松山に遠征に来た日の夜、俺は守と俺の遠征先のホテルのラウンジで酒を飲んでいた。いつもなら小次郎と酒を飲み、そしてその後は奴に抱かれるのが常になっているのだが、今日は偶然にも小次郎は監督としての仕事があり抜けられないという事で、俺は一人で夜を過ごそうとしていた。最愛の女を裏切らずに過ごす事が出来る事を喜びつつも、どこか物足りなさを感じ、そんな自分に自己嫌悪を覚えながら過ごしていた時、不意に守から『二人で飲みませんか』と誘いが来て、自分の中の葛藤を忘れるためにもその誘いに乗る事にしたのだ。その後、その行動が新たな罪と後悔を呼び起こす事になるとは思いもよらずに――
「…久し振りですね、こうやって二人で飲むのも」
「…ああ、そうだな」
しみじみとした口調で呟く守に俺は同意して頷く。バッテリーを組んでいた時にはよくこうして二人で飲みに行く事もあったが、チームが離れてからは彼女との付き合いが深まるのと同時に、小次郎との関係が深まり、何となくこいつとは疎遠になっていた。いくらそうした事情があったからとはいえ、自分でも薄情だと思い申し訳なくなり、俺はいつの間にか守に謝罪の言葉を零していた。
「…悪かったな、守」
「…何がですか?」
「…いや、チームが離れてから、何となく疎遠になっていたからな」
俺の言葉に、守はふっと笑って宥める様に応える。
「いいんですよ。土井垣さんは監督として忙しかったんでしょうし、俺達は敵同士になったんですから、手の内をうっかり見せたりしたら危ないでしょう?…それに」
「それに?」
俺が問い返すと、守はふっと寂しそうな表情を見せて一瞬黙り込むと、言葉を続けた。
「土井垣さんには…俺よりも大切な人が出来たんですし」
「守…?」
守の表情の意味が分からず、俺は言葉が出てこなくなる。守はそれを見て寂しそうな微笑みを見せたが、すぐに元の笑顔に戻り、言葉を紡いでいく。
「…いいえ、何でも。…そうだ、宮田さんは元気ですか?今は土井垣さんの所にいるんですよね」
「ああ、元気だ。俺と暮らす様になって、心配は掛けられないと逆に身体に気を遣う様になったみたいでな。食事も俺に合わせて食べるから規則正しくなって、仕事もバランスよくこなせる様になった様だし、怪我の功名かな」
「土井垣さんとの結婚話は、宮田さんには『怪我』なんですか?」
「…ああしまった、守に一本取られたな」
守の悪戯っぽい言葉に、俺は墓穴を掘った事に気づき、二人でおかしそうに笑う。ひとしきり笑った後、守は更に続けた。
「その内、彼女や仲間の皆さんともまた会いたいです。スケジュールが合ったら連れて行って下さいね」
「ああ、そうだな」
そうして俺達は二人で楽しく話しながら酒を酌み交わす。何となく守の話題が葉月に傾いている事にふと気付いたが、単にこいつも彼女とかなり親しいから近況が聞きたいし、あわよくば俺からのろけ話でも聞き出そうとしているのだろうと思い、気にせず話を続けていく。そうして程よい酔いが回り、俺の部屋で更に飲もうと言う事になって俺の部屋に守を連れて行き、更にルームサービスで酒を頼み飲んでいると、ふと守がぽつりと言葉を零した。
「…宮田さんは土井垣さんがこうしている時にも、ただ帰りを待っているんですよね…」
「守?」
「土井垣さんが何をしていても…自分を裏切っていても…何も知らずにただ待ち続けて…」
「おい…守…どういう事だ?」
守の言葉に俺は驚く。まるでこいつは俺のしている事を全て知っているかの様だ。驚く俺に、守は寂しげに、しかし挑発する様な眼差しで俺を見詰め、更に決定的な言葉を重ねた。
「そういう事です。…土井垣さんは彼女を裏切ってるじゃないですか…うちの監督と二人で」
「守…何でそれを…」
あまりの事に驚く俺に、守は挑発的な眼差しを俺に向けたまま、言葉を紡いでいく。
「知っていますよ…全部。彼女と暮らし始めた本当の理由も、監督と土井垣さんの関係も、俺は全部…」
