俺は一人酒を飲んで、散らかった部屋へ帰って来た。彼女がいなくなってから一応公的には普通の生活をしていたが、私的な面になると小次郎や守との関係も復活したり酒びたりになったりと、大分荒れた生活を送っている。まるでラプンツェルを失い、塔から落とされ、盲目になって彷徨う王子の様に
――しかし今日は小次郎も守も傍にいない、そして…家で帰りを待つ人間ももういない
――そう分かっていても、帰ると彼女を探してしまう自分がいる。彼女はまだ荷物を引き上げには来ていない。だからまだ帰って来るかも知れないという淡い期待を抱いてしまう。そして俺は部屋にいる時は、その彼女の残していったものを取り出しては、彼女との思い出に逃げる日々を送っていた。彼女が出て行ってからあちこち連絡をして朝霞さんの所にとりあえずいる事だけは確認できたが、それ以上は朝霞さんも俺に対して怒っているのか教えてくれず、どういう状態でいるのかは教えてもらえなかった。元気でいるだろうか、ちゃんと食べて、眠っているだろうか。そして腹の子も無事だろうか
――酔った頭でそんな事を考えながら電気もつけずにソファに座り込むと、留守番電話のボタンが点滅しているのに気付いた。大抵俺の知り合いは携帯に掛けてくるので、留守番電話はほとんど使われない。本能的な不安を感じ再生すると、御館さんの声が再生された。
――葉月が切迫流産で入院した。…今はかなりやばい状態だ。場所は、B区のK病院だ。
…まだ葉月に対して愛が残ってるんだったら、これ聞いたらすぐ来い。分かったな――
録音された内容を聞いた俺は今までの酔いも一気に吹っ飛び、それでも酒を飲んだ身なのでタクシーを呼ぶと、K病院へ向かう。病院に着き、夜間入口から入り、夜間受付の人間に事情を話し、病室へ駆け込む。病室には御館さんと朝霞さんがいて、息を切らせて入って来た俺を見ると、冷たい口調で言葉を掛けてきた。
「…遅かったな。しかも携帯ブッチだった」
「お酒臭いですね、呑気に自棄酒ですか」
「それより…葉月の状態は…」
「その前に…お前に『プレゼント』だよ」
そう言うと御館さんは俺にボディブローを浴びせかけた。渾身のボディブローは見事にみぞおちに入り、俺は膝をつく。
「本当は顔面一発にしてぇ…いや、殴る価値もねぇと思ったが…ちゃんとこうやって来たし、顔面は後で目立つからな。感謝しな」
「その代わり…あたしから『プレゼント』するわ」
そう言うと朝霞さんはまず左頬を強く平手打ちする。
「これは、あたしと御館さんの分」
間髪いれずに右頬に平手打ち。
「これは、はーちゃんのお腹の子達の分。最後に…」
左頬に衝撃が走る。とっさに歯を食いしばったので一瞬の衝撃ですんだが、それはかなりきつい右ストレートだった。
「これが…ここまで傷つけられた、はーちゃんの分よ」
「…」
しばらく沈黙が訪れる。そして…不意にけたたましい笑い声が病室内に響いた。笑っているのは…俺。この風景は人こそ違うが、以前にもあった風景。あの時も俺は葉月を傷つけ、死の寸前まで追いやった。あの時二度と彼女を傷付けるまいと誓ったはずなのに、俺は結局何も変わらずに、彼女を傷付ける存在にしかなりえなかったのか
――そう思うと余りにおかしくて、哀しくて俺は笑って
――笑いながら泣いていた。御館さんと朝霞さんはそれを呆然と見詰めていた。やがてどのくらい経っただろうか。俺は笑うのをやめ、うなだれながら言葉を紡ぐ。
「俺には…何もできません。…いや、俺がいても…葉月が傷つくだけです…」
