「…そう。あの子、入院したのね」
俺の事務所の応接室で従業員のいれたコーヒーを飲みながら、俺から今までと現在の葉月と土井垣の経緯を聞き、文は呟く様に口を開いた。
「おかしいとは思ってたのよ。将君から『葉月が来てないか』って電話が来た時から」
その口調に俺は今まで実の姉だというのに妹の妊娠、婚約者と同等の恋人の浮気から訪れたその恋人との別れ、あげく切迫流産になって入院したという出来事をこいつに隠していた申し訳なさが溢れ、謝罪の言葉を心から漏らした。
「…すまねぇ、葉月がどうしてもお前には話したくねぇって頑固に言い張るから…言えなかったんだ」
俺の謝罪の言葉に、文は小さく溜息をつくと、ふっと笑って応える。
「いいわよ。あの子の事だから、あたしからお父さんに話が漏れたらって心配したんでしょ、きっと。それに…あんた、葉月の頼み事は断れないじゃない。だから…いいわ。今ちゃんとこうして聞いてる訳だし」
「…そうか」
「でも、将君が浮気してたなんてね。あんなに葉月にぞっこんに見えてたんだけど。相手はどんな女なの?」
「え…それは…」
さすがに相手が男だとは俺にも言う勇気はない。言葉を濁している俺に文はまた小さく溜息をつくとさらりと言葉を紡いだ。
「…まあ、今になってはどうでもいい事ね。将君も葉月を見て自分のした事の重さに気付いて戻ってきたんだから」
「ああ…そうだな」
俺はふっとその言葉に胸が痛み、それを隠す為に煙草を吸おうとして…禁煙した事を思い出し、胸ポケットにやった手を下ろした。それを見ていた文がふっと問いかける。
「ねえ、柊…あんたさ」
「何だ?」
「この事使って…葉月を自分のものにしてやろうって…思わなかったの?」
「…」
文の言葉に俺は言葉を捜すために一旦沈黙し、ぽつり、ぽつりと話し始める。
「あわよくば…って一時は思ったけどよ。あいつは、ずっと土井垣しか見てなかった。俺の事は『特別で、一番大切な人』でしかなかった。だから…俺はずっとナイトになる事にした。それに、想いは届かなかったが葉月に俺の想いを告げる事はできた。だから…もういいんだ」
「…そう」
俺達は沈黙する。気まずい沈黙がしばらく続いた後、文がぽつりと口を開く。
「こんな事になるなら…あんたの事、諦めなきゃ良かったかしら」
「おい文!まさかタカと結婚した事後悔してんじゃねぇだろうな!」
文の言葉に俺が怒りで声を荒げると、文は宥める様に言葉を返した。
「違うわよ。隆君と結婚した事は後悔してないし、幸せよ。でもね、初恋の思い出はまた別物だから。…あんたなら良く分かるでしょ、初恋を貫き通して未だに独り者でいる…あんたなら」
「ああ…まあな」
俺が落ち着いたのを見計らったかの様に、文は懐かしげに言葉を紡いでいく。
「懐かしいわね。あたしと、あんたと、隆君と、元気な時は葉月も混じって皆で良く遊んだわ。あたしはあんたが葉月ばっかり優しくするからやっかんで葉月を仲間外れにしようとして、それを隆君が止めて、葉月はあたし達に付いて行こうって必死になって…」
「…」
俺は静かに聞いている。文は懐かしげに続ける。
「中学になって、あんたへの感情が恋だって初めて気付いて…あたしはダンス部のマドンナって言われて、あんたは野球部のスターで、お互いすごくもててて…でも、お互い誰とも付き合わないで、お互いが気楽に話してるのを見た皆から『お似合いだ』って言われて…ちょっと優越感を持ってたわ。それで、もしかしてあんたも…って勘違いしちゃった」
「…」
「それで、あそこが地域で一番の進学校だったって事もあって…一緒にその高校に行くっていつの間にかあたし達の暗黙の了解になって…同じ高校目指して二人で頑張ったのよね」
「そうだな…」
「それで、合格して…卒業の時にあんたに告白して…見事玉砕。しかもあんたが好きなのは自分じゃなくて、その時小学生…しかもまだ高学年になる直前の妹だった…って知ってダブルパンチ。あれ、結構ショックだったのよ」
「…そうか、悪かったな…」
俺の言葉に、文はにっこり微笑むと明るく言葉を重ねる。
「いいのよ。あの時は結構ショックだったけど、今から思うとあれでよかったって思ってるの。あの時あんたが遠慮して無理に付き合ってたら、きっと…今のあたし達の関係はないわ」
「そうか…そうだな」
