病院から帰った俺は、荒らしていた部屋を片付け、気持ちを改めて目の前の事に向かう。俺が今しなければならない事は、スターズの監督としてチームを日本一に導く事、そしてそのために闘う事で、彼女に本当の意味で向き合える男になる事――そう思うと自然と今までの荒れた生活が恥ずかしいと思いながらも、自分には必要があったのではないか、とも考える自分がいた。荒れて、どん底まで堕ちたからこそ見えるもの――それを俺は見た気がした。俺はそこに行きついた時、ふと彼女に想いを馳せる。彼女は心を壊しながらも新しい生命を生み出すために、自分自身と闘っている。今の自分はまだ彼女に会う資格がない。しかし、たとえ会えないとしても彼女の闘いが自分に力を与えてくれる気がした。そしてどんな形でもいい、その想いを彼女に伝える方法が欲しいとも思う自分もいた。俺も精一杯闘う、だからお前も一生懸命闘ってくれ――

 そうして日々を過ごしていたある日の試合前、監督室に里中が固い表情で入って来た。まさか故障かと不安になったが、そうではないらしい。
「どうした、里中」
 俺が問い掛けると、里中は固い表情のまま口を開く。
「土井垣さんと葉月ちゃんが土井垣さんの浮気で別れたって…しかも葉月ちゃん、土井垣さんの子供を流産しかかったって…本当ですか」
「…」
 里中の言葉に俺は言葉を失う。しばらくの気まずい沈黙の後、俺は問い掛ける。
「…どこから聞いた、その話を」
「スポーツ新聞の記者が聞いてきたんですよ。俺も初耳の話だったから、適当にとぼけて追い返しておきましたけど。…土井垣さん、本当だったらあんなに優しくて土井垣さんを想ってる葉月ちゃんを傷つけるなんて、最低ですよ!」
 里中の強い言葉に、俺は自嘲気味な笑みを見せて呟く。
「…ああ、その通りだ。俺は最低な男なんだよ…」
「土井垣さん…」
 俺の自嘲気味な言葉に、里中も言葉を失う。俺は自嘲気味だが、それでも自分の想いを続けた。
「確かに俺は葉月を傷つけて彼女は俺の所を出て行ったし、彼女が俺の子を流産しかかったのも本当だ。でも、それでも…彼女を傷つけても、俺は葉月を愛しているんだ…今の俺は彼女に会う資格がない。でも、絶対に彼女に見合う男になって…もう一度迎えに行くつもりだ」
「…土井垣さん…」
 また沈黙が訪れる。またしばらくの沈黙の後、今度は里中が口火を切った。
「…土井垣さん」
「何だ」
「俺に…できる事はないですか。チームメイトとしてだけじゃなく、友人としても、俺は二人の行く末を見て行きたいんです。だから…俺にできる事を言って下さい」
「里中…」
 俺は里中の葉月を想う気持ちに感謝すると共に、伝えたかった俺の中の葉月への気持ちを里中に託す事にした。俺は静かに口を開く。
「…里中、今日はお前上がりだったな」
「はい」
「俺の代わりに病院へ行って…葉月と…腹の子に伝言を頼む。後できれば花か…絶対安静の彼女が喜ぶものを持って行ってやってくれ。場所はB区のK病院、伝言は…こうだ」
 そう言うと俺は里中に『伝言』を伝える。里中はそれを聞いて頷くと、言葉を返した。
「はい。…絶対に伝えます」
「じゃあ…頼む」
「はい…失礼します」
 そう言うと里中は出て行った。俺は試合に気持ちを集中させようと、病院から帰ってから始めた試合前の『儀式』のために守り袋を取り出す。これはお互いの役目をしっかり果たせる様にという事と早く約束が果たせる様にという願いを込めて、彼女と毎年買っていたお守り。そしてその守り袋の中には守り札と共に、彼女の置いていった指輪を入れていた。俺は彼女を想いながら守り袋にキスをすると、深呼吸して気分を集中させる。
「…さあ、試合だ。『闘将』の名に恥じない試合を見せてやる」

