ホテルに戻るとチームメイトの連中が心配半分、呆れ半分で出迎えた。
「兄ちゃん、昨日はどうしちまったんだよ」
「監督、外泊届けも出さずに外泊した上、朝帰りですか?他の選手に示しがつきませんよ」
「…で、どこに行ってたの?兄貴」
知三郎の問いに、何故か彼女の事は言えずに、俺は小さな嘘をついた。
「え…ああ、その…バーで飲んだら潰れちまって、そこの…そう、マスターが家に泊めてくれたんだ。…皆、心配かけてすまん」
「全く、潰れるまで飲むなんて兄貴らしくないよ」
「まあ、無事に戻られたからよろしいですが…あまり無茶はなさいません様」
「…ああ、すまん皆」
何故彼女の事を隠したくなったのかは自分にも分からない。しかし隠すべきだ、と心の中の自分が言っている。心底心配してくれる弟達やチームメイトに小さな嘘をついた罪悪感を多少持ちながらも、俺は取り成す様に笑った――
そしてその日はオフであると共に四国に帰る日だったので、そのまま俺達は病気で入院している不知火以外は機中の人となる。あそこではああ言ったが、彼女にまた会えるかは分からない。しかし本当に会えるなら――そんな思いで俺は四国へ戻り、球場との利便性を考えて借りた自分のマンションへ向かう。届いている手紙などをポストから取り出し、部屋に入って重要な内容でない事を確かめ、長旅を一緒に過ごした嵐にエサと水をやり、夕飯時になったので自分も夕飯を作り出す。と、不意にインターホンが鳴る。誰だと思って出ると、モニターには知三郎が映っていた。
「どうしたサブ、何か用か」
「うん、今日の事でね。入っていい?」
「ああ、かまわん」
俺はオートロックの鍵を開けると、知三郎を部屋へ招き入れる。
「飯は食ってくか?」
「兄貴がいいなら」
「かまわん。一人分作るも二人分作るもそう変わらん」
「じゃあお言葉に甘えて…話はその後でね。何か手伝う事ある?」
「かまわん。ゆっくりしてろ」
「そう」
知三郎はその言葉を聞くと バッグから経済雑誌を出して読み始める。知三郎はただ野球だけをやっているのも物足りないと、趣味で株を取引しているのだ。『別にもうけたい訳じゃないよ。気分転換にこうやって野球以外の方向で頭使うのもいいと思ってさ』と軽く言う弟が同じ兄弟だというのに理解できなかった。野球以外能のない自分と比べてどうしてこうも出来のいい弟が出来たのだろうと常々俺は思っている。そうして食事が出来上がり、リビングに持って行きつつ、ふっとそんな弟に話を聞いてみたくなって言葉を掛ける。
「どうだ、何かいい情報でもあったか」
「…へぇ、兄貴でも株に興味持つんだ」
「『兄貴でも』は余計だよ。ただお前が面白がってるもんがどんなもんか知りたくなってな」
「ふぅん…」
知三郎は怪訝そうな目で俺を見詰めていたが、やがて雑誌をめくりながらさらさらと言葉を紡ぐ。
「買いとしちゃB医科学の株が最近は買いかな。創業は古くて当時は小さな製薬会社だったけど、先代の社長になって医療機器や化粧品にも手を広げて、急成長してきた会社だよ。今の社長は女性でね、その手腕は先代以上、人呼んで『うら若き女帝』って言われる程の敏腕社長らしいよ。…ほら、ここにも写真付きの記事が載ってる」
「そうか…何?」
「どうかした?兄貴」
「…え?ああ、いや…何でも」
「そう」
そこに載っていたのは明らかに『あきこ』と名乗っていた彼の女。良く記事を読むとそれは彼女の経営手腕についての分析記事だったが、先を見据え、社員も薬や器具を使用する医院や患者も大切にする企業として書かれていた。そしてこの記事には彼女の名前と年齢も載っている。――杉浦彰子――これが彼女の名前で、その上自分と同い年だったのかと俺は初めて知り、溜息を漏らす。あの修羅場での肝の据わった態度で只者じゃないとは思っていたが、こんな女だったのか――溜息をつく俺に、知三郎は軽く言葉を掛ける。
「…どう?例の女の人の事が分かって良かったでしょ?」
「ああ…ってサブ!それは…」
「別行動してたマドンナ以外、皆知ってるよ。皆で飲みに行った帰りに、兄貴がその人にタクシーに乗せてもらうのを見ててね。俺は見覚えある顔だなって思って調べたらここで見つけてね。残りのメンバーは武蔵兄貴含めてただ女の所に行ったって思ってるみたいだけど。…で、事実はどうなの?兄貴」
知三郎の問いに俺は観念し、こいつにだけは正直に事実を告げる。
「意気投合して一緒に飲んで潰れて…迷惑を掛けただけだ。それは弁解じゃなく断言する」
「…そう。そういう事ならそういう事にしておくよ。でさ、兄貴」
「何だ?」
「また会う約束とかしたの?」
悪戯っぽい弟の問いに、俺は少し虫の居所を悪くしつつ答える。
「…ノーコメントだ」
「ふぅん…それもそうしとくよ。じゃあ、ご飯食べようよ。冷めちゃうし」
「そうだな」
そう言うと俺達は取りとめもなく話しながら食事をとった。食事を食べた後『じゃあ、その雑誌は兄貴にあげるよ』と言って知三郎は帰る。俺はその雑誌のどこか毅然とした表情の写真を見詰めながら、この写真とあの朝食の時の優しい微笑みのギャップを感じ、そんな一面を知っている自分に嬉しさを覚え、どうじにその嬉しさに対して狼狽する。俺が愛しているのは土井垣のはず。なのにどうしてこんな感覚を持つのだろう。俺の気持ちはどこにあるのだろう――
…はい、心の旅人シリーズ小次郎兄さん編・第二話です。タイトルの『女帝と戦車』はちょっとこの話が落ち着いた後に付ける副題に関わって来るタイトルで、タロットから取っています。とはいえ本当は小次郎兄さんを示すカードは大アルカナで『女帝』の影世界になる『節制』を使いたかったんですが、小次郎兄さんのイメージを意味するカードではなかったのであえなく戦車に落ち着きました。小アルカナ使うと複雑になってきちゃうから分からないし。
んで彼女の正体を知り、ふと無意識に惹かれている事に戸惑う小次郎兄さんです。でもしっかり見ていたんですねメンバーの方々(笑)。それでそらっとぼけたのはきっと裏で三吉辺りがまた賭けをしているからか←おい、あまりに酔い潰れてタクシーに乗っていた時の状況が口にするのも憚られるほどやばい風に思われたのでしょう。でも知三郎だけは兄貴の状況を理解してああいう行動を取ったんだと思います。そして不知火が入院という事で不知火編と多少リンクさせています。つまり同時期に起こった事です。
で、彰子さんの事業が何だかここで判明。医化学系に走るのはどうも私の職業柄様子が分かりやすいというのがあるせいだと思います。しかも小次郎兄さんと同い年で社長業(場合によっては会長業も)をこなす彰子さんは小次郎兄さんに対してどういう思いを持ったのでしょうか。次回分かります。お暇な方はお楽しみに…(ぺこり)。
[2012年 05月 27日改稿]