夏のオフの夕刻、土井垣と不知火は土井垣のマンションで二人で過ごしていた。しかし土井垣はソファでタオルケットを膝に掛け、ぐったりしている。実は珍しく土井垣は夏バテで寝込んでしまい、恋人である葉月はついていたかったがどうしても抜けられない出張があり、自分が帰って来るまでの世話を遠征で逗留していて偶然上がりだった不知火に頼んだのだ。彼女が出て行った時、土井垣はまだベッドから起き上がれなかったが、葉月の用意した夏バテ解消用のメニューを少しづつだが食べて休んでいたら大分気分が良くなり、ようやく起き上がって彼女に注意された様に軽くエアコンを掛けながらも逆に冷房病にならない様にタオルケットを膝に掛け、ゆっくりしている次第である。日が翳っていく窓を眺めながら、お茶を持って来た不知火に土井垣はぽつりと口を開く。
「今まで…夏バテなんかした事なかったんだがな」
「歳のせいじゃないですか?」
「守!お前…」
「冗談ですよ。監督業で見えない疲れがきっと溜まってたんですよ。現に宮田さんが用意した消化にいいメニューを食べてゆっくりしてたら、大分良くなったでしょう?」
「…ああ」
「だからきっと身体が休息と栄養を欲しがってたんですよ…はい、土井垣さんお茶飲んで下さい。宮田さんから『涼しくするのはいいけど身体は冷やさないで欲しい』って頼まれてますから。クーラーで冷えた身体もあったまりますよ」
「…ありがとう」
 土井垣の言葉に悪戯っぽく反応した不知火の言葉に、土井垣は思わず声を荒げる。不知火はそれを宥める様に、しかし精一杯の思いやりは伝わる言葉を掛けるとお茶を差し出す。土井垣はお茶を飲むとほっと一息ついて口を開く。
「しかし…葉月が丁度遠征で来ていたお前を置いていくとはな」
「まあそうでしょうね。バッテリー組んでた俺を置いていけば、何かと細やかな気遣いが出来るだろうっていう事でしょうね」
「しかし、お前と俺は…」
 沈痛な表情を見せた土井垣の様子に不知火はちくりと胸が痛んだが、それを逆手に取る事にし、ふっと不敵な笑みを見せて土井垣を抱き寄せる。
「そうですよね。俺と…土井垣さんは、こんな関係でも…あるんですから」
 そう言うと不知火は土井垣にキスをする。土井垣は抵抗するが、身体に力が入らない。これは夏バテのせいなのか、それとも内心ではこの行為を喜んでいるのか――?やっとの事で唇を離した不知火は不敵な笑みを見せたまま口を開く。
「土井垣さん…あなたは悪い人だ。宮田さんが何も知らないのをいい事に、俺とこんな事や…これ以上の事もして…」
「言うな!守!」
 土井垣は夏バテで多少迫力が落ちてはいるが声を荒げる。不知火は不敵な態度のまま続ける。
「宮田さんが知ったらどう思うでしょうね。恋人に裏切られた事を悲しむか、その相手が男だって事で軽蔑するか…」
「…」
 不敵な不知火の言葉に、土井垣は沈黙する。その表情を見て不知火はふっと笑うと、更に言葉を紡ぐ。
「…言いませんよ。俺だってこの関係を壊すつもりはないですからね。宮田さんが事実を知ったら、きっと俺は遠ざけられます。そんなの…嫌ですから」
「…」
「この関係は…続けます。たとえ、どんな事があっても…」
「守…」
 不知火の決意のこもった表情に、土井垣は戦慄を覚える。一度だけだ、と自分に言い聞かせたこの関係。しかし実際はずるずるとここまで続いている。このまま自分は堕ちていくしかないのだろうか――そんな事を考えていた時、不意にインターホンが鳴る。土井垣の代わりに不知火が出て応対する。
「はい…ああ、お帰り、今開けるよ。待っててくれ」
 そう言うと不知火はふっと悪戯っぽい、しかし一片の寂しそうな表情を見せて口を開く。
「宮田さん…戻って来ましたよ。これで俺はお役目御免ですね」
「守…」
 その表情の意味を心のどこかで察し少し痛む胸を抑えつつも、これ以上彼女を裏切らないで済む安堵も感じ、土井垣は不知火を見詰める。やがて中のインターホンが鳴って不知火がドアを開けると、葉月が申し訳なさそうに言葉を紡ぎながら入ってくる。
「帰りました。不知火さん、ご迷惑掛けて本当にすいませんでした」
「いや、土井垣さんは元俺の大事な恋女房だから。これ位何でもないよ」
「そうですね」
 不知火の言葉を素直に受け取り、葉月はくすりと笑うと、ソファに座っている土井垣を心配そうに見詰め、言葉を掛ける。
「土井垣さん、起きていて大丈夫なんですか?明日からまた試合なんですから、少しでも体力を付けないと…」
「大丈夫だ。お前の料理を食べて休んでいたら大分良くなってな。今夜ぐっすり眠れば大丈夫そうだ」
「良かった。でもその様子だともう少し夏バテメニュー必要そうですから、夕飯も作って行きますね。…あ、そうだ。今日のお礼に不知火さんも食べて行きませんか?夏バテしてなくても身体にいいメニューですから」
「…ああ」
 葉月の邪気のない言葉に、不知火は痛む胸を抑えて頷く。どう転んでも土井垣が愛しているのは彼女で、彼女には敵わないと分かっている。しかし、彼女が気付かない限りこの曖昧な関係は続けてみせる。土井垣も受け入れているのだから――そんな思いを込めて、彼女に気付かれない様に挑発的な視線を浴びせた後、ふっと笑って彼女に『俺にも手伝える事はないかな』と明るく寄って行った。