「守…お前…」
「今までずっと離れてたのに彼女を急に呼び寄せたのは、彼女を最後の砦にするためでしょう?監督との関係に完全に堕ち込まない様にするための…それに、二人の関係の隠れ蓑にもなる…そうでしょう?土井垣さん」
「…」
守の言葉に俺は言葉を失う。何故ならこいつの言った通りだったからだ。葉月と一緒に暮らす事にしたのは、彼女を愛していて離れていられなくなったからだけじゃない。彼女と暮らし、彼女の愛に包まれる事で俺は小次郎の悦楽から何とか逃れようとしていたのだ。そしてそれが出来ないと分かってからは彼女への愛の最後の砦として、そして小次郎との関係のある種の隠れ蓑として、彼女との暮らしを続けているんだ。その事を見透かされていた事で言葉を失う俺に、守は更に挑発的な眼差しを向けたまま言葉を紡いでいく。
「彼女が可哀想ですよ…こんな風に裏切られてるのに、それでも何も知らずに土井垣さんを愛して、信じて、待ってるなんて…いっその事ばらして、二人をめちゃくちゃにして…土井垣さんを困らせてあげたい位です」
「お前、まさか葉月の事を…?」
俺の問いに守はまた挑発的にふっと笑って答える。
「いいえ、彼女じゃありません。…俺が好きなのは…土井垣さんです」
「何?」
守の言葉に俺は心底驚く。驚いている俺を見て、守は挑発的な眼差しからふっと哀しげな目に変わると、呟く様に言葉を紡いでいく。
「そう…俺はずっと、土井垣さんを…土井垣さんだけを見詰めてきました。…監督よりもずっと近くで、彼女よりもずっと長く…なのに土井垣さんは、俺の気持ちには全く気付いてくれなかった…」
「守…」
哀しげな守の言葉に俺は何も言えなくなる。とはいえこいつの気持ちに俺は応える事ができない。俺にとってこいつは最高のピッチャーで友人あり、かつての最大の仲間で、今では最大のライバル。それ以上でも以下でもない。何よりこいつは俺達とは違って、輝ける場所にいるべき男。俺達の様に闇に堕ちるべき人間ではない。そう言おうと口を開こうとした時、不意にその唇を塞がれた。俺は抵抗するが、したたかに酔っているせいか力が入らない。それとも俺は守のこうした行為を内心では喜んで、無意識に受け入れているのだろうか――?自分でも訳が分からなくなり、力なき抵抗をしている俺の内心を知ってか知らずか守は俺をベッドまで連れて行き、そのまま押し倒すと俺の服を一枚、一枚剥いでいく。
「守…何を…やめろ…!…」
「いいえ…駄目です。もう俺は我慢しません。…それにこれは…『取引』です」
「『取引』?」
守の不可解な言葉に俺は思わず抵抗をやめて問い返す。守はまた挑発的な、しかし燃える様な眼差しを俺に向けると、その眼差しのままの口調で答える。
「ええ。…彼女に土井垣さんの秘密をばらさない代わりに、俺も土井垣さんを手に入れます。…監督と同じ様に」
「…」
俺は完全に抵抗をやめた。こいつがこの目を見せる時は、本気だという事だ。ここでこいつを受け入れないと、彼女に本当に俺の秘密が暴露されてしまうかもしれない。いや、そんな事はもうどうでも良くなっているのかもしれない。俺は取引としてこの行為に応じるまでもなく、こいつの燃える様な目に魅入られている自分を感じていた。聖母の様に清らかで暖かい彼女の眼差しとも違う、闘犬の様な鋭い小次郎の目とも違う、こいつの内なる情熱がそのままほとばしり出た様な熱い、炎の様な目――抵抗をやめた俺をその目で見詰めながら守は俺の服を脱がせ、自分の服も脱ぐと、ぎこちなく俺の身体に舌と唇を這わせていく。そのぎこちない愛撫に俺は反応して声を上げつつも、ふと何故かその愛撫に彼女の姿が重なった。幾度肌を合わせても過去に負ったある『傷』のせいか、どこか肌を合わせる事に慣れる事ができずに、その行為にぎこちなさと躊躇いが残る彼女。