ある日の試合後、居酒屋の個室で東京スーパースターズの面々は歓談しながら食事をしていた。試合自体も勝利していたし、程よく酒も入っている浮かれた状況で様々な話が飛び交う中、話題が段々と下世話なものも含めたチームメイトの女性関係が中心になっていき、その中で三太郎がからかう様に義経に話を振った。
「そういや義経、姫さんまた職場の同僚から口説かれたんだって?」
「…」
 その言葉に痛い所を突かれたと同時にどうして知っているんだという様な苦い表情を見せた義経を見て、いい塩梅に酔っている仲間達は旨い酒の肴ができたとばかりに次々その話題に食いついていく。
「あ、俺もその話こないだ若菜ちゃん家の近所のおばさんから聞いた。話は若菜ちゃん自身じゃなくて役所の他の子からの又聞きだって言ってたから実際のとこは知らないけど」
「お前、毎度あんだけ彼女にベタ惚れ発言連呼していつも連れ歩いてるし、彼女だってその辺りちゃんと撥ね付けてんのに何でそういう事が起きるんだよ」
「実はお前陰で浮気してるとか?」
「しかもそれがバレバレで、それダシに乗り換える様に他の男が彼女を口説いてるとか」
「……」
 義経はチームメイト達を苦い表情で睨み付けると手元の酒を一気に飲み干し、低い声でおもむろに話し出した。
「…確かに、若菜さんが未だに時折とはいえ他の男に言い寄られているのは俺も彼女から聞いて知っているし、その原因が俺にあるのも…ある意味では正しい」
 表情は渋く、口調も低いものとはいえ珍しく素直に彼らのからかいに返答する彼に、チームメイト達は更にテンション高く彼をからかっていく。
「おっ?義経く~ん、今日は随分素直だね~?」
「今夜は本人が隣にいないし、正直に罪状を白状する気になったか」
「そ~かそ~か、やっぱりお前も少しは男の甲斐性ってもんが…」
「違う!お前ら調子に乗るのもいい加減にしろ!」
 酔った勢いのノリでからかうチームメイト達に、義経も珍しく多少酔いが深くなっているのかいつもより不機嫌さを露わにした口調で声を荒げる。そのいつにない荒れた酔い方にチームメイトは少々引く形で言葉に詰まった。その様子に気づいた義経も自分の気持ちを落ち着けるためか、改めて運ばれてきた酒に一口また口を付け、改めて話し始める。
「…確かに彼女が言い寄られてしまう原因が俺にある事は認める。…が、その原因は俺が不貞を働いているとかではない」
「じゃあ何なんだよ、その『原因』って」
 星王の問いに義経は更に言葉を返す。
「根本的な所では…戸籍上の姓に関してお互いの両親を未だに説得し切れず入籍できない、という事だ」
「あ~、お前達世間一般とは逆のベクトルで名字のゴタゴタ抱えてたな」
「一人っ子同士で『親が互いに自分の側の名字を譲らない』とかならよくある話だけど『親が互いに相手の名字を尊重して譲り合い』って聞いた事ないよな」
「それで延び延びになってるのは確かにアレだけどさ、どっちの親もお互いの気持ちを認めた上で相手の家を尊重してるからこそだって分かってるから、お前も彼女も自分の親に『自分達で決めるから口出すな』って強く言えないんだろ」
「それはお前だけの責任じゃない…ってかむしろお前より親御さん達が問題だよな」
「もっと言えばうちにはそんな問題とっくにクリアしてんのに年単位で籍入れてない『甲斐性なし』が約一名いるだろ。その手の事で悩むならお前よりむしろそっちの奴じゃん」
「…お前ら…どさくさに紛れて好き放題だな」
 里中の言葉に土井垣が不機嫌な表情と口調で焼酎の水割りに口をつけたのを見て、義経は慌てて言葉を重ねる。
「ああいや監督、そういう意味ではなく。…問題はその事自体というより、それに付随した話なんです」
「だからお前はどうしてそう馬鹿正直に藪から蛇を突き出す様な発言をするんだ!」
