「…それで、何の用ですか?犬飼さん」
 女はいつも見せている聖母の様な優しい表情ではなく、まるで女武者のような毅然とした表情で、俺に問い掛けた。これがこの女の公的な顔なのかもしれないと思いつつ、全てを知ってなお、まるで自分は俺には何も用がないという風情の口調と表情に、俺はこの女に対する憎しみが更に駆り立てられる。そう、この女は俺の愛する男の心の全てを占めているのに、その男を愛していながら捨てた憎い女。俺はその憎しみのままにこの女に言葉を返す。
「土井垣の事で、あんたと話してぇと思ってな」
 俺の言葉に女は一瞬驚いた表情を見せたが、すぐに毅然とした態度に戻り、言葉を返す。
「土井垣さんはもう自由の身です。私が話す事はないと思いますが」
「ところがこっちはそうは行かなくてな…同行してもらうぜ」
 俺は女の腕を引いて車に無理矢理乗せ、ある場所へと向かう。車の中で女が俺の様子に恐怖を感じ取っている事に気付いたが、俺にとってそれは好都合だった。そう、これから俺はこの女に恐怖のどん底を味合わせて、あいつに二度と近づけない様にしてやるのだから――そして目的の場所へ着くと、俺は女をまた車から引きずり出し、口を開く。
「ここはな…俺とあいつがいつも抱き合ってた場所だ…どうだ?来た感想は」
「犬飼さん…あなた…」
「さあ…これからお楽しみの時間だ」
 俺は抵抗する女を無理矢理そのホテルの一室へ連れて行き、ベッドへ思い切り叩き付けた。
「この部屋で…このベッドで…俺とあいつは身体を貪り合って…快楽に溺れたんだ」
「…」
「でも、今のあいつには…いくら俺が快楽を与えても…もう届きやしない。…あんたっていう存在の大切さに気付いちまったからな!」
「…そんな事ない!将さんはあたしの魔性から解放されたはずよ!だからあなたの所へ行くはずなのに…!」
 反論する女に、俺は自嘲気味の口調で言葉を紡いでいく。
「違うな。あいつは魔性に囚われてなんかいやしない。あいつはずっと前から…あんただけを見て、あんただけを愛して…あんたとの快楽を夢見てたんだ。…俺は…ただの『代用品』さ」
「そんな…」
「でも…その『魔性』ってのも、興味があるな。そんなに逃れられない位いいもんなら…俺も捕えちゃくんねぇか?」
 そう言って俺は女を組み敷くと挑発的に見詰める。女は恐怖の表情で俺を見詰め返す。俺は続けた。
「惚れてもいねぇ…それどころか憎んでる女を抱くのは趣味じゃねぇが、あいつが味わって病みつきになってる女を味わってみる…ってのも一興かもしれねぇな。…さあ、俺もあんたの『魔性』で捕えてみろよ」
 そう言って俺は女に噛み付く様に口付けた。と、それをきっかけにしたかの様に女は目から光を失い、極限まで怯えた表情を見せながらも、膝蹴りで俺の腹を蹴り上げ一瞬の隙をついて俺から逃れると、耳を塞いで部屋の隅に縮こまる様に座り込み、怯え、錯乱した叫び声を上げた。
「嫌…嫌、いや、いやぁぁぁっ!せんせ、やめてぇーっ!!」
「おい…お前一体…」
 怯えるのはともかく、女の言葉や錯乱した意味が分からず呆然として見詰めていると、不意に外からドアを乱暴に蹴り、叩く音と男の声がした。
『今の声は…!葉月!無事か!?この野郎犬飼、開けやがれ!』
 興が醒めた上、何やら面倒な事になりそうだと思った俺はドアを開ける。と、長身の男がそこには立っていた。誰だか分からないので不審に思い、俺はその心のままに声を掛けようとする。
「おい、あんた一体…」
「どけ!」
 男は俺など目もくれず突き飛ばし女の方へ寄っていくと、怯えている女を抱き締めて、優しく声を掛けていく。
「…葉月、大丈夫か?」
「いや…!…せんせ……いやぁ……!…」
「大丈夫だ。『あいつ』はどこにもいない…落ち着け、良く見ろ…俺だ」
「しゅう…にい…?…」
「そうだ、俺だ。……何とか間に合ったみてぇだな」
 男は女を抱きかかえてゆっくり立たせると、俺を睨みつける。その眼差しはまるで手負いの獣の様で、俺すら気圧されるものだった。男はその眼差しのままの冷徹な口調で、静かに口を開く。
「…お前らはお前らで、よろしくやってろ。俺はその事についてもう感知するつもりはねぇ。だがな…葉月を傷付けるとなりゃ話は別だ。これ以上葉月を傷つけたら…俺が許さねぇ」