「そうやって不思議とそれで離れる事はなくって、今こうやって悪友としてやってるんだから、縁って不思議よね」
「ああ」
俺たちの間に穏やかな沈黙が訪れる。またしばらくの沈黙の後、文がふっと言葉を零す。
「…あたしの初恋は見事泡となって弾けた訳だけど、その後追いかけてきた隆君があんたに対するあたしみたいにあたしにアプローチしてきた時、何でだか分からないけどそれがふっと受け入れられたわ…『ああ、この人だ』って思えたの」
「お前、もしかしてのろけてんのか?」
「のろけてるのよ」
「お前なぁ…」
文の言葉に呆れる俺に、文はふっと問いかける。
「ねぇ…柊はそんな感覚、誰にも持たなかったの?あんたにアプローチしてきた新井…今は沢村さんね…にも、彰子さんにも」
文の問いに俺は冷めたコーヒーを飲み干すと、きっぱりと答えを返す。
「ああ。俺には葉月しか見えなかったし、今でも見えてねぇ」
「…そう」
文もコーヒーを飲み干すと、苦笑しながら口を開く。
「あんたも難儀よね。赤い糸の相手が違うの分かってて、それでもずっとその想いに殉じてんだから」
「そうかもな…でも」
「でも?」
「あいつがいて、幸せに笑っていてくれるだけで俺は充分幸せなんだよ。だから…この生き方に後悔はねぇ」
「そう。…ホント自虐的な男ね。一時期でもこんな男が好きだった自分が情けないわ」
「おい、文!」
文のからかう様な言葉に、俺は声を荒げたが、文はそれを見て何故かふっと笑うと言葉を静かに重ねた。
「でもね、あんたのそういう生き方…嫌いじゃないわ」
「文…」
文の言葉に俺は驚いて文を見つめる。文は心から優しい微笑を見せると、席を立った。
「さあ、保育園に美月を迎えに行かなくちゃ。そのうち遊びにいらっしゃいよ。隆君もそうだけど…何より美月が喜ぶわ」
「ああ、そうだな」
俺が頷くと、文はわざとらしく思い出した様に口を開く。
「ねぇ…ちょっと気付いたんだけど」
「何だ?」
「美月って…葉月の小さい頃にそっくりじゃない?」
「文…それは…?」
文の言葉の意味が分からなくて問いかける俺に、文は悪戯っぽい口調でその『答え』を出す。
「案外赤い糸の相手は美月だったりね」
「ちょっと待て、まだ美月は一歳ちょっとだ!年齢差が犯罪じゃねぇか!!」
「大きくなっちゃえば問題なしよ。中学生で小学校低学年の女の子に本気で惚れてたあんたに言えた義理じゃないわ」
「文!お前は〜!いたいけねぇ子どもに変な教育すんじゃねぇぞ!」
「どうかしらね?じゃあね〜」
そう言って怒る俺を放置したまま笑いながら手をひらひらと振り面接室から出る刹那、背中を向けたまま文は呟いた。
「…あたしもそのうち行くけど、葉月の事…お願いね」
「お〜よ。俺はあいつのナイトだ。絶対に守ってやる」
「…ありがと。…それからね、悔しいけどあんたの葉月への想い、ちょっとは応援してるんだからね。将君がこれ以上葉月を傷つけるなら…本気で奪っちゃって。お願い」
「…」
「…じゃあね」
そう言うと文は面接室を出て行った。お互いの想いのすれ違いを乗り越えて、新たな絆を持った俺達。とはいえ文はああ言ったが、俺が土井垣から葉月を奪う事はこれ以降ないだろう。だから、俺と葉月もいつかは文と俺の様になれるだろうか――俺はどかりとソファに座り込むと、しばらく身体を預けていた。
…はい、という訳で番外編のトリ(今の所)は御館さんにとってもらいました。この人だけは一人もんの人生を送らせるつもりです(笑)。でもその代わり美月ちゃんや、葉月ちゃんの子ども達に囲まれて、それなりに幸せな老後は送れます(苦笑)。
…で、ここで文乃姉さんとのちょっとした過去が明かされました。はい、そういう事だったんです。文乃姉さんは似たもの同士の御館さんにちょっと好意を寄せてたわけで…でも今では完全なる悪友。こんな関係もいいんじゃないかなと思ってます。で、葉月ちゃんと御館さんも、悪友とは違うもっと優しい関係ですが、絆は続いていくのでしょう。どこまでも『いい男』を貫き通す彼はある意味私の理想なのかもしれません。でも隆さんも好きですよ。あんまり登場させませんが。御館さんとは別にパッション溢れつつ優しい隆兄さんもいつかちゃんと書いてあげたいです。でもとりあえずはこれで終了、最後まで読んでくださってありがとうございました(ぺこり)。
[2012年 05月 27日改稿]