「…ん…」
私が目を覚ますと、そこは病室らしかった。首を回すと横に柊兄がいた。起き上がろうとする私を、柊兄は止める。
「ああ、良かった。気が付いたか…ああ、起きるな。寝てなきゃ駄目なんだよ」
「うん、分かった。ねぇ、柊兄…赤ちゃんは…?」
「大丈夫だ。二人とも無事だぜ。でもな、ちょっとまだ油断はできねぇから絶対安静なんだ」
赤ちゃん、頑張ってくれてありがとう――柊兄の言葉に私は安心して、赤ちゃんに感謝しながら自分のお腹に手を当て、ふと眠っていた間に夢の中で見た事を柊兄に話す。
「そう…良かった。…ねぇ」
「何だ?」
「ここに…将さんが…いた気がしたの。…泣いてた…夢…だったのかな。…だよね…」
私の言葉に、柊兄は静かに首を振ると、言葉を返した。
「いや、現実だ…俺が呼んだ」
「柊兄…どうして…?」
「お前を救えるのは…あいつだけだ。そう思ったから呼んだんだ。こう見ると実際、その通りになったな。あいつはお前を見て、自分のやった事を心底後悔して…泣いてたよ。だから、決着を付けてまた戻って来いって言っといたぜ。あいつは本当にお前を愛してる。それに…お前もな」
「違うよ…将さんはあたしの『魔性』に絡め捕られてただけ。だから、もう将さんはあたしとは関係ない…そうしなくちゃ…」
私の言葉に、柊兄は少し怒った様な、でも心底優しい心が伝わる言葉を私に掛ける。
「バカタレ、まだそんな事言ってんのか。あいつの気持ちは本物だぜ。それにお前の気持ちもだ。自分の気持ちを偽って、逃げて、それでいいのか?だから子どもが怒ってこうなったんだぜ、きっと」
「…」
私達の間に、気まずい沈黙が訪れる。しばらくの沈黙の後、私は自分の心を零していく。
「優しいね、柊兄。…あたしがちっちゃい時からそうだった。…いっつもあたしを守ってくれて…笑わせてくれて…励ましてくれて…」
「…」
「…覚えてる?柊兄とあたしの『大冒険』」
「ああ。…お前にせがまれて二人で自転車に乗って、湯本とはいえ箱根まで行って、アスレチックで遊んだんだよな。お前は満面の笑顔で遊んでて、俺もすげぇ楽しかったが、帰ったら親父とおじさんに、こっぴどく怒られたよな。お前のじいちゃんは高笑いしてたけどな」
「でも、柊兄はどんなにお父さん達に怒られても、あたしが謝ろうとしても『俺が行こうって誘ったんだ、葉月は悪くない』って譲らなかった…」
「…」
「それに…八幡中の野球部で、すごくいいキャッチャーだって言われてて…古城に入ったらすごく勧誘されてたのに、野球部じゃなくって迷わず演研に入ったのは…しょっちゅう寝込んでて遊べないあたしを楽しませる事を覚えるためだったんだよね。…お姉ちゃんから聞いてたんだよ」
「…そうか」
「それに…『あの事』があった時だって…ショックで告訴できない上に閉じこもってる間に逃げる直前だった『あの男』を、学校に乗り込んで、責任を取らせるために処分させる様にうやむやにしようとしてた校長先生を含めて、結局失敗したけど…説得してるおじ様がいる目の前なのに、校長先生含めて殴ったんだよね…」
「そりゃそうだろ、あんな酷ぇ事して逃げようとかうやむやにしようなんざ、俺の正義が許さねぇ」
「ううん。…その後、おじ様とかうちの親から『何があっても暴力はいけない』って言われても、『あれ位じゃあいつらが葉月につけた傷の何十万分の一だ、葉月を泣かせる奴は絶対に許さない』って言って謝んなかったって聞いたよ。…柊兄、あたしのために殴ってくれたんだね…」
「葉月…」
「そんななのにその後あたしは男の人は柊兄でも怯えちゃったのに、ずっと落ち着くまで見守っててくれて…落ち着いてからも怖がってるのが分かったら、それとなく男子から守ってくれて…」
「…」
「『二人』を殺しちゃって、あたしが全く食事を摂れなくなった時も…お菓子作りなんかほとんどした事ないのにおば様に聞いて、甘いものが大好きなあたしにお菓子を作ってくれて、お姉ちゃんを通して届けてくれた。…それも一番難しい、でもあたしの一番大好きなシュークリーム…あたしが『二人』を殺してから最初に口にした食べ物は…そのシュークリームだったんだよ」
私は言葉と共に涙が零れてくる。
「…何で、柊兄を愛せなかったんだろうな。…そうしたら…きっとこんなに苦しくなかったのに…こんな苦しい思い…もうやだよ…」
私の言葉に、柊兄はふと真剣な顔になって私を覗き込むと、静かに問いかけた。
