入院から数日経って、俺は担当医から検査結果を教えてもらう。『朝霞』という俺とそう歳は変わらなく見えるその女医は、気のせいか担当になってからずっとどこか冷たい雰囲気を漂わせていて、今も冷静に、そして同様に冷たい口調で言葉を掛ける。
「結核の心配はありませんでした。無熱性肺炎です。この数日で大分症状も治まってきているので、安静にしていれば一週間もしないうちに退院できるでしょう。それまで安静を守って下さい。…では、何か質問は」
その言葉に、俺は真理子ちゃんの事を教えてもらおうと医師に声を掛けた。
「あの、病気とは関係ないんですが…ここで働いているらしい大久保真理子さんについて、ちょっと聞きたい事があるんですけど…」
その言葉に医師は冷たい表情を、更に冷たくしてきっぱりと応える。
「いくら患者さんと言っても、病院スタッフについて話す事はできません」
「でも、彼女は俺の…大切な人なんです。だから…教えて下さい、お願いします!」
俺の必死の言葉に看護師は驚き、医師はふっと表情を怪訝そうなものに変えたが、すぐに元の冷たい表情に戻ると、付いていた看護師を無理矢理先に次の患者の所へ行く様に言葉を掛け追い出してドアを閉め、厳しい表情で更に冷たく言葉を俺に掛ける。
「じゃああたしからも聞くわ。…そんなに大久保さん…真理ちゃんを大切に思っているっていうのなら、どうして土井垣さんに手を出したりしたの?『不知火守投手』」
医師の意外な言葉に、俺は狼狽しながら思わず呟く。
「それを…何で…あなたが知っているんですか…」
俺の呟きに、医師は小さく溜息をつくと、こっちも呟く様に言葉を続ける。
「土井垣さんの婚約者の宮田葉月さんは、あたしの親友よ。それに…彼女が土井垣さんと別れて土井垣さんの所から出て行った時にあたしの所へ迎え入れたから…土井垣さんのあなたとの裏切りも全部知ってる。あなただけじゃないけど…土井垣さんのあなたとの裏切りで葉月さん…はーちゃんはものすごく傷ついて、切迫流産で死に掛けたわ。…親友をそんな目に遭わせた人間をあたしが許せると思う?だから、下手に話してあなたと会わせて、同じ思いをやっぱり仲のいい真理ちゃんに味合わせるわけにはいかない。医師としては患者だから全力を尽くす、それは約束するわ。でも…一個人としてはあなたを許さない。…あたしの気持ちはこうよ」
「そんな…」
俺は呆然とする。世間が狭いというのはこういう時に使うのだろうか。俺は俺の行動で、周りを傷つけただけではなく、全てを失ってしまったのか――俺は医師の前だというのに涙が零れてくる。周囲を傷つけ、そして愛した存在を失い、ここでまたやり直そうという思いも許されない。それ程重い罪を俺は負ってしまったのか――涙を零し続ける俺を医師は静かに見詰めていたが、やがてふっと冷たい表情が和らぎ、静かに誰に聞かせるともなく呟く。
「真理ちゃんは…この仕事を選んだ理由を聞いた時にね、こう言ってたわ。『大切な人が大きな怪我をした時、機能回復の役に立ちたいと思ったから中学の時にもう決めていた。本当は理学療法士を取ろうと思っていたけれど、最後に迷って結局作業療法士を選んだ』って。…その『大切な人』ってあなたかもね。…でも、最後の最後に迷って直接関われそうな理学療法士じゃなくて作業療法士を選んだのは、何か理由がありそうね。…その迷いの理由は何かしら…あなたに関わっちゃいけないって事じゃないの?」
「…」
俺は黙って医師の話を聞いていた。医師の言う通りだ。彼女は俺を想っていたとしても、俺に対する想いに最後の最後でブレーキをかけたんだろう。確かに俺達は二度と会ってはいけない者同士だ。そうしてそれが分かっていて彼女はブレーキを掛けたのだろうから、そのまま俺と関わりを持ちそうにない進路を選べば簡単なのに、彼女はどうして出くわす可能性のある医療の現場に入ったんだ?しかも、出くわす可能性が格段に高くなるリハビリに関わる様な仕事に――俺は訳が分からなくなり、涙が止まった代わりに咳をしていると、医師は静かにまた言葉を零した。
「…ちょっと喋りすぎたわね。あたしはもう行くわ…ねえ」
「何ですか?」
「この間の土井垣さんのヒーローインタビューからすると…あなた、土井垣さんとの事は区切りをつけたの?」
俺はその問いにはっきり答える。
「…はい」
医師はそれを聞いて不意に真剣な表情になると、言葉を重ねた。
「真理ちゃんは…隣のリハを主にした別院で働いているわ。もし、本気であなたが真理ちゃんの事を想う様になったのなら…それなりの行動をとりなさい。その行動によっては、あたしも…多分はーちゃんもね…きっとあなたを応援するわ」
「…」
「じゃあね。とにかくしばらくは安静よ」
そう言うと医師は出て行った。医師の言葉は全て本気で俺に向けられたものだと口調と表情で分かった。俺が今までの罪を償って、真理子ちゃんにもう一度正面から向き合える男になるには、どうしたらいいんだろう――俺は天井を見上げながら長い間考えていた。
…はい、という訳で不知火編閑話休題です。
そして弥生ちゃん登場、葉月ちゃんの事情を知っているので、医師としては真面目に取り組みますが一個人としては不知火に辛く当たります。それはまるでシンデレラに辛く当たる姉がごとし(笑)。そんな彼女から零れ落ちた、真理子ちゃんがこの道を選んだ理由に不知火は戸惑って、そして彼女と向き合うにはどうしたらいいか考え込みました。ここで出た考えで行動するのが次回です。でもまだ作者としても迷ってます。どういう行動させるか。真っ直ぐに行くのもいいかもしれませんが、それで玉砕したらシャレにならないしなぁ…とりあえず真っ直ぐに行くつもりではいるのですが。不知火はそれで救われるのでしょうか?お待ち下さいませ(ぺこり)。
[2012年 05月 27日改稿]