「ただいま、父さん、母さん、おじいさん」
「こんにちは、お邪魔します。お父様、お母様、おじい様」
「いらっしゃい、良く来たね葉月さん。じゃあ今日は近代文学の話をしようか」
「駄目よ、今日は私が葉月さんの相手をするの。葉月さん、お茶のお作法をまた少し覚えましょうか」
「いやいや、葉月さんには儂の相手をしてもらう。どうじゃ、また将棋をささんか?」
オフのある日、土井垣は恋人の葉月を連れて実家へ帰った。家へ入った途端、嫡男の土井垣よりも葉月の方が大歓迎を受ける。見合い話が進んでこうして家族と会う様になってから、葉月はその人柄と教養ですっかり家族に気に入られ、二人で帰ると彼女の方が実の娘の様になるのが常になっていた。
「ええと…」
家族の大歓迎に、葉月はいつもの様に困った様子を見せる。どの話も彼女には魅力的なのだが、皆が楽しめる事を彼女は好むため、誰かを優先という事ができないのだ。まあ優柔不断と言ってしまえばそこまでだが…困った様に土井垣を見上げる彼女に彼は頷くと、宥める様に家族に声を掛ける。
「皆、葉月さんを困らせないで下さいよ。何か皆で楽しめるものにしましょう」
「そうだな…じゃあ今日は将の昔のアルバムでも葉月さんに見せてやるか」
「ええ!?」
「あら、それはいいわね。そうしましょう」
「母さん、ちょっと待って…」
「それが一番平和じゃ。将、諦めろ」
「…」
最初からこれが目的だったのだと気づき、家族の周到な陰謀に土井垣は言葉を失う。葉月は苦笑しながら土井垣を見詰めていた。そうしてアルバムが出され、写真を皆で見ながら土井垣の小さい頃の思い出話に花が咲く。葉月は楽しそうに写真を見て、話を聞いていたが、土井垣としては中には葉月にあまり知られたくない内容も混じっていたので、気が気ではない。そうして様々な話が出てきた中で、不意に祖父が思い出した様に口を開いた。
「そういえば最近思い出したんじゃが。…将と葉月さんは、元々も許婚だったんじゃぞ」
「ああ!思い出しました。あの時の約束ですね、お義父様。今から思うと可愛らしい約束でしたね」
祖父の言葉に、母親も思い出した様に同調する。土井垣と葉月は全く覚えがないので問い返す。
「約束…?」
「許婚って…おじいさん、それは一体…?」
二人の言葉に、祖父はにんまりとして言葉を紡いでいく。
「葉月さんはな、一度だけ鈴木…じゃない酒匂…つまり葉月さんのおじいさんじゃな…と一緒に、ここに来た事があるんじゃ。その時にお前と葉月さんは一緒に遊んで仲良くなってな。儂が『将のお嫁さんにならんか?』と聞いたら葉月さんは『お嫁さんになる』と言っとったんじゃぞ。…まあ最初は『なりたいものが一杯あるからお嫁さんになれない』と振られたが、儂が『何になってもお嫁さんには一緒になれる』と言ったら嬉しそうに『だったらお嫁さんになる』と答えたな」
「…全然記憶にありません」
葉月は赤面して応える。母親がその後を受け取って更に言葉を紡ぐ。
「将さんも、お義父様が『葉月さんをお嫁さんにしてあげるか』と聞いたら、『葉月さんならお嫁さんにしてもいい』ってはっきり答えてたわ。それだけじゃないわ。騒がれるから女の子を嫌がってた将さんが、葉月さんとは『また遊びたい』って、自分から言っていたのよ。それでずっと葉月さんがまた遊びに来るのを待っていたわね。…その内野球で頭が一杯になって忘れたみたいだけど」
「俺も…記憶にないです」
土井垣も赤面して呟く。祖父は虚空を見詰めてしみじみと言葉を紡ぐ。
「儂も、その後の将の活躍で葉月さんとの事はすっかり忘れておったし、酒匂もその後何度か会った時は、遠慮していたのか冗談だと思っていたからかその話は出さなんだから、約束とは言っても本当にほのかなものじゃったが、こうして今その約束は現実となっとるんじゃな…酒匂、約束は果たしたぞ」
「将、葉月さんとはそう考えると、本当に赤い糸で繋がれている様だな。大事にしなさい」
「はあ…」
「葉月さんも、どうか将さんをよろしくね」
「はい…」
そうして二人は顔を見合わせると、顔を赤らめて目を逸らす。その様子を土井垣の家族は楽しそうに見詰めていた。そうしてまた様々な話が語られ、夕刻になり二人は土井垣の実家を辞し、彼のマンションへ戻ると、二人で食事をとって、葉月のいれてくれたお茶を飲みながら話す。
「許婚…そんな話があったとはな」
「あたし…全然記憶にないんですけど」
「俺もだ。でも…何だか嬉しい気持ちもあるな」
「何がですか?」
「最初から俺はお前を選んでいたし、お前も俺を選んでいてくれたという事がだ」
「…」
葉月が顔を赤らめながら土井垣の方を見ると、彼も顔を赤らめて、しかし照れ隠しの様な無愛想な表情を見せていた。彼女はくすりと笑うと、彼に身体を預けて口を開く。
「あたし達…ずっと前からお互い好きだったのね」
「…そうらしいな」
土井垣は無愛想な表情を見せながらも彼女を抱き締める。葉月は幸せそうに彼の胸に身体を預け、呟いた。
「将さん…愛してるわ。今までもそうだったけど、これからも」
「俺も…愛している。今までも、これからもだ」
「…ありがとう」
「俺こそ…ありがとう」
二人は微笑んで顔を見合わせると、そっと唇を合わせた。記憶にはないけれど、遠い過去からの約束が果たされた喜びを感じながら――