「ままま、土井垣さん落ち着いて……で、義経。その『付随した話』ってのは何なんだよ」
 義経の(結果的にとどめになってしまった)取り成しを含めた返答に声を荒げる土井垣を宥めつつ、三太郎が更に話を引き出す様に問いを重ねると、義経はその問いに更に重い口調で答える。
「籍はどちらの名字か決まったらすぐに入れるのだし、まあその…今は『通い婚』状態だが、籍を入れ次第あちらに居を移す事も決めているし、実際あちらでの住まいも今探している訳だから…監督に対する宮田さんの様に…もう互いに俺達は夫婦だという心づもりではいるんだ。だからその証として、監督の様に彼女へ結婚指輪を贈りたいと思っているんだが…婚約時の事も考えてそれ相応の良いものを、と考えて探すと…肝心の彼女がそうした形で着けられない華美な品になってしまうんだ。ならばその差を埋めるために加えて婚約指輪も一緒にどうか、と言ったら彼女から遠慮も含めて『プロポーズの時にそれに値する物は既にもらっているし、それを抜いたとしても婚約指輪の様な華やかな造形の物は結婚指輪以上に身に着けにくい品になってしまうから』と断られて、俺もその心情は良く分かるからそうもできず中々これぞ、というものが見つからなくて…結果、外部からは俺が彼女を蔑ろにしている様に見えるらしく…他の男に付け入る隙を与えてしまっているんだ」
 義経の語った『原因』に彼女の『事情』を知っているチームメイト達は納得した様に相槌を打っていく。
「あ~…そういう事か」
「彼女、そういう所ホントに律儀っていうか…悪く言うと融通利かないもんな」
「まあ彼女はそれ位しないと相手が威圧されちまうデリケートな仕事なのは確かだけどさ」
「でも彼女ももうちょっとその辺に関しては浮かれる…っていうか自分優先にしても罰当たらないのにな」
「まあ、仕事の『指導者』とか『モデルの人間』知ってる俺としちゃ、若菜ちゃんはあれでも『モデル』に比べたら十分融通利かせてる方だって分かるんだけどさ。でもなぁ…」
「俺もその『モデル』の話は聞いた事あるけど。…でも『モデル』が同じ宮田さんは監督と交換して持ってる結婚指輪はともかく、婚約指輪は普段ちゃんとうまい具合に身に着けてるじゃん」
「いや、あいつも仕事中は神保さんとは別の理由で身に着けていない。しかし確かに神保さんはあいつと違って仕事中も指輪位は着けられるだろうから、そうした心づもりならきちんとそうしたものがあった方がいいと思うだけに…確かにお前としてももどかしいよな」
「…はい」
 そう、義経の『恋女房』は市役所の職員、しかも様々な事情を抱えて訪れる市民の相談を受ける福祉専門職。そのため、相談に来た市民が遠慮や劣等感を抱かず安心して相談できる状況を作る事を第一に外見にも気を遣わなければならない、と彼女の『師』とも言える人間達を見て育ち、また実際にこの職種に就いた時直に教えを受けているため、プライベートではそれなりにお洒落をするが、仕事では制服があるスーツはもちろん化粧や髪形もごく質素であるし、アクセサリーに至っては身に着けている気配すら全くない。チームメイト達も彼女やその親友達からその話を聞いているし、実際彼女が仕事の後に自分達と飲んだりする時の姿でその話が事実である事は良く分かっている。それだけに彼の苦悩も良く分かるので、チームメイト達も双方の気持ちを思ってため息をつく。と、義経の言葉を聞いて何やら考えながら自分のカクテルを飲んでいた三太郎が不意ににやりと笑って彼に改めて声を掛けた。
「…なあ、義経」
「何だ三太郎。今の話がそんなに面白かったか?…ならば笑うなりからかうなり外に尾ひれを付けて触れ回るなり、好きにしろ」
 今までの経験則から不機嫌かつ半分投げやりな態度と口調で返した義経に苦笑しながらも、三太郎は取り成す様に言葉を重ねる。
