土井垣さんがヒーローインタビューで宮田さんの存在を公表した翌日、俺も永年バッテリーを組んでいた人間として報道陣に彼女について知っていたか尋ねられる。俺は彼女の存在はスターズでは当たり前過ぎて隠す以前の話だったし、他チームの人間も自分を含めた土井垣さんと親しい人間は当たり前に受け入れていたからマスコミが今更こうして騒いでいるのが不思議で仕方がないとだけ言い、報道陣を鎮める方向であしらっていた。そうしてロッカールームへ入ろうとした時、不意に土井垣さんに声を掛けられて監督室へ案内される。監督室へ入って開口一番、土井垣さんは俺に謝罪の言葉を零した。
「守…すまん」
「土井垣さん」
「俺は…お前を利用するだけ利用して、今捨てようとしている。…許せないと思うなら、罵っても、殴ってもいい。…しかし…お前との身体の関係を切ることを、許してくれ。…しかし…俺にとってお前は…今でも最高のピッチャーだという事も、覚えておいてくれ」
そう言って頭を下げる土井垣さんの頭を俺は上げさせると、その目をしっかりと見詰め、きっぱりと、でも精一杯の優しさを込めて言葉を掛ける。
「…いいんです。俺は、こうなってくれる事を望んでいました…本当です。土井垣さんが愛しているのは宮田さん一人だって…分かっていましたから」
「守…」
「俺の事を『最高のピッチャー』だって思ってくれるだけで、俺は救われます。だから…謝らないで下さい」
「…」
沈黙して精一杯の謝罪を込めた眼差しで俺を見詰める土井垣さんを慰めるために、俺は土井垣さんにキスをした。驚く土井垣さんに、俺は少し無理があったがふっと笑って更に言葉を紡ぐ。
「これで…全て貸し借り無しにしましょう。これからは、最高のライバルで…友人です」
「守…」
「じゃあ…失礼します」
そう言って踵を返して立ち去ろうとした時、不意に激しい咳が出て、俺はその場に座り込んだ。土井垣さんは慌てて俺に駆け寄り支えて立ち上がらせると、心配そうに声を掛ける。
「守、どうした!」
「いえ…最近ずっとこうなんです。咳だけで熱もそんなに上がらないし、大した事ないですよ」
「馬鹿野郎!ずっと続いているなら何故医者に行かん!」
「医者に行く程じゃないですよ。本当に大した事…」
そこで俺はまた咳をする。土井垣さんは言い聞かせる様に俺に言葉を掛ける。
「…頼む、お前まで死にかける様な事にしたくないんだ。…医者に行ってくれ…」
俺は昨日のヒーローインタビューで、宮田さんの身体に何か大変な事があった事位は察している。土井垣さんはどうやらそれから他人の体調について、すっかり過敏になってしまっているらしい。その気持ちを察した俺は、素直に頷いた。
「…分かりました。監督に言って、医者に行ってきます」
「ああ…頼む」
「はい。…じゃあ、失礼します」
そう言って俺は監督室を後にすると、自分の監督に事の次第を話し、医者へ行く事を許可してもらう。監督は俺の様子に薄々気付いていた様で『大した事がなきゃいいがな』と言い、病院を紹介してくれた。何でも監督が故障した時にお世話になった病院の系列病院で、連携している病院のおかげで呼吸器にも強いし、紹介状もいらないという事だった。教えられた住所はドームからは遠かったが、監督の気遣いがありがたいと思って病院へと行き、とりあえず内科で受付をして、症状を話す。すると医師はふと顔色を変え聴診器で慎重に呼吸音を聞くと、胸部レントゲンとCT検査を指示した上で丁度来ていた呼吸器の医師にバトンタッチした。写したレントゲンを見た医師は静かに、しかしきっぱりと『すぐに入院して下さい。おそらく無熱性肺炎ですが、最悪の場合結核の可能性もあります』と俺に言い渡した。俺は慌てて監督に連絡をすると荷物を取りに一旦ホテルへ戻してもらい、荷物をまとめて病院へ戻り、入院手続きをする。監督は保証人という事で一旦病院へ来てくれて、二人で症状の説明を聴いた後俺は感染症だった場合の事を考慮され、個室の病室をあてがわれた。監督は『まだ結核は疑いで、肺炎の可能性のが高いんだろ?医者も言ってたが今までの疲れが溜まったんだろうさ。まあ後は消化試合だからゆっくり静養してろ』と俺に気を遣わせない様に明るく言って病院を去って行った。こんな状態になった事を土井垣さんが知ったらどれだけ心配するだろう、そして宮田さんの事も相まってこれだけ会っていたのに何で気付かなかったんだ、とどれだけ自分を責めるだろうと、その事を思ってふと胸が痛んだが、やがて打たれた点滴の薬が効いてきたのか、深い眠りに落ちていった――
