――裏庭の生垣を通り抜けるとお姫様がいる、綺麗で、優しくて、ちょっと不思議なお姫様が――


「…あら、いらっしゃい。千枝子ちゃん」
 縁側が見える部屋でお琴を弾いていた『お姫様』が笑った。身体が弱くてあまり外に出られないから、こうやってお琴を弾いたりお裁縫をしたりして一日を過ごしているのだ。
「おねーちゃんすっごーい!またじょうずになったね」
「まぁ、千枝子ちゃんたら…」
 あたしは『お姫様』の事を『お姉ちゃん』と呼んでいる。照れたようにお姉ちゃんが笑った。
「いいなぁ、あたしもおねーちゃんみたいにこういうのがひけたらなぁ」
 羨ましくてそう言うとお姉ちゃんはあたしの頭をなでて言った。
「じゃあ、少し触ってみましょうか」
「ほんと!?」
「ええ、どうぞ」
「うわーいっ!」
 あたしは上がり込むと、教えてもらいながらお琴を弾かせてもらった。
「…千枝子ちゃんは上手ですわねぇ、ちゃんとおけいこすればもっと上手になりますわ」
「えへ、そーかな…。でもおねーちゃんのほうがすごいよ、ほかにもできることがいっぱいあるんだもん」
 あたしが言うと、お姉ちゃんは少し寂しそうな顔で笑った。
「そうでしょうか、私は千枝子ちゃんみたいにお友達とお外を元気一杯に走れる方がずっと良い事だと思っていますわ。私は千枝子ちゃんが羨ましい…」
「…おねーちゃん…」
 そうだ、本当はお姉ちゃんだって学校に行ったりしたい筈なんだ。始めて会った時も寂しそうな顔をして外を見てたんだから…
「…御免なさい、少し意地悪でした」
「ううん、そんなことないよ。それにおねーちゃんはいいひとだからかみさまがきっとげんきにしてくれるよ。そしたらいっしょにいろんなとこへいこうね!ゆうえんちでしょ、どうぶつえんでしょ、やまのうえのおはなばたけでしょ、えっとそれからぁ…」
「あら、それはみんな千枝子ちゃんが行きたい所でしょう?」
「えへ、ばれちゃった。でもいーでしょ?おねーちゃん」
「ええ、参りましょうね」
「やったぁ!あ、そうだおねーちゃんあのね…」
 あたしは何だか恥ずかしくなって別の話を始めた。

