ある夜、東京スーパースターズの面々と土井垣の恋人である葉月と三太郎の恋人である弥生はオフで飲みに行くために都内某所にいた。広めの個室がとれる無国籍風料理店を見つけ落ち着き、酒と料理を頼み、何人かのメンバーが煙草に火をつけて紫煙をくゆらせた途端、土井垣が咳払いのような咳をした。その咳を聞いて吸っていた一人の星王が不満そうな声を上げる。
「あ~出た~土井垣さんの嫌煙咳払い」
「そりゃ煙草やめてほしいってのはわかりますけど、そんなあからさまに嫌がらなくても」
「気持ちは分からないでもないですが下手すると嫌味ですよそれ~?」
「…違いますよ?」
「へ?」
 緒方と飯島の言葉を聞いていた葉月が不意に否定の言葉を零したので一同は一斉に彼女の方を向く。葉月は言葉を続ける。
「土井垣さん、嫌味で咳してるんじゃないです。喉弱くて煙草の煙吸うと咳したくなくても出ちゃうんですよ。良く私と食事してる時にも飲み屋さんで煙草の煙がもうもうの所とか、外歩いてる時ほこりが立ってるところにいると咳出てますし、オフの時喉痛いだけの軽い風邪にしょっちゅうかかってますもん。で、気づいた私が耳鼻科さん行ってみたらって勧めたら案の定で」
「あ~、だからはーちゃん前耳鼻科関係の資料漁ってたんだ」
「うん、そう」
「でも土井垣さんあんだけでかい声出してんじゃん」
「声帯の強さと気管支とか喉の粘膜の丈夫さは同じじゃないわよ。実際あたしは専門からちょっと外れるけど、声帯が強くても喉の粘膜弱くてケアしっかりしないと風邪しょっちゅうひくからって予防線しっかり張ってる声が商売の人の話、仕事柄良く聞くしね」
「へぇ…知らなかった」
「それに、嫌煙っていう意味ならもっと怖い『探知機』がいるわよ?」
「何それ?」
「ヒナ…場が盛り下がるからそれはやめとこ?」
「…って事は…」
 話を止めようとした葉月を見て弥生の言葉の意味を察し、一同は葉月の方を見る。葉月はばつが悪そうに下を向く。それを見て弥生は運ばれてきた酒を面々に回して自分の分を一口飲むと、悪戯っぽく言葉を紡ぐ。
「そういう事。今でこそ、はーちゃんレントゲンに煙も写っちゃうから、ほんとはダメな健診中でも平気で煙草スパスパ吸ってる土建のおじさん達に付き合わないといけないからって慣らしたのか普通にしてるけど、昔ははーちゃん曰く『お父さん達が煙草は絶対駄目だって吸わなかった』せいか、嫌いっていうよりもう体質的に受け付けなくてね。煙どころか匂いも駄目で、服とか喫煙車に染みついた匂いだけで具合悪くなっちゃってたんだから。煙なんか言ったら演研の合宿は成人したOBも来て煙草吸うから我慢はもちろんするけど最初は咳、その内咳はしなくなるけど、こもった煙で顔色がどんどん悪くなってくのが傍目にも分かってね、OBはーちゃんの顔色で換気のタイミング図ってたくらいだもの。その内めんどくさくなったのかはーちゃんの前では一人の『例外』抜いてホタル族になっちゃったわ。まあ、喉壊せない声楽やってたはーちゃんだったから、それ位が丁度いいのかもしれないけど」
「…そりゃ恐ろしい探知機だ」
 弥生の言葉に三太郎が首をすくめる。その言葉に不可解な点が含まれている、と思ったらしい土井垣が葉月に問いかける。
「ちょっと待て。でも文乃さんは美月ちゃんができるまでヘビースモーカーだったじゃないか」
「ああ、お姉ちゃんは煙草とかお酒駄目って厳しく躾けられた反動ですよ。お酒駄目だから、その分煙草とお化粧に行ったって訳で」
「そうか…それに、『例外』…とは誰だ?」
「え…それは」
「…誰だ」
