俺と彼女はお互いしばらく無言で酒を飲んでいた。何を話していいのかお互いに話の糸口が掴めないからだと自覚はしている。やがて沈黙に耐えられなくなった俺が口火を切った。
「…なあ」
「何?」
「何で…来てくれたんだ?」
俺の問いに彼女はしばらく考えて、ぽつり、ぽつりと口を開く。
「分からないの。…柊司さんにあなたがここにいるって聞いた時、何だか会えるなら会いたいって…そう思ったの。おかしいわ、私、あなたとは一度しか会った事が無いのに惹かれてる…他に好きな人がいると思っていたのに、それ以上にあなたに惹かれているの」
「彰子…さん」
「彰子でいいわ。ううん…そう呼んで欲しい」
「じゃあ…『彰子』…俺と同じ気持ちなんだな」
「犬飼さん」
「俺も…小次郎って呼んで欲しい」
「じゃあ…『小次郎さん』…それは?」
問い掛ける彰子に俺はぽつり、ぽつりと言葉を零していく。
「あの…最初に会った日に…あんたは言ったよな。『あなたは何かなくしたの?』って。ぶっちゃけて言うが…俺はあの時…恋をなくしてたんだ。…しかも普通の恋じゃない、俺が相手を他の奴から奪った略奪の恋…しかもその相手は男だった。…結局その男は本当に愛してる許嫁の女の所に戻っちまったがな。そんな醜い俺なのに…今、俺は…その男以上に…あんたに惹かれてる」
「小次郎さん…じゃあ…柊司さんが最初はあなたと付き合うなって言って、理由を聞いたら『俺の口からはとても言えない』って言ってたんだけど…それって…」
「そうさ…多分その事さ。あいつが口に出せない位、俺は醜くて卑怯な男なのさ。…どうだ?もう…嫌になったろう?」
そう言って自嘲気味に笑った後手元の水割りを飲み干すと、不意に暖かな体温が伝わってきた。気がつくと彰子が俺を抱き締めてくれていた。
「小次郎さん。…でも、その恋は…相手が男でも…略奪した恋でも…本気だったんでしょ?」
彰子の優しい口調に俺はふと涙を零し、呟いていた。
「ああ、本気だった。…たとえ向こうが本当に愛しているのが別の女だったとしても、俺は本当にあいつを愛してた。それは…本当なんだ…」
「だったらいいじゃない。…相手が男でも…略奪しても…本気の想いをぶつけてなくした恋なら、悔いは…ないでしょ?」
「…ああ、でもまだ俺はあいつの面影を求めているのかも知れねぇ。…多分俺があんたに惹かれたのは…あんたの毅然とした優しさが、あいつにそっくりだったからだ…そんな俺を…許してくれるか…?」
そう呟いた俺を彰子は更に優しく抱き締めながら言葉を返す。
「それはあたしも同じ。…あなたは、あたしの好きな人…でも想いの届かない人に似ているの…どこかぶっきらぼうだけど優しくて…内に激しさも秘めているのが良く分かって…だからあたしはあなたに惹かれているのかも知れない…それでも…いい?」
「ああ…俺を通してそいつを見ていたとしても…俺は…あんたに惹かれてる」
俺は涙を零しながらも頷きながら呟いた。見ると、彼女も涙を零していた。
「ごめんなさい…今言った通り、あたしはあなたを通して、愛してる人の面影を見ているのかもしれない。でも…あの朝から、あなたとの安らぎを求める心が生まれたのも…本当なのよ…」
彰子の言葉に、俺は心の言葉を零す。
「俺達の心の何が本当で…何が嘘なんだろうな…」
その言葉に、彰子は涙を零しながらもきっぱりと言葉を返した。
「何が本当で…何が嘘かは…分からないし、どうでもいい。ただ…あたし達は惹かれあっている…それだけは…本当よ」
「…そうだな」
俺は頷くと彰子を抱き寄せる。そうして俺達はしばらく抱き合っていた。そして身体を離すと俺は口を開いた。
「じゃあ…改めて乾杯しようぜ。…俺達の迷いが少しでも早く消える事を祈って…」
「…そうね」
そういうと俺達は乾杯し、寄り添いあいながらまた酒を飲み始めた。でもその心はお互いの重荷を下ろした爽やかさで満ちていた。そうしてしばらく飲んだ後、時間が時間なので俺達は店を出る。店を出た所で、彰子が俺に問い掛けた。
「ねえ…また…あたしの部屋に来る?」
彰子の言葉にある決意を感じ、俺は迷ったが、まだその関係に落とし込むのは尚早だと思い直し、それをそのまま口にする。
「いや…まだ俺達はそうなっちゃ駄目だ。…もう少し…時間がいる」
「…そうかしら」
「そうだ。…だから、今日はこれまでにしておく」
そう言うと俺は彰子にキスをした。押し付けるようなキスに彼女は驚いて動けないでいる。それで、どれだけ時間が経ったろうか。俺は唇を離すと彼女を改めて抱き締めると、その耳元に囁いた。
「また…会おう。そうして…俺達の想いがどこにあるのか確かめよう…それが俺達の始まりだ」
「小次郎さん…」
寂しげな彰子に、俺は精一杯優しい笑顔を見せると、言葉を掛けた。
「秋季キャンプが終わったら、また…すぐ会えるさ。だから…絶対今度は連絡するから…会ってくれ」
「…ええ」
俺達は身体を離すと、まず彰子をタクシーに乗せ、その後俺もタクシーに乗ってホテルへと帰った。
――これがお互いにとっての最大の火種になるとはその時は思いもよらなかった――
…はい、小次郎兄さんと彰子さんの再会の話です。そして小次郎兄さんも彰子さんもお互いの迷いを吐き出しました。そうしなければこの二人の関係は始まらないと思ったのであえて告白させたんですが…いいのか彰子さん!相手は元ガチですよ(笑)!?でもきっと彰子さんの中では小次郎兄さんが誰を好きになっていたとしてもどうでも良かったんだと思います。ただひたすらに小次郎兄さんに惹かれてしまった…それには理由など本当にどうでもいい事なのかもしれません。そして小次郎兄さんも、手を出せるところを踏みとどまったのは、まだ土井垣さんの事が引っかかっているから、きちんと彰子さんに向き合えるようになるまで我慢するつもりなのでしょう。それもひたすらに惹かれた結果かもしれません。
さて、ここから二人はどうなっていくのでしょう。なかなか私にも見えませんが、ゆっくり熟成して書きたいと思います。
[2012年 05月 27日改稿]