 お姉ちゃんのお父さんは着物屋さん、お母さんはそれを手伝いながらお茶の先生をしている。二人とも優しくていつもにこにこ笑っているからあたしは大好きだ。あたしが勝手に入ってお姉ちゃんと遊んでいても怒るどころかおやつまで出してくれちゃうので、あたしのお母さんはいつもすまながっている。それから、お姉ちゃんにはお兄ちゃんもいる。でも一緒に住んでいなくてこの家にもあまり帰って来ない。あたしは何度か会ったことがある。とっても優しいけれど、なぜかちょっぴり寂しい感じの人だった。
「…そういえばおねーちゃん、こんどのおまつりでおどるんでしょ、おばさんからきいたよ」
 あたしはお茶を飲みながらおばさんから聞いた話をした。お姉ちゃんがにっこり笑いながら答える。
「ええ、あの舞は私と兄さましか踊れませんもの」
「じゃ、おにーちゃんもかえってくるの?」
「ええ、二人いないとできませんから」
「そっか、たのしみだなぁ。またあそんでもらっちゃおっと。あとね」
「まぁ、まだありますの」
「うん。あのね、こないだね、あたしのひみつのばしょ、ほら、まえにおねーちゃんにおしえたとこ。あそこにいったらふしぎなひとがいたの」
「『不思議な人』?」
 お姉ちゃんが聞く。あたしは続けた。
「うん、なんかケンカみたいなこと…『かくとーぎ』っていうんだっけ、それのれんしゅうしてるひとがいたんだ」
「それがどうして不思議ですの」
「まってよ、つづきがあるんだから。でね、そのひとのてから、ひがでてたの。あつくないのかなぁ。あ、うそじゃないよ。ほんとのことだもん…あれ、おねーちゃんどうしたの?」
 見るとお姉ちゃんはものすごく驚いた顔をしていた。
「…千枝子ちゃん、その人はどんな方でした…?」
「えっ…えーとね、おとこのひとで、がっこうのせいふくきてて、としがおねーちゃんよりちょっとうえくらいみたいだったからこうこうのひとかなぁ…でもおにーちゃんくらいにもみえた」
「そう…」
 お姉ちゃんは何か考えているみたいだ。
「どうしたの?おねーちゃん、しってるひと?」
「ええ…それより千枝子ちゃんが見た人は、この様な方でしょう?」
 そう言うとお姉ちゃんはあたしが見た人と同じ様に手から火を出した。その火はふわりと掌を上げるとチョウチョになって消えた。
「そう!おねーちゃんてすっごーい!でもなんでおねーちゃんおなじことができるの?」
「…その方と私達とは元々親戚のようなものですもの…この位のことは私達にもできますわ…」
「『わたしたち』っていうと、おにーちゃんもできるの?」
「ええ…兄さまの場合はこうですが…」
 そう言うとお姉ちゃんは今度は青い火を手から出した。
「うっそぉ!…でもなんでおねーちゃんどっちもできるの?」
「さあ…私にも分かりません」
「ふうん…」
 あたしはうなずいてお姉ちゃんを見詰める。お姉ちゃんはまたぼんやりと何か考えているみたいだった。何だか心配になってあたしはお姉ちゃんに話しかけた。
「おねーちゃん、どうしたの?」
「いえ、別に…それより千枝子ちゃん、この事を誰かに話しましたか…?」
「ううん、しんじてもらえないとおもったから、おねーちゃんがさいしょだよ」
 そう言うとお姉ちゃんはまじめな顔になりあたしの手を取って口を開く。
「では、お願いをしてもよろしいでしょうか」
「なに?」
「一つは、この話は誰にも話さないこと。特に兄さまには話さないで下さいね。もう一つはその場所へ近いうちに私を連れて行くことです」
「うん…いいけど…おねーちゃん、そとにでてだいじょうぶなの?」
 お姉ちゃんの体のことを知っているあたしは心配なので思わず聞く。お姉ちゃんはにっこり笑って答えた。
「私の事なら大丈夫ですわ…それより約束して頂けますか?」
「うん、わかった」
「では、約束ですよ」
 そう言うとお姉ちゃんはあたしと指切りをした…。

 それから何日かたって、お祭りの日がやってきた。あたしは引っ越してきたばかりなのでこのお祭りを見るのは初めてだ。お祭りに一人で行くと言ったあたしを、お母さんが心配そうに見送る。
「大丈夫?本当に一人で行くの?」
「うん!おねーちゃんがおどりがおわったあとこっそりうらにきていいっていったんだもん。おかーさんといっしょじゃみつかっちゃうかもしれないし。かえりはおにーちゃんがおくってくれるって」
「そう?それじゃお姉ちゃん達に迷惑をかけない様にね。帰りはちゃんと送ってもらうのよ」
「わかった、いってきまーす!」
 このお祭りのメインはお姉ちゃんとお兄ちゃんの踊りらしく、踊りの場所である神社の舞台には早くから人が大勢来ていた。あたしはその人達をすり抜けて、一番いい場所をとった。待っているうちにあたりが暗くなってきて、松明がたかれる。そして踊りが始まった。

――赤き炎は豊穣の
   青き炎は戒めの
   二つの力知りたもう
   神が与えしその力
   二つの力身にまとい
   我らは人間と生くる者
   たとえこの身が果つるとも
   人間の理忘れじや
――

