2005年、東京スーパースターズは結成二年目にして初の日本一を達成し、更に飛躍を求めた秋季キャンプも終わりオフになってすぐの頃、山岡に一通の手紙が届いた。誰だろうと思い封筒を裏返すと、そこには懐かしい名前が書かれていた。三宅一樹――山岡の明訓時代で野球部以外の数少ない親友だった。家に入り封書を開けると、懐かしい達筆な筆致で文章が綴られていた。

――鉄司へ
 こうやって改めて手紙を出すのは何となく気恥ずかしいが、手紙なら確実にお前に届くと思ったから、書こうと思う。まずは遅くなったがプロ入りとスタメン起用、それから今年の日本一おめでとう。お前がプロ入りしたと知ってびっくりしたが、常勝明訓の一翼を担っていたお前なら、プロ入りも確かにおかしくないよな。元気でやっている様で嬉しく思う。俺も元気だ――


 そんな書き出しから始まって、高校時代の様々な懐かしい思い出が書き綴られている。山岡はその手紙を読みながら彼の事を思い出していた。明訓は自分達の時代は野球部ばかりが注目を浴びていたが、そんな中一樹は陸上部でただ一人インターハイに手が届いた程の実力を持った中長距離の選手だった。とはいえ思い上がったところはなく気さくで、山岡とは同じクラスだった上、お互いスポーツをしている身という事で何となく馬が合い、親しくなっていた。お互いに切磋琢磨しあいながらも山岡がキャプテンとして悩んでいる時にはそれとなく話を聞き励ましてくれ、山岡の方も一樹がスランプに陥った時にはそれとは分からない励ましを送ったりしていた。しかし山岡にとってそんな彼との一番の思い出は大学受験と、その後のある出来事だった――

「…おい一樹、噂は本当なのかよ!」
 山岡は教室でのんびり教科書を読んでいる一樹に声を掛ける。一樹は教科書から顔を上げるとのんびりと応える。
「噂って何だよ」
「お前が関西にある体育大学の推薦蹴ったって話だよ」
「ああ、その話か。本当だ」
「もったいないだろ?折角推薦してくれるって言うのに」
 山岡の言葉に一樹はのんびりとしながらも、真剣な口調で更に応える。
「確かに推薦は魅力的だぜ。…でもな、関西に行っちまったら俺の夢が叶わないんだよ」
「お前の夢…?」
「ああ、俺は箱根駅伝に出たいんだ。その上で叶うなら山登りで」
「一樹…」
 山岡は一樹の言葉に言葉を失う。言葉を失っている山岡に、一樹は笑いかけると、更に言葉を紡ぐ。
「お前が甲子園を目指してたのと同じだよ。お前にとっての甲子園は、俺にとっては箱根駅伝なんだ。お前が夢を叶えた様に、俺も夢を叶えたい。だから、俺は推薦は受けられない。自力受験で頑張るぜ」
「そうか…」
「ああ」
 山岡は一樹の瞳に自分や自分のチームメイトと同じものを見出す。目標に向かってただひたすらに進む真っ直ぐな瞳――それを見出した時、山岡は一樹に笑顔で励ましの言葉を発していた。
「そうか…頑張れよ。俺も頑張るぜ」
「ああ、お互い道は違うが頑張ろうぜ」
 二人は笑い合う。その笑顔に夢を追うもの同士が持てるある一つのつながりを二人は感じていた――