「…おい、土井垣!しっかりしろ!殴ったのは悪かったが、葉月を救えるのはお前しかいないんだぞ!」
「そうよ!はーちゃんは表には見せなかったけど、ずっと…土井垣さんの事ばっかり考えてた!はーちゃんが頑張り通せるかは、土井垣さん次第だと思う!だからお願い!はーちゃんを助けて!」
「…」
二人の言葉に、俺はゆらりと立ち上がると、葉月のベッドに近付く。点滴を打たれ、弱々しい息遣いをしている葉月を見て、俺は愛しさと申し訳なさで胸が一杯になり、彼女の手を握り額を撫でながら、囁く様に言葉を零す。
「葉月…すまん…俺のせいでお前は傷ついて、こんなに苦しんで…許してくれ…」
と、不意に葉月の目がうっすらと開き、俺の方を見詰めると、朦朧とした意識の状態らしいが、呟く様に言葉を俺に掛ける。
「ううん…もういいの…あたしは…今までの思い出があればいい。だから将さんは…将さんの道を行って…あたしは…一人で…大丈夫だから…」
「そんな事を言わないでくれ…!俺は…お前と一緒の道を歩きたいんだ…!」
「ううん…将さんは責任を取ろうとしているだけよ…だから…あたしの事なんか忘れて…もうあたしから解放されて…ね…?」
「葉月…頼む…俺はお前を愛しているんだ…だから、そんな哀しい事を言わないでくれ…」
「…それは錯覚よ…だから、さよなら…でも…あたしはいつまでも愛してるわ…」
「葉月…」
「…ねぇ赤ちゃん…お願いだから…今度こそあたしに…あなた達を産ませて…愛させて…?…あなた達と引き換えなら…将さんの愛は…なくてもいいから…」
「…」
そこまで言うと、葉月はまた眠りに就いた。うなだれて涙を零す俺に、御館さんが声を掛けてくる。
「まだ…こいつは心の傷が治っちゃいねぇ…だから、しばらくは俺が預かる。…だがな、お前がどうしたいかはもう決まってるな」
「…はい」
「だったら、ちゃんとはっきりさせろ…全てにケリを付けるんだ、分かったな。それまで葉月には会わせねぇ」
「…分かりました」
朝霞さんも、静かに俺に言葉を掛ける。
「はーちゃんを幸せにできる鍵を持ってるのは…土井垣さんだけ。それは私も分かってる。…でも…今の土井垣さんじゃ、はーちゃんを幸せになんかできない。だから…ちゃんとして」
「…ああ」
「…で、俺から個人的に土井垣に話があるんでな…ちょっと出る。弥生ちゃん、葉月を見ててくれ」
「はい」
そう言うと御館さんは俺を促して病院の外に出た。御館さんは伸びをすると、呟く様に口を開く。
「こういう時はヤニが恋しくなるんだが…文が妊娠した時に禁煙したから持ってねぇしな。我慢するか」
「で、御館さん…俺に話って言うのは…」
俺の言葉に、御館さんは鋭い目を一瞬見せ、すぐに静かな眼差しに戻ると、言葉を紡ぎ始めた。
「犬飼の野郎が…葉月に手を出しやがった」
「小次郎が…!?」
「まあ、間一髪で大事にゃ至らなかったが…その結果がこれだ。土井垣、お前もその内それも含めた事で多分狙われるぞ…ま、それを受け入れて、葉月を切り捨てる…っていうなら俺はもう何も言わねぇがな」
「…」
「俺が『決着を付けろ』って言ったのはそういう意味もあってだ…まあ覚えとけ」
「…はい」
「それから…葉月を選ぶにしろ、犬飼を選ぶにしろ、これ以上葉月を傷つけるような事をしたり、犬飼がする様なら…俺はもうお前を許さねぇからな」
「はい。…でも…おかしいですね」
「何がだ?」
「俺は、あの時…前に葉月が死にかけた時、文乃さんに全く同じ様に腹を殴られて…全く同じ事を言われたんです。…あの時と同じだ…こんな時に不謹慎ですけど、文乃さんと御館さん、本当にそっくりですよ」
