そして翌日。俺は早朝に目を覚ますとバッグの中の数少ない服をとっかえひっかえしてこれだ、というものを選ぶ。長袖のTシャツにブルゾンを羽織って、下はカーゴパンツ。まあ結局普段と同じなのだけれども、逆にその方がいいのかもしれない。それに今日はいつも被っているキャップがないから、それだけでも自分には新鮮に見える。そして俺はチームメイトと食事を取った後、監督にもう一度許可を取ってから出かける。監督は『昨日ちゃんと許可出したんだから律儀に来なくても…』と呆れていたけれど、それでも『こうして練習も抜かして休ませたんだから、きっちり休んで次に備えろよ』と笑って送り出してくれた。そうして俺はI駅へと向かう。地下鉄で十数分のその駅へ辿り着き待ち合わせ場所へ行くと、まだ約束の十五分前なのに彼女はもう来ていた。藤色のセーターとスカートに白いストール、薄いベージュのローヒールのパンプスという可愛らしいのに同時に女性らしい姿に俺は思わず一瞬見惚れて、彼女が他の男に声をしつこく声を掛けられ始めたのに気付いて慌てて寄っていく。
「…ごめん、真理、待たせたな」
「あ…ううん、守さん。待ってないから…では、そういう事ですので失礼します」
そう言って一礼した彼女と睨みつけた俺に気圧されて、男は退散した。俺は彼女に惜しみない感嘆の言葉を掛ける。
「綺麗だ…真理」
俺の言葉に真理子ちゃん…いいや、真理は恥ずかしげに微笑んで応える。
「ありがとうございます。守さんと会うんだって思ったら何だかお洒落しなきゃって思って。…でも、気取りすぎたかしら」
「いや、良く似合ってるし、それ以上に俺のためにそうしてくれるのが…俺は嬉しい。それより俺の方こそ遠征で服が無いとはいえ、こんな格好で…悪いな」
「いいえ、そのままの守さんと会いたかったんで…いいです。…それに…」
「それに?」
恥ずかしげな笑みから不意に寂しげな笑みに変わった真理の様子が不思議で俺は問い掛ける。それに気付いた真理は取り成す様にまた明るい微笑みに変えると、俺に問い返した。
「あ…いいえ、何でもないです。じゃあどこに行きましょうか」
「そうだな…こんな話になったから、とりあえず俺の服を見立ててくれないかな?俺は…真理に服を選んで欲しい」
「あ…はい」
「それから…その他人行儀な話し方はやめてくれ。今日の俺達は、デート中の恋人なんだから」
「…」
「…駄目か?」
「…でも…いいんですか?」
「いいんだ」
「…うん」
真理はふっと寂しげに笑った。その笑顔を不思議に思いながらも、俺は彼女の肩に腕を回す。彼女はほんの少しの間だけ驚いた表情を見せたけれど、すぐに俺に寄り添った。そうしてまず俺達はデパートや周辺のメンズショップを回って彼女の見立てで服を買い、その後彼女が見たいと言ったのでブティックで冬物を見て昼食を取った後、本屋でスポーツ誌を見て俺が載っているのを見て笑ったり、雑貨屋で雑貨を見たりした。こんな所に来るのは珍しいので色々見ていると、そこでシンプルな色のマグカップを見つけて、彼女と自分とおそろいで買いたい、とふと思った。俺はそれを口にする。
「なあ…このマグカップ、揃いで買わないか?」
「え?」
「俺達がまたこうやって出会えた記念に…何か欲しいんだ」
「…」
真理はしばらく黙っていたが、やがて静かに頷いた。
「…うん」
「じゃあ買おう」
そう言うと俺はカップをレジへ持って行ってラッピングしてもらう。俺には紫がかったピンク、真理には薄いブルーのマグカップ。それを差し出した時、彼女は不思議そうに問いかける。
「何で守さんがブルーじゃないの?」
真理の問いに俺はウィンクしながら答える。
「これは…二人の身代わりで…お守りだ。俺は真理の身代わりだって思ってこのマグカップを持つから…真理も俺の身代わりだって思って…持って欲しい」
俺はそう言って彼女にマグカップを渡す。彼女は嬉しそうな、でも少し寂しそうな表情で微笑むと受け取った。
「…ありがとう」
