「…なんだ、お前か」

ぼんやりと川の流れを見つめていた私にいつもの調子であなたは言いました。そこはあなたがよく来ていた場所で、私はあなたが相変わらずの武者修行の旅から帰ってきたと聞き、淡い期待を抱いてそこへ行ったのでした。
「何の用だ。それにしても何故ここに…?」
「ここに来ればあなたに会える気がして…旅先での話を聞かせてくださいな」
「ふん」
 私を無視するかのように土手にどっかりと腰をおろしたあなたの隣に私も座りました。あなたは誰に話すでもなくぽつり、ぽつりと口を開きます。あなたが私に道中の話をする時はいつもそうでした。ぶっきらぼうではあるけれど決して冷たくはない声。その口から出る色々な楽しい話を私は幸せな気持ちで聞いていました。そんな時、あなたがふと漏らした言葉に私はある胸騒ぎを感じました。
「…強くなるにはこの国じゃ狭すぎる…異国にはまだまだ俺が敵わない様な強ぇ奴がいっぱいいるんだ。これからは俺は異国へも行ってそいつらと戦う…それでもっともっと強くなるんだ…」
「でも…今は鎖国の世、どうやって異国へ…」
「長崎から出ている和蘭陀船にでもこっそり乗るかな…」
「そんなことをして…もし見付れば死罪に…!」
「見付かりゃしねぇよ。うまくやるさ」
「そんな危ない事を…どうかやめてください…!」
 胸騒ぎが不安に変わり、わたしは思わずあなたに抱き付いていました。いえ、『しがみ付いていた』と言った方が正しいかもしれません。あなたは驚いたように私を見るとゆっくりと私から離れ、立ち上がると言いました。
「悪ぃが俺はこういう生き方しか出来ねぇんでな…」
「それなら私も一緒に…私はあなたの…」
「その話はどうせ親同志が勝手に決めたことだ。お前が義理立てすること無いさ」
「いいえ…私は…」
 口を開こうとする私をあなたは強く制止して背を向けました。
「言うな!…剣の道に女は不要…さらばだ…」
 そう言うとあなたは茜色の河原を歩き出しました。まるでもうここには来ないかのように ―。
「待って…待って下さい…!」
 気が付くと私はあなたに駆け寄り、その手を取っていました。愛しているの、ずっとあなたの側にいたいの、そう言いたくて…。でも、私の口から出た言葉はそれとは全く逆のものでした。
「どうか……お元気で…」
「…ああ…」
 私の心を知ってか、あなたは微笑みながら片手で私の顔をなぞり、私の取った手をゆっくりと握り返しました。大きくゴツゴツとした暖かな手―そしてそのまま私に背を向け去っていきました――

 その後あなたが故郷を捨てたと聞かされた時、私は不思議と涙が出ませんでした。あのときの胸騒ぎが現実になっただけ――そう感じたからかもしれません。でもいつ命を落とすかもしれない道にあなたが身を置いている事に、そしてあなたを失うかもしれない…そんな不安に今までの私は堪えることができなかった。いっそあなたの腕を、足を切り落とし、そして私がいなければ何もできなくなったあなたと二人だけで暮らしていけたらと思った事もありました。たとえあなたの愛を失ったとしてもあなたが私のそばで生きてくだされば、と――でも、あなたの戦う姿をずっと見ていて知りました。これがあなたの業であり、生きる道なのだと、そして剣があるからこそあなたは輝いていられるのだと――

――俺は剣に生きて剣に死ぬのだ。……すまん……――


 そう言ってあなたはまた私の前から去っていきました。今度はその唇の温もりを残して…。私はもう迷いません。あなたは自分の信じる道を行って下さい。でもそうして生きることに疲れた時は一番に私のところへ戻って来て下さい。その疲れを癒しに…。


――私はずっと待っていますから――