「…まったく、水臭いわね。あたしにまで将君との事黙ってるなんて」
 絶対安静で寝たきりの私に、柊から話を聞いたお姉ちゃんは病院へ子ども…私にとっては姪っ子に当たる美月ちゃんと来てくれて、でもいろんな事を黙っていた私を少し咎める様に言葉を紡ぐ。私はお姉ちゃんの本当の気持ちが分かっているので感謝しながらも、思っていた事を口に出す。
「…ごめん、お姉ちゃん。でも、もしお父さんとかに話がばれたらって思ったら…言えなかったの」
「そんな事言ったって、いつかはばれる時が来るでしょうに。…まあ、ばれたら確かにお父さんの事だから、将君に何するか分かんないもんね。落ち着くまで黙ってて賢明か…でも、この事だけはもうお父さんに話すからね。入院しちゃってるって事は隠せないでしょう?」
「うん…うまく言っといてね」
「任せなさいって。昔からあんたよりあたしの方が隠し事うまいのは知ってるでしょ?」
「そうだね」
「ね〜?」
 私達は笑った。と、美月ちゃんが私の方を見て声を掛けてくる。それを見たお姉ちゃんが優しく美月ちゃんに声を掛けた。
「そうよ〜、お姉ちゃんは今ねんこしてなきゃ駄目なの」
「美月ちゃん、少しづつ言葉が出てきたみたいだね」
「でもあたしとか隆君より先に、人に関しちゃ意味のある言い方はあんたや柊の事を言い始めるんだもの。ちょっと悔しいわ」
 お姉ちゃんは不満そうに言った。あんまり話していると疲れるからいけないって言われているけれど、つまらなくてつい話してしまう。でも、お姉ちゃんもそれを分かっているみたいで、止めずに疲れない程度にゆっくりと付き合ってくれる。それに感謝しながら私は言葉を続ける。
「それは仕方ないよ。『お兄ちゃん』『お姉ちゃん』の方が言う頻度高かったし、『お父さん』『お母さん』はちょっと最初の言葉には難しいじゃん」
「まあそうね…それに最初の言葉じゃないからまだ許せるわ」
「そういえば、最初の意味のある言葉って何だったの?」
「それはね…」
 と、また美月ちゃんが口を開いた。
「ぽたぽた〜」
「え?」
「そう、ぽたぽたね〜。はい、美月」
「あ〜とっ、あ〜」
 お姉ちゃんは笑うと、抱きかかえていた美月ちゃんを椅子におろして提げていたバッグから小さなウサギのぬいぐるみを取り出し、美月ちゃんに渡した。美月ちゃんはお礼の様な声を返してそのぬいぐるみで遊び始めた。私が驚きながら見ていると、お姉ちゃんはウィンクして言葉を紡ぐ。
「…これが美月の最初の言葉。最初は何の事かと思ってたら、ちゃんとこれを指してるんだもの。分かった時びっくりしちゃった」
「でも何で『ぽたぽた』なんだろうね」
「さあ、美月のルールがあるんでしょ、多分」
 そうして二人で話していると、不意に美月ちゃんがむずがり始めた。
「どうしたの?美月」
「あ〜!ね〜、ね〜!」
「お姉ちゃんはねんこしてなきゃ駄目なのよ、遊べないのよ」
「ぽたぽた〜!」
「美月?」
 美月ちゃんの様子がおかしいのでお姉ちゃんが抱き上げると、美月ちゃんは『ぽたぽた』を私の方に持っていく仕草を見せた。それに気付いたお姉ちゃんが美月ちゃんを私の枕元に寄せると、美月ちゃんは『ぽたぽた』をぽとりと置いてにっこり笑った。
「ね〜」
「美月、お姉ちゃんに貸してあげるの?」
「あ〜」
「そう、いい子ね〜…葉月、迷惑じゃなかったら置いてあげて」
 私は迷惑どころか、美月ちゃんの気持ちが嬉しくて、それを言葉に出す。
「ううん…嬉しい。ありがとう、美月ちゃん。優しいね」
「ね〜」
 私の言葉に、美月ちゃんは更ににっこりと笑った。それを見てお姉ちゃんも微笑む。
「…あたしの子達も、美月ちゃんみたいに優しく育ってくれるかな」
 私の言葉に、お姉ちゃんは励ます様に力強く言葉を返す。
「何言ってんの、あんたの子で優しく育たなかったら詐欺よ。絶対優しいいい子に育つわ…だから、元気に産む事を考えなさい」
「…ん」