「…いいや。…そうだ、少し疲れただろう?喫茶店でも入ろうか…そろそろ、会えなかった時の話もしたいし」
「…うん」
彼女が頷いたのを確かめて、俺は日ハム時代に良く通った駅の近くの静かな喫茶店を選んで彼女を入れて、コーヒーを頼む。彼女はミルクティーを頼んだ。そうしてコーヒーとミルクティーが運ばれて、一口飲んだ所で俺は口火を切った。
「あれから…どうしてたんだ?」
「市内の県立高校に入って、その後作業療法士になるために大学に通って…そこでサークル活動の関係で葉月さんと知り合って、進路迷ってた時に学費援助とセットの今の職場を紹介してもらったんです」
「そうか…仕事は楽しいか?」
「はい。大病院と違ってドクターもチームの一員て感じでいいつながりがあるし、患者さん一人ひとりに丁寧に接する事ができて、私には合ってます」
「そうか…良かった」
「…はい。守さんは…甲子園には一度も行けませんでしたけど…その代わり、日ハムに入って、エースピッチャーになって…今でもアイアンドッグスの押しも押されぬエースピッチャーですね。すごいです」
「そう思ってくれるか?」
「はい。…でも、それ以上に覚えてるのが守さんが高3の時の…ほら、夏の甲子園予選の準決勝で言った言葉です。『あれは夏祭りだ』っていうあれです。…あれ、白新全く関係ないうちの周りでも結構長い間、事あるごとにフレーズ変えたりしながら決め台詞みたいに使われてたんですよ」
「そうなんだ…恥ずかしいな」
そう言うと俺達は笑った。ひとしきり笑った後、真理は静かに言葉を紡ぐ。
「そうして私…両親が辛そうだから、表立っては見てなかったんですけど、ずっと…守さんの事、見て…応援してたんですよ」
「…そうか」
「…はい」
「そうか。俺がここまで来れたのは誠さんと…何よりあの時移植を勧めてくれた真理のおかげだって思ってる。…だから…ありがとう、真理」
「守さん…」
そうしてしばらく暖かく、でも少し寂しい沈黙が訪れる。しばらくの沈黙の後、俺は更に言葉を重ねた。
「かなり強引だったけど、今日は…来てくれてありがとう」
「いいえ。私こそ…誘って下さって、嬉しかったです。…ああなって、もう二度とこんな風に話す事はない…って、思ってましたから…」
「そうだな」
「でも…その時間ももうすぐおしまい。…シンデレラの魔法はもうすぐ解けるのね…」
そう言って寂しげに微笑む彼女に、俺は今言えるだけの想いを口にした。
「…だったら、俺はそれを今様シンデレラに変えようかな。…王子はそうして消えようとしたシンデレラを捕まえて離さないんだ。魔法が解けたって気にしないで、むしろそのままの姿にもっと惚れ込んで…そうしてシンデレラはもちろん…みんなで幸せになるんだ」
「守さん、それって…」
「つまり、俺は…真理をもう離さないって事だ…絶対に」
「守さん…」
「俺は…真理に言いたくない様な罪も負ってきた…そうじゃなくてもこの左目は、君の兄さんの誠さんのものだ…だから、あっちにいる誠さんに…恨まれるかもしれない。でも…俺は二度と、自分の想いを諦めたくないんだ」
「…守さん…それってまさか…あの時言っていた人の事?」
「ああ…聞いてくれるか?醜い俺の罪の事を。…でないと俺は…真理と真っ直ぐに向き合えない」
真理はしばらく迷う素振りを見せていたけれど、やがて静かに頷いた。
「…分かったわ。聞かせて…守さんの罪を。それから…あたしに対する想いも」
俺は彼女に全て話した。土井垣さんとの事を、宮田さんとの事を、そして二人を傷付けた事を
――真理は黙ってミルクティーを飲みながら聞いていた。一通り話し終わって俺が冷めたコーヒーを一口飲むと、真理がおもむろに言葉を零す。
「守さんは…葉月さんの恋人を奪って、葉月さんを傷付けたのね。それで…葉月さんはああなったの」
「…ああ、軽蔑するだろ?男と浮気した挙句、その恋人の友人の事を今更好きだって言うなんて。…でも…俺はこの恋があったから、真理への想いに気付けたんだって…思ってる。勝手な話だって軽蔑してもいい…でも、俺は真理の事が…好きなんだ…」