 いつの間にか土井垣が飲んでいたビールの大ジョッキが空になっている。一気飲みしたせいの酔いも手伝ってか、段々土井垣の口調が詰問調になってきたのに気付いて、面々がこれはある意味シャレにならない修羅場になりかねない、と恐れと楽しみ半々の眼差しで土井垣と葉月を見詰めていると、弥生が葉月の代わりにからりと明るく答える。
「当たりです。御館さんがはーちゃんの『例外』ですよ。でも仕方ないですよ。御館さんは17の頃からはーちゃんの前で吸ってたんですから。そりゃ嫌でも慣れますって」
「…」
 土井垣は嫉妬の怒りはあるが納得もしてしまったのでぐうの音も出なくなる。その代わり緒方が年齢に対して突っ込みを入れた。
「ちょ~っと待ったぁ!禁煙うんぬん以前に日本国民!!」
 緒方の突っ込みに弥生はコロコロ笑いながら手をパタパタ振って応える。
「あれ?みんなしなかったの?こういう『おいた』。もう時効よ時効」
「…案外、ヒナさん達って…悪い事してたんだなぁ…」
「あたしらは煙草よりお酒だったけどね~。荒久の海で飲んで騒いで急性アルコール中毒になって救急車で運ばれて、停学になった子もいたっけ」
「いたねぇ、あたしその時その場にいなかったけど、ヒナとお姫はいたんだっけ」
「そうそう。でさ、講堂で生徒全員説教喰らって教室戻った後説教装った担任の先生の名言ね~」
「『飲みたい気持ちは分かる。でも飲むなら周りに迷惑かけるな』ね~」
「飲む事前提かよ…確か公立の進学校だろ?どんだけリベラルってか放任だよ」
「うちの教育方針の一つに『自立した人間になる』っていうのがありますからね。自分で判断して行動しろっていうのもあるんです。だから悪い事も確かにしましたけど、飲酒喫煙とかはともかく薬物とか万引きとか恐喝とか暴力とか不純異性交遊とかはしませんでしたよ」
「そこなんだ判断材料…」
「まあそれはともかく…御館さんはともかく、最近は煙草に慣れたとはいえやっぱはーちゃん苦手なのよ。でもスターズにも一人だけ『例外』いたって言ってたよね」
「…あ、うん。…何でか分かんなくって不思議なの」
「何!?」
 二人の言葉に土井垣は嫉妬の怒りと酔いが増して目が据わり、顔を更に赤くする。見るといつの間に飲んだのやら、土井垣の前に冷酒の枡が三つばかり増えていた。土井垣は声を荒げる。
「誰だ葉月!そのスターズの『例外』は!俺が成敗してやる!」
「…うわ~、酔っ払いの火に油どころかガソリン注いじゃったよ」
「…こりゃ早めに潰しといた方がいいかもな」
 そうスターズの面々はぼそぼそ話しあっている中、土井垣は更に声を荒げる。
「誰だ!」
 その勢いに圧されて葉月は思わず口を滑らせた。
「え…あの…義経さん」
 その葉月の言葉にスターズの面々は意外だとばかりにまた話し合う。
「ちょっと待て、義経宮田さんの前で煙草吸った事あったか?」
「ってか俺達の前でも、よっぽど手持無沙汰にならない限り吸ってないよな」
「どんだけ敏感な探知機だよ…空気清浄機以上じゃん」
 そのスターズの面々の言葉に、土井垣は義経が葉月に手を出していたのではないかとばかりに怒り狂い、傍に座っていた義経の襟首を掴み上げて今にも殴りかかりそうになる。
「監督、落ち着いて下さい」
「これが落ち着いていられるか!お前、神保さんという存在がいながら葉月に!」
「誤解です。俺は別に宮田さんには何も」
「だったら何で吸った所を見た事のないはずのお前の煙草の事を葉月が…!」
「…あ、俺分かった。土井垣さん、義経無実ですよ。放してやって下さい」
「里中?」
「何?」
 不意に今まで話を聞いていた里中が、ポンと拳で掌を叩いて割って入る様に口を開く。その言葉に土井垣も不意に毒気を抜かれて義経を解放し、代わりに里中の方へ寄って行き問いかける。
「里中、何で葉月が義経を『例外』にしているのに、義経が葉月に横恋慕したり手を出していないと分かるんだ」