そして、どれだけ経っただろうか。俺はふっと目を覚ます。すると、病室に人がいた。看護師かと思ったが、どうも違う様だ。『その人間』は窓際に何かを飾ると俺の枕元に来て『まさか…こんな所で会うなんてね』と呟いた。その声から女性だとは分かったが、姿は朦朧とした意識なので分からない。意識を集中させて何とか顔を見ようとしている俺の様子に気がついたのか、『彼女』は『ゆっくり休んで…早く治してね』と声を掛けると俺の額を撫で、去って行った。その感触が何故か懐かしくて、愛おしくて――そんな不思議な感覚を覚えながら俺はまた眠りに就いていった。
翌日、目を覚ますと窓際にピンクのカーネーションが飾られている事に気が付いた。俺は昨日の『彼女』が飾ってくれたんだと確信する。でも、あんなに懐かしくて、愛おしい感覚を覚えるなんて誰だろうと、俺は考え…咳が酷くなるので考えるのを止めた。やがて看護師が用もないのに入れ替わり立ち代わり覗きにやって来る。どうもプロ野球選手が見られるという事が物珍しいのと、あわよくば目に留まろうと思っているのもあるのだろう。そんな様子に苦笑しながら俺は突然贈られた休みを満喫する事にした。検査以外は安静が基本で、基本的に食欲もあるので栄養と休養をしっかり取れば肺炎ならば治りも早いと言われたので食事はなるべく残さずとり、睡眠もいつもの自分からしたら寝すぎる位眠る事に決めた。そうして眠っていると、不意に病室の入口が騒がしくなりまた病院のスタッフが入って来る。看護師かと思ったが、着ている白衣からしてそうではない様だ。入って来た二人の女性は俺を尻目に口々に話している。
「だから、私はこの人に会っちゃいけないんですってば」
「何言ってんの。こんな事でもなきゃリハやってるうちらとはいえ、プロ野球選手に会える事なんてないでしょ?それに大久保さん、不知火選手のファンじゃない。こんなラッキーな事ないわよ。山崎さんにはあたしが適当にごまかすから見物して行きましょう?」
不意に聞こえて来た名前が俺は引っかかった。『おおくぼ』?…どこかで聞いた様な――
「そうじゃないんです、確かに私は不知火選手を応援してますけど、そういう意味じゃなくて…」
俺は『大久保さん』と呼ばれた方の女性を見る。歳は俺より少し下位に見え、肩を覆う位までの髪で前髪はピンで留め、おでこを出している。そしてその下の大きな目に、確かに知っている『誰か』の面影を俺は見出した。しかし肝心の『誰か』が出てこない。この面影は誰だったろう――じっと見詰めている俺に気付いたのか、もう一人のショートヘアの女性が明るく俺に声を掛けて来た。
「どうも、不知火選手。静養中なのにお騒がせしてすいません。私は矢野梓って言います。こっちの彼女は大久保真理子って言って二人共作業療法士です。ちなみに大久保さんは不知火選手のファンなんですよ」
「矢野さん!だからそうじゃないって…」
俺はその名前にふとある記憶が蘇ってきた。…『大久保真理子』…そうだ――
「真理子ちゃん、誠さんの妹の…真理子ちゃんだろ?」
「…え?…不知火選手、大久保さんの事知ってるんですか?」
俺の態度に『真理子ちゃん』は観念したかの様に困った様な微笑みを見せて、俺に挨拶した。
「そうです。お久し振りです…不知火さん。今の体調はともかく…左目の調子はどうですか?」
「ああ…快調だ。でも…こんな所で会えるなんて…」
「本当は会っちゃいけない者同士なのに…皮肉ですね」
軽く咳をしつつの俺の言葉に、真理子ちゃんは寂しそうな笑顔で言葉を返す。その言葉も、表情も痛々しくて、俺は励ます様にゆっくりと言葉を返す。
「そんな事言わないでくれ。『あの時』から大丈夫だったか、ずっと心配だったんだ。…だから、元気な姿が見られて俺は嬉しい」
「…そうですか」
「どういう事…?」
『矢野』と名乗った女性は訳が分からない様子で俺達のやりとりを見ている。これが俺の運命を変える出会いになるなんて、その時は思いもよらなかった――
…はい、という事で『心の旅人シリーズ(結局これに決定)』不知火編第一話です。不知火にはやっぱり不幸や苦労が似合うので←おい、ちょっと病気になってもらいました。まあ、真理子ちゃんとの接点を作るためもあったんですが。だからこの診断方法や入院方法はでたらめですので信じない様…(土下座)
大抵明らかな結核はレントゲンで大方は判断できます。そして結核と判明した場合その患者に関わった病院スタッフは全員レントゲン検査を受けさせられます。私が出張健診に出てた頃3回位あったなぁ…具合が悪いから健診させて下さいって来て結核だったケース…(遠い目)。
そしてこの二人の仲は禁断の恋。でもどう進んでいくのでしょうか?割合小次郎兄さんより急ピッチに進むかもしれません。とりあえずは次回をお楽しみに…(ぺこり)
[2012年 05月 27日改稿]