あの出会いから一ヶ月半程経ち、シーズンも終わり俺は監督としての仕事があって単独で東京へ出て来た。仕事をこなした後、俺は何故か弾む心を抑えながら件の店へ足を運ぶ。彼女に会いたいのかは分からないので、連絡はしなかった。でも店に行きたいという衝動は抑えられなかった。店に入って中を見回してみると、彼女はいない。連絡をしていないのだから当たり前だが、何故かまた彼女がいない事に落胆を覚えつつ、俺はカウンターに座ってまたブランデーの水割りを、今度はセーブして飲む。また同じ徹は踏みたくないと思ったからだ。それに、もし彼女が来たとして酔い潰れていたら――会いたいのかどうか分からないのに、そんな男のメンツにこだわっている自分に内心困惑しながら飲んでいると、不意にジントニックが目の前に出された。驚いて俺がマスターを見ると、マスターが『あちらのお客様からです』とある男を指した。あの男は――俺が訳が分からず男を見詰めていると、男は隣に座り、声を掛けてきた。
「よお…久し振りだな」
「あんたは…確か…宮田の知り合いの御館とか言う…」
「…ああ、土井垣から名前は聞いたんだな」
「まあな…後宮田にとって『土井垣以上の特別な存在』だって事も…聞いたぜ」
俺が皮肉を込めて言うと、御館はふっと寂しげな笑みを見せて言葉を返す。
「『特別』…か、確かにな。あいつは俺には『俺は土井垣にだって替えられない特別で、一番大切な人だ』って言って、土井垣には謝ってたよ…『柊は赤ちゃんのもう一人の父親で、自分の心の特別な所に置くの。ごめんなさい』…ってな」
「…どうしたんだよ、随分と湿っぽいじゃねぇか。あの時の俺を射殺せそうだった鋭さはどこにやっちまったんだ?」
俺は御館の態度の意味が分からず思わず問い掛けていた。御館はふっとまた笑うと呟く様にその『答え』を出した。
「葉月と土井垣が…籍を入れた」
「ああ…」
その一言で俺は全てを察する事ができた。御館は続ける。
「俺は…あいつらの保証人になったよ。葉月が俺の事を『土井垣にだって替えられない存在だ』って言ってくれたのは嬉しいし、保証人になった事に後悔はねぇが…やっぱり来るぜ、色々とな」
そう言って寂しそうにジントニックを飲んでいる御館を見て、俺も胸が痛んだ。そうか、土井垣はとうとう全てを乗り越えて想いを貫いたんだ――そんな胸の痛みを共有しようと、俺も出されたジントニックを飲んで口を開く。
「あの時の態度でもしかして、とは思ってたんだが…あんた、本気で惚れてたんだな。宮田に」
「…まぁな。でも、俺が想いを吐き出すまであいつは何も気付かなかった。…だから、あいつが気付かなかった時点で、その想いは…なかったのと同じだけどな」
そう寂しく呟く御館の言葉が聞いていられなくなり、俺はこういう店だというのに声を上げる。
「そんな事ねぇよ!俺だって土井垣に本当の気持ちは最後まで気付かれなかったが、その想いはなかった事なんかじゃねぇって思ってる。届くか届かないかの違いで、想いはちゃんと…あるんだよ」
「…犬飼」
御館は驚いた様に俺を見詰めた後、ふっと笑って口を開く。
「おかしいな。俺はお前に恨みを持ってたのに…こんな風に話してるなんてな」
「俺だってあんたの事うさんくせぇ奴だって思ってたが…結構仲良く出来るんじゃねぇか?」
「そうかもな」
そう言うと俺達は笑い合った。そうして二人で無言でしばらく飲んでいたが、不意に御館がまた口火を切った。
「そうだ…これだけは言っておかなけりゃな」
「何だ?」
「お前、彰子と親しくなったな。彰子の事…どう思ってる」
「どうって…まだ一度しか会ってねぇのに、どう思ってるもこう思ってるもねぇよ。それより、何であんたがそんな事気にするんだ?あんたには関係ねぇ事だろ」
「ところがちょいと関係があってな。…お前が知ってるか知らねぇかは分からねぇが、あいつは社会を動かせる程の力を持った企業の次期会長の座がほぼ決まった社長って言う責務を負ってる。俺は一応あいつの片腕なんだよ。で、片腕の立場から言わせてもらうが、もし中途半端な気持ちで付き合われると、彰子が窮地に立たされるんだ。もし彰子に惚れたっていうなら俺は何も言わねぇ。だがその前に…惚れて付き合うって言うならそういう立場の人間と付き合うんだって言う覚悟を決めてもらいてぇんだ。…プロ野球のチームを率いてるお前なら、俺の言ってる事はよく分かるな?」
