それじゃあ12時に地下鉄の…S駅分かりますか?』
「ああ、分かる。大丈夫」
「じゃあそこの改札で待ってて下さい。段取りは全部組んどきますから」
「ありがとう。…ところでさ、かなり辛そうだったんだけど、弥生さんほっといて平気?」
『大丈夫です。微笑さんの話の通りなら、騒ぐよりそのまま寝かせてあげた方が親切ですよ。微笑さんが『ケア』できる様になれば話別ですけど』
 葉月の言葉に、三太郎は医療の知識がない自分にそんな事ができるのかと問い返す。
「俺でもケアできるの?」
『はい。でも男性はケアするにはちょっと知識がいりますから、明日それレクチャーしてもらいます。…その前にヒナがやばいと思ったら微笑さんなり私なりに必ずSOSくれますから、向こうから連絡来ない限りはそっとしておいてあげて下さい』
「ああ…心配だけど…宮田さんがそう言うなら信じるよ」
『じゃあ、明日よろしくお願いします』
「お休み」
 そう言うと三太郎は電話を切り、一抹の心配はあるものの、明日が早く来るように願いながら眠りに就いた――

 翌日、ほんの少しの焦る心とともに朝食を取り、早めにS駅に行くと、葉月と土井垣が改札口にやって来て、葉月はそこから歩いて2~3分程歩いた所にあるクリニックに足を運ぶ。『京レディースクリニック』と書いてある下に『産婦人科』と書いてある文字を見つけ、土井垣もそうだが三太郎も気恥ずかしさで顔を赤くしたのを見て、葉月は少し苦い顔を見せて言葉を紡ぐ。
「気恥ずかしいのは分かりますけど、そういう変な目で見る態度が女性を辛くする一因なんですよ。変な考えで見ないでちゃんと女性の身体の事を知って、大事にして下さい」
「…分かった」
「…ごめん、宮田さん」
 二人のしゅんとした態度に葉月も首をすくめ、『怒り過ぎましたね、すいません』と言葉を返すとドアを開ける。入った所で受付が『すいません、午前の診療は終わりました』と言葉を掛けてくる。それに対して葉月が『いえ、診察ではなくて今日こちらにいらしている朝霞先生に面会に来た宮田と申します。先生には話が通っています』と言葉を返すと受付は『少々お待ち下さい』と言葉を返し、内線らしい電話で会話をした後、『先生のご友人ですね。先生の手が丁度開きましたので診察室にお入り下さい』と待合の先のドアに促され、葉月の先導で三人は診察室に入る。診察室の中には柔らかい中にも筋の通った雰囲気の女医がにっこり微笑んで待っていた。ドアを閉めると、女医は葉月に言葉をかける。
「葉月さん、お久しぶりです。調子はどうですか?忙しいそうですが、ストレスたまると症状強くなるでしょう?」
「ええ、おかげさまでうちの職場自体が婦人科検診本格化したついでに、男性職員に知識叩き込んで楽にしてるわ。それにしても睦美ちゃんも病院勤務だけじゃなくて、こうしてクリニックの手伝いで地域密着の修行もして、ヒナともどもすっかり開業に向けてひた走ってるわね。あなたこそ無理しちゃだめよ。『医者の不養生』っていうのはホント多いんだから」
「はい、肝に銘じます。でも頑張れるだけ頑張りたいんです。技術だけは太鼓判押されたんであとは早くある程度対人的ないい経験積んであっちに戻りたいですから。でも正直本質的な事は別にして、姉さんに比べて、開業って点でだけで言ったらあたしの方が恵まれてるかも。旦那も医師で公私ともにいいパートナーだし。…まあそれはどうでもよくて…そっちのニコニコした人が姉さんの彼氏でしたよね」
「そう、東京スーパースターズの微笑三太郎選手。こっちが監督の土井垣さんで、あたしの彼氏」
「葉月…そういう事はあまりはっきり言われると…」
「『姉さん』?…ってそういえば弥生さんに似てるし、『むつみ』さんって名前は確か前聞いた弥生さんの妹と同じ…」
 訳が分らず首を捻っている三太郎と赤面している土井垣に向かって、女医はまたにっこり笑ってぱっきりとした挨拶をする。
「初めまして、朝霞弥生の妹の朝霞睦美です。この通り産婦人科医をしています」
「そうだったんだ…ああ、すいません。初めまして、微笑三太郎です」
「挨拶が遅れました。土井垣です」
 礼儀正しく挨拶する二人に、睦美は明るく応える。
「あんまりしゃっちょこばらないで下さい。これから話す話は大切だからちゃんとした気持で聞いて欲しいですけど、矛盾しますが必要以上に堅苦しく聞いてほしくないんで。微笑さんが姉さんの事を大切に思ってくれるならむしろ姉さんと…土井垣さんだったら大切な葉月さんとフランクに話せる様になって欲しいのが産婦人科医師としては希望ですから」
「医師としてって事は…妹としてだったら?」
「まず姉の心配してくれた事が嬉しいです」
「そっか」
「はい」