 お姉ちゃんの言葉に、私は胸が一杯になって頷く。そこへ柊が入って来た。柊はあたしが入院してから、毎日時間を作って私の所に来て何かと世話を焼いてくれている。私は申し訳ないと思いながらも、その優しさに感謝して甘えさせてもらっていた。
「…よお葉月、今日も来たぜ。…っと、文達も来てたのか」
「柊、あんた経営者でしょうが。葉月から毎日来てるって聞いたけど、よっぽど商売暇なのね」
「うるせぇ、できる男は時間の使い方もうまいんだよ。…お〜美月、元気か〜?」
「に〜」
 美月ちゃんは柊に向かって、挨拶する様ににっこり笑いながら右手を上げる。それを見た柊は笑って美月ちゃんの頭をガシガシと撫でた。
「よ〜し、元気そうだな。葉月にその元気を分けてやれよ」
「今…分けてもらったの。ほら」
 私が枕元の方に首を向けたのを見て、柊も枕元を見ると、驚いた様に口を開く。
「おっ、美月が気に入ってるぬいぐるみじゃねぇか。文が置いたのか?」
「違うわ、美月が自主的に置いたの」
「そうか。お前も葉月が心配なんだな。でも大丈夫だからな。もうすぐ従兄弟が二人できるぞ〜?美月」
「…そうね…美月ちゃん、待っててね。もうすぐ弟分か妹分…もしかすると両方かな…ができるよ」
 私は柊の力づけてくれる気持ちが嬉しくてにっこり笑って言葉を紡ぐ。それを見たお姉ちゃんは満足げに笑うと口を開いた。
「じゃあ…そろそろあたし達は帰ろうかしら。その内隆君も連れてくるわね」
「ん…お姉ちゃん、お父さん達にはよろしくね」
「任せなさいって。じゃあ美月、帰るわよ…あら?」
 そう言ってお姉ちゃんが帰ろうとすると、病室の入口に誰かが立っていた。その人物を見て、私達は全員驚く。そこにいたのはここに来るはずがない人間だったからだ。
「智君…」
「こんにちは、文乃さんと美月ちゃん、柊司さん、それから…葉月ちゃん」
「智じゃねぇか。何でここが分かったんだ?」
 柊の問いに、智君は静かに答える。
「まずはスポーツ新聞の記者に聞かれて…土井垣さんに真偽を問い正して…教えてもらいました」
「畜生!漏れてたか…こりゃ対策練らねぇとここはやばいな」
「そうね…また彰子さんにご迷惑お掛けしなきゃかも。…その内菓子折持ってご挨拶しなきゃね…で、智君は将君から聞きだしてお見舞いに来たの?」
「はい。まず…これはチームメイトの皆から。葉月ちゃん、絶対安静なんだよな。だからこうするぜ」
 そう言うと智君は袋に入れていた鶴をわざとベッドに撒き散らした。千代紙でできた鶴の海はとても綺麗で、私は驚きながらも嬉しくなる。
「皆にはとりあえず本当の事は隠して『具合が悪い』ってだけ言っておいたよ。でも皆心配して快く折ってくれたぜ…それに皆『早く元気になるように伝えてくれ』って口を揃えてたぜ、葉月ちゃん」
「…そう」
 私はチームメイトの皆さんの気持ちが嬉しくて胸が一杯になる。智君は鶴をしばらく散らした後、しまうと更に続けた。
「それから…土井垣さんから『伝言』も頼まれてるんだ」
「将さんから?」
「ああ。…ちょっとお腹触らせてもらうぜ」
 そう言うと智君は私のお腹に手を当て、口を開く。
「『どうしようもなく情けない父親だから、もう少ししっかりしてから会いに行く。だからそれまでお母さんと一緒に頑張って…お母さんを守ってやってくれ』」
「…将君」
「土井垣…」
「まずこれがお腹の子への伝言。それから、葉月ちゃんに」
 そう言うと智君は私の耳元へ、私にしか聞こえない程度の声で囁いた。
「長いし、何だか良く分からないけど…『どうしようもなく罪深い俺だが、まだ愛してくれているなら、もう一度チャンスをくれ。まだ俺はお前に会う資格がないが、お前の闘いを励みに頑張って、ちゃんと向き合える男になって必ず迎えに行く。だから待っていてくれ』…だって」
「将さん…」
 私は将さんの気持ちに胸が一杯になる。でも――将さんはやっぱり責任を取ろうとしているだけかもしれないと迷う私もいる。それを察したらしい柊が智君に問いかけた。
