「…でも、これからも『取引』は続けさせてもらいます。…彼女にも…監督にも…秘密で」
「…」
「じゃあ…また。失礼します」
 そう言って自分を哀しげな目で見送る土井垣さんを残して、俺はこの人の逗留先の部屋から出て行った。ほんの少し前、俺はこの人に対する想いが抑えられなくなり、この人が婚約者である宮田さんを裏切ってうちの監督と関係を持っている事を盾に取り、『取引』と称して自分の想いを遂げた所。しかしこうして『それ』を遂げた今、そこに残ったのは想いを遂げた充実感じゃなく、空しさと絶望だった。それはこの人が俺を想ってくれないからじゃない。そんな事はある意味最初から分かっていた事だ。この人はそんな事など比較にもならない絶望を俺に与えたのだ。

「は…づき…」
「土井垣さん…?」
 俺がぎこちなく愛撫を与えた時、この人がその愛撫に反応して出した名前は自分ではなく、この人の婚約者の名前だった。何故か分からずそれでも更にこの人に愛撫を与えていったが、この人はその愛撫には反応しても、決して俺の名前を呼ばずに愛しているだろう女性の名前を繰り返し呼んだ。
「はづ…き…はづき…そこにいるのか…?…俺を…ゆる…して…くれ…」
「土井垣さん、ここにいるのは俺です、守です…宮田さんじゃありません…」
「はづき…そんな顔を…しないでくれ…愛して…いるんだ…俺を…軽蔑しないで…くれ…」
「土井垣さん、お願いです。…俺を、不知火守を見て下さい……!」
 俺は遠い目で言葉を零している土井垣さんに懇願する。しかし、どれだけ自分がこの人に悦楽を与えても、どれだけ自分の存在を認めさせようとしても、悦楽に溺れているこの人の目には何も映っていない様だった。…いや、違う。この人は自分を通して愛する女性を見ているんだ。そんなこの人を見て、感じていると、抱いているのは確かに自分のはずなのに、その自分の中に彼女が宿っている様な錯覚すら感じた。そう思った時、俺はこの人と以前交わした会話をふと思い出した。

『…不思議だな』
『何がですか?』
『いや…時々なんだが、お前と葉月がどこか重なってな…』
『宮田さんと俺が…ですか?』
『ああ。性格は全く違うはずなのに…おかしいよな』
『そうですね…ああ、そうか。もしかすると、土井垣さんに対する考え方が彼女と俺は似てるのかもしれませんね。それが土井垣さんに伝わっているから、そう言う風に感じるのかもしれませんよ』
『ああ、そういう事か。だったら納得がいくな』

 あの時本当に言いたかったのは、彼女と同じ様にあなたを俺も愛しています、という事だった。叶うはずのない絶望的な片想い。もしかして彼女も俺と同じ様に、愛されていながらもある種絶望的な片想いをこの人に対して抱いているのだろうか。そしてこの人も無意識にそれを感じ取ったからこそ、この人は自分と彼女を重ねたのだろうか――しかし、俺にとってそれは、更なる絶望を招き寄せるだけだった。この人が愛しているのは彼女だけ。そして自分はその彼女の身代わりにしかなれない。しかも身代わりだとしても、まだ自分として見てくれるなら耐えられる。それすら自分には許されず、この人は自分の中の『彼女』を見詰めて、その『彼女』しか見えていないんだ。そうして自分が与える悦楽にもこの人は『彼女』を見出し、遠い目で恍惚の表情を見せ、その心のまま呟く。
「はづき…愛して…いる……俺の…おれだけの…いと…しい…マリア…」
「…」
 俺は何も言わず、ただこの人に悦楽を与え続けた。いや、もう何も言えなかったのだ。この人が監督と関係を持っていたとしても、結局は彼女を誰よりも愛していると分かったほんの少しの安堵と、何をしても自分は彼女のコピーにしかならないという、完全なる絶望――俺がこの行為で得られるのはそれだけ。それが分かった時、俺は言葉をなくした。しかし言葉をなくしたもう一つ心の中で、俺は更に絶望的な決意を自分に課していた。たとえ彼女のコピーでも、この人が得られるならかまわない。たとえ後に残るのが絶望だとしても、自分はこの人と関係を続ける。そしていつか、俺が与える悦楽の中に自分を見つけてくれるかもしれない、というほんの少しの、しかし絶望的な期待を胸に秘めて――そう決心した時、土井垣さんは頂点に達し、彼女の名を呼びながら欲望を放出する。それに反応して、俺も絶望的な想いを放出した。

 行為が終わった後、俺は土井垣さんにこう問いかけた。
「どうして…裏切るんですか?こんなに彼女を求めてるのに…」
「…」
「監督も、彼女の身代わりなんですか?それとも…監督だと彼女を忘れられるんですか?」
 土井垣さんは答えなかった。いや、この人にも答えが分からない様だった。そうして俺は答えを聞かない、いや聞けないまま強引に関係を続けると言い残し、ホテルを後にした。外に出て空を見上げると、満月に傘がかかっている。雲がかかった満月は、まるで自分の心を表している様だった。
「明日は…雨かな」
 俺はぽつりと呟いた。もし雨が降ったなら、それは自分の涙雨。絶望的な想いを抱え続け、それでもあの人から離れられない自分が流す涙の代わりに降る涙雨――

  …はい、という訳で不知火サイドからのお話でした。やっぱり彼には不幸が似合います(笑)。元々表の話でも葉月ちゃんと不知火が似ていると土井垣さんに言わせてますが、ここでそれが使えるとは思ってもみませんでした。キャラを作った時、何となくそう思っただけなんですがね。土井垣さんはその面影を完全に感じ取って、彼を彼女のコピーにしてしまう…という不幸を背負わせました。ラストの一文がどことなく情念演歌の様なフレーズになりましたが、これも偶然。何か不知火と情念演歌ってミスマッチに見えて良く似合いました(爆笑)。そしてこのまま不知火は今の所考えている話の展開ではラストまでフェードアウト…根っから不幸ですな(爆笑)!←酷ぇ…
 そして今までも葉月ちゃんの事を『聖母の様な』というイメージで書いていましたが、今回土井垣さんに彼女の事を本当に『マリア』と呼ばせました。これも実はちょっと意味があったり。今後の展開に少し関わってきます。そんな今後の展開は、二次創作は原作無視が基本ですが、御大が土井垣さんに奥さんや子どもをあてがっても、本当に完全無視した話にしていきます。まあその前に一話前置きの話を出します。それはまた次回…

[2012年 05月 27日改稿]