「そうじゃなくてさ。…まあ、お前の事はどうでもいいけど、そうやって周りだけじゃなくってお前まで気遣ってるけなげな姫さんのために一肌脱ごうかと思ったの。だからお前、今度単独で身体空く日教えろよ。そしたら今の話の『解決法』伝授してやるから」
「?」
 三太郎の言葉の意味が分からず首を捻りながらも、彼がこうした行動をとる場合は決してからかいや嘘偽りがない事も良く分かっているため、義経は彼女と会う予定がないオフ日をいくつか三太郎に教える。彼はそれを聞いて携帯のスケジュールに入れ、加えて何やらメールを送ると「…じゃ、詳しい予定が決まったらまた伝えるから」と義経に返していつもの読めない笑みを見せる。義経はその笑みがまた怪訝に思えて更に首を捻っていた。

 それから2か月程過ぎ、彼女がいつもの様に週末彼のマンションへ来る事になっている金曜の夜。彼は試合後外で待ち合わせたいと彼女に前もって伝え、時折そうして会ってから帰る時に待ち合わせ場所として使っているダイニングバーに彼女を呼び出した。待ち合わせ場所に先に来て、テーブル席でカクテルを飲んでいた彼女を見つけて彼はその彼女の正面に座ると自分もカクテルを頼み、運ばれてきた所で改めて乾杯し少し話して落ち着いたところで彼はバッグから小さなラッピングされた箱を取り出して彼女に渡し、更に「…開けてくれないか」と促した。彼女が促されるままラッピングを解くと、そこにはジュエリーケースが収められており、更にその蓋を開けると、そこには二つ並んだマリッジリングが店の照明に照らされて輝いていた。
「…光さん、どうしたの?これ…」
 驚く彼女に彼は大まかな経緯を説明していく。件の飲み会の後義経が三太郎から連絡を受けて連れて行かれたのは彼の友人の妻が開いていて彼自身も恋人へのプロポーズ時に世話になったというジュエリー工房。そこで義経の話や事情を詳しく聞いたデザイナーの女性は、ならばこういう趣向ならどうだろうというデザイン等の『提案』をし、義経もそれならば、と同意してその場でオーダーし、細かな所にも気を遣わないといけないオーダーでもあるので何度か足を運びながら微調整をしてもらい『理想の品』を完成させた事。インサイドストーンとして彼女と自分の誕生石を埋め込み、表は一見シンプルだが、二人の指輪を重ねると刻まれた細工で比翼紋にした両家の家紋が現れるという、ただ着けているだけなら見た目も細工もそれ程華美にならないが、そうして隠れた所に緻密で贅沢な細工を施しある意味表立って華美にしたものよりも凝った品かつ、こうした趣向によって離れていても心は一つという彼女に対する自分の想いを精一杯込める事ができた自分にとっては最高の品である事。それを贈るという願いが今夜やっと叶い、着けてもらいたいと思い今こうして開けてもらった事――そうした経緯を彼から聞いた彼女はほんの少し驚いた後ふっと淋しげな表情を見せその指輪に目を落とし、呟く様に言葉を零した。
「光さんの気持ちはとても嬉しいんです。でも…こうしたものは二人で決める品だと思うのに、私には一言も話してもらえなかったのが…何だか私、ほんの少しですけど…あなたに蔑ろにされた気分です」
「ああいや若菜さん。俺はそんなつもりでこうした訳では…」
 彼女の言葉と表情で彼は良かれと思ってした事で彼女を傷つけてしまったのかと思い、どう自分の気持ちを伝えて誤解を解こうかと慌てる。その様子を見た彼女は淋しげな表情から何故か悪戯っぽい微笑みに変わると恥ずかしげに、しかし心からの幸せが分かる口調で言葉を重ねた。