「…じゃあ…もし今俺が『お前を愛してる』って言ったら…俺を愛せるか?」
「柊兄…?」
「俺は…ずっとお前を愛してた。…お前が小さかった頃から惚れて…成長する毎に想いが深まって…お前が『あいつ』に傷を付けられた時も、守れなかった事が心底悔しかった。…だから俺はお前がこれ以上傷つかない様に守ろうって決意して、ずっとお前を守ってきた。…でも…こうやって俺が吐き出した想いを…お前はそれを受け取れるか…?」
柊兄の突然の告白に驚いたけれど、その真剣な表情と口調で、柊兄は本気だって分かる。だとしたら私もちゃんと本気の答えを返さなければいけない。私は静かに首を振ってその『問い』に答えた。
「ううん…あたしが愛してるのは、将さんなの…それは…どうしても替えられないの。…だから…柊兄の気持ちは受け取れない。…でもね」
「でも?」
「柊兄は…あたしにとって、恋愛とか…そういうのを全部飛び越えた所にいる…誰にも…将さんにだって替えられない、特別で…一番大切な人なのも…確かなの…」
「…そうか」
私は泣いた。柊兄の気持ちが受け取れない事に、特別で、一番大切な存在なのは確かなのに、愛する人はどうしても将さんだけしか考えられない事に――泣いている私に、柊兄はいつもとは違う穏やかな微笑みを見せると、私の涙を拭って静かにまた言葉を紡いだ。
「ありがとよ…これで俺も『覚悟』ができた」
「『覚悟』…?」
「俺は…独りで、一生お前を見守っていく。…お前が一生笑顔でいられる様にな」
「駄目だよ…自分の幸せをなくす様な事はしちゃ駄目。柊兄にも、きっと誰か他に愛せる人がいるはずだよ?だからその人をちゃんと見つけて…幸せになって」
「いいや。…俺の幸せはお前が幸せでいる事なんだ。それにな、俺はもうお前以上に愛せる女は絶対できねぇし…いねぇ事も分かっちまってんだよ。だから…一生俺はお前を愛し続けて…見守る」
「ごめん…」
また涙を零す私の涙を拭いながら、柊兄は穏やかな微笑みを見せたまま、言葉を紡いでいく。
「いいんだ…ただ、『願い事』を三つ…叶えちゃくんねぇか」
「何?」
「一つ目は…『柊兄』って呼ぶのは…もうやめてくんねぇか」
「うん。…『柊司さん』…それともお姉ちゃんに倣って…『柊』の方がいい?」
「そうだな、『柊』がいいな。土井垣より特別って気がして気分がいい。二つ目は…」
「二つ目は?」
「その腹の子の名付け親になりてぇんだ。…俺も父親の気分を味わいてぇからよ…いいか?」
「うん。お願い…いい名前を付けて」
「ああ。…で、最後は…」
「最後は?」
「…これっきり…一度だけだ。お前に…キスさせてくれ…」
「…うん」
私が頷くと、柊兄…柊は私と唇を合わせた。お互いの精一杯の愛がこもった、でも少し哀しい最初で最後のキス――柊はゆっくりと唇を離すと、微笑んで呟いた。
「ナイトから姫君への…契約のキスだ。『一生守る』っていうな」
「柊…」
「さあ、後はゆっくり休んで、栄養を摂って、元気な赤ん坊を産む事だけ考えな。…大丈夫だ。王子はその内ちゃんと帰ってくるからな。それまではナイトが守っててやるから、姫君はゆっくり眠ってろ」
「ん…」
いろんな人の愛に包まれている事を知って、私はその愛に感謝しながら、またゆっくりと眠りに就いた。
…はい、葉月ちゃんも何とか峠を越しました。弥生ちゃんは御館さんが危ないからと帰した設定です。そしてとうとう御館さんも自分の想いを吐き出しました。
届かないと分かっていても伝えなければいけない想いってある気がするんですよ。で、届かないとしてもそれは無駄なものではなく、きっとお互いにとって何かを残していく…そんな想い、そして友情でも、愛でもないけれどとても大切な、もしかすると愛以上の強い絆もある気がしています。そういったものが書きたくてこうなりました。二人の間には愛ではないけれど、大切なお互いに対する想いがあって、それは土井垣さんも入れないし、壊せないものです。これは葉月ちゃんが土井垣さんと小次郎兄さんに感じていたものと似ているのではないかと私は思ってます。この二人はお互いそうした想いを持ち続けられる関係にしていくつもりです。そしてきっと想いが届かない御館さんの悲劇もこれから生まれてくるであろう命に救われていくんだと思います。とりあえずいい男だぜ御館さん!と言っとこう(笑)。
[2012年 05月 27日改稿]