 お兄ちゃんもお姉ちゃんも真っ白な着物を着て、お姉ちゃんは赤、お兄ちゃんは青と色は違っていたけれど、二人とも手から火を出しながら踊っていた。歌の意味は分からなかったけど、私にも何だかすごいということだけは分かった。そのうちに踊りが終り、お姉ちゃん達が舞台の裏へ入って行く。見ていた人の拍手がずっと続いていた。そのうちに見ていた人が席から離れていく。それを見てからあたしはこっそりと舞台の裏へ入り込む。踊りを見ていた人達はみんな興奮していたみたいなので、あたしが舞台裏に入ったことは誰も気付かなかった。
「やっほー、おねーちゃん」
「あら、千枝子ちゃん。入って参りましたの?」
 一休みしていたらしく、椅子に座っていたお姉ちゃんがあたしを見て笑う。やっぱり踊りは大変だったのか、笑っていても少し疲れている感じだ。
「おねーちゃん、だいじょうぶ?」
「ええ、これくらい大丈夫ですわ」
 心配になってあたしが聞くと、お姉ちゃんは笑ったまま答えた。と、急に誰かにポンと頭を叩かれる。驚いて上を見ると、そこにはもう着替えたお兄ちゃんが立っていた。
「こら、こんな所に入って来たらだめだろう」
「…なんだ、おにーちゃんか。おどかさないでよ。それにはいってきていいっていったのはおにーちゃんたちじゃない」
「そうだったな。…それで、どうだったかな。初めてのお祭りは」
「うん!サイコーだった!おにーちゃんもおねーちゃんもとってもきれいだったよ!」「まぁ…」
「そうか、よかったな」
 お姉ちゃんは恥ずかしそうに笑い、お兄ちゃんは満足そうにあたしの頭を撫でた。
「さあ、送って行かなくてはな。ちょっと待っているんだぞ」
「うん!…あれ、おねーちゃんどうしたの?」
 ふと見ると、さっきまで笑っていたお姉ちゃんが何だか怖い顔をしているのだ。お兄ちゃんもお姉ちゃんの様子に気付いたらしく、声を掛ける。
「どうしたんだ」
「兄さま…オロチが…近付いています…」
「何?誰にそんなものが…」
「早く行かなければ…悪い予感がします…」
 二人の言っていることは分からないけれど、何か大変な事が起こっていることだけはあたしにも分かった。
「兄さま、車を用意して下さい」
「お前、その格好のまま行くつもりか」
「一刻を争います…早く車を…!」
「…分かった」
 お兄ちゃんはうなずくと、裏口から出ていった。あたしは手早く荷物を片付けているお姉ちゃんに言う。
「おねーちゃん、あたしもいく」
 そう言うとお姉ちゃんは困ったようにあたしを見た。
「いけません。危ない目に会うかも知れませんわ」
「でも、おにーちゃんにおくってもらうっておかーさんにいっちゃったし。それにいっしょにいけばなにかやくにたつかもよ」
「…仕方ありませんわね。では約束を。絶対に車から出てはいけません」
「うん、わかった」
 あたしはお姉ちゃんの真剣な顔を見てうなずいた。何だか大変なことに首を突っこんじゃった気もしたけれど、ここまで来たらつきあってしまえという気にもなっていた。と、お兄ちゃんが戻ってきた。
「車の用意ができた。さ、行くぞ」
「はい」
 お姉ちゃんはあたしの手を引いて、裏口から出た。
「あれっ、もう帰るの?これから直会があるのに」
「はい、少々用事がございますので…」
「すみません、お先に失礼します」
「そうかい、残念だなぁ…まあ、気をつけてね」
 お祭りの役員さんらしい人に声をかけられてあいさつをしながら、あたし達は車に乗り込んだ。一緒に車に乗ったあたしを見てお兄ちゃんは驚いたみたいだ。
「…何で千枝子ちゃんが一緒に乗ってるんだ」
「だって、おにーちゃんがおくってくれるんでしょ」
「危ない目に会うかもしれないんだぞ。怪我でもしたら俺達はおばさんに謝り様がないじゃないか」
「ぜったいにくるまからでないっておねーちゃんとやくそくしたから。ついていってもいいでしょ?」
 そこまであたしが言うとお兄ちゃんは溜め息をついた。
「…仕方無いな。本当に絶対車から出たらだめだぞ」
「うん!」
そうして車は走り出す。
「どっちだ?」
「…そちらへ」
 お姉ちゃんの案内で車はだんだん進んでいく。そうして着いた所は…
「…この上ですわ…」
「あれ?ここ…」
「どうした?千枝子ちゃん」
「だってここ、あたしがおねーちゃんにはなしたひみつのばしょなんだもん…あっ!おねーちゃんと約束したのにおにーちゃんにいっちゃった!」
