ある日の都内某所の飲み屋、東京スーパースターズの面々と彼らと付き合っている葉月と弥生と若菜は珍しく若菜が小田原から泊まりがけで試合観戦に来られたという事で、一緒に食事がてらの飲み会を開催していた(久しぶりに会えるという事でゆっくり二人で過ごしたかった義経はかなり渋っていたのだが)。そうして程よく酒や食事も進んだところで緒方が若菜に声をかける。
「そう言えばお姫さんって見かけによらず酒豪だよな」
その言葉に星王も乗って続ける。
「だよな。オフの時土井垣さんとこで夜通しの飲み会やった時、土井垣さんですら潰れた後も義経と二人でけろっとした顔で飲んでたもんな」
「しかも翌日も平然として義経と酒飲まなかった宮田さんと三人で、二日酔いになった皆の朝食作ってくれてたしな」
「一遍犬飼監督とか景浦さんと飲み比べさせてみたいよな。平気で勝っちまいそう」
「ああ、そうですか…でも犬飼監督はともかく『景浦さん』って?」
問い返す若菜にわびすけが応える。
「ああ、ゆきさんは野球観るのは好きでも選手とかはそれほど詳しくないから、本名言われたら分からないか。ホークスの『あぶさん』って言えば分かるかな?」
「はい、分かりました。凄いベテラン野球選手で、とってもお酒飲む方ですよね。確かバットにもお酒吹きつけるとか。でも確かに私はお酒飲める方ですが、さすがにその方には負けますよ」
「謙遜しなくていいって。でもいける口ってのは、女でも働いてると結構助かるだろ?」
「はい。昔程じゃないですけどやっぱりまだ仕事上のお酒のお付き合いって残っていて…こう言うとなんですけど、宮田課長というかおじさま…つまりおようのお父様は全く飲めなくて、お付き合いに苦労したって言っていましたからね。おじ様のお酒の弱さは見ていたので知っていますし、今の仕事上のお付き合いの様子でもっとお酒の席が重かった昔を思うと、相当苦労したんだなって分かりますから、そういう意味では良かったなって」
若菜の言葉に三太郎が意外だとばかりに声を上げる。
「え?宮田さんのお父さんって下戸なの?」
三太郎の言葉に葉月が串から外した焼き鳥をつまみながら応える。
「はい。ビール三口で真っ赤になって寝てます。確かにそれで苦労したって言ってましたけど、普段はそう言う訳で酒代考えなくていい分安上がりな人ですよ。お姉ちゃんも同じです」
「でも宮田さんは弱いには弱いけど少しは飲めるじゃん」
「私は母方に似たみたいですね。母方は祖父母も母も多少は飲めますから。父方は男女関係なく、親戚一同全くの下戸です」
「ふぅん…意外だな」
「ただ確かに私お酒強い方ですけど、飲めてしまうとキッチンドリンカーとかアルコール依存症になりやすいですから、よっぽどの事がない限り程々にしていますけどね」
「それが正しいわ、お姫」
「そうそう。女性の方が肝機能弱いしアル中になりやすいんだから」
そうして話が弾んでいる面々を渋い顔で見つめながら、義経がふっと胸ポケットに手を持っていったのを若菜が目にして、傍にあった灰皿を彼の前に持っていく。
「はい、光さん」
「あ、ああ。若菜さんありがとう」
そう言うと義経は若菜から灰皿を受け取り、煙草に火をつけ紫煙をくゆらせる。それを静かに彼女は見詰めていたが、不意にぽつりと呟いた。
「光さん、初めて…私の前で煙草…吸ってくれた」
若菜の呟きに星王が驚いた声を上げる。
「え~!?義経お前お姫さんの前で煙草吸った事ないの?」
「まあ普段もほとんど吸わないけどさ、普通こういうのってリラックスする相手の前でついつい吸っちまうって感じじゃないの?」
「逆に吸わないって意外すぎてびっくりだわ」
そうしてわいわい騒いでいるスターズの面々に対して、若菜は寂しげな笑みを見せながら静かに言葉を紡いでいく。
「多分…私が最初に『予防線』張っちゃったせいだと思います」
「『予防線』?」
「何それ」
「私…煙草吸いませんよね。それって『吸わない』『吸えない』『吸うのを止められている』からなんです」
「え、前二つは分かるけど最後の『吸うのを止められている』って誰に」
「劇団のベテランの役者さんにです。煙草を吸うと声が『煙草声』っていう煙草吸っている人特有の荒れた声になってしまうんです。その役者さん達は私の声を買って下さっていて『せっかくのいい声なんだから煙草吸って潰すんじゃない』って言って下さって…私も煙草を吸って声が荒れたら嫌だなって思ったので、なるべく煙草に近づかないようにしているんです。光さんはお付き合いする前ですが、私と最初に食事した時にその話を聞いていたから…私の前で吸うに吸えなくなってしまったんだと…思います」
そう言って寂しげに微笑む若菜の肩を抱き、煙草の火を消すと、義経は静かに口を開く。
「…そうじゃないんだ」
「…え?」
「そもそも、俺が煙草を吸い始めたのは…悪事を白状するが16の頃道場の年配の人間に勧められて、手持無沙汰の時の友にという感じからだったんだ…総師もいいのか悪いのか煙草と酒は黙認だったからな。それからまあ本当に手持無沙汰で仕方がない時に吸っている訳だが…若菜さんといる時は、いくらでも話したいし…色々したいし…煙草を吸う時間ももったいなくて…吸う気すら起こらなかった。それだけなんだ」
「…光さん」
義経の言葉に、若菜は幸せそうに微笑むと彼に首を傾ける。その二人の雰囲気に当てられつつも、メンバーはからかう様に言葉を畳みかけていく。
「あ~ったくもう、土井垣さんが遅れてくるから大丈夫か、と思ったらここにそれ以上のバカップルがいたよ」
「ってか義経、さらっと日本国民としてあっちゃいけない姿を告白してたよな、今」
「むしろ吸い始め16って事は、それ以上に高校球児としてあっちゃいけない姿じゃないか?」
「ばれてたら甲子園どころじゃなかったよな」
「良かったなぁ義経、時効になってて~」
「…」
からかう様に言葉を畳み掛けていく面々に義経は顔をしかめる。それを見て若菜はにっこり微笑むと優しく言葉を紡ぐ。
「…でも、本当に吸いたくなったら私の前でも吸っていいのよ?私気にしないから」
「しかし若菜さん、煙もそうだが…煙草の匂いも嫌ではないか?」
「嫌だったら、私の前で吸っていなくてもお付き合いの最初から煙草やめてって言ってます。…光さんの匂いなら…大丈夫。ううん、むしろ…好きよ」
「…そうか」
「…はい」
その二人の会話にまた面々は口笛を吹いたり声を上げ、二人はそれに赤面してばつが悪くなり自分たちの酒を口にする。そうして都内の飲み屋は賑々しく時が過ぎていくのであった。