 そうして自分にも結果を残して勝利をすると、ヒーローインタビューが俺に回ってきた。様々な質問がされていくうちに、不意に何故か葉月の話題が上がってきた。
「ところで土井垣監督、今噂になっていらっしゃる女性がいる様ですが…噂は本当ですか?」
 多分に意図的なものだろう。こんな三面記事的な問いには答えたくはないとも思ったが、俺は逆にこれを使ってしっかり彼女の事を認知させようと思い、はっきりと言葉にする。
「はい、自分には事情があってまだ籍が入れられていませんが、妻がいます。そして彼女には新しい生命も授かっています」
 俺の意外な言葉に球場もレポーターもざわめく。レポーターはそれでも何かいい話に持っていこうと話をうまく繋げようとするが、俺は自分の思いをそのまま言葉にしていった。
「そ…そうですか…では今日の勝利はその奥様に捧げますか?」
「いいえ。試合の勝利は勝利です、これは自分の闘いです。しかし彼女も自分と同じ様に新しい生命を生み出すために、今必死に闘っています。お互いそうして自分の場で闘う事が自分達の繋がりです。二人とも自分の場で精一杯闘います。ですからどうか自分も、彼女も、そういう目で見守って下さい。お願いします」
 その言葉が観衆には通じたのか、球場からは拍手と歓声が沸きあがった。レポーターはその雰囲気に気圧されながらもちゃんと自分の役目を果たす。
「…あ、ありがとうございました…今日のヒーローインタビューは土井垣兼任監督でしたー!」
 そうして試合が終わった後、チームメイトが口々に俺に声を掛けてくる。
「宮田さん、デキてたんですか?」
「何でそんななのに籍入れないんですか監督!」
「どえがき、責任はとらなあかんで」
「籍を入れねぇにしろ、認知くれぇは男の最低の責任づら」
 俺はチームメイトの言葉に対し丁寧に、しかしほんの少しの嘘を加えて答えていく。
「ああ、葉月は妊娠している。ただ、腹の子共々ちょっと調子が良くなくて絶対安静だから、婚姻届が書けないんだよ。代筆でもいいと思ったが、それも何だか気分が悪くてな。今は腹の子を落ち着かせる事に専念させて、もう少し調子が良くなったら、籍はちゃんと入れる」
「そうなんですか…ならいいんですけど」
「じゃあ試合前に里中が千代紙を皆に渡して『具合が悪い宮田さんにあげるから、今すぐ鶴を折れ』って言ったのはそういう事だったんですね」
「里中が…?」
「え?土井垣さんが指示したんじゃないんですか?」
 問い掛けるチームメイトに、俺は少し狼狽しながらもゆっくりと答える。
「あ、いや…彼女が喜ぶものを持って行けとは言ったんだが、鶴とは思わなかったものでな」
「まあ、調子が悪い人に千羽鶴は定番ですから。チームメイトだけじゃ千羽には全然届かないですし、妊娠にもありなのかは分かりませんけど」
 笑うチームメイトに、俺も笑いかけて言葉を返す。
「いや…ありがとう。皆がそうやって気遣ってくれたら、葉月もきっと喜ぶ」
「いえ…でも宮田さんは監督が大事にしてあげて下さい。彼女の事ですからきっと、監督と子供の事だけしか考えないでしょうから」
「そうだな」
 皆の暖かい励ましに、俺は彼女がどれだけ慕われているかが良く分かった。彼女だからこその皆のこの反応なのだろう。俺はそうした彼女にどれだけ救われていたのかが改めて分かった気がした。そんな気持ちで着替えてドームを出ると、俺を待っていたのだろうか。小次郎がそこには立っていた。
「小次郎…」
「来い」
「俺は…もう彼女を裏切らない。だから…行かない」
「そうか…ならいい。でも、話を聞かせてもらおうか。俺が見たあの光景の…あの女の全部が知りてぇ」
「…分かった」
 俺は小次郎の決意を知り、彼女の事を話すために逢瀬で使っていたホテルへ小次郎を連れて行く。彼女の事を全て話すには、人目がある場所は使えない。小次郎に抱かれる危険性もあるにはあるが、その時は絶対に抵抗するという鉄の意志を固めて、いつも使う部屋へと入り、テーブルで向かい合うと、小次郎が口火を切った。
「あの女は、どこかお前に対してやけっぱちな面があるみてぇだが…何かあるのか?」
 その問いに答える様に、俺は彼女の全てを静かに話し始める。思った通り、小次郎は愕然とした様子を見せた。
「おい…そんな事、あっていいのかよ…!」
 愕然とする小次郎を尻目に、俺は静かに話を進めていく。
「しかし…事実だ。彼女は…一番安全なはずの教室で、一番安全でなければならない教師に…犯されたんだ。そして、その男は依願退職という形で逃げて、校長も不祥事を隠すためにうやむやにした。…しかし、彼女はそれだけではすまなかったんだ…」
「…」
「身体の変化は、丈夫じゃない彼女にはすぐに分かった。そして、『堕胎したら二度と子供は望めないだろう』と言われて…ご両親は彼女の身体の事を考えて、子供は自分達の子として育てるから産む様に勧めたが、彼女は『私は生まれても愛せない。それに出生の秘密を知った時に子供が浴びる傷を考えたら、最初からこの世に生み出さない方がいい』と言って、堕胎を即決して…しかし、その必要もなくその日の夜に流産した。…双子だったそうだ」
「そんな…」
「妊娠初期で死産届や埋葬届を出さずに済んだおかげで表ざたにはならなかった。…しかも妊娠初期の流産は大抵胎児の元々の状態に問題があるんだが…彼女は『こんな生まれる前の小さな子供に自殺をさせてしまった』とずっと自分を責めて…一時は食事もとれなくなる程だったし、もちろん男性にも、怯えて近づけない状態だったそうだ」
「…」
 しばらく重い沈黙が続く。しばらくの沈黙の後、小次郎が改めて口火を切る。
「じゃあ、あの女に付いていた男は何なんだ…お前以上に親しく見えた上に、腹の子の父親だって何の躊躇もなく言えるってのは…どういう奴なんだよ」
「ああ…長身でちょっとアウトローな感じのする人だろう?」
「ああ、知ってるのか?」
「あの人は…御館さんといって…あの人だけは彼女にとって、特別の存在さ。あの二人の間には…俺も入っていけないと、最近になってやっと分かった」
「お前、そんな存在が許せるのか?お前より特別な存在なんて作る女が信用できるのかよ!」
「確かにそうかもしれんな…でも」
「でも?」
「彼女が本当の意味で愛しているのは俺一人だ…それも同時に分かったんだ。だから俺はもう彼女が傍にいて、笑っていてくれればいい。そして…その笑顔を守る男に今度こそ俺はなる」
「土井垣…」
 俺を見詰める小次郎に俺はふっと笑顔を見せる。小次郎はぶっきらぼうな口調で俺を追い払う仕草を見せながら、捨て台詞の様な言葉を発した。
「行け…もういい。お前にはあの女しかもう見えねぇって良く分かった。…でもな」
「でも?」
「俺も…惚れてたんだぜ…お前に。だから、抱いたんだ…」
「小次郎…」
 小次郎は自嘲気味な笑みを見せた。俺はその笑みを見て、ふっと小次郎と唇を合わせる。唐突な俺からのキスで驚いた小次郎に、俺はふわりと笑いかけると言葉を紡いだ。
「俺とお前の間も…身体の関係があるかないかの違いだけで、彼女と御館さんと同じ様なものだったんだ…きっと。だから、感謝と…さよならのキスだ。これからはまた『宿命のライバル』としてやっていこう」
「…土井垣」
「じゃあな」
 そう言うと俺はホテルを後にした。全ての悦楽の思い出をそこに置いて――