「…ああ」
「どうする?覚悟はできるか?」
俺は御館の言葉を聞いていたが、その問いに不意に言葉が零れ落ちていた。
「覚悟なら…できてる。彼女といられるなら…俺は何でもする」
「…そうか」
御館は以前見せた人を射殺せそうな鋭い目つきではなく、心を覗くかの様な眼差しで俺の目をじっと見る。俺が見詰め返すと、御館はふっと笑って口を開く。
「大丈夫そうだな…でも、今言った通り彰子の周りは揚げ足取ろうとする奴らがごまんといる。そういうやつが書きたてる様な悪質なスキャンダルにならない位には、気を引き締めて付き合ってくれ。これはあいつの片腕としての俺からの頼みだ」
「分かった」
「じゃあ、ナシがついたところで…『主役』を呼び出そうかね」
「え?」
御館は誰かに携帯で連絡を取るとにっと笑い、俺に声を掛ける。
「しばらく待ってろ、『待ち人』が来るぜ。俺は邪魔者だからここでとっとと退散させてもらう」
「おい!あんた…」
「じゃあな。また会おうぜ」
そう言うと御館は軽く手をあげて金を払い、店を出て行った。俺が目を白黒させて酒に手を付けていると、マスターが静かに語りかける。
「柊司君もそうだが、あなたもとてもいい人そうだ。…彰子ちゃんも、これでやっと…幸せになれる」
「マスター?」
マスターの言葉が不思議で俺は問い返すと、マスターは静かに話してくれた。
「光太郎…彰子ちゃんの亡くなったお父さんの名前だよ…と私は、学生時代からの親友でね。私がバーテンの修業後に独立してここに店を開いた時、最初の常連客になってくれたんだ。そんな縁で彰子ちゃんは小さい時からその光太郎に連れられて良くこのバーに来ていたんだよ。もちろんお酒は出さなかったけどね。彰子ちゃんは社長業で忙しいお父さんが一休みするここに連れて来てくれる事をすごく喜んで…私の事も『おじさま』って慕ってくれて…それからここは彰子ちゃんにとって、社長令嬢や今では社長って肩書きを外した、ただの『彰子ちゃん』としていられる場所になったんだ。そんな『彰子ちゃん』を私は亡くなった光太郎の代わりに見守ってきたけれど、やっとあいつにいい報告が出来そうだ。ありがとう、犬飼君」
「マスター…」
マスターの彼女を思う気持ちに俺は胸が一杯になる。しかし御館にはああ言ったものの、俺は彼女をどう思っているのだろうか――そんな迷いを持って酒を飲んでいると、ドアが開く音がする。俺が振り返ると――
「犬飼さん…本当にまた会えた」
「こっちこそ…本当に会えたんだな」
後は言葉にならなかった。言葉にならない事で俺は確信する。俺は彼女に会いたかったんだ――しばらくの沈黙の後、俺は隣を指して口を開く。
「とにかく座れよ、飲もうぜ」
「そうね…そうしましょう」
そう言って微笑む彼女にまた俺は鼓動が早くなる。でも俺はもう迷う事はなかった。どう思う云々は関係ない。でも確かに俺は彼女に会いたかったし、土井垣への想いを乗り越えて彼女に惹かれているのは確かだ――静かに飲む彼女の横顔を見詰めながら、俺は次の言葉を捜していた――
…はい、という訳で閑話休題。小次郎兄さんと御館さんの和解の会話でした。
二人はお互い通ずるものを持っている、と会話で気付いたようです。でもそれだけでは済まないのが御館さん。ちゃんと彰子さんが窮地に立たされない様に釘を刺します。これが御館さんの彰子さんに対する付き合い方のスタンスなんです。恋愛感情はないけれど、幸せはちゃんと願っている。これは葉月ちゃんが無意識にあげた考え方かもしれません。ちなみにマスターも本文で言っている通り、彼女のお父さんの様な存在です。さらに言えばマスターの名前は出してませんが、彰子さんのお父さんの名前で察せられる方もいるかと…分かった方、語りませう(笑)。
そしてここで二人は再会しました。これからどうなっていくのか…作者もまだ書いてないので分かりません。またほんのりした別れで終わるか、スキャンダルになるか…暇な人は続きを待ってみて下さい(ぺこり)。
[2012年 05月 27日改稿]