「…」
「葉月…帰るぞ。弥生ちゃんが心配してる」
「ん…その前に…いいかな」
「どうした?」
 落ち着いたらしい女は俺の方を振り返ると、小さな声で、しかしはっきりと俺に言葉を掛けた。
「あたしは…あなたにめちゃくちゃにされなくても、充分汚れてる女よ。…それだけじゃない、人を…二人殺してるわ。そんなあたしは将さんにふさわしくないの。…だから…将さんの事…お願い」
「葉月…」
「お前、それは一体…?」
 女の言葉の内容があまりに不気味で、訳が分からず俺は混乱する。男の方は意味が分かっているのか、宥める様に女を引き寄せた。と、不意に女が座り込む。
「おい…どうしたんだよ」
「柊兄…お腹痛い…赤ちゃん、死んじゃうの…?…」
「葉月…!おい犬飼!ベッド貸せ!」
 男は女の言葉に慌てて女を抱き上げると、ゆっくりとベッドに戻し寝かせ、女のスカートを捲り上げ、下着の状態を見る。
「葉月…すまねぇが我慢しろよ。…やべぇ、少しだが出血してやがる」
「急病…だとしたら救急車を…」
 あまりの展開に慌てる俺に、男は激しい口調ながらも冷静に対応していく。
「違う!まずは医療機関の確保だ!…葉月…おい、しっかりしろ!お前が通ってる産婦人科の名前は?」
「B区のK病院…」
「ドクターの名前は何だ?」
「吉川先生…」
「携帯に番号は?」
「入ってる…」
「よし、借りるぞ!」
 男は女のバッグから携帯を取り出すと、病院らしき所へ電話を掛ける。
「はい…そちらの産婦人科の吉川ドクターにかかっている宮田葉月ですが、腹痛と少量ですが出血していて…やはりそうですか…分かりました。これから救急車で向かいますので処置の準備をお願いします。…はい…生年月日は…血液型は…はい…お願いします」
 男は一旦電話を切ると、今度は救急に電話を掛ける。
「はい…宮田葉月という女性ですが、流産の可能性があり、本人の意識も低下しています。B区のK病院に連絡を取って搬送許可を得ていますので、至急救急車を一台お願いします。年齢は…場所は…はい、お願いします」
 男は電話を切ると俺の方に振り返り、声を掛けた。
「犬飼、後はお前の仕事だ。フロントに電話掛けて『客が急病になって救急車を呼んだから、来たらここへ案内しろ』って言え。…本当は許したくねぇ所だが、一応はお前の名誉を守ってやる」
「…」
 俺は男の態度に不満を持ったが、それでも厄介な事にならない様、男の言う通りにする。そして数分後、救急隊員がやって来た。
「では、搬送しますので付き添いをお願いします」
「はい…葉月、頑張れ。きっと…いや、絶対に大丈夫だからな」
 そう言って男は女に付いて救急車に乗った。そして後のドアが閉められる刹那――
「俺も行きます!」
「犬飼…お前…」
 俺は救急車に飛び乗っていた。男は怪訝そうな表情を見せていたが、俺は気にならなかった。俺はこの顛末を最後まで見届けなければならない――何故かそう確信した。そうして病院に着くと、すぐに処置が行われる。数分すると、処置室から出てきた中年の女医が俺達を呼んだ。
「お話があります、来てもらえますか」
 俺達は医師に案内されるまま、診察室らしきところへ行く。診察室に着くと、医師は俺達を座らせ自分も座り、おもむろに話し始める。
「さて、最初に聞きたいんだけど…彼女のパートナーは、あなた達のどちらかしら?」
「え…それは…」
 どう転んでもあの女の『相手』はこの場にはいない。どうしようかと俺が言葉を濁していると、男が迷いのない口調で答えた。
「私です。…で、葉月の状態は…」
「本当に強い子達ね…出血はしているけど、心音はまだちゃんと二つあった…切迫流産で止まってるわ。とはいえ、何かのショックのせいか母体も子どもも今かなり弱っている状態なの…このまま妊娠を続けていたら…母子共に危ないかもしれない」
「何!?」
「…そうですか」
 驚く俺とは裏腹に、男は静かに頷く。医師は沈痛な表情で言葉を続ける。
「今ならまだ中絶して母体を助ける、という手も取れるわ。ただ、それは倫理上どうかって事もあるし…二度と子どもは望めないかもしれない事も…パートナーのあなたなら知っているわね」
