俺はスターズの監督としてチームをリーグ優勝に、そして日本一に導く事で、自分自身との闘いも同時にしていった。迷い、何かに…また小次郎達に縋りたくなる事もあった。しかし彼女を選び、悦楽の思い出を置いていった俺は不思議とその気持ちも一過性のものとして振り払える力を持つ事ができた。きっとこれは彼女に自分が本当の意味で包まれる事ができる様になったからだと思う。そして離れていてもそうやって自分を包んでくれる愛おしい彼女に早く向き合える男になりたいと思うと、自然と俺は迷いと闘い、乗り越えられていった。そうしてクライマックスシリーズを制し、日本シリーズも壮絶な戦いを繰り広げた末に制してスターズは日本一を手に入れ、アジアシリーズも制する事ができた。そして全てが終わった時、俺は自分がやっと何を求め、何をすべきかを見つけられた。これでやっと、俺は彼女と向き合う事ができる――

 秋季キャンプ前の短いオフの昼下がり、俺は花束を持って彼女の病室へ向かう。病棟へ行くと、丁度御館さんが昼食の盆を下げに病室から出てきた所だった。御館さんは俺に気付くと、にっと笑う。俺も笑って一礼した。
「…戻って来たな」
「はい。やっと…戻って来れました」
「…これで、俺も『お役御免』…って訳だな」
 にっと笑いながらも、少し寂しげに呟く御館さんに、俺は首を振って応える。
「いいえ。…御館さんには、俺からお願いがあります」
「土井垣」
 俺は、自分自身と闘っていた時に行きついた一つの思いを御館さんに告げる。
「これからも、葉月と生まれてくる子ども達を俺と一緒に…守って下さい。もちろん俺は精一杯彼女も、子ども達も守るつもりですが…御館さんにも一緒に守って欲しいんです。葉月もきっと…それを望みます。…これは、御館さんにしかできないですし、頼む事もできません。だから…お願いします」
「…」
 俺の言葉に御館さんは驚いた表情を見せていたが、やがて乱暴に頭を掻くと、ふっと呟く。
「全く、どこまで甘ちゃんなんだよ。お前は…」
「駄目…ですか」
 俺の言葉に、御館さんは今までに見せた事の無い穏やかな微笑みで応えた。
「お前には負けたよ。その話、乗った。…ただし、俺は厳しいからな。お前がまた葉月を傷つける様な真似をしたら、遠慮なく子どもごとかっさらうぞ」
「望む所です…俺はもう、葉月を傷つけません。『三度目の正直』と言うでしょう?」
「『二度ある事は三度ある』…とも言うぜ?」
「…本当に厳しいですね」
 そう言うと俺達は笑った。ひと時笑った後御館さんは俺の背中をポンと叩いた。
「さあ…行ってやれ。俺はしばらく席を外すから…久し振りの二人の時間だ」
「はい」
 俺が病室に入ると、葉月は横になって天井を見上げていた。俺が入ってくる気配を感じ取ったのか『柊?』と言って首を俺の方に向け、その目に入って来た俺の姿に驚いた顔を見せる。そんな彼女に、俺は精一杯最高の笑顔を見せた。
「…ただいま」
 言いたい事は一杯あるはずなのに、俺はそれしか言えなかった。それでも葉月は涙を零しながら、しかし同時に最高の微笑みを見せて俺に応える。
「…お帰りなさい。…ずっと、待ってたわ…」
 葉月の言葉に俺は胸が一杯になり、その想いを言葉として零していく。
「待たせてしまって…すまなかった。でも、その代わり…俺は全部に決着をつけた。もちろん…小次郎ともだ」
「将さん…」
 葉月は涙を零し続ける。俺はその涙を拭いながら彼女の前髪をすく。そうしてしばらく彼女は涙を零していたが、やがて泣き止むと、ぽつりと呟いた。
「でも…犬飼さんは、将さんの心の大切な所に…ずっとい続けるのよ」
「葉月…それは…」
 狼狽する俺を、葉月は宥める様に笑うと、ぽつり、ぽつりと言葉を零していく。
「ううん…責めてるんじゃないの。それでいいの…そうじゃなきゃ駄目。…その代わり、あたしもおんなじ様に…柊を心の大切な所に置くの。…柊は、あたしにとって大切な…赤ちゃん達の『もう一人の父親』だから…ごめんなさい」
「葉月…」
「でもね、そうやってお互いの大切なものがあって…それがあるからこそ、あたし達の愛も、絆もあるの…」
「…そうか」
「…そうよ」
 俺は葉月の言葉にある想いを受け取り、頷く。そして俺自身の想いも同時に伝える。
「じゃあ…俺が考えていた事も正しいのかもな」
「どういう事?」
「お前がそういう風に行き着いたのなら、そこから俺達はまた始まるんだ。だから…最初からやり直す」
「将さん?」
 俺は持って来た花束を葉月の胸の上に置く。その花を見た時、彼女は驚いた表情を見せる。
「将さん、この花は…」
「そうだ。…あの時…プロポーズした時に贈った花だ」
