「おい…そんな事、あっていいのかよ…!」
「しかし…事実だ」
 愕然とする俺を尻目に、土井垣は静かに話を進めていく。俺と土井垣は試合後に俺の願いで、『あの女』のについて土井垣から話を聞かせてもらっていた。その内容に俺は愕然とする。そしてそれで土井垣が普通の場所ではなく、今まで俺と抱き合ってきたホテルをわざと使った理由を理解した。この話はとても人目がある所では話せないものだったからだ。教師に教室で強姦されて妊娠、堕胎を即決した挙句に流産したという過去――『あの女』は、ただ漫然とこいつから愛と幸せを受け取り、慢心していたからあんな態度を取っていた訳じゃなかったのか――俺は衝撃のあまりしばらく言葉が出せず、土井垣も哀しげな表情を見せて沈黙していた。そうしてしばらく居心地の悪い沈黙が続いた後、俺はふとある事に思い至る。そんな過去を持っている女なのに、それを土井垣以上に守る様に行動し、『あの女』も素直にそれを受け入れている、一人の男の存在――しかもその男は『あの女』が切迫流産で危なかった時に、土井垣の子を自分の子だと何の躊躇いもなく医師に告げていた。その男の正体が知りたいのと同時に、そんな男を作っている『あの女』への皮肉も込めて、俺は改めて土井垣に問う。
「じゃあ…あの女に付いていた男は何なんだ。お前以上にあの女と親しく見えた上に、腹の子の父親だって何の躊躇もなく言えるってのは…どういう奴なんだよ」
 俺の問いに土井垣はふっと笑うと逆に問い返す。
「ああ…長身のちょっとアウトローな感じのする人だろう?」
「ああ、知ってるのか?」
 土井垣はふっと笑ったまま続ける。
「あの人は、御館さんといって…あの人だけは彼女にとって特別の存在さ。あの二人の間には…俺も入っていけないと最近になってやっと分かった」
 土井垣の悟った様な言動が俺には信じられなかった。自分より特別な存在の男を作る女。そんな事を許していたら、いつかその男になびいてしまうかもしれない。そんな女が信用できるのか――俺はそれをそのまま言葉に出す。
「お前、そんな存在が許せるのか?お前より特別な存在なんて作る女が信用できるのかよ!」
「確かにそうかもしれんな…でも」
「でも?」
「彼女が本当の意味で愛しているのは俺一人だ。…それも同時に分かったんだ。だから俺はもう彼女が傍にいて、笑っていてくれればいい。そして…その笑顔を守る男に今度こそ俺はなる」
「土井垣…」
 俺は土井垣を見詰める。土井垣はその眼差しに気付くとまたふっと笑った。ああ、『あの女』には絶対に勝てないんだ――その笑みでそれを痛感して、俺はぶっきらぼうな口調で、追い払う様な仕草を見せながら口を開いた。
「行け…もういい…お前にはあの女しかもう見えねぇって良く分かった。…でもな」
「でも?」
「俺も…惚れてたんだぜ…お前に。だから…抱いたんだ…」
「小次郎…」
 一生一度の告白。ただ身体が欲しかった訳じゃない。俺はお前を愛している。それを伝えたくて、不意に言葉に出して――自分の無駄なあがきに対して自嘲気味に笑った。土井垣はそんな俺を見て、ふっと顔を近づけるとそっと口付ける。驚いた俺に、土井垣はふわりと笑いかけると言葉を紡いだ。
「俺とお前の間も…身体の関係があるかないかの違いだけで、彼女と御館さんと同じ様なものだったんだ…きっと。だから、感謝と…さよならのキスだ。これからはまた『宿命のライバル』としてやっていこう」
「…土井垣」
「じゃあな」
 土井垣は心からの優しい微笑みを見せると席を立ち、部屋を出て行った。俺はしばらくソファにもたれていたが、そんな中ふっとある芝居を思い出す。『筋肉ばっかり鍛えてないで、たまには芸術にも触れなきゃ』と知三郎に無理やり連れて行かれた芝居(とはいえチケットを取るのだけでも大変な芝居だったと後で知ったのだが)。それはある劇場に潜む『怪人』と呼ばれる男と、その劇場で歌を歌う歌手の物語。『怪人』はその歌手を愛し『音楽の天使』として、あらゆる技術をその歌手に降り注ぐ反面、自分の正体を知った他の存在に対しては容赦なく命を奪う事も厭わない。確かその芝居の終わりは、結局その歌手は初恋の貴族の男の元へ行き、『怪人』はその男の命も奪おうとするが、歌手に自分の罪深さを思い知らされ、二人を送り出し、姿を消すというものだった。そして『怪人』は自分の醜い顔を仮面で隠しているのだが、その醜い素顔を見てもなお歌手は臆せず、別れのキスをするのだ。今思うとこの芝居は自分達に似ていると思った。さしずめ歌手は土井垣、貴族の男は『あの女』、そして『怪人』は俺といった所だろう。その思いつきがおかしくて、どこか哀しくて――俺は乾いた笑い声を上げると、たった一つだけ覚えていたその芝居の中の曲の一節を思い出した。物語のラストの『怪人』のソロパート――

――二人して出て行け
    独りにして欲しい
    あの船に乗れ
    何も喋るな 誓うのだ
    この地獄の秘密の全てを
    行け、行け、行ってくれお願いだ
    マスカレード! 仮面に隠れて
    マスカレード! 生きて来たこの人生
    クリスティーヌ アイラブ
ユー――
 

「『わが愛は終わりぬ、夜の調べとともに』…か」
 俺はいつの間にか泣いていた。これ程までにあいつの事を愛していたのか、と今になって痛感する。引き止めたかった。俺を愛してくれと言いたかった。でも――それは不可能だとも分かっていた。あいつが愛しているのは『あの女』だけ。それはずっと変わらない。いくら俺が愛しても――まさに俺はあの芝居の『怪人』だ。俺は涙を拭うと、代わりに煙草に火をつけた。想いを煙に溶かす様に――そしてこれからの俺は土井垣に対してその芝居の『怪人』と同じ様に『仮面』を付けるんだ。愛の終わりに出来た醜い自分を隠す為に『宿命のライバル』という仮面を――

  …はい、という訳で番外編小次郎兄さん版及び、『著作権やばいぞシリーズ第二弾(笑)』、『仮面』です。
 え〜『伝言と告白と』の時からこの場面は私の中ではこの『オペラ座の怪人』のイメージで実は書いてたんです。そう思えないのは私の実力不足(苦笑)。んで、脳筋の小次郎兄さんにはラストよりも本物の仮面舞踏会のシーンの方が覚えてそうですが(後は睡眠タイム・笑)、あえてラストのソロを選んだのは本文にも書いた通り、クリスティーヌ、ラウル、ファントムのそれぞれを自分達に当てはめて考えて、土井垣さんに別れを告げる小次郎兄さんというのが書きたかったという野望のみです(笑)。そうして小次郎兄さんは『仮面』をつけて生きていくのです。いつか本当に愛せる人を見つけるまで・・そう考えると鉢被き姫みたいだな(笑)。でも不知火にも通じるんですが、ちゃんと幸せを用意したいと思ってはいます。
 そして(今の所)番外編のラストを飾るのは御館さんです。ちょっとした彼の文乃姉さんとの過去も垣間見えるお話ですが、色気はない話だと思ってます。

[2012年 05月 27日改稿]