「はい」
「でも…命を確実に一つでも助けるには、もう一つしか道はないの。…こんな事を医師が言うのは倫理上許されないと分かっているけど…あえて非情な決断を取るわ。中絶してもいいわね?」
 医師の言葉に男は静かに首を振り、言葉を返した。
「いいえ。…このまま妊娠を続けさせて、産む方向に全力を傾けて下さい。もしそれで葉月と子ども達が両方死んでも…私はかまいません」
「おい!あんた!」
「いいの?愛する存在を全てなくしても」
 狼狽する医師と俺とは裏腹に、男は静かに言葉を紡いでいく。
「葉月は、前の流産について…自分が赤ん坊を殺したと今でも思っています。また同じ様に自分だけ助かって子どもを死なせたとしたら、二度と立ち直れない…それどころか、心を壊すかもしれません。彼女は…子どもを死なせて自分が生き残る位なら、子どもと一緒に死ぬ位の覚悟で今いるはずです。だから無理を承知であえて頼みます。…手を尽くして…葉月も子どもも最後まで見届けてやって下さい!お願いします!」
「…」
 男はそう言うと土下座した。俺はそれを呆然として見詰める。医師も驚いて見詰めていたが、やがて溜息を一つつくと、静かに言葉を紡ぐ。
「…夫婦揃ってちゃんと覚悟ができていたのね…良く言ったわ。あなた達がそういう風に一致しているならもう何も言わない。とはいえ、とりあえずの処置は止血剤の点滴と絶対安静しかないの。それで回復するのを祈りましょう。回復したら内科の事もあるし、臨月まで管理入院させるわ。じゃあ今から病室を用意するから、入院の手続きをお願いするわね」
「お願いします」
 そう言うと医師は診察室から出て行った。それを見計らって俺は男に皮肉を込めた口調で男に言葉を掛ける。
「土井垣の子だろ?何であんたが父親面するんだよ。…ああそうか、そういう事か…あの女とあんたはいい仲で、腹の子は本当はあんたとよろしくやっ…」
 そこまで言った時、俺はまた手負いの獣の様な目で睨みつけられ、言葉を失う。男は静かに言葉を紡ぐ。
「あいつを見くびるんじゃねぇ…あいつは誰も裏切っちゃいねぇよ。いや、たった一人…あいつ自身の気持ちだけ裏切ってるな」
「…」
「俺は…あいつの事を誰よりも分かってるつもりだ。だから、子どもに関してのあいつの気持ちを代弁しただけさ。…さあ、本当は呼びたくねぇが…土井垣も呼ばねぇといけねぇな。ちゃんと、正直に…二人の気持ちを合わせてやらねぇと…」
「おい…あんた一体何者なんだ?それに…あの女やあんたが言った言葉は一体…?」
 俺の問いに男は鋭い目つきのまま答える。
「俺からは何も言う事はねぇよ。聞きたきゃ土井垣にでも聞きな。…さあ、出てってくんねぇか。葉月の気が付いた時あんたがいたら、あいつのためにならねぇ」

 男の言葉に俺は気圧されて病院を出る。男の正体は一体何者なのか。そしてあの女の言葉の意味は――俺はとんでもない事に足を踏み入れてしまったのかもしれないと後悔したが、それでも全てを知り、最後まで見届けなければいけない事も、心のどこかで感じていた――

 …はい、小次郎兄さんと葉月ちゃん(というより御館さんか?)の対決話でした。彼女としてはもう土井垣さんは小次郎兄さんに向かうと思っていた所にこの仕打ちですので、かなり踏んだり蹴ったりですな(笑)。でも御館さんが間に合ったおかげで何とか大事には…なってるなぁ…切迫流産になっちゃったし…(汁)。
 タイトルの『カヴァレリア・ルスティカーナ』は同名のオペラからお借りしました。『田舎の騎士道』という意味らしいです。で、内容もちょっくらお借りしてます。昔は一人の女(この場合は土井垣さん・笑)を巡って争うためには決闘しかなく、その決闘を小次郎さんと葉月ちゃんの代わりに御館さんがしている…と(爆笑)。
 今後お子ちゃまたちは無事に生まれるのでしょうか?そして土井垣さんはここからどう関わってくるのか…それが続きになっていきます。今後は裏的話というより、表のシリアスに近い話になっていきます。801もエロネタもなしですが、最後までどうか見守ってやってくださいませ(最敬礼)。

[2012年 05月 27日改稿]