 黙ってればよかったのにあたしはうっかり口に出してしまった。お兄ちゃんはその言葉に少し怒ったようにお姉ちゃんを見る。
「俺には秘密に…か、紫野、何を企んでいた」
「ええ、もうすぐ分かりますわ…おそらく」
「そうか…まあいい…それでお前、どうするんだ」
 お兄ちゃんがお姉ちゃんに聞くとお姉ちゃんは車のドアを開けて降りる。
「ここからは私一人で参ります。万一の事がございますから兄さまは千枝子ちゃんをお願いします」
「分かった。でも大丈夫か、一人で」
「はい…千枝子ちゃん、絶対に車から出てはいけませんよ」
「ん…そーだおねーちゃん、うえにいくんだったらあっちのほうからいったほうがちかいよ」
「そうですか、ありがとう千枝子ちゃん。…では…」
 ドアが閉まり、お姉ちゃんはあたしの言った茂みの方に走っていった。あたしはしばらくはおとなしくお兄ちゃんと車で待っていたが、何だかだんだん心配になってきた。…追いかけよう。自然とそう思った。
「…おにーちゃん、あたしもいく!」
「だめだ!車から出ないと約束しただろう!?」
「でも!、なんだかよくないことがあるきがするの!おねーちゃんになにかあったらどーするのよ!」
「それは…」
「おにーちゃんはここでまってて!あたし、みてくる!」
 あたしはそう言うとお兄ちゃんの止めるのも聞かないで車から降りて、お姉ちゃんが入っていった方向へ走った。近道を通って走っていくと広場になっている所に出る。そこには誰か知らないおじさんが笑いながら立っていて、お姉ちゃんは手から火を出しながらそのおじさんを怖い顔で見詰めていた。よく見るとお姉ちゃんの後ろには前にお姉ちゃんに話した手から火を出す人が倒れていて、お姉ちゃんはおじさんからその人を守るように立っていた。あたしはお姉ちゃんの近くに行った。驚いた顔でお姉ちゃんがあたしを見る。
「おねーちゃん!」
「千枝子ちゃん!あれ程待っていなさいと…!」
「…おや、ちいさなお客様だ」
 おじさんがあたしを見て言う。話し方はていねいだけどものすごく怖い感じがした。
「八神の巫女殿のお知り合いですか…まぁいいでしょう、どうせあなた方はここで亡くなる運命にあるのですから…」
「えっ?なくなるって…」
「初めましても言わない間にお別れとは悲しいですが、仕方ありません」
 おじさんの顔は笑っているけどものすごく怖い。あたしはお姉ちゃんにしがみついた。
「ではちいさなお客様…お別れです」
おじさんがあたしの手をつかんだ。あたしは思わず目をつぶる。
「…お待ちなさい!」
 お姉ちゃんがおじさんを睨み付けて叫ぶ。お姉ちゃんは今までに見たことがないくらい怖い顔だった。
「この子から手を放しなさい…放しや…!」
 お姉ちゃんの話し方が変わったと思うとお姉ちゃんの体から金色の火が上がった。あたしは全々熱くなかったけど、そのおじさんはその火が怖くて近付けないらしく、あたしから離れる。
「…う…まさか…あなたが…」
「…去ね…オロチの手の者よ…疾く、去ね…!」
火がもっと強くなり、光みたいにまぶしくなる。おじさんはそれを見て怖がりながらも残念そうに言った。
「…そういうことですか…仕方がありませんね。分かりました。今日はこの位にしておきましょう…では、またお会いする時まで、ごきげんよう」
突然強い風が吹き、おじさんの姿が見えなくなった。
「ふーんだ、もう会いたくないもんねー!」
 あたしはちょっと怖かったけど空元気を出してそう言った。それからふとお姉ちゃんを見ると、お姉ちゃんはすこしぼんやりした様子で立っていて、金色の火はもう見えなくなっていた。
「…あ…」
 お姉ちゃんははっとした様子であたりを見回すと、あたしに声を掛ける。
「千枝子ちゃん、大丈夫ですか?」
「うん、ちょっとこわかったけど、へいきだよ」
「そう…よかった…」
 そう言うとお姉ちゃんはそこに膝を付いてしまう。
「おねーちゃん!だいじょうぶ?」
「私は大丈夫です…それよりも早くこの方を…!」
 お姉ちゃんは立ち上がるとふらふらしながら倒れている人に走り寄った。その人はすごいケガをしていた。お姉ちゃんはその人に一生懸命声を掛ける。
「しっかりして下さい!大丈夫ですか!?」
「…う…?…」
その人はお姉ちゃんの声が聞こえたのか少し動いた。お姉ちゃんはそれを見ると、ポロポロと泣き出した。
「よかった…間に合って本当によかった…」
「…」