 翌日、俺のヒーローインタビューが少し騒ぎになり報道陣が詰め掛けたが、俺は適当に、しかし彼女の事は真剣なんだという事は伝える様にあしらっていると、監督室に里中が再びやって来た。
「土井垣さん、『伝言』ちゃんと伝えました」
「ありがとう、里中」
「…で、葉月ちゃんからも伝言を預かってきたんで…ちょっと耳貸して下さい」
「…?」
 俺が里中の口元に耳を近づけると、里中は彼女の『伝言』を伝えた後、不意に俺の顔を向き直らせてキスをした。俺は驚いて声を荒げる。
「里中!お前何をする!」
 里中はぶすっとした表情で言葉を紡ぐ。
「俺だって山田以外にキスするなんて嫌ですよ。でも、葉月ちゃんはそれ位の思いでその言葉を言ってたんですからね。俺はそれを伝えただけです。だから、ちゃんと肝に銘じてくださいよ」
「…ああ」
「じゃあ、失礼します」
 そう言うと里中は出て行った。俺は『伝言』を反芻して顔が赤くなっていくのを感じていた。

――どんな罪を持ってたって、将さんは将さんよ。あたしはずっと将さんを愛してる。だから…本当に迎えに来てくれるなら、その時は今度こそあたしと向き合って。それまで、あたしはこの子達と頑張るから――

「絶対に、迎えに行くから…待っていてくれ」
 俺は彼女の想いを受け取って、改めて彼女と向き合える男になるために自分と闘う決意を固めた。

  …はい、『土井垣さん爆弾発言(周囲にとっては)の巻』です。とりあえず葉月ちゃんの存在は『時間の傷痕』の事件の時からそれなりには知られている状態だったという設定です。だから別れたという情報が一部には伝わる…と。でも里中一人で追い返せるもんなんでしょうかねぇ…他のチームメイトにも聞いてそうですが。でも里中に最初に聞いて里中が追い返したという事にしておいて下さい(平伏)。そしてチームメイトの皆さんに葉月ちゃん賛美させちゃってホントすいません(土下座)。でも一応葉月ちゃんは表に引き続いてその性格からチームメイトの皆に慕われている設定です。で、葉月ちゃんも皆を慕っていて仲がいいです。きっと結婚したらチームメイトがからかい半分で土井垣さんちに入り浸るだろう位(爆笑)。
 そして土井垣さん、小次郎兄さんに対してちゃんと真摯に対応しました。全てを話さないと納得いかないだろうと判断した上でのこの告白なのです。そして葉月ちゃんを選んでちゃんと小次郎兄さんと別れを告げるための告白でもあります。ちなみにこの後の小次郎兄さんの事もシリーズ書き終わったら番外編で書きたいと思います。
 そして最後に…ごめんなさい!ついやってしまいました里×ドイ(土下座)!でもホント里中は葉月ちゃんの想いを伝えるために仕方なくやっただけで、ここでも基本山里ですから。だからああいうセリフになる…と。何かここに来て土井垣さん総受け状態をまた作り出した気が…後残ってるのは義経とか三太郎あたり面白そうだが…このシリーズではやりませんので(笑)。
 さて土井垣さんはどんな伝言を里中に伝えたのでしょう。次回で分かります。

[2012年 05月 27日改稿]