「知りたいですか?」
「当たり前だ」
「だったらここの飲み代土井垣さんもちって事で」
「…」
「じゃあ教えません」
「!……仕方ない」
「やりぃ!皆、ここ土井垣さんもちになったから好きに飲み食いしようぜ~」
「さっすが里中~!」
「…」
 面々は歓声を上げる。まんまと里中の『計略』にはまり、土井垣は顔をしかめる。しかし理由は知りたいので更に里中に問いかける。
「それで、『理由』は何なんだ」
「ああ、そうでした。…義経、今お前が吸ってる煙草持ってるか?」
「え?ああ、ほとんど吸わないが一応」
「それ出して葉月ちゃんに見せてみな。そうすりゃ謎が解けるぜ」
「?…ああ、分かった」
 面々の興味深そうな視線の中、義経は胸ポケットに入れている煙草の箱を取り出して葉月に見せる。それは最近めっきり見ない、いわゆる『安煙草』といわれる銘柄のもの。しかしその銘柄を見て葉月は一瞬驚き、直後懐かしげな微笑みに崩れてそっとその箱を受け取ると、そのままの口調で呟いた。
「これ…おじいちゃまの…うん…これ、デザイン少し変わってるけど…おじいちゃまが吸ってた煙草。…だから…平気だったんだ…」
 葉月の言葉に、土井垣は怪訝そうに問いかける。
「『おじいちゃま』?…どっちのおじいさんの事を言ってるんだ?」
「龍太郎おじいちゃま。…母方の…将さんのおじい様のお友達だった方のおじいちゃまよ」
「ちょっと待て、俺は知ったのが亡くなった後だから会った事がないが…そのおじいさんは聞いた話だと、確か若い頃に片肺を病気で半分以上切っていたんじゃなかったか?」
「うん。…でも…時々煙草をふかしててね…煙草駄目なあたしだったけど…そのおじいちゃまの匂いだけは、大好きだったの…」
「俺はちっちゃい頃の葉月ちゃん知ってますからね、そのおじいさんにも会ってるし。おじいさんが肺切ってるのも本人から聞いてたし、それなのに煙草吸ってたから印象残ってたし。それにこの銘柄すごいインパクト強いし、俺は煙草吸いませんけどプロ入りしてから先輩達に聞いたら、安煙草だし今は常用する奴は年配ばっかりだから、俺の年代で知ってるのは珍しいって事だったから覚えてたんですよ。今回の事でも分かる通り葉月ちゃん五感がすごく鋭いし、彼女にとっちゃずっと可愛がってくれた大好きなおじいさんの匂いですよ?そりゃ気づくし平気だって俺も分かりますって」
「つまり義経は『おじいちゃんの身代わり』だったって事か?」
「よっ!光おじいちゃ~ん!」
「…」
 面々のからかう言葉に義経は何となく居心地が悪くなり沈黙し、土井垣も彼女を心底から可愛がっていたという祖父にはかなわないと言葉を失う。そうして料理も運ばれてきていたので賑やかに食事会が始まり、賑々しく食事をしている中、不意に土井垣が葉月に声をかける。
「…なあ」
「はい?」
「…俺も…煙草を吸おうかな」
 土井垣の想いが込められた提案に葉月は微笑むと、ほんの少し咎める表情になり、言葉を返す。
「駄目です。お酒と違って、煙草はスポーツ選手には百害あって一利なしなんですからね。肺がんリスクが増えるし、体力も無くすし、声だって悪くなるんですから。それに将さん元々喉が弱いのが更に駄目になりますよ?わざわざ自分が辛くなる事しなくていいです…それにね」
「それに?」
「言ったでしょ?あたしは煙草の匂いも煙も苦手…っていうか嫌いなの。だから煙草吸わない将さんが一番好きなの。…だから…そのままでいて」
「…そうか」
「…そう」
「…分かった」
 そう言うと二人は微笑んで寄り添いあう。それを見た面々はやっと土井垣が機嫌を直した事に安堵したのと同時に二人の仲の良さに当てられつつ(もう一組いるがデフォルトなので慣れている)賑々しく時を過ごしていった。