――お姉ちゃんはもしかしたらこの人が好きなのかもしれない――


 あたしはなぜかそう思いながらその様子をじっと見ていた。と、急にお姉ちゃんが倒れてしまう。あたしは急いでお姉ちゃんの側に行った。
「おねーちゃん!しっかりして!」
「あ…千枝子ちゃん…」
あたしが話しかけるとお姉ちゃんは目を開けた。
「おねーちゃん、いまおにーちゃんをよんでくるからね!」
「…千枝子ちゃん…早く…この方を病院へ…」
「そーじゃなくて!おねーちゃんがたいへんじゃない!」
あたしが言うとお姉ちゃんは起き上がって、疲れた顔だったけど一生懸命にっこりと笑った。
「私は大丈夫です…それよりも兄さまに頼んで救急車を…」
「…わかった、ちょっとまっててね!」
 あんまりお姉ちゃんが一生懸命だったのであたしはその一生懸命さに負けてうなずくと、急いでお兄ちゃんの所へ走っていった。

 その後あたしはお兄ちゃんに訳を話してこの場所に連れて来た。ケガをして倒れている人を見てお兄ちゃんは何でか驚いていた(ケガがひどかったからかなぁ)。お兄ちゃんは急いで救急車を呼んでくれた。お姉ちゃんは付き添いとして一緒に救急車に乗って行き、あたしとお兄ちゃんは車で救急車を追いかけた。お姉ちゃんはしばらくケガをした人についていたけど結局また倒れちゃって一日入院することになってしまった。ケガした人の方も2週間位入院するらしかった(すぐに抜け出しちゃったみたいだったけど)。あたしは病院に一緒にいたかったけれど、お母さん達が心配していたし、お姉ちゃんも『帰りなさい』と言ったからおじさん達が病院に来たのと入れかわりにお兄ちゃんと家に帰ることになった。
「…千枝子ちゃん」
 車を運転しながらお兄ちゃんがあたしに話しかける。
「なぁに」
「悪かったな、とんだお祭りになってしまって。怖かっただろう?」
「…うん、ちょっとこわかった」
「そうか…」
 お兄ちゃんは黙り込む。今度はあたしがお兄ちゃんに話しかけた。
「ねえ、おにーちゃん」
「何だい」
「おにーちゃんたち、なんだかとってもたいへんなんだね」
 これはあたしがあのおじさんとお姉ちゃんとの様子を見て正直に思ったことだった。お兄ちゃんが驚いた顔をする。あたしは続けた。
「ねえ、あたしにできること、なにかないかなぁ。あたし、おねーちゃんのやくにたちたいんだ」
 これも正直に思ったことだった。お兄ちゃんはずっと驚いた顔をしていたけど、少し考えるとこう言った。
「…じゃあ、千枝子ちゃんが嫌じゃなかったらあいつといつまでも仲良しでいてくれるか?」
「うん!ぜんぜんいやじゃないよ。あたし、おねーちゃんも、おにーちゃんもだいすきだもん」
「そうか…」
 お兄ちゃんが笑った。車が止まる。
「さ、着いたぞ。俺も一緒におじさん達に謝らなくてはな」
 そう言うとお兄ちゃんは車から降りた。あたしも車から降りる。あたしが家の方に走っていこうとすると、お兄ちゃんがあたしを呼び止めた。
「千枝子ちゃん」
「…なあに?」
 あたしが振り向くとお兄ちゃんはゆっくりとあたしの頭をなでてこう言った。
「…妹を…あいつをよろしくたのむよ」
「…うん」
 その時のお兄ちゃんの顔は何だか少し寂しそうだった。あたしはお兄ちゃんに何か言いたかったけど、結局なにも言えずにうなずいた。お兄ちゃんは顔を元に戻すとあたしと手をつなぎ、玄関のピンポンを鳴らした。

 お兄ちゃんが一緒に謝ってくれたので、あたしはそれ程怒られずにすんだ。そして、またあたしはほとんど毎日お姉ちゃんの所へ行っている。でも前とは少し違う。お姉ちゃんの本当の大変さが少しだけ分かったからだ。あたしには何もできないかもしれないけど、せめてあたしといる時位はお姉ちゃんがそのことを忘れてくれるようにがんばろう。


――お姫様にはいつも笑っていてほしいから――