「なあ智、土井垣がその『伝言』を口にした時の目はどうだった?」
 柊の言葉に、智君はその言葉の真剣さを受け取ったのか、真面目に答える。
「はい…少し、疲れてたみたいですけど…嘘はついていない目でした」
「…そうか。…葉月、そういう事だ。ちゃんと伝言、受け取ってやれ」
「でも…」
「でもも蜂の頭もねぇだろ。…ああそうだ智、お前は今来たって事は今日試合あっても戻らなくていいんだよな」
「ええ。俺は上がりだからこうして来られたんです。監督黙認で後は自由時間ですよ」
 ウィンクしながらの智君の言葉に、柊はにっと笑うと、携帯ラジオを取り出し、口を開いた。
「テレビつけてたらばれるし、妊婦は目を使っちゃ駄目らしいからな。智の解説で試合傾聴と行こうぜ」
「柊…」
「柊司さん」
「柊、あんたやっぱり悪よね」
 お姉ちゃんの言葉に、柊は不敵な笑みを見せて言葉を返す。
「葉月だっていい加減寝てるだけは飽きてきただろうからな。ちょっとくれぇいいだろ…ってな訳だ、智、悪ぃが残ってくれるか」
「あ、ええ。俺も葉月ちゃんと少し話したいと思ってたからいいですよ」
「じゃああたしも少し残ろうかしら。隆君は今レースでどうせいないし」
 そう言うと私達は病室のドアを閉め、智君と雑談をしたり、プレーの説明を聞きながら時を過ごす。
「今日は先発わびすけさんなのね」
「ああ。好調みたいだな」
「…おっ、義経の八艘飛びキャッチか〜。一度生で見てみてぇな」
「柊司さんならチケットすぐ手に入るでしょう?観に来てくださいよ」
「ああ、そうだな」
「すごいわね〜マドンナさんって。女性で男性に混じって野球できちゃうんだから」
「あ、まあそうですね。…人間的にはちょっと…ってとこありますけど」
「あら、そうなの?」
「少なくとも文乃さんとは合わないと思いますよ」
「に〜」
「美月ちゃん、楽しいか?」
「あ〜、に〜の〜」
「この時間でも寝ない位だしニコニコしてるから楽しいみたいね。この子も野球好きになるかも」
「だったら嬉しいな」
 そんな事を話していると、殿馬さんが二塁打で出塁し、微笑さんがバスター、山田さんがタイムリーヒットを放って、点が追加される。
「さすが山田!ここぞという時にはやってくれるぜ!」
「…智君、山田さんの事になると、本当に嬉しそうね」
「そりゃそうさ、俺は山田に惚れ込んで明訓に入ったんだからな」
「智…それあんまり外で言うなよ。誤解される…っておい!」
 柊が呆れた様に言葉を紡いでいた時、将さんがスリーランホームランを放った。これで試合は決定的になって、スターズは勝利した。私達は喜びの歓声を看護師さんたちにばれない程度に上げる。
「やった〜!勝ったぜ!」
「あ〜い!」
「良かったわね、智君、葉月」
「この勢いでクライマックスシリーズ、日本シリーズだって頂くからな。だから葉月ちゃんも頑張れよ」
「うん」
 そうしているとヒーローインタビューも放送されるらしいので、そのままラジオを流す。ヒーローインタビューは将さんだった。色々な質問がされるうち、不意にこんな質問が出された。
『ところで土井垣監督、今噂になっていらっしゃる女性がいる様ですが…噂は本当ですか?』
 その質問は私にとって胸が痛むものだった。きっと将さんは私の事を隠すだろう。そうしなければ将さんの名誉が保たれない。暗い表情になった私に気付いたらしい柊が問い掛ける。
「…おい、いくらなんでもこういう質問はありなのか?智」
「かなり意図的ですねぇ。…いくらなんでもこの場では酷すぎる…って…え?」
 私達は聞こえて来た音声に思わずラジオを見詰める。将さんはその質問にはっきり答えたのだ。
『はい、自分には事情があってまだ籍が入れられていませんが、妻がいます。そして彼女は新しい生命を授かっています』
「将君…」
「土井垣…」