守の愛撫にその面影を見出した時、俺は今まで魅入られていた守の眼差しから意識が離れ、彼女への恋情が湧きあがると共に、彼女への更なる罪悪感にさいなまれる。俺は更に彼女を裏切ってしまった。罪を一度負った身は、こうしてただもう堕ちていくしか道がないのだろうか――いや、違う。彼女も負わなくていい罪とはいえ罪を負っているが、それでも尚聖母のごとく清らかだ。罪に堕ち込むのは俺自身のせいだ――守の与える悦楽に身を任せ声を上げつつも、小次郎に抱かれる時とは違い、俺は彼女の面影を守に求め、守と彼女を重ね合わせ、罪悪感にさいなまれながらも彼女を求める自分を再確認し、彼女の名を呼びながらその悦楽へ堕ちていった――
「…ずっと…彼女を呼んでいましたね」
行為の後、守はぽつりと呟いた。そこにはある種の安堵と、色濃い絶望が入り混じっていた。沈黙する俺に、守は問い掛ける。
「どうして…裏切るんですか?こんなに彼女を求めてるのに…」
「…」
「監督も…彼女の身代わりなんですか?それとも…監督だと彼女を忘れられるんですか?」
「…」
沈黙を続ける俺に、守は哀しげな眼差しを向け、更に呟く様に、しかし念を押す様に言葉を紡いだ。
「言いたくないならいいです。…でも、これからも『取引』は続けさせてもらいます。彼女にも、監督にも…秘密で」
「…」
沈黙を肯定と受け取ったのか、守は服を着ると俺に背を向けた。
「じゃあ…また。失礼します」
そう言って出て行った守を俺は見送り、シャワーを浴びる。シャワーを浴びながら俺は守の最後の問いを反芻する。守の言葉は口調こそ静かだったが、そこには悲痛な叫びが隠されている気がした。自分を愛して欲しい、自分は彼女の身代わりじゃないという――それに気づいた時、俺は小次郎との行為も思い出し、一つの思いに辿り着く。守との行為は完全に彼女の身代わりとなったが、小次郎との行為も奴の与える悦楽をただ求め、溺れている様で、本当は彼女にこそそうした悦楽を与え、溺れさせて欲しくて、そうできないため奴を身代わりにしているのかもしれないという――俺はその思いに辿り着くと、自分の際限のない愛欲と、身代わりにされている男の本心を思い、全身が総毛立つ。俺は彼女への満たされない愛欲を満たすために、一人の男を身代わりとして闇の迷宮に閉じ込めているのか――?そして今日、俺はまた一人閉じ込めてしまった。そうして身代わりの様に閉じ込めているつもりで、自分もまたその迷宮に閉じ込められ、迷っている。一つのボタンの掛け違いで全てが違っていく様に、一つの歯車の狂いで全てが狂っていく様に、一つの罪が更なる罪を連れて来て、まるで全てが違ってきてしまった。このまま自分達は全てが狂ったまま過ごしていかなければならないのだろうか――俺は自分の犯した罪がどれだけ深いのかを改めて自覚し、それでも罪を重ね続けるだろう自分を思い、シャワーを狂った様に浴びた。全ての罪を洗い流したい、そして本当の意味で愛する女に向き合いたいという思いをその行為に重ねて――
…はい、という訳で『想いの迷路シリーズ・シラドイ編』でした。やっぱり私の基本はノーマルカプの様で、やるこたぁやっててもみんなそれは彼女との代替行為でしかないという事におちついた様です。でも堕ちるとこまで堕ちてもらいますが(笑)。
…しかし一番不幸なのは不知火だよなぁ…小次郎兄さんはまだ小次郎兄さんにも溺れてくれますが、不知火の場合は完全に身代わりになっちゃったし…(って書いたのはお前だろ・爆)…で、本当は一回こっきりの関係にしようと思ったのですが、本能のままに書いていたら、不知火自身が関係を続けると言い出しました…あまりのどMっぷりに自分で書いていて爆笑←酷ぇ…
次の話は書いていませんが、この件に関しての不知火サイドの話になるかと思います。大体こういう展開にしようというのはできていますがどうなる事やら…その前に土井垣さんに嫁さんや子供が出て来ない様に祈らねば…(笑)
[2012年 05月 27日改稿]