「こんにちは、お邪魔します。お父様、お母様、おじい様」
「いらっしゃい、良く来たね葉月さん。じゃあ今日は近代文学の話をしようか」
「駄目よ、今日は私が葉月さんの相手をするの。葉月さん、お茶のお作法をまた少し覚えましょうか」
「いやいや、葉月さんには儂の相手をしてもらう。どうじゃ、また将棋をささんか?」
オフのある日、土井垣は恋人の葉月を連れて実家へ帰った。家へ入った途端、嫡男の土井垣よりも葉月の方が大歓迎を受ける。見合い話が進んでこうして家族と会う様になってから、葉月はその人柄と教養ですっかり家族に気に入られ、二人で帰ると彼女の方が実の娘の様になるのが常になっていた。
「ええと…」
家族の大歓迎に、葉月はいつもの様に困った様子を見せる。どの話も彼女には魅力的なのだが、皆が楽しめる事を彼女は好むため、誰かを優先という事ができないのだ。まあ優柔不断と言ってしまえばそこまでだが…困った様に土井垣を見上げる彼女に彼は頷くと、宥める様に家族に声を掛ける。
「皆、葉月さんを困らせないで下さいよ。何か皆で楽しめるものにしましょう」
「そうだな…じゃあ今日は将の昔のアルバムでも葉月さんに見せてやるか」
「ええ!?」
「あら、それはいいわね。そうしましょう」
「母さん、ちょっと待って…」
「それが一番平和じゃ。将、諦めろ」
「…」
最初からこれが目的だったのだと気づき、家族の周到な陰謀に土井垣は言葉を失う。葉月は苦笑しながら土井垣を見詰めていた。そうしてアルバムが出され、写真を皆で見ながら土井垣の小さい頃の思い出話に花が咲く。葉月は楽しそうに写真を見て、話を聞いていたが、土井垣としては中には葉月にあまり知られたくない内容も混じっていたので、気が気ではない。そうして様々な話が出てきた中で、不意に祖父が思い出した様に口を開いた。
「そういえば最近思い出したんじゃが。…将と葉月さんは、元々も許婚だったんじゃぞ」
「ああ!思い出しました。あの時の約束ですね、お義父様。今から思うと可愛らしい約束でしたね」
祖父の言葉に、母親も思い出した様に同調する。土井垣と葉月は全く覚えがないので問い返す。
「約束…?」
「許婚って…おじいさん、それは一体…?」
二人の言葉に、祖父はにんまりとして言葉を紡いでいく。
「葉月さんはな、一度だけ鈴木…じゃない酒匂…つまり葉月さんのおじいさんじゃな…と一緒に、ここに来た事があるんじゃ。その時にお前と葉月さんは一緒に遊んで仲良くなってな。儂が『将のお嫁さんにならんか?』と聞いたら葉月さんは『お嫁さんになる』と言っとったんじゃぞ。…まあ最初は『なりたいものが一杯あるからお嫁さんになれない』と振られたが、儂が『何になってもお嫁さんには一緒になれる』と言ったら嬉しそうに『だったらお嫁さんになる』と答えたな」
「…全然記憶にありません」
葉月は赤面して応える。母親がその後を受け取って更に言葉を紡ぐ。
「将さんも、お義父様が『葉月さんをお嫁さんにしてあげるか』と聞いたら、『葉月さんならお嫁さんにしてもいい』ってはっきり答えてたわ。それだけじゃないわ。騒がれるから女の子を嫌がってた将さんが、葉月さんとは『また遊びたい』って、自分から言っていたのよ。それでずっと葉月さんがまた遊びに来るのを待っていたわね。…その内野球で頭が一杯になって忘れたみたいだけど」
「俺も…記憶にないです」
土井垣も赤面して呟く。祖父は虚空を見詰めてしみじみと言葉を紡ぐ。
「儂も、その後の将の活躍で葉月さんとの事はすっかり忘れておったし、酒匂もその後何度か会った時は、遠慮していたのか冗談だと思っていたからかその話は出さなんだから、約束とは言っても本当にほのかなものじゃったが、こうして今その約束は現実となっとるんじゃな…酒匂、約束は果たしたぞ」
「将、葉月さんとはそう考えると、本当に赤い糸で繋がれている様だな。大事にしなさい」
「はあ…」
「葉月さんも、どうか将さんをよろしくね」
「はい…」
そうして二人は顔を見合わせると、顔を赤らめて目を逸らす。その様子を土井垣の家族は楽しそうに見詰めていた。そうしてまた様々な話が語られ、夕刻になり二人は土井垣の実家を辞し、彼のマンションへ戻ると、二人で食事をとって、葉月のいれてくれたお茶を飲みながら話す。
「許婚…そんな話があったとはな」
「あたし…全然記憶にないんですけど」
「俺もだ。でも…何だか嬉しい気持ちもあるな」
「何がですか?」
「最初から俺はお前を選んでいたし、お前も俺を選んでいてくれたという事がだ」
「…」
葉月が顔を赤らめながら土井垣の方を見ると、彼も顔を赤らめて、しかし照れ隠しの様な無愛想な表情を見せていた。彼女はくすりと笑うと、彼に身体を預けて口を開く。
「あたし達…ずっと前からお互い好きだったのね」
「…そうらしいな」
土井垣は無愛想な表情を見せながらも彼女を抱き締める。葉月は幸せそうに彼の胸に身体を預け、呟いた。
「将さん…愛してるわ。今までもそうだったけど、これからも」
「俺も…愛している。今までも、これからもだ」
「…ありがとう」
「俺こそ…ありがとう」
二人は微笑んで顔を見合わせると、そっと唇を合わせた。記憶にはないけれど、遠い過去からの約束が果たされた喜びを感じながら――