 その花はオレンジのカーネーション。彼女に似合うと思って一目で気に入った花。俺は微笑んで言葉を紡ぐ。
「…ここから俺達はまた始めるんだ。…これからの俺を支えてくれ。それで…一緒に生きていくために、俺と…結婚してくれ」
「将さん…」
 葉月は花束を抱え、また涙を零す。彼女はしばらく涙を零した後、小さな声で答えを返した。
「…はい」
「…ありがとう」
 俺は葉月の涙を拭うと、そっと唇を合わせた。俺が唇を離すと、彼女は呟く様に続けた。
「赤ちゃん達も…喜んでるわ」
「どうして分かる?」
「あのね…第七戦までもつれ込んだって聞いたから…お医者様に無理を言って、第七戦だけ、日本シリーズをテレビで観させてもらったの。それで、本当に偶然だと思うんだけど…日本一が決まった時に…動いてるのが初めて自分でも分かったの」
「じゃあ…」
「そう…今も動いたわ」
 葉月の幸せそうな微笑みに、俺も嬉しくなり、彼女の腹部に手を当て、腹の子へ声を掛ける様に口を開く。
「そうか。…こんな父親だが、よろしくな」
「まだ外には動いてるのは分からないし、外の声って赤ちゃんには聞こえないわよ」
「いいんだ。気持ちの問題なんだ」
「…ん」
 葉月は更に幸せそうに微笑む。俺も笑い返すと、一緒に持って来ていた婚姻届を出して確認する。
「じゃあ…今度こそ、これは出していいな」
 彼女と暮らし始めた時、オフになったらすぐに入籍できる様にと、自分達の所だけは書いておいた婚姻届。彼女はそれを見て頷くと、少し困った様に問いかける。
「うん…でも、保証人欄まだ書いてないでしょ?どうするの?」
「そうだな…一人は御館さんに書いてもらおう。何せ『もう一人の父親』だからな」
「将さんたら…でも、そうね…じゃあ、もう一人は?」
「そうだな…誰がいいか…」
「僕が書こうか?」
「え?」
 不意に病室の入口から聞こえて来た温和な声に、俺は振り向く。そこにいたのは声の通りの風貌の老齢の男性と御館さん。しかし老齢の男性の方は見覚えがないので、俺は問い掛ける。
「あの…どなたですか?」
「藤川先生、どうしてここに…?」
 俺の問いと同時に、葉月が男性に声を掛ける。『藤川先生』と言われた男性は、ゆっくりと彼女に近付くと、温和な声で彼女に声を掛けた。
「…うん、大分顔色もいいみたいだね。切迫流産で入院したって聞いた時にはびっくりしたけど、元気そうで安心したよ。今は順調なのかい?」
「はい、おかげ様で…急に仕事に穴を開けて、ご迷惑をお掛けして申し訳ありませんでした」
「いいんだよ。妊娠って言うのはそういう急な事もあるんだから。それよりも元気で、元気な赤ちゃんを産んで、また戻っておいで。弦さんも、沼田さんも、上野さんも、緒川君も、高山君も、他の皆も…あの松岡さんや久松さんですら宮田さんがいなくなって寂しがって、ここに来たがってたんだから。結局我慢できなくなって皆で行ったら迷惑だろうって言う事になって、ジャンケンで勝った僕が代表で来たって訳。それに、所長の僕が一番暇だからね。…ああそうだ、これお土産。この間頚腕で行った施設のクッキー。宮田さん好きだったよね。栄養管理があるだろうけど、これ位なら大丈夫だよ。好きな時に食べなさい」
 そう言うと男性は小さなクッキーの袋をベッドサイドに置く。
「先生…」
「宮田さんの笑顔と声がないと、センターは灯が消えたみたいだよ。上野さんもいつもの明るさがないし、沼田さんも駄洒落が冴えなくってね。だから早く元気な笑顔で…戻っておいで」
「…はい、ありがとうございます」
 男性の優しい言葉に、葉月は涙を零した。それを見た男性は宥める様に更に言葉を掛ける。
「ほらほら、泣かない。折角来たんだ。僕に笑顔を見せてよ」
「…はい」
 そう言うと葉月は精一杯明るい笑顔で微笑んだ。それを見た男性は優しく微笑むと、俺に向き直って挨拶する。
「やあ、土井垣監督だね。宮田さんの恋人…いや、婚約者だったね…あの『騒動』の頃から噂を聞いて、テレビでは見てたけど、会うのは初めてだ。初めまして。宮田さんの職場の一応所長になる、医師の藤川です」
「こちらこそ初めまして…土井垣です。あの節も、この度もご迷惑をお掛けして…申し訳ありませんでした」
「いいんだよ。こうして収まる所に収まったんだからね。…それより先刻の話だけど、もう一人の保証人は、僕にしてくれないかな」
「いいんですか?」
「ああ。宮田さんは僕にとって娘…いや、孫かな…にも等しいからね。こうした時に関われたら嬉しいと思っていたんだ。それに、僕が仲人をすると不思議と皆幸せになるんだよ。だから、保証人になって幸せのおすそ分けをしてあげようと思ってね。…ただし、条件があるよ」