そう言いながら俺の目からは一筋涙が零れていた。真理はまたしばらく黙っていたけれど、言葉を返してくれた。
「葉月さんを傷付けた事は、確かにあたしも許せない。…でも」
「でも?」
「それ以上に…あなたに対する想いが抑えられない。その時点であたしも葉月さんを裏切ってるのよ。…あなたに対する許せない思いと、あなたへの想いで…心がちぎれそうだわ…」
「真理…」
見ると、真理も涙を零していた。俺達は泣いた。お互いの想いに
――そうしてひとしきりお互い涙を零した後、俺は静かに言葉を重ねた。
「…今言った通り、俺は真理に対して取り返しのつかない事をしてる。でも…それでも、真理を諦められない。俺は…真理の想いで満たされたいんだ…真理の気持ちは良く分かったけど…それでも聞く。こんな俺を…受け入れてくれるか…?」
「…」
真理は黙ったままだ。そうだろう。今確かに彼女は俺に対して恋心を持っているといったが、同時に俺の事を許せないとも言った。許す事ができない俺の事など、いくら恋をしていても受け入れる事なんかできやしないだろう
――そう思って俺が諦めの言葉を口に出そうとした時、不意に彼女が口を開く。
「…言ったでしょ?」
「…え?」
「葉月さんの事が許せなくても、あなたに対する想いが抑えられないって…守さんがどんな罪を負っていても、許せなくても…それ以上にあたしは守さんの事が好きなの。…だから、もうあたしを離さないで…あたしも…もうどこへも行かないから…」
「真理…」
俺は嬉しさでまた涙が零れそうになったが、必死に堪えて最高の笑顔を真理に見せる。真理も泣き笑いの表情で俺に笑いかけた。そうして暖かな雰囲気でお互いに冷めたコーヒーとミルクティーを飲み干した後、俺は駅まで彼女を送る。
「本当なら、夕飯も一緒に食いたいんだけど…さすがに帰らないとチームメイトに悪いしな」
「うん…分かってる。早く帰って…明日に備えて。あたし…応援してるから」
「でも…シーズンが終わったら、また会ってくれるだろ?」
「うん。…それが秋季キャンプ後のオフである事を祈ってるわね」
その言葉は俺に会いたくないのではなく、彼女一流の『日本一になって会って欲しい』という願いが込められた言葉だと俺には良く分かった。俺はその言葉に笑って右腕を上げて見せながら言葉を重ねる。
「ああ、この腕に掛けて」
「…うん、頑張ってね」
「じゃあ…名残惜しいけど…これで」
「…うん、またね」
「そうだ…真理」
「何?…!…」
俺は別れ際真理を抱き締めると、彼女にキスをした。突然のキスに彼女は驚いた様子を見せたけれど、俺はわざと悪戯っぽく笑って言葉を紡ぐ。
「俺達は、もうこういう仲なんだから…かまわないだろ?」
「…もう」
俺の言葉に彼女は拗ねた様に横を向く。それがまた可愛らしくて俺はもう一度彼女をきつく抱き締めると、身体を離して彼女を見送った。
――ここからが本当に苦しい恋の始まりだとは気付きもせずに――
…はい、という訳で後半です。不知火はどこまでいっても速球ストレート勝負しかできない模様(笑)。でもデートシーンは書いてて楽しかったです。
本当は告白させるのは、夕食で程よく酒が入った時と思っていたのですが、『素面で告白させてくれ』という不知火のご要望がありましてああいう形に。それにさすがに本当に好きな相手とのデートだし、一日オフもらったからと言ってデーゲーム後のチームメイトをほっぽって色事にかまけるタイプではないと思ったので。
そしてもう一つ没ネタ。本当はクライマックスシリーズのチケットを真理子ちゃんが買ってて観に行くというネタも浮上してたのですがそっちはまとまんなかったので没。その内表でいちゃいちゃ系で書こうかな、とか思ってます。でもこっちは苦労してもらうからね不知火ウフフフフ…
[2012年 05月 27日改稿]