 そう言うと二人は笑い合った。そうして和やかな雰囲気になった所で看護師にお茶をいれてもらい飲みながら睦美は弥生の『異変』の理由について分かりやすく話をしていく。その話が進んでいくうちに三太郎と土井垣は顔を赤くして、呟く様に言葉を零す。
「…え~と、つまり弥生さんの『異変』っていうのは…その…月に一度の『お役目』の一つ…って事…」
「…何と言うか…俺までこんな話を聞いてしまっていいのだろうか…」
 二人の反応に睦美は軽いが、真剣さは伝わる口調で言葉を返す。
「いいんです。健康なある程度の年齢の女性にはなくてはならないものなんですよ。日本では特にこういう生理とか妊娠・出産に関しての話は恥ずかしいとか日陰にされますけど、本当は大声で言わない限りは恥ずかしい事じゃないんですよ。女性にとってこれがあるからこそ、骨も丈夫でいられますし、健康状態も分かるんです。とはいえ確かに病気じゃないですが、その人の一番弱い所に症状が出ますから辛いのは同じです」
「じゃあ、葉月が治療をしているのは…」
「葉月さんは月経困難症って言って症状が病的に酷いんで、それに合った治療が必要なんです。他にも生理前に症状がひどくなるPMS…いわゆる月経前症候群っていうのもあって、その治療も人それぞれで痛みに対して鎮痛剤とか、メンタル面で安定剤っていう対症療法だけでいい場合と、全体的な治療になる漢方薬や保険のきくホルモン剤、最後の手段は保険がきかないのが悔しいですが、葉月さんみたいにピルも使います」
「でも、その、ピ、ピルって…避妊に使うんじゃ…」
 思わず言葉に詰まった三太郎に睦美は少し怒った口調で返す。
「そういう面ばっかり喧伝されちゃうから、変な想像されちゃってピルの敷居が高くなるんですよね。ピルは基本は女性ホルモンの薬で、服用すると妊娠してるのと同じ状態になるから、確かに避妊ってメリットもあるのは確かですけど、ホルモンのバランスが崩れてる人のホルモンバランスを整えるために使うのが本来の使い方なんです。でも禁止事項もありますけど比較的扱いやすい低用量ピルが認可されたのは本当に最近、しかもバイアグラのあおり食らってやっとって…どれだけ女性がないがしろにされてるんだか」
「まあまあ睦美ちゃん。さっきあたしも怒っちゃったけど抑えて抑えて」
「ああ、ごめんなさいヒートアップしちゃった。話を戻して。とはいえ大体の人はそんな治療はいらなくて、基本は痛みに対しては月に一度位なら依存はないんで市販の薬を飲んで、リラックスできて冷えない様にして、本人が一番楽な状態でゆっくりさせてあげればいいんです。安静の方がいい場合もありますし、逆に軽い運動する方が楽になる人はそれもありですしね。仕事に関しては、労基法で辛い場合は休ませなければいけないと生休の規定もありますし。ただ個人差はホントあるんで女性同士でも…っていうか女性同士の方が、前世代からの悪しき慣習で我慢して当たり前、サボりだとか目が厳しかったりするんで、むしろ自分達が病気の時に降りかかる話ですから、休みやすい様に男性が率先して変な意味でなく労わって欲しいとあたしは思ってます」
「そっか…やらしいとか男には関係ないとか勝手に思っちゃってたけど…むしろ俺達が率先して考え方変えなきゃいけないんだな」
「葉月も最終手段に頼っているという事は…ただでさえ弱い身体なのに…そんな辛い思いを味わっていたのか」
「将さん、そんな沈まないで下さい。とりあえず治療してますからそのおかげで大分楽ですし、私としても女性の身体について分かってもらえればいいんですから」
「…ああ、肝に銘じる」
「でも、だとしたら俺は弥生さんに何をしてあげればいいんだろう…」
 睦美の言葉を真剣に受け取り、真摯に悩む三太郎を見て睦美は嬉しそうに微笑むと、はっきりとした回答ではないが、三太郎が自分でその答えにたどり着く様な『ヒント』を口にする。
「姉さんの場合は…昔から変わってないんだったら痛みはあんまり出なくて、むくみが少し出るのと、姉さん本人が言った眠気が主な症状で…しかも普段も睡眠削って仕事やら症例学習やらしちゃう人だから…むくみはそれ程心配いらないんでせめて月一でもぐっすりゆったり眠れるようにするのが一番だとあたしは思います。その内容は微笑さんに任せますね」
「ありがとう。だとするとリラックスのために、宮田さんが結構得意分野なハーブとかもありか?」
「妊娠じゃないですし、姉さんは特に慢性的な病気もないですからハーブもアロマオイルも基本効能に限ったものだけじゃなくて、姉さんの好きなものが使えますよ」
「んじゃその辺り詳しい宮田さんにも協力してもらって考えてみるか」
「そうですか…でも良かった。姉さんの彼氏がこんな風に、姉さんの身体を真剣に心配してくれるいい人で」
「そんな風に褒めてもらえて俺も嬉しい」
「そうですか」
「まあ雨は降った気がしないけど『雨降ってじじいがたまる』って事で」