 そうして山岡は東海大学に、一樹は箱根駅伝の古豪と呼ばれる大学に進学した。『どうせ行くならライバルが多い方がいいだろ』と一樹は笑っていた。それから彼とは連絡が途切れ、山岡は毎年箱根駅伝をテレビで観る様になっていた。しかし、いつになっても一樹の名前は出てこない。やはり夢は夢のまま終わってしまうのだろうか――いつしか山岡はそんな思いを持つ様になっていた。そして時は経ち大学生活最後の冬休み。山岡はノンプロのSS青森に入る事が決まり、卒業に向けて論文製作に必死になっていた。そんな合間の正月休みで、今では惰性になっていた箱根駅伝のテレビ観戦をしていると、不意に懐かしい名前が聞こえて来た。それに気付いて画面を振り返ると、一樹の名前の表示と共に、小田原中継所のスタートラインに立つ彼をテレビの画面越しに見つける。山岡は思わず画面を食い入る様に見詰める。そうして観ているとアナウンサーが一樹を紹介していく。入学してから怪我に見舞われ、中々チャンスがつかめなかった事。二年生の時にエントリーされながらも、エントリー変更で出場できなかった事。そして今年は満を持したエントリー変更により、最初で最後の箱根に出られる事になったという事――。テレビ画面越しに凛として立っている一樹は、昔から全く変わっていなかった。ただひたすらに夢を追い求め、自分の行く手だけを見ている瞳を持った青年――そして一樹は襷を受け取り、走り出す。その目はただひたすら真っ直ぐで、ひたむきに走り、ゴールを目指す事しか見えていない様な目だった。レース自体はそれ程ドラマティックな展開がないせいか走っている所はあまり中継されなかったが、時折映るその姿はその目のままの淡々としているが、しかし強さを内に秘めたひたむきで力強い走りだった。そして彼は4位でゴールする。優勝でもない、区間順位もそれ程早くなかった。しかし彼は夢を叶えたのだ。ゴールした時、彼は泣き笑いの表情だった。温めていた夢を最高の形で叶えられた嬉しさと、反面母校を優勝させられなかった悔しさがそこにはあった――少なくとも山岡はそう思った。そして復路も順位を護ったまま一樹の大学は4位入賞を果たした。粘り強く夢を叶えた親友の姿に山岡はこれからの自分も頑張ろうという決意を固め、そして一時は諦めたができるなら更に高みへ、そう、プロへ行きたい――そう思った。叶うかは分からない。でも叶わずとも夢に向かって全力を尽くす事が大切なんだ――山岡は一樹の走りを見てそう教えられた気がした。

 そうしてSS青森で10年野球を続け、不意にチャンスが訪れた。パ・リーグに新球団が発足する。そして土井垣監督の下、明訓の一同が集まった。それを知った時、不意に一樹の走りが頭に浮かび、山岡は迷わず決意した。夢を諦めたくない。彼の様に夢を諦めずプロへ挑戦してみたい、そしてもう一度明訓の仲間と野球がしたい――その心のままに彼はSS青森を辞め東京スーパースターズの入団テストを受け、幸運にも合格した。そして彼自身の努力もあったが、更に幸運な事にスタメンの一翼を担う事もでき、日本一に貢献する事もできた。自分の幸福への努力の道を作ってくれた一樹。彼には感謝してもし足りない位だ。そんな思いを胸一杯に溢れさせながら手紙を読み進めて行くと、最後にこう書かれていた。

――俺は今、首都圏のある大学に新しくできた陸上部で監督をしている。皆の最終目標は、俺と同じ箱根駅伝だ。俺はもちろん技術的なものも教えるが、お前が高校時代にした努力の話をしながら、夢を叶えるための努力を惜しむなと皆に伝えている。お前がプロに行った様に、いつかこの中から俺は絶対に箱根路を走るランナーを出すつもりだ。俺も頑張るから、お前もプロ野球選手としてこれからも頑張って、V2、V3と狙える様になってくれ――

 山岡は思わず涙が出てきた。彼は自分の事を忘れないでいてくれた。それだけでなく、自分の努力を認めていた――自分こそ彼の努力に力づけられていたのに、彼は山岡こそ努力していたと思っていてくれた。その嬉しさに涙を零しながらも、また夢を追う者同士の絆が沸きあがってくるのを感じ、彼は胸が一杯になってくる。そしてこの思いと、自分がずっと胸に秘めていた一樹に対する感謝の気持ちを、自分こそ伝えようと、彼は便箋を机から取り出した。