夕刻に近い都内、不知火は大きな赤いバラの花束を抱え急いでいた。今日は土井垣を含む先輩チームメイトの何人かと飲む約束になっており、彼はこの機会を使って今日こそ意中の人物である土井垣に自分の想いを伝えようと決心したのである。花束を作ってくれた花屋の女性は彼がプロポーズをするのだと勘違いして、特製の花束を作ってくれた。その事に苦笑しつつ、その女性の気遣いに感謝しながらも他の先輩チームメイトもいる所なので想いが伝わればよし、たとえ伝わらなくても何かの余興と考えてくれるだろうという計算をしている自分が情けなくも思うが、それでもこの土井垣に対する溢れる想いを堪える事が彼にはもうできなくなっていた。とにかくこの花束で自分の秘めた想いを彼に伝えるんだ――不知火はそう腹を決めて約束の店に向かっている。ただし、彼はその決心で頭が一杯になっており、今現在花束を抱えた自分がその風体と醸し出す雰囲気によって通行人からかなり浮いており、場合によっては指まで指されている事には幸福にも全く気付いていない。

「よお不知火、遅かったじゃないか」
「ああ…はい、遅くなってすいません」
 不知火が入った店はチェーンではあるが個室で落ち着いた雰囲気の無国籍風居酒屋。店に入って店員に案内され先に来ていた先輩に声を掛けられ、不知火は彼らに挨拶して一礼する。一礼した後彼は中を見渡し、今回の目的が達成できる条件ができている事を確認して期待で鼓動がが早くなる。その目的である土井垣は不知火を見て笑いかけると、自分の隣へ彼を呼び寄せる。
「守、遅かったな。さあ座れ」
「あ、はい…ありがとうございます」
「とりあえずビールからでいいか?」
「…はい」
 自分に気を遣ってくれる土井垣に不知火はまた鼓動が早くなる。これは単なる後輩かつバッテリーを組んでいる自分に対しての恋女房的気遣いだと分かってはいるが、それでも自分に対して気遣いをしてくれる土井垣の心が彼は嬉しくなる。嬉しさと決意に対する葛藤でもじもじしている彼に、同席していた先輩メンバーが不意に声を掛けた。
「そういや不知火、そのバラの花束は一体何だよ」
「えっ…えっと…これは…」
 先輩の問いで、いきなりチャンスが来た不知火は一瞬言葉を失う。でもここで引いていたら自分の想いは伝えられない。不知火は花束を持って立ち上がると、土井垣の方を向き、声を上げる。
「えっと…あの…土井垣さん!」
「え?な…何だ?」
 余りに唐突な展開に土井垣も思わず立ち上がる。不知火は彼に頭を下げて花束を差し出しながら更に言葉を重ねた。
「これは…俺の気持ちです!土井垣さん、受け取って下さい!」
「…」
 不知火の言葉に、土井垣(と他のメンバー)は絶句する。しばしの気まずい沈黙の後、土井垣は不意にふっと笑うと、不知火から花束を受け取った。
「…ありがとうな、守」
「土井垣さん…」
 笑顔で受け取ってくれた土井垣に不知火は自分の想いが伝わったと思い、喜びの余り言葉を失う。他のメンバーはあまりの展開に呆然として口を開いた。
「お…おい、土井垣、どういう事だよ…まさかお前…」
 メンバーの呆然とした言葉に土井垣はにっこりと笑うと、更に言葉を続ける。
「…それじゃあ、ここの店員さんに頼んで、この花束を分けてもらおうか」
「…え?」
 予想外の展開に不知火は思わず問い返す。土井垣は笑顔で続けた。
「お前の気持ちは良く分かってる。お前、俺達に感謝の気持ちを込めてこの花束を持って来てくれたんだろ?でも人数分は持って来られないからバッテリーを組んでいる俺を代表にしたって所だな。だから今ここで分けて皆にいきわたる様にしてやるよ」
「…ありがとうございます」
 土井垣の言葉に不知火はそれしか言葉を返せなかった。不知火の言葉にメンバーはからかう様にそれぞれ彼の頭や背中を叩いて口々に言葉を掛ける。
「そうか~そうだったのか~」
「お前、生意気に見えて結構可愛いな~」
「ありがとうな!お前の気持ち、ちゃんと受け取るぜ」
「…」
 土井垣は店員を呼ぶと人数分に花束を分けて下さいと頼んで花束を渡す。不知火は呆然としながらそれを見つめていた。そうしてしばらく飲んでいると花束が人数分に分けられて返って来る。土井垣はそれをそれぞれのメンバーに渡していた。結局自分の想いは彼には伝わらなかったんだ――最高の気分から最低の気分に叩き落され、暗い気持ちになりながらビールの後に頼んだカクテルを飲んでいると、不意に誰かが肩を叩く。不知火が振り向くと、土井垣が一輪の白バラを彼に差し出していた。それは赤いバラの花束の中にたった一輪だけ入れた白バラ、そして花屋の女性が彼に掛けてくれた『魔法』だった。驚いて彼が受け取ると、土井垣は照れ臭そうに口を開いた。
「今日はありがとう…嬉しかった。お前がこんな風に気を遣ってくれて…それに俺もお前とバッテリーを組んでいる中でお前に沢山の感謝がある。だから…持って来た花束を帰す形で悪いかと思うが…お前にもこれをやるよ」
「…ありがとうございます」
 土井垣の言葉に、不知火はほんの少しだけ幸せな気持ちになった。どんな形であれ、かすかにかもしれないが自分の気持ちは彼に届いたのかもしれない。花屋の女性は彼にかけた『魔法』についてこう言っていた。『その白いバラは相手の気持ちよ。あなたの真剣な想いが伝わったら、相手はその白いバラにあなたへの想いを込めて返してくれる』と。そして『その白バラが戻らなかった事は一度もない』とも。たとえ今はバッテリーとしての感謝の気持ちしか返してもらえないとしても、あの女性がかけてくれた『魔法』が本当に効いてくれたなら、いつかは自分の本当の気持ちが彼に届くのではないか――何故か彼にはそう思えた。そんな事を考えていると不意に頬が緩んでくる。そうしていつか彼に本当の気持ちが届いたら、あの花屋の女性に感謝の気持ちも込めて、今度は個人的に彼に送る花束をまた頼みに行こうか――頬を緩ませている彼を見て土井垣が怪訝そうな表情を見せ、口を開く。
「どうした?守」
「いえ…何でもありません。さあ、飲みましょう」
 不知火は自分を怪訝そうに見詰める土井垣に向かって微笑みかけた。