「条件?」
「宮田さんは…付き合っているから分かるだろうけど、強く見えて、すごく脆くなる所がある娘なんだ。だから、ちゃんと包んで…守ってあげて。そうして二人で支えあって生きて行く事。それが条件だよ」
「…先生」
 藤川医師の葉月を思いやっている事が充分分かる言葉に、俺は精一杯の想いを込めて返す。
「もちろん…そのつもりです。自分は…彼女を守って…支えるつもりです」
「宮田さんは?」
「私も…そのつもりです。頑張って…彼を支えます」
「頑張らなくていいよ。自分達らしく支えあいなさい。…分かった、大丈夫そうだね。じゃあ書くよ…いいかな?」
「はい…お願いします」
 俺は頷くと、藤川医師にペンを渡す。藤川医師は保証人欄に署名捺印すると、にっこり笑った。
「さあ…幸せになりなさい」
「ありがとうございます」
「じゃあ元気そうな顔も見た事だし、僕はこれで失礼するよ。皆には報告しとくから。そうしたらその内、沼田さんか上野さん辺りは合唱団の方で顔を出すんじゃないかな」
「はい…待ってますって伝えて下さい」
「ああ…じゃあね。ああそうだ、籍を入れたら保険証とかの手続きは、誰かに頼んで早めにやってもらいなさい」
 そう言うと藤川医師は病室を出て行った。遠巻きにやり取りを眺めていた御館さんは俺達に近付くと、苦笑しながら説明した。
「俺が席を外してたら急にあの人が『面会させてくれ』って来てな。マスコミじゃねぇとはすぐに分かったけどよ、何者なのかわかんねぇだろ?どうしようかって迷ってるうちにあの雰囲気に圧されてつい案内しちまった。でもそれで正解だったみたいだな」
「うん…ありがと、柊」
「さーてと、俺も保証人欄に署名すんだろ?さっさと書かせろや」
「あ、はい。お願いします」
 御館さんもさらさらと署名捺印すると、にっと笑って声を上げた。
「さあ、とっとと出してこぉ!おめぇらのめでてぇ門出だべ!」
 御館さんの言葉に、葉月はくすりと笑って口を開く。
「久し振りに聞いたな…柊のベタな小田原弁」
「あ、やべ…」
 照れた様に頭を掻く御館さんに、葉月は微笑んで更に言葉を掛ける。
「ううん…嬉しいの。…柊がこういう小田原弁出す時って、気持ちが正直に出てる時だもん。祝ってくれて…ありがとう。それから…これからもよろしくね。『もう一人のお父さん』」
「…おーよ、任せろや。土井垣と一緒に…しっかりおめぇも、子ども達も守ってやるべ」
「うん」
「じゃあ…出すからな」
「うん…行ってらっしゃい」
「ああ、行ってくる。…すぐ戻るからな」
 そう言って俺は病院を後にすると、役所に婚姻届を提出した。これで葉月は名実ともに俺の恋女房だ。そして…子ども達も俺の子になる。そこには責任感からくる緊張もあったが、何よりも自分達が本当の家族になれる幸せを感じ、俺はこれからの日々を夢見て役所を後にした。

 …はい、という訳で二人の再会の話です。葉月ちゃんも、土井垣さんもお互いの大切なものの上に自分達の絆があると分かった様です。だからお互いを許しあって、そこから二人の愛がまた始まる…と言う訳です。カーネーションの花束は指輪とどっちにしようか迷ってこっちにしました。また最初から始める二人の門出には、こっちの方がいいと思ったんで。
 そして藤川先生が何故か登場。…いえ、始めは沼さんとかで賑やかに行こうと思ったら『僕を出して』というお言葉と共に保証人のエピソードが浮かんだので登場してもらいました。この会話で葉月ちゃんがどれだけ職場で可愛がられているかが良く分かると思います。もちろん有能な保健師なんですが、元は可愛くてすっとぼけた所があるのが皆には分かっていてほっとけないと思われている様です。その中でも藤川先生は自分を慕ってくれる彼女をものすごく可愛がってます。だからジャンケン大会にも参加した…と(笑)。でもこれでも職業病では辣腕を振るえるものすごいベテラン医師なんですよ、実は。『暇だから』と言ってますが実は忙しくなっても平然と素早く仕事が行えるスーパーおじいちゃんです(笑)。
 そして御館さんの新たな裏設定、『気持ちが高ぶると小田原弁が出る』これは最初からあった設定で今まで出せなかったものです。でもお蔵入りにするのも何かなと思っていたら今回出ました。隆さんと話す時には割合出ませんが、故郷に帰って友人と話してるときはきっと小田原弁バリバリなんでしょう(笑)。そんな御館さんのお茶目な一面も可愛がってやって下さい。
 さて、収まる所には収まったのですが、あと2〜3話続きます。最後までどうかお付き合い願います(最敬礼)。

[2012年 05月 27日改稿]