「ああ、俺と文は似たもの同士だからな。行動パターンも似てるんだろ」
「それに、俺も同じだ。…俺は…葉月を傷つける事しかできないんですね。…心底甘えられて…こうやって守ってやれる御館さんの方が…きっと葉月にはふさわしいんです…」
夜空を見上げ、涙を零しながらそう呟く俺を御館さんは睨みつけると、怒った口調で俺に声を掛ける。
「…馬鹿野郎、お前がそんなだから葉月が傷つくんだ。…確かに俺と葉月には、お前との間にはねぇ切っても切れねぇ絆があるかも知れねぇがな、葉月が心底愛してんのはお前だけだぞ!あれ見りゃそれ位分かるだろ!そこを間違うんじゃねぇよ」
「…はい」
俺の背中を御館さんは叩き、いつもの乱暴な、しかし優しい心は伝わる口調で更に言葉を掛ける。
「さあ、ここでお前が参っちまってどうするんだよ!これから公私含めてお前がしなきゃいけない事は何だ!」
「…スーパースターズを日本一に導く事」
「それから?」
「全てに決着を付けて…葉月と向き合う事」
「そうだ!お前が参っちまって采配狂わせたりしたら、それこそ葉月は悲しんで、お前の方を見なくなっちまうぞ!そうしてしっかりして、決着も付けて、ちゃんと葉月に向き合える男になってここへ戻って来い!それまでは俺が…葉月を見守っててやるから」
「御館さん…」
御館さんは俺を見てにっと笑うと、不意に目を逸らして、誰に聞かせるともなしに呟いた。
「結局…俺はナイトでしかないんだからな。『王子』がしっかりしなけりゃ困るんだよ」
ああ、そうか…御館さんの『一生分の片想い』の相手は
――俺は御館さんの気持ちに初めて気付き、ふと胸が痛んだ。でもここまで見て、言われたら、こればかりはもう譲れない。俺は全ての決着を付けて必ず戻ってきて…葉月と今度こそ向き合って、包める男になる。そう決意すると俺は自然と背筋が伸び、その決意を込めて御館さんに声を掛けた。
「じゃあ…俺はこれで一旦帰ります。だから…決着が付くまで…葉月をお願いします」
「ああ、早く戻って来いよ」
俺は御館さんに見送られて、病院を後にした。
…はい、という訳で土井垣さんと葉月ちゃん再会の巻です。『転調』で少し描写を出しましたが、葉月ちゃんが出て行ってから土井垣さんはかなりプライベートでは荒れてます。不知火にもまた手を出してた様で…でもそれは話としては番外編になるのでこのシリーズ書き終わってから書こうと思ってます、はい。
そして弥生ちゃん結構バイオレンス(笑)。御館さんも、文乃姉さんでもやらなかった顔面パンチを食らわせました。それだけ葉月ちゃんと弥生ちゃんの絆は深いんですよ。実はもう一人裏設定ではそういう人間がいるのですが、まだ出してない人の上、都内在住ではないのでこのシリーズでは出せないんですよ(涙)。うまくいけばこの話の最終話に出したいと思ってますけど、唐突な登場になっちゃうからなぁ…出さない方が賢明か。でも表にはその内出します、はい。
でも土井垣さんもやっと葉月ちゃんの姿を見て、どん底から立ち直るきっかけを得た様です。そして御館さんの葉月ちゃんへの想いにもやっと気付きました(笑)。表では全く気付かないんですが、裏ではちょっとオトナな話にしたいので気付かせる、と。でも御館さんの葉月ちゃんを包み込める大人さには土井垣さんは絶対に敵わないんですよね。その上での葉月ちゃんとの愛なのです。だからこんな風になりました。
今後土井垣さんはどうなるのでしょう。次の次辺りで出てきます。お楽しみに(誰も楽しみにしてないって…)
[2012年 05月 27日改稿]