 将さんの意外な言葉に球場もレポーターもざわめいているのがラジオを通して伝わってくる。レポーターはそれでも何かいい話に持っていこうと話をうまく繋げようとしているが、将さんはそんな事は気にしていない風情で応えていた。
『そ…そうですか。…では今日の勝利はその奥様に捧げますか?』
『いいえ、試合の勝利は勝利です。自分自身の闘いです。…しかし彼女も同じ様に、新しい生命を生み出すために、今必死に闘っています。お互いそうして自分の場で闘う事が自分達の繋がりです。二人とも精一杯闘います。ですからどうか自分も、彼女も、そうした形で見守って下さい。お願いします』
「将さん…」
 球場からは拍手と歓声が沸きあがった様だ。レポーターはその雰囲気に気圧されながらもちゃんと自分の役目を果たしていた。
『…あ、ありがとうございました…今日のヒーローインタビューは土井垣兼任監督でしたー!』
「土井垣さんやるな…って葉月ちゃん?」
「葉月」
「ね〜?」
 私は泣いていた。将さんが私の事を隠さなかったからじゃない。将さんが私を、そしてお腹の赤ちゃんを想う気持ちが、ラジオ越しなのにちゃんと伝わってきたからだ。ありがとう、将さん。やっと信じられる、将さんの想いを――泣いている私の額を、柊が撫でながら言い聞かせる。
「…分かったな、葉月。あれが土井垣の気持ちと決意だ」
「…ん」
「だったら、ちゃんとお前の気持ちも土井垣に伝えろ」
「うん。…ねぇ、智君。あたしも将さんに『伝言』お願いしていいかな」
 あたしの言葉に、智君はおどけて言葉を返した。
「いいぜ。俺がラブレターを届ける伝書鳩になってやる」
「智君たら…じゃあ、耳貸して」
 私はおどける智君に笑いながらも、自分の想いを精一杯込めて、智君に『伝言』を伝えた。
「…じゃあ、お願い」
 私が智君に微笑みかけると、智君もにっこり笑って言葉を紡ぐ。
「ああ、土井垣さんに肝に銘じる様にしっかり届けるよ」
「…ありがとう」
「じゃあ、これ以上は皆いると疲れちまうだろうから、帰るか」
「そうね。葉月、ゆっくりお休みなさい。美月〜お姉ちゃんにバイバイしようね〜」
「あ〜ば〜」
「葉月ちゃん、また来ていいかな」
「うん。…寝てるだけでつまんないから待ってる」
 そう言うと皆は帰って行った。私はやっと将さんの気持ちを全身で受け止められた気がして、また涙が零れてきた。でもこの涙は哀しい涙じゃない。色々なものがゆるやかに解けていく様な、温かい涙だった。皆と、何より将さんの想いに包まれて、私は将さんが迎えに来る日を夢に見ながら眠りに就いた――

 …はい、『伝言と告白と』の葉月ちゃんサイドです。文乃姉さん遅ればせながら登場。相変わらずの優しさで葉月ちゃんを包んでくれます。そしてその子どもで葉月ちゃんには姪っ子に当たる美月ちゃん。この時点では一歳をちょっと過ぎた辺りの設定なので『ぽたぽた』を置いてあげるという行動は取らないはずなんですが…(何かをしてあげるというまねっこをするのは大体一歳半位かららしいです)、発達が異常に早い子なんだと思って下さい(土下座)。ちなみに『ぽたぽた』の元ネタはありまして、私の大学時代のゼミの教授のお子さんがし○じ○うのぬいぐるみを指して本当に言っていた言葉です。あの子ももう小学校高学年になってる頃だ…時の経つのは早いなぁ…って話が5メートル位ずれましたな。
 で、鶴の海のシーンを作りたかったので『伝言と告白と』で皆に鶴を折ってもらいました。想像してその美しさを堪能して下さい。それから御館さん悪モード発動(笑)。今ではこうやって色々葉月ちゃんが楽しめる事を考えてあげるのが楽しいらしいです。その内もう一つネタとして考えているものがあるのですが、こっちはシリアス。出せるかは未定ですが。
 そして葉月ちゃんもやっと土井垣さんの気持ちに何となくは包まれる様になれました。これからの本当の再会でこの想いには決着が着きます。…まあ、お約束なんですがね(苦笑)。最後までもう少しお付き合いお願致します(ぺこり)。 

[2012年 05月 27日改稿]