「…でも、そうして作られた物なのに、この指輪にはあなたの私に対しての想いはもちろんですが、私があなたに対して持っていて、伝えたいと思っている想いも…ちゃんと込められていたんです。だから…あなたにきちんと私の想いが伝わっていたんだって分かって本当に嬉しいです。ありがとうございます。これはお互い大切に着けましょうね、これから…一生」
「……」
 そうして心からの幸せに満ちた笑顔を彼に見せた彼女の言葉とそれまでの態度で、彼は今回の件に関して当事者なのに蚊帳の外にされた彼女がほんの少しの『意趣返し』を自分に与えたのだと分かり、少し不満げな、しかしその原因は自分にある事も彼女の『本心』もきちんと分かっているので、申し訳なさと嬉しさも混じった何とも言えない複雑な表情を見せて沈黙する。彼女はそんな彼を見てそっと彼の手を取ると「だから、せめてこれ位は…私からさせて下さい」と彼女の手でまず彼の左手の薬指に指輪を嵌め、優しく微笑む。その言葉と行動で彼も自分がここですべき事を改めて理解し一言「…すまなかった」と謝罪の言葉を伝えた後、同じ様に彼女の手を取り彼女に指輪を嵌めて微笑みを返した。
 
 そして今では市民からの相談を優しい笑顔で受ける彼女の左手の薬指にはプラチナの指輪が控えめに、しかし彼女を守る様な優しい存在感を持って光っていて、もちろん義経の左手の薬指にも試合中はともかく移動時やプライベートでは同じくプラチナの指輪がそっと寄り添う様に、しかし確かな存在感を持って光っている。互いの想いを絶えず互いに届け、傍に置いていると示す様に――


――おまけ――

「…そういや監督、宮田さんが仕事中は婚約指輪着けてないってどうしてなんですか?」
「ああ、俺は全く知らずに似合うかどうかだけで買ったんだが、何でも指輪に付いている石がショックに弱いらしくて普段は健康診断の現場で大きな荷物を運んだり身体を動かす事が多い自分の仕事だと何かの拍子にぶつけて壊してしまいそうだから、仕事中は怖くて着けられないそうだ。実際あいつは過去に一度そうして腕時計を壊した事があって、それ以来時計も仕事中は蓋つきの提げ時計を使う様にしたそうだし」
「まあ、そうじゃなくても毎度葉月ちゃん言ってるもんな。『医療の技術職、特に看介護の人間のアクセサリーは下手すると患者さんにとっては凶器になりかねないから着けるなら細心の注意がいるし、そんな気遣いに余計な労力使う位なら最初からつけない方が楽だし、その労力を患者さんや受診者さん達に回せるし』って。何かその辺りは若菜ちゃん共々仕事の『モデル』ってかおばさん達…つまり二人のお袋さん…の意識を色濃く受け継いでるんだよなぁ。…まぁ俺が知ってる限りでも24時間365日臨戦態勢だったおばさん達程極端じゃないけどさ」
「そういや二人のお袋さんって、そういう意味でかなり有名なんだろ?」
「ああ、そういや宮田さんが前話してた親御さん達の『伝説』とかもあったな」
「二人が同じ児童養護施設の職員で働いてた時、市議会で答弁する事になった当日議場で『これが私達の正装です』ってかまして、二人揃ってジャージに保母服で答弁した…って奴ね」
「しかもそれがハッタリじゃなくてマジな発言だって議員も市長も傍聴してた人間も分かってるから、そのまま何事もなく議会進行したんだってな…」
「普通なら議会の規律がどうのとか何かしら注意されるだろうに何も言われないって、役所や議員どころか住民にまでこの人達の仕事っぷりが有名だったのか良く分かる話だよな」
「確かにそれに比べたら普段はもちろんだけどスーツも髪形も控えめなりに可愛くまとめてるし、充分二人ともお洒落はしてるか」
「だな」
「…俺としては比較対象が何かとてつもなく間違っている気もするがな」
「いやぁ、土井垣さんの普段のセンスと比べるよりはマシなんじゃないですか?」
「だな」
「せやな」
「づら」
「うんうん」
「…お前ら、本当に言いたい放題言いやがって…」