「葉月、それを言うなら『雨降って地固まる』だろう?」
 そう言うと一同は笑った。そうしてある程度の弥生の体調についての基礎知識を葉月と睦美から聞き、お礼を言ってクリニックを出て別れた後、三太郎は弥生をどうしたら労われるだろうかと考えながら昼食を摂り、ふっと思い立ってデパートの雑貨売り場と寝具売り場に足を運んだ――

 その夜、弥生が時間は長いがあまり質の良くない眠りから覚め、食欲もあまりないので適当な軽い食事を取っているとインターホンが鳴る。『はい』と言って出ると受話器から『俺、三太郎。ちょっとお邪魔していいかな』と声が返ってくる。弥生は『え、ええと…ごめんなさい。今パジャマで部屋ぐちゃぐちゃだから部屋に上げられない』と返すと『とりあえずはプレゼントあげたいだけだから、玄関口で2~3分立ち話でいいよ。だったら…いいかな』と返ってくる。三太郎の真摯な気持ちは分かったので『…それなら』と言って急いで見た目の事を考えて、カーディガンだけ引っかけてオートロックのドアを開けてしばらく待つと、中のインターホンが鳴る。弥生がドアを開けると、大ぶりの包みと小さな包みを持った三太郎が優しい笑顔で立っていた。驚いて彼女が彼を見つめていると、彼は照れ臭そうに口を開く。
「え~と、実はさ…昨日の様子があんま心配だったから、あの後宮田さんに電話掛けて…弥生さんの妹さんに会わせてもらって『理由』と『労わり方』教えてもらった。…弥生さん、毎月辛かったんだな」
 三太郎の言葉の意図を察して弥生は顔を赤らめて呟く。
「…もう、は―ちゃんも睦美も…」
「…いいや、最初は俺も照れたけど、健康な女性には必然のものだって分かったらそんな考え吹っ飛んじまった。でも辛くてやだったりめんどくさい事なのも、俺は男だから何となくだけしか分からないけど分かったから…ちょっと弥生さんが『こういう時』に少しでも快適になれる方法…考えてみた。だから…このプレゼント、受け取ってくれよ」
 そう言うと三太郎は弥生にまず大ぶりの包みを渡して口を開く。
「まず…これはコットンのブランケット。風合いがすごくいいのに丈夫で、洗濯機で丸洗いできて洗っても風合いが変わらないって寝具屋さんの太鼓判つき。これ掛けて風通し良くした窓際でひなたぼっこしながら昼寝したらきっと気持ちいいぜ。それから、その時のお供に…これ」
 三太郎は続けて小さい包みをその上にポンと置く。包みからは柔らかな香りが零れていた。
「これは…ラベンダーのサシェ。弥生さんが気に入るかは分からないけど、割合万人向けのリラックス効果ある香りだって宮田さんに聞いて買ったんだ。枕の下にでもしいて…寝るといいよ」
「…うん」
「本当は洗面器で簡単にできるっていう足湯で足あっためられるようにアロマオイルとか俺でもいれられるティーバッグに入ったハーブティーとかも買おうかなって思ったけど…弥生さんがどの香りとか味が気に入るか分からなかったから…あえて買わなかった。だからさ…元気になったら買いに行こうぜ。…一緒に、弥生さんの一番好きなものを」
「…うん。ありがとう」
「それから…そのブランケットは俺んちにも買ったから…今度は辛くなったら俺んち来て寝倒してもいいぜ?何せ俺んちのマンション、日当たり最高晴れるとぽかぽか最高にいい気持ちなんだから。…だから、最後に…これ」
 そう言うと三太郎は弥生の羽織っているカーディガンから出ているパジャマの胸ポケットに鍵を入れる。明らかにそれは彼の部屋の合鍵だと彼女には瞬時に分かった。驚いて立ち尽くす彼女に彼は一見いつもと変わらない様に見えるが、彼女には最高の優しさが伝わる笑顔で最後の決定的な言葉を告げる。
「弥生さんは俺の部屋にはいつでも出入り自由。だからその内オフはうちでお茶でも飲みながら、ゆっくりまったりっていう過ごし方もしようぜ?…でも、弥生さんが俺に鍵をくれるのは…すぐじゃなくていい。俺…待ってるからさ」
 三太郎の照れ臭そうだが真摯な心が伝わる口調に、弥生は嬉しさを全面に出した笑顔を見せて言葉を返す。
「三太郎君…ありがとう。こんなに沢山、とってもいいプレゼントくれて。…うん、まだ独り暮らしの煩雑さがあるからうちの鍵はあげられないけど…早めに片づけて鍵…渡せるようにするわ。あたしも」
「ありがとう。んじゃ今日は気を遣うだろうから俺はこれで帰るけど…その内『こういう時』にお茶いれてひなたぼっこの相手する位の世話はさせてくれよ」
「…ええ、ありがとう…そうだ」
「何?」
「今ちょっと飲みたいお茶があるんだけど…手間がかかる分、一人分だけいれるのは面倒なの…だから、上がって…一緒に飲むの付き合ってくれないかな」
「…ああ、弥生さんがいいなら喜んで」
 そうして彼女の部屋のドアは静かに閉じた。