あたしは不知火さんの病室から出た後トイレに駆け込むと、流れる涙を必死で止め、顔を洗い、空元気の笑顔を作りって不知火さんのいる病院と隣接している別院にあるリハ室へ戻る。リハ室へ戻ると上司で、理学療法士の山崎さんが声を掛けてきた。
「大久保さん、休憩5分オーバー。患者さん、もう待ってるわよ」
「すいませ〜ん、ちょっとお手洗いで時間取られちゃって」
あたしは泣きそうになるのを必死に堪えて明るく応え、仕事に戻ろうとする。と、山崎さんが不意にあたしを引きとめた。
「大久保さん」
「はい、何ですか?」
あたしが笑顔で返すと、山崎さんはふっと複雑な眼差しをあたしに向け、口を開く。
「深呼吸3回して」
「え?」
「いいから」
あたしは言われた通り深呼吸をする。鼻の奥がツンと痛くなったけれど必死に我慢をして笑顔を絶やさない様にした。そして深呼吸を終わらせると、山崎さんは少し厳しい表情になって言葉を重ねた。
「…やっぱりね」
「はい?」
「何かあったでしょう。泣く様な事」
「…」
全て見抜いた山崎さんにあたしは何も言えなくなる。山崎さんは小さく溜息をつくと、言い聞かせる様に問いかけた。
「…仕事が終わるまで、その状態…維持できる?」
「…意地でも保ちます」
「ならいいわ。くれぐれも患者さんを不安がらせない様にね。それから、終業後は空いてる?」
「…はあ」
「じゃあちょっと話しましょう。…さあ、笑顔で行ってらっしゃい」
「はい」
山崎さんは表情をにっこりした笑顔に変えるとあたしの背中をポンと叩き、送り出す。あたしは山崎さんの心遣いに感謝して、仕事に取り掛かった
――
そうして終業後、あたしと山崎さんは着替えると二人で地下鉄に乗り、お互いの線に別れる駅の傍にある居酒屋へ入り、向かい合って座る。山崎さんはビール、あたしはサワーを注文し、乾杯した所でおもむろに山崎さんが口火を切った。
「…大久保さん、何があったの?いつも心からの笑顔を絶やさないあなたが泣くなんて」
「それは…」
これは山崎さんには…ううん、誰にも話す事ができない。ただ禁じられた想いだからというだけじゃない。この想いは医療従事者なら尚更持ってはならない想い。この道を選んだ時から、それは痛いほど自覚しているし、自覚してもその想い以上にこの道に進みたかったのは本当。こうなると分かっていて、それでもこの道を選んだのはあたしの選択。だから、誰にも言わず、なかった事にして、心の片隅に押し込まなきゃ
――「大久保さん…大久保さん!」
「…え?…」
「ごめんなさい。よっぽど辛い事なのね」
「…すいません、私こそ…」
気がつくとあたしは無意識に涙をまた流していた。あたしは涙を拭うと、山崎さんに無意識にぽつりと心の言葉を零していた。
「どうして、駄目だと分かっている事を…したくなるんでしょうね」
「大久保さん…?」
山崎さんは怪訝そうな表情を見せていたけれど、やがて何かを感じ取ったらしく、静かに言葉を返してくれた。
「そうね…でも、あなたの中で…もう『それ』は止まらなくなってるんじゃないの?」
「…」
あたしは言葉を失う。山崎さんはそんなあたしを見て小さく溜息をつくと続ける。
「図星みたいね…率直に言うわ。あたしから見たら…たとえ『それ』が何か許されない事だとしても、あなたにはもう止める力はないわ…だったら…迷わず、ひるまず突き進みなさい。たとえ許されないとしても…きっとあなたに『それ』は必要なものなのよ」
「山崎さん…」
「何かあったら…それから…『その事』について言いたくなったら…いつでもあたしに言いなさい。相談に乗るわ。だから、あなたはあなたの道を…後悔しない…いいえ、後悔してもそれを受け入れられる道を選びなさい。たとえ世間が許さないとしても、きっと…あたしを含むあなたの周りの人は…受け入れてくれるわ」
「…はい」
「さあ、飲みましょう。改めてクリアな頭で考えるためにも、今日だけは飲んで…忘れるといいわ」
そう言うと山崎さんはお互い空になったジョッキとグラスを店員さんに渡し、新しいお酒を注文し、その後は取りとめもなく飲みながら話し、程よく酔った所で店を出て別れた。
あたしは下宿先のマンションに帰ってくると、水を飲んでパジャマに着替えてベッドに横になる。酔いの回った頭の中で、ふっと『彼』の言葉が頭をよぎった。
――俺は…一人だ。寄り添ってくれる人がいると思っていたけれど…それは、幻だったんだ。だから…俺は、ずっと二人でいても…一人だったんだ…――
『彼』の口調は弱々しかったけれど、あたしの心には心を引き裂く様な痛々しい叫び声として響いた。かつて『太陽の様な男』と呼ばれ、今でもその輝きを失っていないかに見えた『彼』の痛々しい叫び。二人でいても一人だった彼は、例えるなら寂しい太陽だ。でも、『彼』の言っていたその『もう一人』をあたしは知らない。そして、『彼』が『その人』にまだ想いを残している事はあの言葉で分かっている。その事がちくりと棘の様に胸に刺さったけれど、それでも自分の想いは止められないとも分かってしまった。だって、あたしも誰も知らない所でずっとその寂しい太陽を見つめ続けてきた、表向きは黄金色だけれど、やはり内側は寂しいひまわりだったのだから
――あたしは涙を流しながら、それでも彼の言葉を反芻し続け、やがて眠りの世界へ引き込まれていった。
…はい、今度は真理子ちゃんサイドからのお話です。不知火と違ってどうやら真理子ちゃんはずっと不知火の事が好きだった様で…
彼女がこの仕事を選んだ理由は決めたんですがそれでもその想いを押し込めて、この仕事を選んだ理由は…まだ作者も決めてません。真理子ちゃん(及び不知火)のこれからの出方次第ですな。
そしてここでも出ました上司の山崎さん。彼女は職員の状態を瞬時に察する事ができる位有能な上司ですし、ちゃんと世話をするだけの度量を持った優しい人です。これからも真理子ちゃんを何かと助ける役目を負ってもらうつもりです。でも同様に内に秘めた腹黒さもその内出したいとは思ってます(笑)。
んで、タイトルの『ひまはり』は土屋明子さんという方の曲から選びました。イメージもちょっと使わせてもらってます。切ない恋を歌ったこの曲は一聴の価値ありです。そして前回出した『寂しい太陽』との二つのイメージが不知火編のサブタイトルだったり(笑)。これから二人はどうなっていくのでしょうか?作者も見えてません。が、スキャンダルと言うよりスクープ位にはしようと思ってます。不知火、その時は『アイアンドックス不知火、ストーカー疑惑』とかになるなよ〜(爆死)。
[2012年 05月 27日改稿]